0A-05.ルート確定のお知らせ。
エルとアプリコット、二人きりの船室で。
金髪碧眼の小柄な次期学園長が。
頬を赤らめ、瞳を潤ませ。
アプリコットのことを……優しく見つめてくる。
「ユーラニアさんが相手でも、リンディさんが相手でも。あなたをとられたら、いやです」
「いやどういうことよ、それ」
言い直され、それに対して口走って……それからアプリコットは、しまったと口元を手で押さえた。曖昧に流しておけばいいものを、つい突っ込んでしまった。案の定エルはにまりと笑い、グラスを持ったまま立ち上がって……アプリコットの隣に、腰を下ろした。寝台の端に座る二人は、ぴたりと寄り添うくらいに近くて。アプリコットは妙に緊張し、どうしてか後ずさることもできない。
「ちょっとエル、何の冗談――――」
「それはこっちの台詞です、アプリコット」
エルの手が回り、アプリコットの腰を掴んだ。グッと、意外に強い力で引き寄せられる。
「ボクの願いを見事に叶えて、あなたはアンジーさんを助けてくれました。リンディさんの命を繋げてくれました」
「それはまぁ、私がそうしたかったから、だし」
「ボクの気持ちを考えてほしいですね? そこは」
少しの酒精を感じる香りと、エルの熱気のような体温を感じ、冬場だというのに汗が出そうになる。
「その上、昼間は……ふふ。グラって揺れた後、気づいたら船から投げ出されて……ボク、本当に〝死んだ〟って思ったんですよ? なのにあなたは、真っ直ぐボクを追いかけてきてくれた。届かなかった手を、ちゃんと取りに来てくれた」
エルの右手が腰から離れ、アプリコットの左手の甲に、重ねられる。彼女の指が、するりと指の股に入って、ぎゅっと握り締めてきた。
「海に叩きつけられて、あの冬の海水の中に落ちていたら、ボクの心臓は止まっていたかもしれません。ボクは魔法を使えませんし、リンディさんたちが手を尽くしてくれたかもしれませんが……ひょっとしたら、あの魔物に食べられちゃう方が、先だったかも」
エルの手が。肩が。
震えている。
「エル……」
ハッとして、アプリコットは呟いた。少し身を引くと、エルはテーブルにことり、とグラスを置いて。アプリコットに、ぐっと寄り掛かってきた。
「怖い目には、何度もあったことが、あります。ママと一緒に、急に捕まったことも……でも、今日のは。本当にもう、ダメだって、思って。後から、考えても、こわくて」
体重を預けられ、アプリコットは何も考えずに、自分もグラスをテーブルに置いて。
「ねぇ、ボクを助けたのは――――何の冗談なんです?」
その言葉に息を呑み、迷いながらエルの肩に手を添える。握られていた手が解かれて、背中に回り……縋るように、抱きしめられた。小刻みな震えと、高まる体温が、同時に伝わる。睨むように上目遣いで見られ、アプリコットは目を逸らした。それでもその手は……エルを支えるように、無意識に背中へ回されて。
「冗談なんて、そんな。助けるのなんて、当たり前でしょ?」
迷うように、アプリコットが零すと。
「なんでそこで、そんなかっこいいこと言っちゃうんですか……!」
細く小さな叫びが、胸を打った。
「いや、そんなこと言われても」
「リンディさんも、アンジーさんも、ボクが落ちたことに気づいてなかった! リンドウは動けなかった! アプリコット! あなたが、あなただけが!」
昂る感情に任せ、エルがかき抱いてくる。アプリコットは彼女を受け止めて……そのまま押し倒された。僅かに上げられたエルの顔、その青い瞳が……逃すまいと、アプリコットをじっと見つめてくる。その視線の圧力に負けて、目を合わせると。
「ここまでしといて、好きになるなって。それはずるいでしょ? アプリコット」
泣き笑いのような顔で、訴えられた。
「私に、言われても」
「どうしてそこで、怒らないんです? 勝手なこと言いやがって、って」
脚や体を絡めるように密着させられ、アプリコットは行き場のなかった右手を、エルの頭に乗せる。
「そんなことで怒らないよ……」
「ならどうして、跳ねのけないんですか?」
手櫛でエルの金髪をすきながら、アプリコットは惑う。今も自分の左手はエルを背中にあって、右手は頭を撫でていて。何か、強制されたわけでもない。ただこうしていると、心地よくて。
(リンディと寝てるときとは、なんか違う……)
添い寝して甘えているときを、思い出す。くすぐったいような、暖かな気持ちと。今の……隙間を埋められるような、熱い気持ちを、比較して。
(リンドウやユーラニアにも、こんなふうには、しないのに)
少なくとも同室の二人に寝ぼけて絡みつかれたら、アプリコットは蹴り飛ばしている。今朝は、唇を許してしまったが。
もし、今。エルに強請られたら。
そんな考えが頭をよぎり、どきり、と心臓が跳ねる。
「ねぇ、答えて。アプリコット。どうしてボクを、拒絶しないの?」
「……エルを、傷付けちゃうでしょ」
「それは、気を遣ってるの? それとも」
青い視線が、覗き込んできて。
目が、離せない。
「ボクのことが、好きなの?」
酒の匂いの混じる吐息が、唇付近にかかる。
顔を背けられない、アプリコットは。
諦めたように、目を閉じて。
「わかんないよ、そんなこと……」
「じゃあ、どうしたら」
ゆっくりと、指が唇をなぞる、感触があって。
「アプリコットは、自分の気持ちがわかるんです? ここに」
エルの吐息が。
「ボクの唇を、重ねればいいですか?」
とても、近い。
「やめて、って。言ってもいいんですよ?」
「あっ」
彼女が離れた、気がして。つい声を上げた。
アプリコットが薄目を開けると。
見下ろすエルの顔が。
少し遠くにあった。
「もしかして」
震えのおさまった、彼女の手が。
首筋から鎖骨のかけてを撫でる。
背筋がぞわりとして、アプリコットはつい、腰をのけぞらせた。
「唇だけじゃ、不満……ですか?」
また、エルの顔が近づいてくる。
楽しそうで、嬉しそうで。
顔が耳まで真っ赤で。
目が潤んでいて。
「――――やめないで」
なぜそう呟いたのかは。
それからしばらく、わからなかった。
★ ★ ★
翌朝。
「海鳥…………天気いいからかな。着くの早そう」
アプリコットは看板に出て、マストの下で遠くを眺めていた。
「向こうの街の宿を確保する時間が、ありそうだねぇ」
「アンジー」
声をかけられ、視線を降ろす。
「魔物にまた襲われちゃ敵わんって、船足を速めてもいるんだろうが……」
ホワイトブロンドの少女――に見える79歳――は、口元をニヒルに歪めていた。
「大したもんだな? 色女。あるいは、浮気者?」
「ちがうし。うわきじゃないし」
アプリコットは目を逸らし、口を尖らせる。潮風が顔に当たり、頬に熱が昇るのを感じた。
アンジーはアプリコットの神獣になっており……魔力で繋がりを持っている。常に細かい情報がやりとりできるわけではないが、心情の移り変わりに関しては、互いに知ってしまいやすい。じっと見つめられ、誤魔化しは無駄かと諦め……アプリコットは小さくため息を吐いた。
「ほんとだってば」
「わたしにまで好きだとか抜かしたその口で、よく言うねぇ。いや、責めようってんじゃないんだ。ただどうやってあの」
アンジーは上に目を向ける。釣られ、アプリコットも顔を上げた。帆をたたんだマストが見える。潮流に入ったのか、風を受けずに船は進んでいた。
「澄ました次期学園長を口説いたのか。それが気になるだけさ」
「別に」
アプリコットは、ぽつりと呟く。視線の先に、マストのかなり高いところに登っている、少女がいた。
「エルは……ただの可愛い、女の子だもの。私は、変なことはしてないよ」
「そうかい。今更だが……結局お前も、同性を好むんだな」
「それは――――」
言葉を詰まらせ、肩を竦め。アプリコットは周りの人たちのことを思い出しながら、息と声を吐き出した。
「よく、わかんないよ。ラカルとかウォルタードにドキドキしたことは、ないし。大人の男の人とかも……特に、なんとも」
「リンディやユーラニアには? 好いているんだろう?」
「ん……まぁ。でも」
アプリコットは視線を下げ、目を伏せた。
「私が思ってた〝好き〟って。他の人のそれとは、違うのかな」
「そんなに違わないと思うがね。だがお前は、また別のものを知ったわけか。エルに対して」
エルの名前を出された途端、どきりと心臓が跳ねた。
「私。ちょっとおかしい。こんな……」
その感触、体温、吐息、綺麗な姿を、思い出して……鼓動が早鐘のように打ち鳴らされる。ほうっと長めに息を吐いて、アプリコットはゆっくりと目を開いた。
「すごく、怖い。変なこと、しちゃいそう」
「それが恋ってやつだろうよ。わたしだって、覚えがある」
「それは……リンディに?」
「違う」
振り向くと、アンジーは相変わらず皮肉げな笑みを浮かべていたが。
「ふふ。もう誰にそう思ってたか、忘れちまったよ」
そう言って、頭を振った。魔力でも感情が読み取れず、アプリコットは首を傾げる。
「おかしいのは、そうかもしれない。だが妙なことをするようなら、わたしやリンディが止めてやる。そら、行ってきな。ご主人様」
「おおっと」
背中を押され、たたらを踏んでから、アプリコットはまた顔を上げる。抗議の視線を背後に向けると、教頭はくつくつと笑っていた。諦めて空中をすいっと指で撫でて、アプリコットはその体を浮かせる。風の巻く中、駆けるようにマストを上がった。
「エル!」
先ほどアンジーに向けたのとは打って変わり、張りのある声が出る。浮ついた笑い声のようだと感じながら、メインマストの一番高いところに腰かけている、エルの隣の降り立った。
「やっと来ましたか、リコ」
前を向いたままのエルが呟くように言う。嫌なものを思い出すからと、愛称で呼び合うのは遠慮していたアプリコットであったが。
「…………それのせいだと、思う」
アプリコットはまた、頬に熱が昇るのを感じながら、言葉を吐き出した。エルには、愛称の件は、何も話していない。なのに、かつて呼ばれていたのとは別の呼び名を、囁かれた。最も昂った時に、耳元で、奥底に。
――――新しい名前を、つけるかのように。
「何の話です?」
「なんでも。待ってたの?」
「登ったらすぐ来るかなって、思ってました」
「アンジーに声かけられて」
「しょうがないですね。ほら、座って」
エルが差し出した手をとり、ゆっくりを腰を下ろす。風や揺れも感じ、正直少々怖い。けれど握られた手が、意外と力強くて。アプリコットはマストに座り、エルとぴったりくっついた。
「リコの故郷、結構北なんでしたっけ?」
「うん。海も近いけど、流氷がいっぱいで」
「へぇ。雪とか、大丈夫なんですかね」
「吹雪いてるかもしれないけど、積もってはないかな」
「そうなんだ」
「うん」
言葉が途切れ、二人黙って水平線の彼方を見つめる。
「私さ。リンディのこと、好きなんだ」
「知ってます」
「私が一番、リンディが好きだと思う」
「そうかもしれませんね」
「…………そこ、止めないの?」
思わず隣を見ると。
「止めませんよ。でもそれが、どんな〝好き〟なのかは」
少し頬を赤くした、エルが。そう、穏やかに告げた。
「この旅の間に、聞かせてほしいです」
「……なんでエルは、そんなに余裕綽々なのさ」
アプリコットは納得がいかず、少し口を尖らせる。「リンディを一番愛しているのは自分だと、そう知らしめる」そんな意気込みをして、始めた旅なはずだった。なのにユーラニアには唇を奪われ、エルとは愛を交わして。控えめに行って、アプリコットの感情はもうぐちゃぐちゃだ。当初の目的に縋っていなければ、壊れてしまいそうで……でもそれが不義理だという、理性くらいはあって。
「こういうのって、浮気とか、責めるもんじゃないの?」
「責めませんよ」
なのにエルは。
「あんなに愛されたら、疑えません」
ただ自然に、アプリコットのことを受け止めた。
敵わない――――そんな呟きを飲み込んで。
アプリコットは小さな恋人に。
ぎゅっと抱き着いた。
――――下からたいそうな人数に見られていたと知ったのは、しばらく後のことである。




