小さな少年の小さな恋の歌
そして、別れの日がやってきた。別れの日の訪れは思ったよりもずっと早かった。
アボガド売りのロベルト・エルナンデス・カスティージョ・セラヤ(当時十四歳)だけは何も分かっていなかった。いや、分かっているくせに、この現実を受け入れてくれなかった。彼は私の帰国の日が近付くにつれて、
「カナはどうして日本へ帰るの?」
「カナ、お願いだからずっとサンホセにいてよ」
「カナはサンホセのために必要な人間なんだ!」
とアボガドを売りに来るたびに言った。もう、かつてのように算数を教えながら、たわいのない話ができないと思うと、私だって心がキュンと狭くなるのを感じた。でも、私にはどうすることもできなかった。しまいには
「カナのことが好きだ」
と言われた。ロベルトにもラテンの血が流れている。でも、彼は軽い気持ちでそんな言葉を言う子ではない。私は一人の少年に淡い恋心を抱かせてしまったことを、すごく後悔した。そんなつもりではなかったのだ。
必死に頑張る一人の少年を、ただ応援したかっただけなのに…。ロベルトがいたから、救われたこともあった。でも、彼がこんな想いを持つようになるとは思ってもいなかった。
「大人になっても、その気持ちが変わらなければ、日本へ来て…。そして、もう一度私の前で同じことを言って…」
私はそう言うのが精一杯だった。一言、「あきらめて」と言うよりも、残酷なことをした。私は彼に算数の勉強を続けて欲しくて、「あきてめて」と言えなかったのだ。
私への想いを算数の学習に重ねてくれるなら、それでもいいとさえ思った。ああ、私は残酷なことをした。結局、彼の気持ちよりも自分の気持ちを優先させたのだから…。彼をもてあそぶのと変わらないことをしてしまった…。それだけが今でも心残りであった。
もし、あの時の気持ちを忘れる事なく、ロベルトが算数の勉強を続けてくれていたらいいな…。もちろん、算数だけでなく他の科目もたくさん勉強して、コレヒオ(日本の中等教育学校にあたる)へ進学して、さらに大学へ進学していて欲しい。
大学まで行けば、国費留学生として日本へ来る事もできるかもしれない。そうすれば、ロベルトは日本へ来る事ができるかもしれない。しかし、それは糸を針に通すよりも難しい小さな穴に入るようなものである。はたして、こんな山奥のへんぴな町からそのような快挙を成し遂げる人が現れるのだろうか。
カナがした事は、算数の学力をほんの少し上げた程度の事である。ボランティア集団協力隊員にできることなんて、せいぜいその程度である。きっかけ作りしかできないのだ。ここから先は現地の人々次第としか言いようがない…。
今の金村カナができる最善を、この二年で尽くして来たつもりだ。確かに、私は日本の教育現場での指導経験もなければ、大学で数学を専門でやって来た訳でもない。カナの大学での専門は国語である。それでも小学校の教員免許はもっているので、それで今日までやって来れた訳であるが…。
とにかく、やれるだけのことはやった。ここから先はカナにはどうにもできないことである。サルドノの未来の教育はこれまでボランティア集団協力隊員が教えて来た事を元に、先生たちがどれだけ発展させる事ができるかにかかっている。




