0A-13.大陸でできた新しい友達。
港町レッドフッド、領主邸、三階。
長く横たわる廊下の中央付近で、アプリコットは窓際の壁に背を預けていた。眼前には、両開きで厚い木製の大扉。そこは「領主執務室」だ。
「来ましたよ、アプリコット」
エルの声を左隣から受け、アプリコットは彼女を見る。屋敷の中は魔法による空調が効いており――取調室は肌寒かったが――少し暑いのか、彼女は脱いだコートを小脇に抱えていた。一方、エルの向こうに立ってるリンドウは、まだそのままの恰好。サングラスしたままで回りが見えているのか、ちょっと疑問だ。頬が少し赤いので、暑いじゃないかと心配になった。
「アプリコット嬢」
「ハリソンさん? 出てらしたんでは」
言葉を掛けられて初めて、アプリコットは右奥からやってきていた職員が誰かに気づいた。禿頭の室長、ハリソンだ。彼の後ろには、ウィルソンも控えている。壁から背を離し、彼らに向き直った。
「さすがに報告を受けて、戻ってきた。それで」
いかつい男が、困ったように眉尻を下げていた。
「そこの部屋……領主執務室だが、権限の問題もある。予約もないお客人は入れられない」
「そりゃそうだ。ハリソンさんの権限では?」
アプリコットは理解を示すように頷きつつも、彼に問いかける。
「無理だ。だから止めに来た。本家には問い合わせているが」
「ちなみにここ、普段は空きってこと?」
「そうだ。代官はいるが、その執務室は実質下の階。ここはユーク本家の人間だけが使う」
「ははーん。代官って分家の人か。それで」
ハリソンの後ろのウィルソンに目を向け、尋ねた。
「食料はどう?」
「見事に減ってたよ、誤認じゃ効かない量ね。お嬢様は意外に、よくお食べのようだ」
「ありがとう、ウィルソンさん。ブルースターさんは封鎖?」
ここにいないもう一人の職員について聞くと、ウィルソンが肩を竦める。
「無駄かもしれないけどね。〝真なる魔法使い〟なら転移できるでしょ?」
「転移防止魔道具は高価だしね。ここからはゆうに出られたとして……市壁は?」
アプリコットは壁を手の甲で叩く。転移防止素材の場合、空間転移して越えようとすると激突し、普通は死亡する。さらなる高級建材として、誰でも通さないわけではなく、登録した人間のみ通過されるものも存在した。魔法学園は市壁から建物まで、すべてそれで作られている。
「そりゃもちろん防護されてる。魔法を使う高位の魔物もいるし」
「空が無防備なのは、なんで? 特に結界とかなさそうだったけど」
「〝空路〟があるからさ。滅多に使われないけど」
「防空網は別途敷かれている。だから飛んで入ったという線は薄い」
「じゃあ地下水路から一人でお越しになった、が正解でしょうねぇ。そっちは?」
「お察しの通り。さっき確認に回した職員から、報告が入ったよ」
ウィルソンがてきぱきと答えて、しかし最後に言葉に詰まり……それから、ため息を吐きだした。
「格子がいくつか破壊されてた。切り口からしても、魔法で間違いない。他に痕跡はなかったけど」
アプリコットは満足して頷く。そんな彼女の肩を、誰かの指がちょいちょいと叩いた。
「〝再生〟はそんなに高度じゃないけど……アプリコット。なんで直さなかったんだろう?」
「そりゃ、リンドウ。誰かに気づいてほしかったからでしょ」
肩口に振り返り、アプリコットはリンドウに応える。
「切られた水路の格子、突然現れて人気を博した占い師、探してみたら姿がない。きっと」
そして眉根を寄せ、じっと扉の向こうを見つめた。
ずっと見えている〝未知〟は、まだそこにある。
逃げられるはずのここから動かない、何かが。
「他にもいろいろ、痕跡を残している。〝魔法使いじゃないとピンと来ない〟ものを、たくさん」
「なんのために?」
「そりゃ魔法使いに会いに来てほしいから、たぶんそれはリンディ――」
黒髪黒目、老齢の大魔女を思い浮かべて。
確かにそうだと、確信しつつも。
「じゃない。さては」
アプリコットは〝彼女〟の欲求を、敏感に悟った。
「学園の〝後継者〟に会いたかった。そうでしょう?」
扉に向かって問いかける。動きは、ない。
だが。
「――来た。リンドウ、お願い」
アプリコットの魔力を視る世界の中で――〝未知〟が動いていた。それはもう、扉のこちらにすら来ているはずなのに。
現実を見る両の目には。
未だに、何も映らない。
「〝完全撤去〟」
白スーツの大魔法使いが、指をパチン、と鳴らす。サァッと光の幕のようなものが一瞬、通り過ぎた。それは階梯15、最強の古代魔法の一つ……すべての魔法を打ち消す力。ただ範囲が広すぎて、街の魔法が瞬間的に途絶えた可能性もある。本来なら乱用厳禁な大魔法だった。
光の過ぎ去った後、突然いくつもの変化が目に飛び込んできた。一同に、驚きが広がる。いつの間にか開いている扉。廊下に立っている女性。被ったフードの奥に赤い髪を見せている彼女は、同じように赤い瞳で静かにこちらを見ている。変装……というには、妙にカジュアルな恰好がよく似合った。
「正しくは」
だがその唇から発せられる声は、凛としていて。アプリコットは親友の公爵令嬢を思い浮かべる。人の上に立つ人間だと……そのたった一言でわからせてくる、強い音。
「後継者。大魔法使い。それから何よりも」
彼女は順に、エル、リンドウを見て。最後に。
「ふふ。あなたに会いたかった――ほんのわずかな、時間でも」
アプリコットに目を合わせて、ほほ笑んだ。野性味すら感じる外見から、とても優雅な微笑みが垣間見えて、ギャップがすごい。
「私に? どうして」
「あなただけは、占えない。なんと称すればいいのか、わからない」
アプリコットが尋ねると、彼女は少女のように可愛らしく小首を傾げた。凛として、妖艶で、時に幼い……不思議な印象の女性であった。
「まるで世界の中心」
「主人公……?」
彼女の言に、リンドウの呟きが重なる。すると女性はパァっと輝くような、笑顔を浮かべた。
「ああ、そう。素敵な答えね、大魔法使い様」
彼女はリンドウを褒め、一転してすいっと目を細める。アプリコットは、背筋がぞくりと粟立つのを感じた。
「では世界の主役に、少しのもてなしをと思うのですが。いかが?」
「夕飯までなら、付き合ってあげる」
負けじと声を絞り出す。頬が引きつったが、ちゃんと笑えていたかはわからなかった。
★ ★ ★
領主執務室に、三人で招かれた。ハリソンら職員は追い返され、アプリコットたちは歓待を受けている。いつもリンディがそうするように、女性――アイーダ・ユークはついっと宙を指で撫でた。どこからかティーセットが現れ、ローテーブルにカップを並べていく。アプリコットはソファーに深く腰掛け、落ち着かない気持ちでアイーダを眺めた。
「単刀直入に聞きますが」
そんな彼女の隣で、エルがカップを持って堂々と尋ねている。恋人を頼もしく想いながら、アプリコットもお茶をいただくことにした。
「普通に会いに来るのはダメだったんですね?」
「次期学園長様。ユークの当主は制約が多いのです」
今はフードをとっているアイーダが、優雅に紅茶を飲みながら答えた。笑みがこぼれるとさらりと髪が流れ、ちらりと覗く赤い水面と合わさって非常に絵になる。一方で、なぜか無邪気な笑顔でバリバリ菓子を食べてもいて、印象がちぐはぐだ。しかしそれが彼女らしいと、アプリコットは妙に腑に落ちた。
「ただ出歩くだけでも、意味があるとみなされる。だから、意味を作らないといけません」
「分かる人にしかわからない意図をばらまいて、煙に巻いておかないといけないと?」
「その通りです。公式に学園を訪問することもできますが」
「その場合は付き人の人払いが認められない?」
紅茶の香りを楽しんでいたアプリコットは、エルとアイーダの問答に口を挟んだ。先に笑みを返され、それから鈴を転がすような楽しそうな声が答える。
「はい、主人公様。お話はまともにできないでしょう」
「…………ねぇ、アイーダさん」
アプリコットは、カップをテーブルに置いた。姿勢を正し、背中を這いあがる悪寒を押さえる。嫌な予感しか、しなかった。
「私はちょっとした予感がするんだけどさ。本当は、このお茶会。もうすぐ終わるんじゃない?」
「はい。あと5分もせずに」
アイーダがこともなげに答える。だがその眉根は、寄っていた。何者かの乱入――アイーダ発見を知った何者かだろう――によって、この茶会はすぐに終わるのだ。そしておそらく、彼女が本当にしたい話は、それでは済まない。アプリコットは奥歯を噛みしめ、頭を捻り。
「じゃあこういうのはどうかな? リンドウ」
一計を案じて、友に呼びかけた。
「あ、あれかぁ。〝密談〟!」
何でもないことのように言って、リンドウが呪文を唱える。きらりと少しの光が散って、それからおさまった。アイーダがキョロキョロとしている。感覚としては通信系の魔法が繋がったときに近いのだが、もっと〝広い〟。視界の中にもう一つ空間が広がって、そこで話しているようなイメージになる。
「これは……知らない魔法です。〝回線〟とは違うのですか?」
「文字通り、密談。それも集団用でございまーす。距離じゃなくて権限で見るから、本土と大陸でも通信できる。ただし」
リンドウが決め顔で魔法の説明を軽く流す。
「アタシが必須」
「リンドウが開発した、階梯16の魔法です。人間の魔法では見破れない」
「まぁ」
古代にも存在しない、階梯16の魔法。神獣リンドウが到達した、前人未到の領域である。アプリコットがダメ押しすると、ユークの令嬢はさすがに驚いたのか、思いのほか嬉しそうな顔を見せた。
「私たちと、お友達になりませんか? アイーダさん」
★ ★ ★
アプリコットたちはお茶を飲み切り、乱入がある前に退散した。ハリソンらに頼んで戸籍課に隠れさせてもらい、しばし過ごす。
「結局。いったいぜんたい、何がなんだったんだい?」
疲れたような顔のウィルソンに尋ねられ、アプリコットは思わず苦笑いする。
「ユークのお嬢様が、ちょっと散歩したくなって出歩いてた。それだけだってさ」
「それで周りが大騒ぎしただけだってことかい? ちょっといい迷惑だな」
ウィルソンがうんざりした様子だ。ブルースターも同様で、ハリソンだけは奥の席で仏頂面をしている。
「他の手段じゃ、自分で道を歩くことすらできない、って言っても?」
アプリコットが返すと、ウィルソンがブルースターと顔を見合わせ、肩を竦めた。
「王侯貴族なんてそんなもんじゃないか?」
「違うよ、ブルースターさん。本土の皇帝とか王族は、もっと自由だった」
アプリコットはそっと、視界を切り替える。魔力を視る目は、今は遠くに行こうとしているはずの彼女を、すぐ近くに捉えていた。繋がりを感じ、不思議な感触である。
「茶飲み友達くらいいたって、罰は当たらないでしょ」
きっとそれだけじゃすまない――そんな言葉をぐっと飲み込んで。
少し妖しげな笑みを浮かべる、新しい友達を眺めた。
恋人に再び、手をとられながら。




