算数オリンピックの計画案で煮詰まる
活動の総決算として、算数オリンピックを実施することを決めたカナ。カナがいなくなってからも続くように現地の先生にも運営に協力してもらうように図る。一方でロベルトは…。
四月に入ると、セマナ・サンタ(イースター)休暇も終わり、いよいよラストスパートに向かって動き出した。去年の十月から活動校で始めた校内研修会も完全に軌道にのった。
ただ、このままでは私がいなくなった後、講師役が誰もいなくなって、自然消滅する恐れがあった。そこで四月からカンディダ先生、カレン先生、ベレン先生、スヤパ先生の四名に順番で講師をやってもらうこととなった。
四人の先生は去年の夏以降、確実に指導力を向上させており、講師をやってもらうことに何も問題はなかった。強いて言えば、カレン先生とベレン先生の自信がついていないことが不安だった。そこで、今のうちに自信に自信をつけてもらおうと思ったのである。
「何かあれば、私がいるので大丈夫。責任は私が全てとる」
と、言ったところ、カレン先生とベレン先生も安心したのか、喜んで講師を引き受けてくれることを約束した。
私は算数オリンピックの準備に専念することにした。まず、三年生以上の算数の授業の前には必ずかけ算九九のチェックテストを行うことにした。
また、一年生については五以下の足し算・引き算、二年生についてはくり上がりのある足し算やくり下がりのある引き算のチェックテストを行った。算数オリンピックの目的を
「大会を通じて、基礎計算力の向上と定着を図る」
と決めたので、内容はチェックテストから出すが、どのように出題するかは、まだ決めかねていた。
また、休み時間は九九を覚えていない子どもを集めてフラッシュカードを使って、九九の暗唱の練習をしている。こうすることで目と口と耳を使って、効率よく効果的に九九を覚えてもらおうと思ったのである。
このやり取りの中でふと気付いた。テスト形式でやると、全員参加が難しくなり、どうしても「できる子どものための大会」になってしまう。どうにかして、「伸び悩んでいる子ども」にもスポットライトを当てて自信をつけさせたい。
しかし、テスト形式だと場合によっては公衆の面前で恥をかかせることにもなりかねない。そこでクラス全員でフラッシュカードを見て、答えを全員で言うやり方はどうだろうかと考えるに至ったのである。
これなら九九を覚えていない子ども達もみんなと練習しているうちに九九を覚えられる。さらにクラスの団結力も高められる。また、九九を覚えていない子どもが劣等感を感じることなく、楽しく覚えていけることが最大のメリットであった。
私はさっそくいろんな人と相談した。まずは去年の十月にサマカタクで全員参加型の算数オリンピックを実施していた圭子と話した。彼女はクラス対抗の形式にしたものの、一つ一つの種目はあくまでテスト形式の個人競技としていたのだ。
そうすると、どうしても個人間の優劣を公衆の面前にさらしてしまうし、集計作業も結構大変である。そうすると、私達がいなくなった後も、現地の教員だけで続けられるとはとても思えなかった。
シンプルかつ個人間の優劣を公衆の面前にさらさないものは「フラッシュカードを使ったクラス対抗戦しかない」と私は思った。もちろん、圭子にも思うところがあって、いろいろアドバイスをくれたが、とりあえず思った通りにやってみるといいよと言ってくれた。ただ、
「九九を覚えていない子が、他の子の答えを言って、つられて言っているだけでは覚えない」
と、言うのは一理あると思った。
これまで通り、休み時間に集めて特別指導すること。また、毎日、算数の授業の最初に小テストをすることは、算数オリンピックと関係なく続けることにした。
次に藤木君と話した。任地が同じナコク県にあり、お互いに近くにいることから、これまで多くのことを協力してやってきた。もちろん、今回も協力を得られた。しかし、二人の教育に対する考え方の違いがはっきりと浮き彫りになった。
同じ教育という仕事に関わっていながら、こうも考え方がちがうのかと驚きを隠せなかった。
まず、彼は教育に対して「ある程度の競争原理は必要だ」と思っている。それが勉強をする際の原動力につながると信じている。人よりも勉強ができれば、それが自信につながるので、さらに勉学に励む。
人よりも勉強ができなければ、せめて人並みになろうと、苦しさをバネにして学習をするようになると言うものである。もちろん、その考え方は彼のやった算数オリンピックにも反映されている。
彼は各クラスの選抜メンバーによる対抗戦を行っている。それはまず各教室内での競争が起きることで、教室のみんなの勉強に対するモチベーションが上がる。さらに代表に選ばれれば、他のクラスのメンバーに勝つために、さらに勉強をするようになる。と、言った考え方がすごく反映されている。
確かにそれも一理あるが、私は納得できなかった。
「人よりも勉強できることで、怠け心が生まれたり、人より勉強ができないことで勉強をあきらめたりすることを、どう説明するのか」
と、思わず聞いてしまった。彼は
「そんなことは勉強に限らず、どこの世界でも起こりえることで、それを含めての競争原理だ。教育で人の心のあり方までは変えることはできないし、そこまで教員が責任を持とうとする考えは、傲慢だと思う」
と、言っていた。私はそれを聞いて詭弁だと思ったが、それは口に出さなかった。藤木君と私の教育観が違っていたからと言って、私の教育観を彼に押し付けられないからだ。
二人のいい分は互いに正しい所もあり、互いに間違っている所もある。ただ、それだけのことである。結局、算数オリンピックをどうするかと言う話は、教育観が根本的に異なるため、彼とすることはできなかった。
ただ一つ言えるのは、今回は私とサンホセの活動校が主催する算数オリンピックなので、実施に関する全ての責任は私達にあると言うことだ。どのようにやるかどうか、他の人と相談することはあっても、最終的な決定権は主催者にある。
それは誰が主催者になっても同じことである。だから、一口に算数オリンピックと言っても、隊員の数だけ違う算数オリンピックができる。算数オリンピックが隊員の造語であり、決まった概念がない以上、それは仕方のないことである。
そうやって、色々考えたり、いろんな人と相談したりした結果、四月もあっと言う間に終わろうとしていた。
四月最後の土曜日、スヤパ先生が担当するミニ研修会が終わった。その後、サンホセで行う予定の算数オリンピックについて、私から説明をした。
まずは四人の先生が講師として、一通り研修会を担当し、無事に終えたことをねぎらった。これからは四人だけでなく、全員が交代して、講師を果たせるようになって欲しいことを伝えた。
それから私がやろうとしている算数オリンピックの内容について、正式に伝えた。今まで、何らかの形で思いを伝えたことはあったが、それはあいまいなものであった。
今、書類を使いながら、地区教育事務所長と校長を含めた全教員の前で伝えている。このことこそ、揺るぎない事実となりうる。
日時は五月十五日の三、四時間目にクラス対抗形式で行う。内容について話し合った結果、一年生は五以下の数当てゲーム、二年生はくり上がりのある足し算とくり下がりのある引き算、三年生以上はかけ算九九を行う。全ての内容においてフラッシュカードを用いる。一年生の内容を除けば、ほぼ私の言い分が通った。
ししまいを使った簡単な日本文化紹介も行う。
「これはカナが二年間やってきたことの成果を確かめるものだから、カナのやりたいようにやればいいのよ」
カンディダ先生が私の気持ちを思い測るように言ってくれた。その優しさはうれしかったが、それでは私がいなくなってからも、算数オリンピックが定着するかどうかが不安だった。
「もちろん、カナは自分のやりたいことだけを、私達に一方的に押しつけはしない。この内容なら私達だけでも十分にやっていける内容だから…」
カレン先生が言った。それから、カンディダ先生、スヤパ先生、ベレン先生が頷いた。少し遅れて、他の先生も一同に頷いた。二年間やってきたことは、けして無駄ではなかった。
二年間、まき続けてきた種は、今や、すくすくと大きく成長していることを確信した。もうすぐ、私はここからいなくなるが、私がサンホセやサルドノからいなくなっても、彼らはもう二年前に戻るようなことはけしてないだろう。私はそう思うに至ったのだ。こんな素敵なことはない。




