0A-03.ヒロインと悪役令嬢。
アンジーと、朝から酒を酌み交わした後。
アプリコットは、大きなガラス窓から入る日差しをにこやかに受けながら、一泊の特別感を振り返っていた。まるで、城のような宿。冷暖房完備な学園のように便利ではないが、非日常感にワクワクする滞在だった。1年ほど前にも宿泊したことを思い出しつつ、アプリコットは朝食に勤しむ。
宿泊客がそこかしこに見える、大食堂。さすがに高級宿らしく、朝からしっかりした服装の、妙齢の紳士淑女が多い。明らかに貴族、使用人連れもちらほらとおり、少なくとも子連れはいなかった。
中身の平均年齢的には問題ない――そんな言い訳らしきものを、お茶と一緒に口に含んで、アプリコットは時折寄せられる無遠慮な視線をやり過ごす。少なくとも、美しい乙女揃いのテーブルはここだけ……一同を眺め、そう笑みを零した。
アプリコット一行は、大きめのテーブルで7人、食事を供されていた。スクランブルエッグ、いくらかの生野菜、よく焼いた薫製肉、煮てソースと絡めた豆、そしてトースト……そんなワンプレート。スコーンを雑然と積んだバスケットも、テーブル中央には3つ置かれている。クリームや種々のジャムが添えられ、朝から明らかに過量に思えたが……ついつい、手が伸びる。
どれも落ち着いた味わいで、紅茶の香りがよく引き立った。
「帝国の食事だから、もっと豆一色なのだと思いました。偏見ですかね?」
トマトを、隣のリンドウのきゅうりと交換しあっていたエルが、それを誤魔化すようにうそぶいている。
「あー……昨日の夜は、ルームサービスだったからねぇ。ここで食べてたら、違ったかも?」
「そうなんですか? アプリコットさん」
エルに重ねて問われ、アプリコットは肩をすくめた。視線を流すと、ユーラニアがナイフとフォークをそっと置いて、優雅に紅茶を一口。それから、小さく咳払いした。
「〝ナイトで良い食事を望むなら、朝食を3度摂れ〟と言いまして。あとは豆なのです」
「朝食以外は、豆。外食も?」
「豆、と何かが出ます。くたくたに煮られた野菜とか。汚濁のような煮凝りとか。油に腐敗の危険がありそうな芋と魚とか」
あんまりな羅列に、エル、リンドウ、そしてアプリコットが「げっ」と顔を歪める。
「衛生観念にくらいは、仕事してほしいですね……ほんとなんですか? ユーラニアさん」
「ええ。ナイトではパン職人が料理の源流となっているので、朝しか本気出さないのですよ」
「昼と夜は?」
「パンが買えない人たちの食卓なのです」
「なるほど」
嘘か本当か区別がつかない解説を聞き、アプリコットは半眼で銀髪のお嬢様を見つめた。またお茶を飲んでいるユーラニアが片目を開き、アプリコットに向かって笑みを見せている。隣の黒髪の魔女を見れば、そちらは澄ましたもので――教育の化身が訂正しないということは、どうもナイトの豆事情はそれが真実らしかった。
「リンディは今日も綺麗だねー」
視界に収まった学園長を、そのままじっと見つめながら、アプリコットはそっと呟く。淑女みを捨てた何人かが、紅茶を噴き出した。なお銀髪のご令嬢も含まれている。
「なんだい、その気のない褒め方は。もっと愛をお込め」
薄く艶やかな笑みをリンディが返すもので、アプリコットはにまぁりと口元を歪める。胸の奥がぎゅーっとなって、背筋が泡立ち、リンディしか目に入らなくなった。
アプリコットは、ナイフを持つリンディの指先をとろんとした目で見つめ、口を開く。
「んー……爪、塗ったんだ。自分で?」
「もちろん。あんたもやってやろうか?」
「いいね。足の爪も? どんなの?」
「当ててみな。そしたら見せてやるよ」
指を鳴らしたい気分になりながら、行儀が悪いのを承知で、テーブルに肘をつく。アプリコットは両腕を組んで、笑みを乗せた顔を前に突き出した。
「手の爪と違って、ベージュかな?」
「正解だ。どうしてわかった?」
「髪の中の飾りと色合わせ」
緩く波のかかったリンディの黒髪の中に、オフホワイト寄りの髪飾りが見える。飾りが彼女の髪に流れを作っており、新鮮な輝きをもたらしていた。
「それ、誰の贈り物?」
「自分で贈ったものを、忘れたとは言わないだろうね? アプリコット」
「ふふーん? 何それ。私に見せたいみたいじゃない」
「そうだって言ったら?」
挑発するように言ったら、挑発し返された。満面の笑みを浮かべ、アプリコットはリンディの黒い瞳を見つめる。
「怒る。そこはユーラニアに、って言いなよ」
「振られちまったね」
「当たり前じゃん。赤も似合うね? リンディ」
「そりゃどうも。くく……おい、ユーラニア。全部とられちまったぞ?」
「はわ、はわわわわわわ?」
いつもと全く違う、赤いドレスのリンディが、ナイフとフォークを置いてくつくつと笑っている。言動が怪しくなっているユーラニアを見て、アプリコットも笑いが零れそうになっていた。見ればリンドウも泡を食っており、アンジーは肩を震わせている。エルだけは、澄ましたものだった。彼女はスコーンに夢中なようだ。
きょろきょろとするご令嬢に向けて、アプリコットは優しく声をかける。
「そういうとこダメだねぇ、ユーラニアは。せっかく瞳の色のドレス、着てくれてるのに。朝からばっちり着こなしてるんだから、お別れが惜しいんだよ? リンディは」
「ばらしすぎだ、無粋な弟子め」
「やっかみですよーだ。青いの、持ってきてるんでしょうね?」
「内緒だ」
学園長と二人、笑い声を漏らす。視界の端でムッとした様子のユーラニアが映り、アプリコットは両手を上げた。
「ご馳走様。まだ散歩とかしてる時間ある?」
「ああ。だがあまりない」
「はーい。じゃ、ちょっと日に当たってくるねぇ」
アプリコットは席を立ち、手を振ってリンディに別れを告げる。
「あとはユーラニアがやんなよー? リンディまだ、褒められ足りないって顔してる」
「ぎゃふん!?」
顔を赤くした友達を眺め、アプリコットは満足げに食堂を後にした。
★ ★ ★
「なぁんで私のとこに来ちゃうかなー?」
アンジーのいたところとは別、寒々しい庭園を見つけ、アプリコットはくつろいでいた。少し小高く、遠く海が見え、塩の混じった風が冷たい。彼女は階段を登って来るユーラニアに、気の抜けた声を投げかけた。
「あなたが好きだから、ってお答えすればよろしくて?」
近くまで来たユーラニアが、風で流れる長い銀髪を手で押さえながら、透明な笑みを浮かべている。冷たい日差しに晒されて、煌めくようで。寒いのに、汗が噴き出るような感覚を覚えて、アプリコットは笑みを作る。
「いいじゃん。それ、リンディに言いなよ」
「できません。恥ずかしい」
「なーんでよぉ。好きなんでしょー?」
令嬢はアプリコットのすぐ隣まで来て、手すりに腰を預けていた。彼女の髪が、少し肌をくすぐる。
「そんなんじゃない、って。ずっと思ってたのに」
彼女の呟きは、戸惑いに満ちているように聞こえた。アプリコットは懐かしむように、目を細める。
「私は最初っから、そうだと思ってたよ?」
「最初って……」
「入園式の前。ラカルに振られてたとき」
彼女たちが振り返るのは、リンディを挟んでの……あの出逢いの、瞬間。
「恋する乙女の、目をしてた。私みたいな」
「そんなの、よくわかりません」
切れ長の赤い目が逸らされて、アプリコットは少し不満げに口元を歪める。頑なな友達に、ちょっと物申したかった。
「婚約破棄して、自由になった。お母さんも、背中押してくれてるんでしょ?」
「父と兄には、まだ言ってません。反対、されるかも」
家族と貴族の倫理観に揺れているのだ……アプリコットはそう理解し、語調を和らげた。それはアプリコットには、理解できない感情だ。だからこそ、慮った。
「されちゃいなよ。それで、一緒に頭を下げに行けばいい。私も付き合ってあげる」
「なんでそこついてくるんですか!? ……まぁついてきてくれても、いいですけど」
抗議してはにかむユーラニアを見て、アプリコットは笑みを浮かべる。令嬢の目がちらちらと、こちらを見ていた。
「なんで、わたくしを後押しするの。アプリコット。だってあなたは……」
「リンディが好きだよ。だから、幸せになってほしいんでしょ?」
「わたくしには……理解できません。そんな」
アプリコットとて、そりゃあ二人っきりで問題ないなら、そうしたい。だがどうにもあの学園長は、人が見捨てられないのに、皆に容赦なく巣立たれて――――寂しい想いをしている。アプリコットは彼女のアンジー教頭への執着から、漠然とそんなふうに考えていた。
自分たちが離れては、ならないのだと。
それは彼女の、悲しみに繋がると。
そう、考えていた。
「私がユーラニアと一緒に、リンディの傍にいたとして。それは嫌?」
「いや、じゃ。ないです」
ユーラニアが照れたように呟きを零し、アプリコットは満足げに頷く。
「なお教頭が一緒の場合」
「殴り倒します」
「殴り倒されるの間違いでしょー。私の神獣だぞー?」
「ぐぬぬ。なら引っ込めてください」
「言うことを聞く保証がない。リンディ絡みだと、ちょっと」
「言えてますね」
少しだけ二人で笑い合って、アプリコットは手すりに肘をつき、体重を預けた。遠く海を……その向こう、西の彼方にある、故郷を眺める。
「私はさ。私が一番、リンディのこと好きだ! って自信がある。でもそれはそれとしてね?」
言葉を切って隣を見れば、赤い瞳の端が、様子を窺っていた。
「リンディはもっと、幸せにならなきゃ。何十年も頑張ってきたんだし。子どもとか孫ーってのは、難しいかもしれないけどさ。せめてこう、お嫁さんでいっぱいにするとか、どうよ」
「爛れててどうかと思いますが?」
「反対?」
「賛成です」
アプリコットとしては……その返答は、意外だった。好意を表明することすら嫌がる令嬢が、価値観を曲げてまで、頷くなど。
「あなたとなら、いいですよ。特別です」
落ち着いた口調で告げられた言葉に、なぜか心臓が跳ねる。どうしてか、本当に、彼女の「特別」になれた気がして。
胸が高鳴って、おさまらない。
「私、滅茶苦茶言ってると思うんだけど。どうしていいって言っちゃうのさ? ユーラニアは。だって――――」
「あなた、わたくしにだけは〝好き〟って言いませんね。アプリコット」
軽口に、衝撃を返される。風が強いせいか、口の中がからからに乾いた。
「…………ナンノコトカナー?」
「わたくしの逆、ですね」
「え…………?」
呆然とするアプリコットが、思い出すのは……つい先ほどの、ユーラニアの姿。階段を登ってきて、今みたいに正面に立って向き合って。
彼女が告げた――――『あなたが好きだから、ってお答えすればよろしくて?』という、言葉。
それは言葉の内容に反して、茶化した声ではなくて。
彼女の赤い瞳は、まっすぐで。
「寂しいですけど。二か月後、会えるのを楽しみにしてます」
ふっと、視線が逸らされた。ユーラニアが背を向け、ゆっくりと階段に向かって歩いていく。
「ユーラニア!」
「そろそろ時間ですよ? アプリコット」
アプリコットは思わず、彼女を追いかけた。
「私!」
その手を、掴んで。
「来年は、ずっと一緒にいたい」
懇願を、口にした。
「はい。約束です……契約しても、いいですよ?」
笑顔とともに、手を握り返される。
アプリコットは、もう片方の手を。
その小指を、軽い気持ちで、差し出した。
「――――じゃあ、これで」
それは「運命の赤い糸」という寓話に基づく、古い約束の仕方。
恋人同士の、小さな契約と呼ばれる……まじないのような儀式。
互いの左手小指を、ぎゅっと絡めて。
最後に……愛を誓う。
「ええ、では誓いを」
ユーラニアが、ぐっと身を近づけてくる。
アプリコットの左手に、彼女の左手小指が探るように絡んで。
それから。
風が吹いて、彼女の銀髪がぶわっと広がった。
思わず目を閉じ、息を止めたアプリコットは、ゆっくりと瞳を開く。
気づいたら手は離れていて、銀の令嬢はまた背を向けていて。
彼女の横顔が妖しく、笑みを象っていた。
――――アプリコットは無意識に、自分の唇を指でなぞった。




