3.とある聖都の第一王女
3.とある聖都の第一王女
聖帝が治める帝国の第一王女こと鮮花は近衛隊の訓練場へと向かっていた。大人たちに織物を届けて暇になったのだ。本来なら勉強の時間だったが、先生は用事でどこかに出かけたらしく中止になった。降って涌いた自由時間に足取りも軽く、自作の自由時間の歌を口ずさむ。リズムに合わせて、白いリボンで一つに結んだ艶やかな髪が背中で軽やかに踊っていた。
周囲はそんな彼女を見て微笑ましい視線を送っている。すれ違う人々に対して一々元気よく挨拶をしながら辿り着いたのは、周囲を高い塀で囲まれた広場だった。塀の中では三十人ほどの男達が訓練の真っ最中だった。ぶつかる拳。弾ける汗。流れる血潮。轟く罵声と響く怒声。いつも通りの光景だった。そんな光景にも臆することなく、トテトテと足を踏み入れていった。
大柄な男達の中にあって一際目立つ巨漢がすぐに鮮花に気がついた。
「おっ、姫さん。てめぇら挨拶だ!」
「「「チィーッス」」」
号令にあわせてすかさず整列する男達。
「みんな、おはよーッ。気にしなくていいから訓練を続けていいよ?」
「「「「あざーっす」」」」
鮮花の言葉に従って再び男達は訓練に戻っていった。
「今日はどうしたんですかい? お勉強の時間だったんじゃあありやせんでしたか」
「先生が用事でお出かけしたから中止になったの」
あぁなるほど、と頷く巨漢は王族の身辺を警護する近衛隊長だ。名を心と言う。通称ハート。名前のルーツは信仰の発信源となった漫画から来ているが、名前とは裏腹に拳法殺しの肥満体系というわけではない。むしろ最低限の脂肪を残した肉体は鋼の如き肉の鎧に覆われている。
「それでね、お話があるの」
「なんですかい?」
声を潜めて話す鮮花に首を傾げながら耳を寄せる為に膝を着くと、その肩に鮮花は飛び乗った。身体のサイズが余りに違うため、そうした方が話しやすいのだ。
「立って立って」
「うっす」
肩の上の鮮花が落ちないように腕でしっかり保持しながらハートは立ち上がった。目線の高さがあがり、高い高いと鮮花がはしゃぐ。
「それで、どうしたんですかい?」
「あのね、おやじさまにプレゼントしようと思うの」
「何か行事ってありやしたっけ?」
厳しい冬を乗り越えたことを祝う春迎えの祭りを最近やったばかりだ。次の祭りはまだまだ先の話だった筈。
「そうゆうのじゃないよ」
頬を膨らませて不満を表す鮮花。
「最近おやじさまが疲れているから、元気を出してもらおうと思ったの」
「なるほど、いい考えじゃぁねぇですか」
「でしょでしょ!」
同意をもらえたことに鮮花は諸手を挙げて喜んだ。
「それで、俺たちに何の御用で?」
我が意を得たり、と頷きながら鮮花は先ほど康雄と交わした会話のことを話し始めた。話は子供ゆえに支離滅裂で、全体像を掴むのに苦労しながらも何とか要点を整理すると、
「その、てぃーたいむってぇやつをやりてぇと」
「うん、ぜったい元気が出るよ!」
元気一杯花丸印で頷く鮮花。言いたいことはわかったが、
「それで俺たちに何を手伝えと? すいやせんが、俺たちもてぃーたいむってやつを知りやせんし、お茶って言うのもどんな飲み物なのか知りやせんぜ?」
「だから調べるのを手伝って欲しいの。あと、準備も。たぶん外に出ないといけないし」
調べるのを手伝うのは構わないが、ハートは眉を顰める。問題は後半だ。ちょっとぐらいの外出なら付き合うが、茶なんて飲み物はここらで聞いたことが無い。探しに行くなら恐らく数日単位の遠出になるだろう。聖帝の勢力圏内から一歩でも出たら何が起きても不思議ではない。鮮花が怪我でもしたら一大事だ。
「姫さん。手伝うのは構いやせんが、外に出るのは危ないですぜ?」
「えぇぇぇぇ」
「遠出の必要があったら俺たちで行って来やすから、お嬢は待っていて下さいよ」
「いや!」
不服な顔をしているが、ここは頷いてもらわねば。
「何が起きるかわかりやせんし、姫さんが怪我でもしようものなら大変ですぜ」
「大丈夫だもん」
ブンブンと首を横に降る王女様に対して、どうしたものかと頭をひねる。
「怖い動物がわんさといやすぜ。噛まれたら痛いですぜぇ?」
「平気だもん」
「野党だっていますし、攫われたら何をされるやら」
「攫われないよ」
「遠出する必要があるとすると、下手すりゃ野宿になりやすぜ? 姫さんは真っ暗なのが怖いでしょ? 夜の森はそりゃあ暗いですぜぇ。お化けがいるかも」
「こ、怖くなんてないし」
この王女、強情である。
困ったものだ。図書館の眼鏡みたいに口が回らないのだ。自分は。いつも仕事部屋に閉じこもっている友人の姿を思い浮かべながら、内心で溜め息を吐いた。
「それに、姫さんが危ない目にあったりしたら聖帝様が悲しみますぜ? プレゼントをあげて元気を出してもらおうってぇのに、悲しませちゃあ意味が無いんじゃないですかい?」
「危なくないもん」
「姫さん……」
「だって、みんながいるし」
当たり前のように言われて、言葉に詰まってしまった。本当に、困ったものだ。説得が難航しているのは自分達に対する信頼のせいだとは。まいったまいった。
思わず頬が緩みそうになってしまうじゃないか。
鮮花を支えているのとは逆の手で頬を撫でながら衝動に耐えた。
「外に行くなら私も行きたい。わたしが贈りたいプレゼントだもん。用意も自分でしたいよ」
気持ちはわからないでもないが……。
「……だめ?」
ここで断れば鮮花も引き下がるに違いない。歳の離れた妹のように思っているこの少女は、わがままを言うにしても最後の一線だけは踏み越えない自制心を持っている。だが、先ほどの一言でさっきまで言えていた否定の言葉が中々口から出てこない。
自分の腰ほどまでしかない女の子。転んだだけでも大怪我をするんじゃないかといつも心配になる。でも、自分達はもっと小さくて幼かった頃に旅をしていた。まだこの国ができる前のことだ。いま鮮花が願っているものよりも危険な旅を。そうせざるを得なかった、ということは勿論ある。その危険な旅を自分達は遣り遂げた。それは何故か? 決まっている。大人たちが守ってくれたからだ。だから、あの頃の自分たちより大きな鮮花が外に出てもきっと大丈夫。自分達が守るのであれば。それでも不安は拭えない。危ないことはして欲しくないのだ。
「ハート様、いいんじゃねぇですか?」
「おめぇら……」
会話に気をとられて、いつの間にか声が大きくなっていた。だから気付かれたのだろう。
「近衛隊は王族を守るための部隊ですが、守るために閉じ込めるのは違うんじゃあねぇですかい? お嬢が外に出たいってんなら、外での危険から全力で守る。それが俺たちの役目なんじゃあねぇんですか?」
モヒカンの言葉にハートは秘孔を突かれた思いだった。そう、守ることと閉じ込めることは違うのだ。いつの間にか目的と手段が入れ替わっていた。幼い自分達を守ってくれた大人たちは、子供の願いを一蹴することはなかった。髪形を変えた時のように、できる限り手伝ってくれた。だからあの旅にも耐えられたのだ。
いまの時代、子どもが子供で居られる時は短い。だからこそ子どもの願いはできる限り叶えられるべきなのだ。自分達がそうしてもらったように。一度目を閉じると、ハートは大きなため息を吐いた。
「……明日から姫さん外出時の護衛用の訓練を追加するから覚悟しとけ。容赦しねぇぞ」
「「「「ウィッス!」」」」
「みんなありがとう!」
肩の上ではしゃぐ鮮花が落ちないように気をつけながら、ハートは頭を悩ませた。子煩悩な王様に娘の外出を認めさせるにはどうしたらいいだろうか、と。
「とりあえず図書館に行こう。ハート、ゴーゴー!」
「おめぇら行くぞッ」
「「「「ヒャッハー! 調べるぜぇー」」」」
鮮花を肩に乗せたままハートは走り出した。その後ろには近衛隊が続く。目指すは聖王都で一、二を争う重要施設、図書館だ。