さようなら、ヘスス長老(1)
四月二三日、ヘスス長老の八九歳の誕生日である。しかし、例年のようにお祭りムードは全くなかった。去年のヘスス長老の元気な姿から想像できない程、弱って寝たきりになっている。
カナはベレン先生一家と一緒にヘスス長老の家へお見舞いへと行った。どんなに元気そうに見えても、やはりお年を召している。このような日が来るのは時間の問題だった。
むしろ、他の人よりも元気な時間が長過ぎた分、サンホセの人々のショックも大きかった。三月まではこれまでと変わらず元気だったのに、風邪をこじらせて肺炎を併発したことをきっかけに長老は急速に弱ってしまった。まるで、これまで止まっていた時間が急に一気に流れたかのように…。こんな残酷なことがあるだろうか?
去年の今頃、何もかもがうまくいかなくて、もう日本へ帰ろうと思っていた時に、ヘスス長老が言ってくれた言葉…。
「カナ、遠い海の向こうから、サンホセの町に来てくれてありがとう! 私はこのような歴史の瞬間に立ち会えて、本当に幸せじゃ…。町の者を代表してお礼を言います」
この言葉に何度救われた事か…。カナはそれまで現地の方から面と向かってこのようなことを言われた事がなかった。
仕事の要請が来てから、隊員が派遣されるまで一年以上かかるし、ボランティア集団協力事務所が実績を上げるためにあまり必要のない要請を出すため、実際に現地へ行ってみるとお荷物扱いされる事も多い。カナも自分の居場所をうまく作れず、何度もくじけそうになった事か…。
しかし、ヘスス長老は違った。はっきりと来てくれてありがとうと私に向かって言った。これほどありがたい事があるだろうか。
あれから一年、カナの活動は紆余曲折がありながらも、どうにか自分なりに思い描いたゴールまであと少しのところまでやって来た。もし、ヘスス長老と出会わなかったら、今の金村カナはなかったかもしれない…。
「ヘスス長老…」
「カナか…。こんな状態になってすまんな…。私が元気なら、また盛大に誕生日会ができたと言うのに…」
「長老、そんなこと言わないで下さいよ」
たまりかねて、ベレン先生が言った。去年とは全く違うが、町中の人々がヘスス長老のことを心配して次から次にお見舞いにやって来る。誕生日にしては沈痛な空気が覆っている。
「長老、元気になったら、あらためて誕生日会をやりましょう!」
「そうですよ。カナの言う通りです」
長老はベッドから軽く上体を起こそうしたが、自力では起こせない。ベレン先生とカナの二人掛かりで長老の上体を起こす。カナは思わず、長老の腕の細さに驚いた。骨と皮だけになっている。脇腹もすっかり皮だけだ。
「もう、自分の体を起こす事もできないし、ごはんもほとんど食べられない。いつ、お迎えが来てもおかしくない…。自分の体の事は自分が一番よく分かるさ。思えば、これまでずっと元気で生きてこられたことが不思議だった。もう、すでに妻もいないし、同じ年代の友達も先にいなくなった。最近は自分よりも一回りも二回りも若いのが亡くなっている。そんな中で一人だけ元気なのは不思議でしょうがなかった…。でも、やっと、みんなの元へ行けそうだな…」
私達が聞きたい言葉はそんな言葉ではなかった。しかし、長老自らそのようなことを言うぐらいだから、容態は思った以上に悪いのだろう。




