0A-01.本土の西端へ。
冬の盛り。
魔力を動力として動く頑丈な大型魔導車――――を改造し、神獣に引かせている〝神獣車〟の中は、十分暖かかった。青い魔狼が引く車は、飛ぶような速さで街道を走っている。車体が微妙に浮いていて、風の魔法で守られており、揺れが少なかった。
「すごいですねぇ。馬車酔いもしなさそうです。これ、温度調整はどうやってるんです? 学園長」
一番奥の座席。その右窓際に座っているエルが、隣のリンディに尋ねてきた。リンディは彼女の青い瞳を流し見て、笑みを浮かべる。
「魔導車はねぇ、水車と同じ動力源なんだよ、エル。冷水でも温水でも動くんだが、温水を配管に循環させると、こうして暖かくできる」
「あー……水魔法で、車軸を動かすんですか。火や風ではないのは?」
「エネルギー効率の問題だ。水魔法は一度出した後、消えないからね。あとは操作用するだけでいいから、長期間稼働させられる。神獣運転の方が、ずっと楽だけどねぇ」
「運転手さえいらないと。自動運転だ」
「そういうことさ」
納得した様子で、エルが再び景色に見入る。シリカに長くいた彼女としては、西方のナイト帝国側の景色は珍しいのだろう。山林ばかりで凸凹なシリカに比べると、本土西方は平原や岩場が多い。
(ペリーは少し渋っていたが、エルには良い経験になりそうだな)
リンディは学園に残っている、エルの両親のことを思い起こす。父親のペリーは、「低魔力暗示魔法の検出手段」の確立のため、追い込みに入っている。母親のアーリィは、次期学園長のエルの補佐につくことが決まっているので、そのための研修中だ。春からは職員として、就業予定である。
(低魔力暗示……親族参観期間中は、イブロスのせいもあって、魔王絡みの話はできなかったからな。春休み後半に帝国に行ったら、カイ殿も交えて話しておくか)
この世界は……異界〝地球〟で語られた、さるゲームの舞台でもあるという。リンディには、その記憶がもたらされていた。そのゲーム通りのシナリオを、進行しようとしているのが……魔王。60年前にシリカ大帝国を恐怖と裏切りの渦中に陥れた、魔物を操る存在。
60年前の魔王は、リンディによって倒された。だが魔王は〝分霊〟を残し、人に憑りつかせているようである。すでに二体が倒されているものの、残りの分霊が何体・どこにいるかは不明。今もなお、リンディを魔王にし、誰かの命を救うため……暗躍しているはずであった。
(ゲームのシナリオ、か。ゲーム通りならそろそろ、学園とシリカの開戦時期だったはずだ。攻略対象とヒロイン・アプリコットの個別ルートに進んで……悪役令嬢ユーラニアは、とっくに学園から追放済み。現実とは、だいぶ違う)
リンディはそっと、前の座席でカードゲームに興じている二人を眺める。春にゲームのことを思い出したリンディによって、アプリコットとユーラニアの運命は様変わりした。今ではすっかり、仲の良い親友である。今もまた、勝った負けたと笑ったり怒ったりしていた。
恋愛事情は、何やら妙なことになってしまったが……リンディはそこから、意識を逸らした。頬に熱が昇りそうになるのを、深く息をして無理やり抑える。
(だが、わからないのはそこからだ。ゲーム開始以前から、ゲームと違うことが二つ、起きている。一つは……アンジー)
前座席でカードゲームに混じり、密かに独り勝ちを続けている教頭、乙女ゲーム一作目のヒロイン……アンジー。彼女はその60年後である二作目の舞台では、姿がない。魔王が60年前にパルガス皇子にかけた呪いを強引に解き、魂を傷付け……もう何十年か前に、亡くなるはずであった。
だがリンディが長年彼女に魔力を注ぎ、最終的にアンジーの魂は人から魔物へと昇華。アプリコットの活躍によって、そこから神獣に転生し……若さと命を取り戻している。
(そしてもう一つは、そのアプリコット、だ)
アプリコット・スリーセブン。大陸極北でリンディ学園長に拾われて、魔法学園にやってくるヒロイン。ここまでがゲームと同じで……ゲームでは「神獣が扱えない」ことから、成績はいいのに落第寸前となる。実際には2学年進級前に戦争が始まるため、この点はうやむやになる、わけだが。
現実のアプリコットは……さる理由から、神獣を扱えるようになっていた。
(二つとも結局、あたしがゲームの悪役学園長と、違う行動をして生まれた差だ。ゲームのことを知悉している、魔王のせいだと断じることもできるが、そうとも限らない)
リンディはボロ負けして半泣きになってる、茶髪黒目の少女を眺める。竜胆 優美。昨秋、ユーラニアが地球から呼び寄せてしまった……彼女の神獣、だ。
(あたしの記憶は、転移者リンドウが出所だ。あの子の施設生活のことまで覚えてるんだから、間違いない。だがあたしがリンドウの転生者だとすると……今目の前に、あの子がいることの説明が、つかない。ここがねじれの中心だと思うんだが、うまく理解できないんだよねぇ)
リンディはため息をつき、座席の背もたれに深く体を預けた。
「リンディ様? どこかお加減が……」
「大丈夫だよ、プリムラム。休暇だっていうのに、なかなか仕事が頭から離れないだけさ」
左隣に座る桃色髪の女性が、心配そうにのぞき込んできた。プリムラム・プリムローズ。養子というわけではないが、リンディとアンジーが拾って育てた、娘。夢かなって学園の教師になっているが、現在はいろいろあって教頭の後継者として教育を受けている。今回の大陸行きは、視察名目での親子旅行を兼ねていた。
「あんたも、人前だとメイドやってた頃の癖が抜けないかい?」
「んっ。生徒たちの前でママって言うのは……ちょっと恥ずかしくて」
口元を近づけて、プリムラムがくすぐったい囁きを返してきた。リンディはほくそ笑み、彼女の桃色の瞳をじっと見つめる。
「せっかくだから、また三人で寝るかい? 蹴られても大丈夫なようにしておくよ」
「私、添い寝権獲得マッチで負け抜けしたので、少なくとも今日は無理です」
(まだやってんのかっていうか、あのカードゲームまたあたしを賭けてんのかよ……お、〝防音〟?)
魔力を感じ、リンディは左隣を見る。プリムラムの瞳が、楽しげに弧を描いていた。
「リンディママは、誰の隣がいいの? アンジーママ? アプリコットさん?」
「何を言い出すんだい、急に」
「それとも――――ユーラニアさん?」
名前を出され、ついリンディは目を逸らして前を見る。車座になってゲームに興じている一角で、赤い瞳の令嬢が「わたくしが勝って、混沌をもたらして差し上げます!」などと息巻いている。彼女はナイト帝国へ帰国し、春休み中はそこで過ごすが……帝国を抜けて船に乗る、今日一日だけは同行ということになっていた。船の出航の都合上、港で一拍となるため……今晩だけは、ユーラニアと一緒にいられる。その後は一月近く、離れ離れだ。
リンディはほうっと息を吐く。
視線が、彼女から離れなくて。
その赤い瞳が、徐々に自分を、向いて――――。
「当たりかぁ」
プリムラムの声で、リンディは意識を一気に引き戻された。彼女を横目で睨み、口を僅かに尖らせる。
「からかうんじゃ、ないよ」
リンディは声の震えを無理やり抑え、言い切ってから深く息をした。前の座席の赤い瞳は、もうカードを見ていて……目が合わなかったことの口惜しさが、胸の奥に渦巻く。
「不思議だねぇ。リンディママ、たぶんアンジーママのことが一番好きだよ? でもユーラニアさんなんだ」
「そんなことあたしに言われても、わかるもんか」
鼓動が意外なほど高鳴っており、顔が熱い。リンディは意識を逸らし、にわかに想像する。
アンジーが危機だと聞けば、リンディは我を失う。ユーラニアだと動揺するが、どこか冷静だろう。アプリコットやプリムラムについては、動じない気がする。アンジーを愛し、ユーラニアに恋し、アプリコットやプリムラムは信頼している……そんなふうに、分類してはいるものの。
(何が違うかなんて、そんなの)
なぜそうなるのかは、リンディ自身にもわからなかった。
〝防音〟の魔法が解かれるのを感じ、耳に音が戻って来る。次いで。
「もうつきますよ! 早い早い!」
右隣ではしゃぐ、エルの声が飛び込んできた。
彼女の方を見れば、窓の外には。
船の居並ぶ、街並みが見えた。
「っしゃぁ! わたくしの逆転勝利です!」
☆ ☆ ☆
緩やかな丘を回るように下り、港街の市壁へ。検問に並び、しばし。リンディ一行はナイト帝国西端、本土出口の一つ、「竜の咆哮」と名付けられた街に入った。上から見ると、大きく口を開いた竜の横顔のようになっている街なのだ。南の市壁門が喉。顔の部分が街の中心地で、北西に続く上あごと西に伸びる下あごが港。二本の港通りの内側に、歯のように桟橋が続いており、大量の船が日々、行き来している。
リンディは前の運転席に座り、動力を神獣から魔力に切り替え、静かに通りを進んだ。大通りを抜けた、竜の目に当たるところで、宿を予約している。道は整備はされているものの荒く、また広いのに人通りが多くて狭い。同乗者が酔わないように、慎重に車を滑らせる。
「活気がすごい!」
「ヨーロッパっぽい……! アタシ、行ったことないですけど」
エルと竜胆が窓から外を見て、はしゃいでいる。比較的外国をよく知る残り四人は、落ち着いたものだ。
「大陸側の港町は、もっとすごいよー? でもナイト帝国側も、去年より盛り上がってるねぇ。リンディ?」
(その去年、大はしゃぎしていた娘がよく言うよ)
どや顔のアプリコットが、ミラーに映っている。リンディは笑みを浮かべながら、ちらりと助手席のアンジーを見た。
「船の建造制限に、緩和がかかったんだとさ。そのうち軍艦も増えるんじゃないかって話だ。皇帝の路線変更を肌で感じて、帝国民は活気づいてるんだよ。アンジーもそう思うだろう?」
「だろうな。これまで鬱屈としてたんだろうよ。帝政の国は、外に出てこそ、だな」
答えるアンジーが、肩を竦めている。
「すごい! あそこに泊まるんですか!?」
後ろから、エルの元気な声が聞こえる。窓を開けたのか、冷たい風が吹きこんでいた。ミラーを見れば、身を乗り出して丘の上を見ているエルの姿があった。
「そうだ。元は砦兼灯台だったらしくてね。改装して、高級宿になってるんだとよ。一晩だが、楽しんでお行き」
皆が口々に歓声を上げる。リンディは隣のアンジーと僅かに視線を交わし、笑みを浮かべた。
☆ ☆ ☆
「り、リンディさん! ぼ、ボク!」
「あ、アタシも!」
広々としたエントランス。受付をする間、早くもエルと竜胆がそわそわとしだした。
「リンディ、私が案内してくるよ」
「そうかい? アプリコット。頼むよ」
金髪の弟子が、二人の世話を買って出る。彼女はリンディの隣にたたずむユーラニアに、微笑みかけた。
「リンディをよろしくっ」
「ええ。後でね、アプリコット」
短く言葉を交わし、アプリコットが背を向ける。薄く笑みを浮かべるユーラニアを、リンディは静かに眺めた。
「あんたたち……なんというか。仲良いねぇ」
「毎日喧嘩してますよ? でも……仲は、いいですね」
令嬢がはにかんだように、赤い瞳を細める。
「わたくしの大事な、親友です」
★ ★ ★
エントランスから伸びる廊下を、エルとリンドウの二人が早足で抜けていく。アプリコットはそれを追いながら、ちらりと後ろを振り返った。
「今晩は、譲ってあげないとね。ユーラニア、明日の朝にはお別れだし」
リンディと友が、優しい笑みを交わしている。イカサマをしてアンジーを負かし、ユーラニアを勝たせたアプリコットは、一人ほくそ笑んだ。
「リンディが誰を選ぶかは――――大事じゃない。というかあの人、絶対みんなを捨てられないし」
湿気の混じる漆喰の香りを吸い込んで、アプリコットは気合いを入れ直した。
「だから私は証明する。この旅行の間に」
その青い瞳に、決意の色を浮かべて。
「私が一番、リンディを――――愛しているんだって」
彼女の目は。灰色の記憶を、幻視していた。
愛しい学園長に拾われた……一年前を。
その思い出を振り払い、アプリコットは一歩を踏み出す。ビロードの絨毯は、昨年踏んだのと同じように、ふかふかとしていた。
「エル、リンドウ! そっちは行き止まりだよ!」
アプリコット・スリーセブン。
数奇な運命を辿った、ヒロインの過去への旅が。
彼女の、愛を示す旅が……始まろうと、していた。
以降、間章Aはアプリコット視点で進みます。




