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5.狂乱茶会日記

5.狂乱茶会日記





 満身創痍。地面に倒れ伏した男の手が、震えながら、何かを掴もうとするように伸ばされた。


「それは俺達が必死で作った食糧なんだ。た、頼む、持って行かないでくれ。それが無くなったら俺達は」

「ぎゃははは、そりゃできねぇ相談だな。俺達ぁ空腹なんだよ。こんな草育てずに米でも作ってりゃあ俺達も全部持ってけなかったのかも知れねぇのによぉ」


 無造作に引きちぎられたそれは、大切に育ててきた茶だった。苦しい生活の中で、他の作物を削ってでも大人たちが守り抜いてきた、大切な物なのに。食料を奪いに来た山賊達に、目の前で踏みにじられても止める事ができない。怒りと悔しさで身体が震えた。傷だらけで立ち上がれない自分が腹立たしかった。


「……おい」

「あぁ? なんだてめ」


 強盗の訝しげな言葉が不自然に途絶えた。同時に聞こえたのは肉を打つ鈍い音と、何かが地面に倒れる音。


「何しやがるッ」


 にわかに殺気立つ強盗たち。

 怪我で意識が朦朧としていた男も力を振り絞って顔を上げた。


「お、お前は……」

「どうした三角頭。こんなところで昼寝か?」


 周囲の男達を気にする素振りもなく、こちらを見ていたのは肩に少女を乗せている、雲をつくような巨漢だった。


「ハート、……お茶が」


 丁寧に整備されていた畑は見る影もなく踏み荒らされていた。その惨状に少女は悲しそうに目を伏せる。


「姫さんは三角頭の傍に居てくだせぇ。目は閉じて、耳も塞いで。直ぐに終わりやす」

「ま、待ってくれ。こいつらに手を出したら村の皆が」

「心配すんな。他の奴らがとっくに向かってる。ほら、ちょうど救出成功って狼煙があがったぞ」


 少女を地面に下ろしながら指差す方角からは言葉の通り煙が立ち昇っていた。


「てめぇら、よくも邪魔しやがって。ぶっ殺してやるッ」

「ガキは殺すなぁ。色々使い道があるからよぉ。イロイロと、な」


 一人倒れたところでこちらは五人。武装もしている。対するのは身動きできない怪我人と子供を抱えた男。いくら大柄で強そうだとは言え、拳を握って構えているだけで武器一つ持っている様子はない。男達の勝ちは揺るがなかった。他に仲間がいるようだが、ここに来るまでにケリをつければいい。結果は決まっていた。


 そう、男達が村を襲い、あまつさえ少女を下卑た目で見た瞬間に。


 巨漢の拳がまた一人の男にめり込んだ。殴られた男は冗談みたいに地面と平行に飛び、数メートル先の木に背中から叩きつけられた。うめき声一つあがらない。無造作に動いたように見えたにもかかわらず、誰一人としてその動きに反応できなかった。


「な、なんっ?」

「これは、お前らに襲われた村の分」


 事態をうまく飲み込めない男達が言葉にならない音を漏らしているが、そんなことはどうでもいい。混乱する男に砲弾の勢いで拳が振り下ろされた。


「らったぁ!」


 どれほどの力だったのか、頭頂に拳を受けた男は前のめりに倒れることもなく垂直に潰れ、痙攣しながら泡を吹いている。


「これは、三角頭の分」

「う、うわぁ!」


 恐慌状態の男が鉄パイプを振り下ろしてくるが、構わず突き出された拳によって、その鉄パイプごと男の顎は粉砕されることになった。


「ふぁおあるっしゅ!」


 人が出したとは思えないような悲鳴と共に後ろに倒れこみ、動かなくなる。


「わぁぁぁぁぁぁぁ!」


 悪夢のような光景を見て残った二人が逃げようと背を向け走り出した。だが見逃す気は無い。


「そして、これは姫さんを汚ねぇ目で見た分だ!」


 前に回りこむと、相手の走る勢いを利用して投げ、大地へと叩きつけた。その衝撃で周囲の木々が震えた。


「もうしないから許し」

「最後に、これは俺の、俺の怒りだッ!」


 リーダー格と思しき男が何か言おうとしていたが、聞く気は無い。その価値も無い。拳のラッシュを叩き込む。吹き飛ぶことも許さず、十発、二十発……スコールのように拳が降り注ぐ。


「ごにゅばらぁ!」


 最後の一撃が腹に叩き込まれ、最後の一人もようやく倒れることを許された。

 周囲に敵がいなくなった事を確認した男は握っていた拳を開き、


「てめぇらに今日を生きる資格はねぇ」


地面に倒れた山賊たちを冷め切った目でみながら、吐き捨てた。


「ハートぉ? まだー? もう目を開けてもいいのぉ?」


 木立の向こうから血生臭さとは無縁の声が届く。それだけで直前までの張り詰めた心がふっと和らいだ。逃げ出した山賊を追いかけたせいで少し離れてしまった。と、思うと同時に我にかえる。こんな凄惨な現場を見せるわけには行かない。用意していた縄で山賊たちを拘束して、少女から見えないように木陰に転がしておく。後はこの町の住人が好きに処置を下せばいい。


「ハートぉ? もぉいぃかーい?」


 隠れん坊のように呼びかけて来る少女に自然と頬がほころんだ。目を閉じる直前の状況はわかっているだろうに。俺が負けることは想像もしていないらしい。まっすぐに寄せられる信頼がこそばゆい。


「『だって、みんながいるし』、か」


 それは外出の危険を訴える男に少女が返した言葉。緊張感の無い態度はその言葉が心の底からの物であったことを明瞭に示していた。

ならばその信頼には結果で応えよう。少女の前では決して無様を晒しはしない。これまでも、これからも。


「ねぇー、もう目、開けちゃうよ?」

「姫さん、もう少しだけ待ってくだせぇ」


 そう決意を新たにしながら、男は小走りに木陰から出て少女の下へと向かった。





 白昼夢を見ていたらしい。

 気づいてみればサイレント・ヒルの山林は影も形もなく、聖都周辺の荒野が広がっているばかりだ。いかん、、集中しなければ。馬を操っている手綱を握り締める。


「ハート様、大丈夫ですかい?」

「……あぁ問題ねぇ」


 トランシーバーから聞こえてきた部下に返事をすると軽く左右に首を振った。

今は警護中だ。気を引き締めなければ。

 聖都周辺は定期的に巡回を行なっているため比較的治安も安定しているが、絶対安全と言うわけではない。僅かな異変も見逃さないように注意を払わなければ、とは考えはするものの平時のように集中できない。原因はわかっているのだが。部下が周囲にいる手前、顔は平静を装っていても悩みの種を意識するとため息が漏れそうになった。

 そっと視線を後ろに向けるとそこには王族専用の馬車が走っている。馬車の窓は幕が下ろされており中の様子を伺うことは出来ない。

 その中にいる少女の顔を思い浮かべ、更には先ほど見た白昼夢を思い出し,ハートは更に落ち込んだ。どうやら予想以上に堪えているらしい。

 鮮花に口を利かないと宣言されてからまだ三日目。鮮花主催の茶会当日であった。





 石を弾いたのか、馬車が少し揺れる。その振動で鮮花は目を覚ました。昨日は遅くまで菓子作りに追われていたせいか、疲れが溜まっているようだ。もっとも疲れている原因はそれだけではないが。

まだ目的地には着いていないようで、馬車の速度は落ちていない。寝起きでぼんやりしている頭で、最近の記憶を振り返ってみる。眠ったお陰で少しは気持ちも整理されたのか、それともまだ頭が働いていないからか、先程までのような苛立ちは感じない。


 一ヶ月って短いなぁ。おやじさまの元気が無いなぁと思って何とかしたいなぁと思ったのが一ヶ月前。いい考えが浮かばなくて悩んでいた所に、おやじさまの独り言を聞いたのが三週間くらい前。それからティータイムがどういうものなのかをみんなで調べたのが二週間前。お茶を探しに行って帰ってきたのが一週間前。それからお菓子作りに挑戦したり、会場に飾り付けるという飾りを作ったり、雰囲気に合う置物を捜したり、着ていく服を選んだり、いろんなことをいっぱいして忙しかったはずなのに。


「はやいなぁ」


 一日一日は長いのに、その長い一日が重なって一ヶ月になったのに、思い返してみるとあっという間に感じる。


「ふしぎー」

「何が不思議なんだい?」

「あっ、おやじさま」


 娘が起きたことに気がついて、鮮花の隣に座っていた康夫が声をかけてきた。


「毎日がすごく長いのに、思い出す時は短いのはなんで?」

「うーん、難しいことを聞くなぁ。パパの意見だけど、人の思い出は絵本みたいなものだからじゃないかな?」

「絵本?」

「そう。鮮花も大好きな絵本。人の記憶はあんな感じで、一ページごとに思い出が書かれているんじゃないかな。例えばご飯を食べた時のページなら、食べた物の絵と一緒にそれがどんな味だったのかとか、特に何がおいしかったとかという感想が書かれていたりして。一日は確かに長いけど、絵本の一ページはすぐに読めるよね?」

「なるほど。おやじさまは凄いなぁ」


 鮮花は大きく頷いた。普段なら拍手もしているところだが、向かいの席でそれぞれ母のひざを枕にして眠っている妹達を見て、それは控えた。


「まだ着かないのかな?」

「……知らない。わたしのお茶会なのに、ハートが場所を秘密にするんだもん」


 どうやら地雷を踏んだらしい。途端にご機嫌斜めになる鮮花を見て康夫は苦笑した。最近妙に口数が少なかったのはこれが原因らしい。


「めがねがおすすめの場所がありますって言っていて、他のみんなは見に行ったのに、わたしだけ教えてもらえないの。ハートがみんなに教えちゃダメだって言ったから、わたしだけ仲間はずれ……。おかしも作ったし、お茶の入れ方も練習したし、飾りも作ったし、始めのあいさつも考えて、みんなで楽しくやってたのに。……ハートのばか」


 娘の機嫌を損ねるとはいつものハートらしからぬ行動だ。ならばこれから赴く場所はそれだけの価値があるということだろう。そう思うと目的地に興味が湧いてきた。はてさて、何が待っていることやら。


「もーっ、もーっ、ハートなんて知らないッ」


 怒れる我が子の頭を撫でて宥めながら、康夫は胸中でそう一人ごちるのだった。

 



 娘からお茶会への招待状を受け取ったのは四日前のこと。夕食の後、家族全員に手作りの招待状が渡された。娘に心配をかけていたのは親として恥ずかしいという気持ちがある。しかし。その為にお茶を摘んで来てくれた気持ちは凄く嬉しい。でも、その為に娘が周りを巻き込んで危険を犯したのだから気持ちは複雑だ。

 危険ではあるが、無茶をしたのではないことはわかっている。誰にも秘密にして一人で外に出かけるようなことはせず、近衛隊に協力を頼んだことが何よりもそれを物語っていた。それは単純に懐いているからということもあったのかも知れないが、娘なりに自分のできることを把握した上で、自分の手が届く中で一番安全性が高い方法をとったのだ。



 現指導者の立場からは後継の自主性の発露は好ましい面もある。更に今回結果として娘は近衛隊や図書館のホープとの関係を強化できたのだから。

しかしまだまとに交流がない町に無断で行ったことは怒ってもいいと思う。だからと言って育ち始めている自主性の芽を摘むようになってはいけないわけで。今回のように成果を挙げたのであれば尚更だ。

教育って難しいなぁ。

 表情には出さず胸中でため息を吐いた。


「おっ、着いたのかな?」


 馬車のスピードは落ちてきているらしい。車内に伝わる振動が徐々に小さくなってきていた。

 

 会場では近衛隊で設営に回された男達が会場の最終点検を行なっていた。手伝ってくれた村人と共に飾りの位置を確認している者。茶を入れる手順をペアになって確認している者。招待客の席を頭に叩き込んでいる者。湯を沸かしている竈の火加減を見ている者。燃料の薪の量を確認している者。そこかしこで真剣な様子で自分達の担当の仕事を確認している。


「てめぇら、お嬢たちがもう着くらしいぜッ。準備はいいかぁ」

「「「「おぉぉぉぉ!」」」」


 モヒカン頭はいつもよりも丁寧に髪を整え、スキンヘッドはとっておきの艶出しオイルを塗りこみ、いつもよりおめかしをしている。会場の飾りつけも済み、華やかさの演出はバッチリだ。


「ハート様の犠牲を無駄にすんじゃねぇぞ!」

「「「「おぉぉぉぉ」」」」


 ハートは隠しているつもりのようだったが、普段の彼を知っている者からすれば落ち込んでいるのは一目瞭然だった。だから彼らは責任を感じていた。頼りになる兄貴分がそこまでダメージを受けているのは自分たちが原因なのだから。

 実のところ、鮮花にこの場所を秘密にしようと提案したのは実のところハートではなく、会場を下見に来た彼らだった。鮮花は皆が下見に来たものと思っているようだが、仕事のシフトや立場の都合で今日初めてこの場所に来るという人間もそれなりの数に上る。ハートも実際に足を運んだことは無いのだ。それでも熱心に訴える彼らの意見を受け入れて、自ら泥を被ってくれたのだ。気合が入らない筈が無い。

 その上今日は特別企画があるのだ。


「お嬢は茶会がひと段落したら俺達も参加する側に回っていいって言ってくれている。てめぇら、服の準備はできているかッ」

「「「「おぉぉぉぉ」」」」

「眼鏡のッ」

「「「「度肝を抜いてやれ」」」」


 いまこの場に居るのは二週間前鮮花の護衛から外れ、帝都に残った男達だった。三葉のアドバイスの元で各作業の基礎を叩き込まれる中、何度も言われる事になった、センスがないね、という言葉。

 そんなことは男達も承知していたが、何度も言われるとムッとしてしまうのだった。確かにこれまでの自分達は罵られてもいい存在だったかもしれない。しかし、短い期間とは言え三葉の教えを受けた自分達は成長した。少なくとも何がオシャレであり、何が華やかなのかを学んだつもりだ。そう言う事もあって男達は密かにブティック古着倉庫へと通い、三葉を見返す服装の研究に入り、今日のための一張羅を準備したのだ。

 馬の嘶きが遠くに聞こえていた。目を向けると小さく馬車とその周囲を護衛するハート達の姿が見えてきていた。

 




 車内の揺れが止まった。馬車が完全に停止したようだ。ノックの後、一拍間が空いて馬車の扉が開かれた。


「会場に到着しやした。ここから少し歩きますんで、気をつけて降りてくだせぇ。お嬢、手をどうぞ」

「ありがとう」


 扉を開けてくれた近衛隊の手を借りて鮮花は馬車から降りた。道中ずっと揺られ続けていたせいか、少し足フラつく。


「あっ」


 一歩踏み出そうとしたところで足がもつれてよろめいた。こけそうになったが、その前に横から伸びてきた太い腕が鮮花を支えた。


「ありが……」


 言いかけた礼が途中で止まる。傾いた体をそっと立たせてくれた腕の持ち主は、


「姫さん、大丈夫ですかい?」


 いまは顔を合わせたくない人物だった。


「もしかして馬車で酔っちまいやしたか? それとも座りっぱなしで血の巡りが悪くなりやした? 歩くのがキツイようだったら肩を貸しやすぜ」

「別に、いいよ」


 心配そうに自分を見るハートから目を逸らし、支えてもらった礼を小さく述べると、鮮花は家族の元へと走った。フラつきは一時的なものだったようで、既に足取りはしっかりしている。

 なら、最初からこけたりしなきゃいいのに。そしたらハートに助けられることは無かったのに。鮮花はため息を吐きたくなった

 こっそり背後に目をやると、ハートがこちらの方を見ていた。いまの自分の失礼な態度も気にした様子はない。理不尽な話かもしれないが、鮮花にはそれが不満だった。


「ハートのばか」


 最初に下見に連れて行って欲しいと頼んだ時は、その前にお菓子作りを勉強すべきだと言われた。次に頼んだ時は家族に入れられるようにお茶の入れ方を練習した方がいいと言われ、その次は飾りのデザインのアドバイスが欲しいと頼まれ、さらに次には開会の挨拶を考えておいて欲しいと言われた。それらについては鮮花も納得したし、不満も無かった。

 しかしいざ準備が終わって会場を見に行きたいと行った時、ハートは当日まで秘密だと言って断った。飾りのセッティングについても眼鏡から助言を貰ったからわざわざ行く必要は無い、と。これには納得できなかった。


 自分が茶会をやろうと言い出したのだ。だから手抜きをしたくなかった。会場がどんな場所なのか、自分の目で確認して置きたかったのに。でも結局自分たちを信じて任せて欲しいと言われては引き下がるしかなかった。それでもやっぱり不満はあって、口を利かないと宣言をしたのに。


「ぜんぜん効いてない……」


 むしろ自分ばかり空回りしてダメージを受けている気がする。内心でため息を吐いた。

 周囲の近しい者たちから見るとそんなことはないのだが、鮮花は気づいていなかった。ましてや、いまハートが自分を見ていた理由が、鮮花の態度にショックを受けて呆然となって立ち尽くしていたからだとは、わかるはずもない。

この三日間、打ち合わせの時もハートには話しかけなかったし、目も合わせなかった。それぐらい怒っていたのだ。にも拘らず、ハートは気にする様子は無く、先ほどのように鮮花のフォーローをしてくれている。元々怒りが持続する性格ではない鮮花は、助けられてもまともにお礼も言わない自分に罪悪感を持ち始めていた。


 落ち着いて思い出してみると、下見を断った時のハートはおかしかった、ような気がした。何日もかかる外出は許してくれたのに、近場への下見を断るのも変な気もする。もしかしたら何か理由があるのかもしれない?

 数日経ってようやくそんな考えに至った鮮花であったが、それならそれで理由を隠されていることが不満だった。説明してくれればきっと納得できるし、また話しかけられるのに。もう三日もハートの肩に乗っていない。

 ハートを許したくてもきっかけが無い。助けてくれていることにお礼を言いたいけど、それは仲直りできてからだ。

解決を求めて疑問符が頭の中をぐるぐる回っても、答えは一向に出てこない。モヤモヤとした気分ばかりが胸の内に募っていき、


「……ハートの、ばか」


 小さな呟きとなって外に零れ落ちた。

 うんうん唸る鮮花を含む一行は、到着した村の外れに向かっていた。そこには遠目にも紅白の幕で囲まれている区画がある。幕に遮られて中の様子は窺えないものの、『歓迎! おやじさまご一行』と書かれた鮮花謹製の看板が掲げられていることから、あれが会場に違いない。

 一同の予想通り紅白幕の前には近衛隊の男が二人立っていた。三葉の指導の賜物か、二人は共にスーツを身に着けている。もっとも黒いスーツにサングラス、スキンヘッドの強面が並び立つ姿は、いつもよりも威圧感が三割り増しだったが。


「ようこそいらっしゃいました!」

「お待ちしてやが、おりました!」


 少し噛みかけたようだが挨拶は及第点。声が大きいのはご愛嬌。お辞儀も丁寧だ。余ほど練習したのだろう。いつもの様子を知る康夫たちは目を丸くした。


「うん、今日は楽しませてもらうぞ」

「ハッ! お任せください」

「では、御席へご案内致します。こちらへどうぞ」


 男達は客人たちの列の前後に別れてゆっくりと誘導を始めた。幕は二十メートル程先で途切れている。そこから会場内に入るのだろう。


「……お嬢」


 列の最後尾についた男が、目の前で足取り重く歩いている鮮花に囁きかけた。


「迷惑をかけたようで、すいやせんでした」

「え?」


 急に謝られてキョトンとなる鮮花。考え事をしていて下を向いていた顔を上げて、男を見た。


「この場所のことを秘密にして欲しいと頼んだのは俺たちなんです。ハート様は何も悪くねぇんです。ただ、頑張っているお嬢に、ここに来るなら下見の為なんかじゃなくて、聖帝様と一緒に来て欲しいと思ったんです。この後でどんな罰でも受けやす。俺が言うのもおこがましいですが、どうかハート様と仲直りしてくだせぇ」


 突然の告白に目を白黒させる。情報量の多さに理解が追いつかない。秘密にしたのはハートじゃない? みんなはなんで秘密にしたの? 罰なんてどうでもいいから教えてよ!

 軽いパニックに鮮花が陥った時、前から歓声が聞こえた。足が止まっていたようで、康夫たちは既に会場の中へ入ったようだった。ただ一人、ハートを除いて。

 足を止めた鮮花たちを不思議そうな眼で見ているハートと視線が合い、パニックは唐突に収まった。


 じゃあ、ハートと仲直りしてもいいの?

 全く問題ない!


 塞いでいた気持ち気持ちが一気に吹き飛んだ。


「ハート、行こう!」

「姫さん?」


 先ほどとは全く違う様子の鮮花にハートは困惑した。が、そんなことはお構いなしにハートの手を握った鮮花は、そのまま引っ張って会場に入った。

 そして言葉を失った。その後ろではハートも眼を奪われている。




 幕の内側。




 角の先には、春があった。





「うわー、うわー、うわー!」


 忘我の境地から帰ってきた鮮花は他に漏れず歓声を上げた。興奮のあまり握った手をぶんぶん振り回しているが、目を奪われているハートはなすがままである。


「桜、か」


 物心つく前に見た記憶があるような気がする。『大災害』が起こる前。もう顔も思い出せない両親と一緒に。

 そこには満開の桜があった。一本や二本ではない。沢山の木々が立ち並び、風に花びらが舞っている。

その様子を始めて桜を見た者たちははしゃいで、昔見たことのある者たちは無言で見つめていた。


「……では、こちらへどうぞ」


 しばらくして場が落ち着きを取り戻した後、改めて席への誘導が行なわれた。


「おや、あちらは?」

「場所を貸してくれたこの村の皆さんです。準備も手伝ってもらったりしたので、その礼も兼ねて今日の茶会にお誘いしました!」


 先客がいたことに驚いたが、納得した。同時にここがどこであるかを理解して、後でサザンクロスの代表として挨拶に行くことにした。

 皆が着席したところで菓子が運ばれてくる。会場にはいくつも円卓が運び込まれており、円卓一つに専任の給仕がついた。今回の主賓である康夫たちの席は主催者の鮮花が担当した。鮮花は練習の成果を存分に発揮して、手馴れた様子で康夫たちに茶を注いだ。


「それでは茶会の開催にあたりまして、主催者であらせられます聖都サザンクロス第一王女、鮮花様にご挨拶をいただきたいと思います!」


 全員に茶が行き届いたところで、司会のモヒカンから鮮花に声がかかった。

 会場の中央に用意された台に乗ってまずは一礼。周囲を見回しながら鮮花は口を開いた。


「皆様、本日はご足労ありがとうございます。この村の方々に置かれましては、場所の提供のみならず準備まで手伝っていただき、本当にありがとうございました」


 村の住人たちに向けて一礼。それに合わせて近衛隊も頭を下げた。


「今日は天気もよく、桜もこんなに綺麗で、絶好のお茶会日和です。皆で楽しい時間を過ごしましょう」


 もう一度周囲を見回しながら、近衛隊の一人一人の顔を順に見ていく。その視線は最後に一際大きな男で止まった。目が合って、自然と頬がほころんだ。


「そして、わたしの思いつきに付き合ってくれたみんな、ありがとう! みんなのお陰で凄いことができたよ。今日まで本当にありがとう。そしてこれからもよろしく。みんな大好きだよ!」


 男達から歓声が上がった。中には涙ぐんでいる者もいる。周囲から自然と拍手が沸き、大いに盛り上がる中で茶会は始まった。






 仕事を片付けるのに予想以上に時間がかかってしまった。最近、茶会の為の指導に時間を費やしていたことで溜まっていたツケが回ってきたのだ。ハートたちが出発したのが二時間前。馬車を飛ばすとしても、どれだけロスを縮められるか。着替えや諸々の準備は馬車の中で済ませてしまおう。今日のために仕立てて貰った服を入れた包みを持って足早に向かう。そのせいで角を曲がってきた人影とぶつかってしまった。


「あ、失礼しました」

「おぅ三葉じゃねぇか。俺の所から貸した物は役に立っているか?」

「その節はありがとうございました。お陰さまで助かっています」


 小柄な老人は陶芸部門を統括している老人だった。今頃茶会で活躍しているであろう急須や湯飲みは老人の部門で資料として保管されていたものなのだ。


「なんかの実験で使うらしいが、壊したりすんじゃねぇぞ? 折角『大災害』を潜り抜けた代物なんだからよ」

「はい、勿論です」


 世話になった手前、本来なら目の前の老人も誘うのが筋なのだが、ある理由を持って三葉は秘密にしていた。


「このお礼はまた後日にでも改めて。では急ぎますので失礼します」


 頭を下げて再び歩き出そうとして、先ほどぶつかった時に包みを取り落としたことを思い出した。


「ほれ、落としたぞ」

「ありがとうございます」


 包みを受け取って場を辞そうとした背中に声がかけられた。


「んな一張羅持って何処に行くんだ?」


 結び目が甘かったのか、落ちた拍子に緩んで中身が見えてしまったのだろう。


「これは、ですね」


 とっさに言葉が出てこなかった。普段の自分の行動パターンを知っている人間から見れば奇異以外の何でもないだろう。日の出から日没まで部屋に篭って読書と仕事をしている自分が、こんな昼間から着替えと思しき物を持って出かけようと言うのだから。


「いやぁ若いねぇ。仕事をはやく片付けて作った空き時間でデートか」

「違います」

「じゃあなんだ?」


 即答してから後悔した。変な噂が立つことになるかもしれないが、この場は合わせておくだけで余計な追求はされなかっただろうに。迂闊だった。


「……そういや外に馬車が止まっていたな。その様子じゃあ、ありゃ三葉を待ってんのか」

 よくない流れだ。目の前で推測が進んでいく。こうなったら多少失礼な形にはなっても強引に話を切り上げた方が得策かもしれない。


「すみません。急ぎますので……」

「そうか、花見だな!」


 その言葉に背中が反応してしまった。


「図星だろ。昼前に康夫達が出かけたって話を聞いたから不思議に思ってたんだ。そうか、あいつら今頃酒飲んでやがんだな」

「聖帝様と呼んでください。この国の王ですよ」

「あいつが名前で呼んでいいっつったんだからいいんだよ。それより酒か、宴会か!」


 目を輝かせる老人を見て、三葉は隠すことをあきらめた。この老人。普段は気のいい御仁なのだが、大の酒好きで、宴会と聞けば飛び込まずには居られないのだ。


「いえ、今日はお茶会です。姫様が遠出して茶を摘んでいらっしゃったので、それを桜の下で楽しむ集まりです。ですので今日の所は……」

「ばっかやろう、桜といったら花見。花見といったら酒。酒といったら宴会だろ! あぁ今日の仕事はやめだやめ。今日は陶芸部門の花見に変更だ。三葉、桜の場所を教えろ。準備ができたら俺達も向かうからよ」


 もう聞く耳を持ってはくれなさそうだ。ため息を吐いて観念すると、村の場所を白状したのだった。





 遅れてきた三葉から経緯を聞いて、


「じゃあこの後、先生達も来んのか?」

「あぁすまない。僕のミスだ」


 まぁ別にいいんじゃないか、と出迎えに来たハートは思った。こんな感じで穏やかな空気のお茶会もいいものだが、皆騒がしい宴会も好きなのだ。お茶会が一区切りついたら宴会に切り替えればいい。姫さんも満足したみたいだしな、とはしゃぎ疲れて父親のひざで寝ている鮮花の姿を思い出した。


「それより、お前も茶を飲めよ。俺も飲んでみたが美味かったぞ。あっちであいつらが待っているぞ」

「僕を待っている?」

「何でも一張羅を用意してきたらしいぞ。さんざん美的センスが無いと言われたから見返してやるんだと。どんな服なのかは俺も知らんが」


 あの体力馬鹿達もオシャレに興味を持ったらしい。ふむ、面白いじゃないか。三葉の口元に小さな笑みが浮かんだ。なら、見せてもらおうじゃないか。


「どうせいつものレジャージャケットの色をかけてみたとか、ショルダーガードを新調したとかその程度なんだろうけどね。まぁいいさ。僕が点数をつけてやろうじゃないか」


 ハートに案内されて会場まで案内される道の途中。


「そういや、それが茶会のために用意したって言う服か? 似合ってんじゃねぇか。袴っつーんだっけか?」

「ふん、世辞はいい。しかしこの着物の色はいいだろう。淡いピンクに紅白の花びら。この季節には相応しい色彩だろう?」


 人気の生地だったから注文するのに苦労したんだよ、と自分の服を見て三葉は楽しそうに笑った。


「しかし、君達もこの服には感謝しないといけないよ」

「どういうことだ?」


 着物に感謝、といわれて首をかしげた。


「この着物のお陰でこの村に桜が生えていることがわかったんだからね」

「着物で?」


 驚くハートに、そうさと三葉は頷いた。


「この淡い色はね、桜の幹を使って染めているんだよ。以前染色に関する本を読んだ時に知ったんだけどね」

「なるほどなぁ」


 友人の博識ぶりにハートは感心した。。

三葉の席に到着すると、そこには三葉が指導した男達が勢ぞろいしていた。どうやら既に着替えているらしく、その身体は大きなマントですっぽりと覆われて、その下にどんな服を着込んでいるのかわからない。だが余程の自信があるのだろう。どの顔にも不適な笑みが浮かんでいる。


「ヘッ、遅かったじゃねぇか。待ちくたびれたぜぇ」

「すまないね。何せ忙しい身の上でね」


 三葉の前に茶と茶菓子が運ばれてきた。


「さすがにあれだけ教えると上達したね。茶も上手に入れているじゃないか。この菓子も見た目も悪くないし……味も悪くない」

「ふん、上達したのはそれだけじゃねぇぜ。俺達はあんたのお陰で華やかさって言うのを学ばせてもらった。美的センスってやつもな」


 スキンヘッドの言葉に周囲の男達も頷いた。


「ほぉ、大層なことを言うじゃあないか。じゃあ見せてもらおうかな。その自慢の一張羅とやらを」


 さてどんなものが出てくるのやら。二杯目のお茶を飲みながら三葉は想像した。これまで普段の世紀末スタイル以外の服装をしたことが無い彼らがどのような方向性で決めてきたのか。燕尾服? それとも僕のように和装? あの一週間が君達にどんな指針を与えたのか、実に興味深い。


「じゃあ、見て度肝を抜かしやがれ」


 一斉に男達はマントを脱ぎ捨てた。同時に三葉はお茶を噴出した。飛沫が陽光に反射してきらきらと輝く。


「どんな方向性だッ」


 悲鳴のような、いや悲鳴があがった。震える三葉の指先には変わらぬ位置に男達がいる。


「へっへっへっへ、俺達に見惚れたかぁ? ハッ美しいってよぉ」

「そう、俺達の結論はフワフワ×フリフリ=華やかさ。この公式だ。おめぇから借りた資料から導いたんだから間違いねぇ」

「間違っているだろうとても解かりやすくッ」


 少女漫画から抜け出した、夢のように華やかなパーティードレスを悪夢のように着込んだ男達がそこに立っていた。いや、それだけではない。リボンやフリルをふんだんにあしらったゴシック・ロリータに身を包んだ者もいれば、清楚な純白キャミソールを着ている者もいる。


「へっへっへ、度肝を抜かれたみてぇだな。毎日のようにセンスを磨けって言われてよ、色々勉強したんだぜ。そしたら華やかって言われているのはこんな服を着ている奴が多かった。スカートなんて女が穿くもんだと思っていたんだけどよ、どうやら男が穿いてもおかしくないらしいぜ」

「キルトかッ! キルトのことかッ! あれとそれとは全く違うだろう」


 引き合いとして少女漫画を引用したのが間違いだったか。額を汗が流れた。


「最初は気恥ずかしかったけどよ、慣れてくると楽しくなって来るんだぜ」

「だよな。このスカートの中に風が吹き込んでくる感覚が新鮮で楽しいし」

「華やかな格好って気持ちいいよなぁ」


 普段のケンカ腰の口調とは違う、穏やかな話し振り。これはもう手遅れかもしれない。


「心、こいつらを止めてくれ。こいつ等は地獄の門を開けようとしているぞ」

「女装ぐらい別にいいんじゃねぇか。誰に迷惑をかけるでもなし、こいつらも楽しそうだし」

「僕が迷惑しているだろうが。こいつらを見続けていると精神に深刻な傷を負いそうだ」


 三葉の言葉は男達のハート様、話がわかるぅ! という歓声に掻き消された。


「少女漫画を貸し出したのが失敗だったのか。これまで少年漫画一辺倒だった奴らには刺激が強すぎたのか」


 三葉が頭を抱えていると、さらに追い討ちがかかった。



「なんだ、もぅ宴会芸の時間かよ。女装たぁ近衛隊も気合入ってるじゃねぇか」


 来る馬車の中で既に飲んでいたのだろう。乗りつけた馬車から真っ赤な顔をした男達が次々に降りてくる。中には馬車から降りてそのまま地面に蹲っている男もいた。


「でもよ……おめぇら宴会芸で負けんじゃねぇぞ! 陶芸部門の意地にかけて盛り上げろッ」


 村人達を巻き込んであっという間に宴会の準備が整えられていく。まだ茶会の空気をまともに味わっていないというのに。御座の上に座らされ、上機嫌の老人に杯を渡されながら、三葉はひっそり涙した。


 今日はいい日だ。杯を片手に康夫は、昇ったばかりの月を見上げた。膝の上にははしゃぎ疲れて眠ってしまった娘がいる。お茶会の主催、ご苦労様。目を細めて、空いている手でその頭を撫でた。絹のように滑らかな手触りが心地良い。


「今日は、いい日だ」


 今度は口に出して呟いてみた。この場所に自分のしてきたことの全てがある。人がいて、物がある。笑顔があって、喜びがある。希望があって、夢がある。

 かつての大人は老人になり、かつての子供は大人になった。いまを笑って生きている彼らなら、老人から受け継いだ知識を正しく使って、これからを生きていけるだろう。そして次の、娘達の時代が来てもきっと。

 『大災害』後に産まれた娘達には、かつての世界は絵本の話のように思えるだろう。空想はできても実感は無い。たった二十年前のことなのに。ずいぶんと遠くに来た気はしても、昔の風景は昨日の事のように思い出せるのに。気がつけば時間は過ぎていて、世界はあっという間に変わっていく。

ふと馬車の中で交わした娘との会話を思い出した。


「毎日は長いのに思い出すと短い、か」


 まったくその通りに違いない。いつか自分がこの世を去る時が来て、生涯を振り返ってもそう思うに違いない。だからこそ気づける事もある。すぐに過去を振り返ることができるから、過去から現在に至るまで、自分の中で、皆の中で、変わらないものがあるということを。

 今日は自分を心配した娘が頑張ってくれた。そんな娘を見守り、手伝う大人がいてくれた。

願わくば、これからも皆が優しい気持ちを持ち続けてくれますように。

何に祈るのでもなく、康夫はそう思った。

周囲が賑やかだったせいか、身じろぎをした娘の目が少しずつ開かれていく。この娘が瞳に映す世界が少しでも輝いているように、これからも頑張ろう。そんな決意と共に康夫は勢いよく杯を傾けた。


 ある日突然世界は終わりを迎えた。あらゆる秩序が乱れ、暴力が正義となった時代。これはそんな世界の片隅で、変わらないものを抱き続けている人々の物語である。


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