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アボガド売りの少年  作者: あまやま 想
本編2【後半の1年間】
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さようなら、ヘスス長老(2)

「長老、私、もうすぐ日本へ帰ります。これまで何度もくじけそうになりましたけど、長老に励まされて、ついに最後の仕上げまでたどり着く事ができました」


「ところで、私は何か言ったかね? まあ、見知らぬ土地で大変だっただろうけど、最後までやり遂げようとするところまで来たのは、カナ先生が一生懸命頑張ったからだよ。起き上がれなくなってからは、誰かが見舞いに来るようになってな…。町の者たちがよくカナの話をする。算数オリンピックとは、楽しそうじゃな…。私も子どもの時にカナと出会えたら算数が得意になって、学者にでもなっとったかもしれん!」


 思わず、みんな笑ってしまった。事態はきわめて深刻なのに、ヘスス長老はいつも変わらぬ軽口を叩いている。あれほど重かった空気が軽くて心地よいものへと変わっていた。長老は珍しく弱音を吐いていたが、それではいけないとでも思ったのか…。


 それとも無意識かよくわからない。体がどんなに弱っていても、気力は全く衰えていない。いや、むしろ、この状況でいつも変わらない軽口を言うのに、どれだけ気力を使っていると言うのか? 伊達に長老と呼ばれている訳でない。


「長老、カナはすごいんですよ。でも、最初はカナのすごさに気付かなくて、長い事放置扱いしてしまいましたからね。カナには悪い事をしてしまいました…」


 えっ、ここでまさかそんなことを言うとは…。カナはベレン先生の暴露話に、何もこんな所で言わなくても…と思った。ベレンはそんなカナの様子をかまうことなく続ける。


「でも、カナはくじける事なく、何度も私達のために授業を見てくれましたし、分かるまで算数の計算の仕方や指導の仕方を教えてくれました。おかげで、このサンホセの町で立派な研修会を開けるまでになりました。さらに、算数オリンピックまで…。大きな町ならともかく、こんな小さな山奥の町でこんなことができるようになるなんて、本当に驚きです…」


 ベレン先生からそんな言葉を聞けるとは思いもしなかった。身に余る実にありがたい言葉である。あまりのうれしさに、ここがヘスス長老の病室であることを忘れて、声を上げて泣き出してしまう所であった。隣でベレンの主人・ミゲルも頷いていた。


「カナ先生が算数を教えてくれるから、算数が大好きになったよ」

とベレン先生の長男・カルロスが言う。


「算数の宿題で困った時にいつも優しく教えてくれる」

と、妹のマリアが言う。


 まさか、ここでほめ殺しにあうとは思いも寄らなかったので、ギリギリで堪えていた私の涙腺はきれいあっさりと崩壊してしまった。それを見て、またみんなが笑うのであった。カナは泣き虫ね…と。







 それにしても、物事は時に恐ろしいほど残酷に突き進む。ベレン先生一家と一緒にお見舞いに行ってから、わずか三日後の四月二六日にヘスス長老は天に召されてしまった。享年八九歳。


 サンホセの生き字引と言っても過言でないほど、この町やこの町の人々のことをこよなく知っていた。それはサンホセの町を愛していたから…。現役の頃はサンホセ市役所で働き、やがて市長となった。市長を退いてからもなお、気さくな人柄でみんなの相談役であり続けた。


 教会で司祭がそのように言った後、聖書の言葉を読む。カナにはうまく聞き取れなかった。もしかしたら、スペイン語ではなくラテン語か他の言語かもしれない。


 それから、ヘスス長老の棺を町の男たちが担ぎ、女性と子ども達がその後を続いた。サンホセの町外れにある。墓場までみんなで向かう。すでに棺を入れる穴が掘られており、そこにヘスス長老の遺体がやさしく入れられた。それから土を埋め戻し、町中の人々がヘスス長老との最後の別れの挨拶をした。


『長老…。私、必ず、算数オリンピックを成功させて、胸を張って、日本へ帰られるように頑張ります。今までありがとうございました』


 サンホセへ帰る行列はいつになく静かであった。明るさが取り柄のサルドノ人がここまで沈み込む姿を見たのは、後にも先にもこの時だけである。

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