03-22.言ってはならない想いを。
メローナがさらわれ、イブロスが大暴れし、学園街に砲撃する帝国兵をリンディが止めた――――そんな波乱の日から、一カ月余りが過ぎた。
騒ぎを契機に親族たちはこぞって帰る……かと思いきや、むしろ熱狂して居座った。街の各所のモニターで、戦闘の様子を流したのが刺激的だったらしい。物は試しと、学園街防衛軍vs帝国軍のエキシビジョンマッチを後日行ったら、これもまた大盛況であった。交渉により、帝国兵の襲撃は「学園と共同の魔法実験だった」とも発表され……表向き、帝国と学園の関係は乱れていない。ブレイル皇帝もまた、この「手土産」と、メローナの教育成果を認めないわけにはいかず……学園を〝信頼する〟と書面に残した。
そんなお祭り騒ぎは、いろいろあって年末年始を跨いで続き、観光客となった生徒親族たちも次第に帰国。生徒たちは必死になって学年末試験に挑み――――。
「うぅ……わたくしは、もうダメです」
今に至る。試験結果の発表日の夜。猛烈に落ち込んだユーラニアが、リンディのベッドではらはらと泣いていた。
「学年三位が泣いてたら、追試になったやつらはどういう顔をすればいいっていうんだい?」
「また、また負けて! 春休み賭けてたのにぃぃぃ! 添い寝権まで譲られてっ! 悔しいッ!」
銀髪を振り乱し、顔面で枕をだんだん叩きながら、弟子が叫んでいる。リンディは半笑いで、彼女を隣から眺めた。
なお一位は圧巻のラカル王子で、同率でアプリコット。その下がユーラニアで、少し開いてウォルタードが続いていた。期末試験で二人に満点を叩き出され、今頃一年の試験を作った授業担当はお通夜モードで自棄酒、指導担当らは大盛り上がりで宴会中である。
「休みの後半は……一緒にいてやるって、約束したろう? ユーラニア」
「そもそもみんなで大陸に行くなんて! 知ってたらわたくし、お父さまを蹴り倒していきましたのに!」
ユーラニアがきっと振り向き、涙目で取り乱した。
まだ年が明けて月半ばだが、ここから年度替わりまで春休みである。その間に、試験不合格の生徒たちの補講と追試があるのだ。だが大概の生徒は試験をクリアし、早々に久々の帰郷をする。ユーラニアもまた、ナイト帝国に帰る予定だった。
一方のアプリコットは孤児で、故郷も滅んでいるが……せっかくだからと、皆で大陸極北へ旅することになったのだ。アプリコットの神獣となった、アンジーが同行。プリムラム、エルも一緒だ。そしてリンディがどちらに着いていくか……というのを、ユーラニアとアプリコットは試験で勝負し、賭けたらしい。アプリコットが勝ったので、リンディは誘われて応諾した。
「リンドウまで裏切るなんて! おのれ、わたくしの神獣という自覚が足りません! アプリコットもです! 友達なら誘ってぇぇぇ!」
「リンドウはあんたの神獣だから、こっちとの連絡用だ。本人も行きたいって言ったのもあるが……というかそもそも、ユーラニア。あんたがこの春はどうしても帰らなきゃって、言ってたからこうなったんだろうに。アプリコットも、一緒に行きたがっていたぞ?」
「う。それはその。そうですけど……」
ユーラニアが涙をとめ、しぶしぶといった様子で同意するも……口を尖らせ、頬を膨らませている。
ナイト帝国は、激動の時代に突入する。内密の妾だったワランド侯爵令嬢のメローナが、ブレイル皇帝の第一皇妃に割り込んだからだ。しかも、皇帝はロンドル・キャッスルの養子縁組を差し戻し、皇太子に指名すると発表した。この春、ロンドルは帰郷し、正式に皇子となる。
皇帝の右腕と呼ばれ、これまでどの皇子派閥にもつかなかったエンタス公爵もまた、ロンドル支持を表明したので忙しくなる。その娘であり、シリカ王国第四王子のラカルとの婚約を破棄したユーラニアも……この渦中に巻き込まれる可能性が、高かった。ユーラニアは、「自分がいない間に結婚相手を決められては、たまらない」と自ら帝国に乗り込む決意を固めている。
「先生に、いていただきたかったです……」
「その場合、日程が逆転するだろう。大陸行きが先延ばしになって、あたしは休みの前半をあんたと過ごす……が。帝国で何かあるなら、春に近くなってからだ。ロンドルの立太子は、その頃なんだからな」
立太子記念式典が、年度替わりにほど近い頃にあった。リンディも、もちろんこれに招かれている。野暮だから口に出さないが、ユーラニアとアプリコットのどちらが勝っても、式典には出なくてはならないので……ユーラニアが勝利した場合、いろいろ予定を組み替えて対応することになっただろう。
「これでよかったんだよ。少なくとも、帝国に皆で乗り込むってのは、無理がある」
リンディとしては、大陸が先、帝国が後という休み予定の方がすっきりする。安堵のため息を吐き、少しだけユーラニアに近寄った。
「シリカのイブロスも、廃太子になるって発表はまだないが……国には帰ったようだし、しばらくは大人しいだろう。シリカ自体も、東方の移動民族がまたやってきて、防戦の構え。あっちを気にしなくていいから、あたしはこの春、ずっと学園を空けていられる。帝国は久しぶりだ。あんたとゆっくり、回れるといいが」
「はい。……あの不届きな男。ちゃんと処罰されないんでしょうか?」
近くなった赤い瞳が、心配そうに見つめてくる。彼女に微笑みを返し、リンディは頷いた。
「ナイト帝国の匙加減次第だ。帝国も忙しいし、下手にシリカをつつくと隙ができて、逆撃に遭う。シリカのパルガス王としても、ラカルの婚約破棄を認めた以上、イブロスまで引きずり下ろすと問題が大きい。両国の国内情勢が落ち着いてから、イブロスをやり玉に挙げることになるだろうな」
イブロスの狂笑を思い出し……リンディは苦笑いを浮かべる。
「目の前に出てくればくびり殺してやるが……できれば、二度と会いたくないねぇ」
「リンディさん……」
ユーラニアが、ぐっと身を寄せてきた。赤い瞳はその奥を覗き込めるくらい近くなり、僅かに互いの息がかかる。
「わたくし、教頭先生のときも、今回も……さしてお役に、立てませんでした」
「ユーラニア?」
彼女の瞳が、揺れている。
リンディは、その雫の浮かぶ赤から。
目が、離せなくなった。
不思議と……彼女の不安が伝わってくる。
「リンディさんの寿命を延ばすって、言ったのに。それも、まだで」
「…………そう簡単にできるなら、あたしがやってるさ」
軽口を言いながらも、胸が詰まるようで。
唇をわななかせるユーラニアに、そっと手を伸ばす。
「先生もできないのに! わたくし、なんて」
「あたしとあんたは、よく似てる、らしい。けどあたしは、随分違うなと思って、あんたのことを見てるよ。ユーラニア」
「リンディさん? ……ぁ」
髪をゆっくりと、撫でる。
頭頂から後頭部に回り、耳の後ろへ。
「この髪、それに肌……まるで淡雪のようだ。あたしゃこんなに柔らかく、きめ細かくはないね」
リンディの手は、ユーラニアの耳をくるみ、頬に優しく触れた。
「そんなことは……ん」
深く息を吸い込みながら、リンディはぐっと身を近づける。ユーラニアの首筋に、鼻先が当たった。
「良い匂いがする。香料じゃないね。あたし好みだ」
「そんな、吸っちゃ」
ユーラニアの言葉を無視し、脇の下から手を伸ばす。
彼女の体を、引き寄せて。
「体温、あたしより高いね。安心するよ」
「リンディ、さん」
深く息をしながら、力を籠めた。
「あんたは、なんでもできる。大魔女の弟子の、大魔女だ。魔法や神獣なんて、関係ないよ。必ず望みを、果たすだろう」
「望み……」
リンディの言葉は、まるで自分に言い聞かせるようで。
ユーラニアの返答は、リンディの胸の奥に染み入るようだった。
「ああ。あんたの望みは、なんだい?」
「わたくしの、望みは――――」
「わから、ないんです」
優しい躊躇いが、囁きとなって。
耳朶を打つ。
「目的が、かい?」
ほんのりと顔の赤い彼女に、リンディは問い返した。
「いえ。その。気持ち、といいますか。想い、といいますか……わたくしにはそういうものが、よく、わからなくて」
(同じだ)
その感情を、リンディはずっと知らなかった。
ユーラニアの言葉が、その心を指しているのだと。
リンディは信じて、疑わなかった。
「それに、今望むのは、怖い、です」
「怖い?」
「はい」
「望むより先に、リンディさんが、いなくなってしまったら……わたくし、は」
リンディはユーラニアの背中を、優しくさする。僅かな震えから、彼女のむき出しの怯えが、そのまま伝わった。
「そうかい。怖いのは、嫌だね」
「はい」
「わからないのも……わかるよ。あたしも、そうだった」
「ぁ…………」
囁くように呟きながら。リンディは、その言葉が、想いが……そのまま伝わる、不思議な感触を味わっていた。
(あの時、白い魔力を……〝契約破棄〟を一緒に使ってから)
〝無言の対話〟に近い、自然な波長の一致。共感のような安堵。アンジーといるときに感じるような、深い安息を。
(心が近い、気がする)
リンディはユーラニアに対し、覚えていた。
「80年近く生きなきゃ、わからないことだって、あるのさ。それを誰かが――――」
少し身を離し、リンディはユーラニアの赤い瞳を、じっと見つめる。
「教えてくれる、ことだって」
たくさんのことを教えてくれる、生徒の瞳の奥を。
「待ってる、ユーラニア。あたしはそれまで……死なないよ」
「リンディさん……!」
笑顔の眩しいユーラニアを、リンディは穏やかに頬を緩め、見つめる。ふと彼女が、何かに気づいたように、眉尻を下げた。
「リンディさんの望みは……見つかりそう、ですか?」
そう問われ……リンディは目を、そっと伏せる。
(きっとあたしは……恵まれすぎてるんだ。叶いすぎてるんだ。未来の学園……弱者向けの教育だって、もうその道筋が見え始めている。失敗もするだろう、躓きもするだろう。けれどいつだって、明日が明るくて……何を望んでいいのか、わからない。それは)
リンディは浅く首を振ってから。
(魔王がいた、暗闇に満ちたあの頃から……たぶんずっと、変わってない。あたし自身ではなく、あたし以外の誰かが叶えてしまう……そんな感覚が、抜けなくて。それでも)
ゆっくりと、目を開いた。
変わらず見つめてくれている、ユーラニアを見返して。
「一緒に、探してくれるかい? ユーラニア」
「――――はい、もちろんです。リンディさん」
彼女の頷きに、満面の笑みを返す。
(それでも、この子となら……それでいい。そんな、気がする。でも)
ユーラニアが肩口に飛び込んできて、今度はリンディのことを抱きしめた。リンディは力を抜き、彼女の力強い抱擁を受け止める。
(わからない、か。〝慕っている〟と先日はっきり言っておきながら、いまさら惚けるとはねぇ)
熱く、震えるような気持ちが……触れる肌を通じて、伝わってくる。先ほどの彼女の言葉が、照れ隠しだと確信し……リンディは宙を指でなぞった。
〝防音〟〝阻害〟〝沈黙〟〝遮断〟〝偽装〟。いくつもの魔法を重ね。
「あたしは好きだよ、ユーラニア」
決して届かぬ言葉を、囁いた。
二人の間には、いくつもの壁があった。
教師と生徒。年齢。性別。身分。国。
こんなにも近く、誰よりも傍にいるのに。
大事な言葉が――――その壁を、貫けない。
自分の声が、宙に消えてから。
リンディはまた、虚空をなぞった。
五つの魔法が……消える。
「リンディさん? 今、何か仰いました?」
耳元で尋ねる彼女に、リンディは首を振った。互いの髪が、肌を優しくくすぐる。
「いいや? 何も……まだ何も、言ってないよ」
「はぁ……?」
くつくつと笑いを口の中で転がし、リンディはユーラニアを抱きしめた。
(あたしだって、言うのが怖いのさ……残されるのは、悲しいからね)
その震えを、体の奥に押し込んで。
(もっと……もっと、生きていたい。まだ、死にたくない――――ユーラニア)
その望みを。
心の――――魂の奥に、隠して。
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次は間章A「極北のアプリコット」→間章B「帝国のユーラニア」へと続きます。二人の視点が多めですが、春休み期間中の話というだけで幕間ではなく本編です。
このまま、お読み進めくださいませ。




