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アボガド売りの少年  作者: あまやま 想
本編2【後半の1年間】
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算数オリンピック、実施へ

 五月十四日の夜、ナコク県の県都・アソラナスに五人の協力隊員が駆けつけてくれた。私の任地・サンホセは人口五千人足らずの小さな町なのでホテルがない。


 そのため、よそから駆けつけてくれた隊員はサンホセから一番近くにあるホテルのある町であるアソラナスに集まってもらうこととなる。このとき、運悪く毎年恒例であるアビエカのカルナバルが重なってしまったため、来られるのが五人だけとなってしまった。


 まあ、アビエカのカルナバルは隊員にとって特別な意味を持つお祭りなので仕方ない。


 でも、隊員がたくさん来ないとできないようなイベントは、隊員が帰った後に定着することはほとんどないだろう。逆に考えれば、これはチャンスである。これでうまくいけば、私がいなくなってからも、現地の教員だけで続けられる可能性がかなり高くなる。


 私は打ち合わせの際に、最後の締めくくりで行う日本文化紹介を除いて、可能な限り手を出さないで欲しいとお願いした。私の考えた形式で算数オリンピックをやろうとしている後輩隊員達にも、ノウハウだけを学び取ってほしいとお願いした。いろいろ試してもらうのはそれぞれの任地でやるように言ったところ、快く受け入れられた。


 カナにとっては、これまでの二年間活動してきた事の集大成となる。もちろん、それだけなく、これまでお世話になった多くの方々への恩返しの場面でもある。また、算数オリンピックを見届けたいと願いながら、叶うことなく天寿を全うされたヘスス長老の弔いも兼ねている。もう、私は一人ではない…。


 五月十五日の朝、校長先生がアソラナスのホテルに車で迎えに来た。これも事前の打ち合わせで決めていたことである。校長は遅れることなく、きちんと朝六時半に迎えに来てくれた。ここから、私にとっての最後の決戦が始まった。今回の成否は、そのまま二年間の成否を意味するのだから、否応なしに気合が入る。


 最初に保護者向けのクラセ・アビエルタ(授業参観)を二時間行った。これは当初の計画にはなかった。しかし、算数オリンピックだけでなく、普段の授業も見て欲しいと言う意見がベレン先生から出た。


 私からでなく、現地の教員からの提案であることがうれしい。日本では授業参観を最低でも年に三回はやるので、サルドノでもそれぐらいやることが当たり前になってくれればと思った。


 二時間授業参観をおこなうので、一時間目は全学年で算数の授業が行われた。クラセ・アビエルタも今回が二回目と言う事で、前回よりも多くの保護者が授業を見に来ていた。これなら、この町からボランティア集団協力隊員がいなくなってからも、途絶える事なく授業参観が行われるだろう。カナはそう思った。


 もちろん、ただ授業を保護者に見せているだけでない。授業内容も指導技法も二年前よりは確実に上達している。子ども達も楽しそうに授業を受けている。もう、教員が一方的に黒板で問題を解いて、子ども達はそれをノートに書き写すだけの授業は行われる事はないだろう。カナは前クラスの授業を見て、私のやっている事は間違っていなかったと確信するに至った。


 二時間目はそれぞれの担任の算数以外の専門科目の授業を行う事になっていた。この時間で他の協力隊員達と最終の打ち合わせをする。カナは事前にサンホセの先生たちと打ち合わせた動きを改めて説明して、誰がどこのサポートに入るかの確認を行った。もちろん、メインで動くのは現地の教員であり、何もなければ、協力隊員は写真撮影と最後の日本文化紹介のみに徹することとなる。


 それから、算数オリンピックが行われた。一年生から順番に学年ごとに行われた。それらはほとんどが現地の教員の手で、全て順調に行われた。特にカンディダ先生、カレン先生、ベレン先生、スヤパ先生の四名の動きはとてもすばらしかった。


 もう、私なんかサンホセにはいらないと思わせるのに十分であった。ある保護者からも


「とてもいいことを始めましたね。こんなに楽しく算数を学ぶ方法があったなんて知りませんでした。あなたは日本からとても素敵なものをたくさん持ってきてくれたのですね」


と言われた。また、他の多くの保護者も同じことを思ったようで、


「カナ、ありがとう」


と次から次に声をかけられた。保護者からもこのように言ってもらえるとは…。こんなうれしいことはない。


 算数オリンピックの後は、日本紹介ビデオを大型スクリーンで放映した。プロジェクターとスクリーンは市役所から借りたものである。その後、宮本さんと一緒にししまいの踊りを披露した。


 ししまいは縁起物なのに、なぜかみんなから恐れられていた。どうやら、私がしたししまいの説明がうまく子ども達に伝わらなかったようである。どうにかしてもう一度きちんと説明し直そうと思った。


 でも、みんなが楽しそうにしているのを見て、どうでもよくなった。先生も児童も我々、隊員もみんな楽しそうだった。何より、全てを終えて、ほっとしている私が一番心地よかったし、一番楽しんでいた。いろいろあったけど、二年間やり通せた自分を、このときばかりはほめてあげたいと感じた。


 残りの二週間は家の片付けやら、挨拶回りやらで、学校にはただ算数の授業を見に行くだけになった。もう、どの先生の授業もそれなりに上達していて、もはや何も指導することがないのだ。もう、何も言わなくても、彼らは分かっている。


 ここまで上出来の結果が残せるなんて…。本当に私がこれを成し遂げたのだろうか? ふと、あれは夢だったのではないか…と思う。ああ、人生とは実に赴き深いものである。

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