03-20.その契約を、破棄する。
メローナが何者かと邂逅していた、丁度その頃。
学園長室に集っていた一同の下に、シリカの王太子・イブロスが訪れていた。ある者は息を呑み、ある者は強く睨み……学園長室は緊張に染まった。
(こいつが今回の誘拐の主犯……だが証言はともかく、証拠がない)
リンディは深く呼吸し、イブロスの様子を注意深く観察する。
「この俺が、あの妾がスパイだったと掴み……皇帝陛下に証拠付きで教えて差し上げた。見返りとしてあなたは、リンディ学園長の身柄を押さえてくださると……そう、約束しましたね? ブレイル陛下」
(こいつ……ブレイルもメローナがさらわれたと錯乱したのだろうが、簡単に丸め込まれやがって……)
イブロスは悠然と、公爵と身を寄せ合っている皇帝に近づき――――その顔を、一転して醜く、険しく歪めた。
「約束を果たせ! それは人の義務だ! いい大人が! 約束を反故にするのか!? この人でなしが! そんなやつは……!」
「ちがっ――――」
(これは……いかん!)
激昂するイブロスに対し、ブレイルが声を上げようとした、瞬間――――リンディは指を高く鳴らした。皇帝は声が出なくなり、彼は自身の体を見て、慌てた様子を見せる。
「〝沈黙〟の魔法だ。悪魔、ってやつらは……仕事熱心でねぇ」
リンディは深く息をし、じっとイブロスを睨みつける。
「契約の完遂や反故には、意思確認を必ずする。言葉が示されるまでは、動けない」
リンディの解説に不穏なものを感じたのか、室内に動揺が広がる。幾人かが下がり、部屋の中央のリンディとイブロスだけが……不敵な笑みを浮かべ、向き合った。
「それがあんたの力の、弱点の一つだ。イブロス。黙られると何もできない。あんたがどれだけ、泣きわめいても、な」
「なんのことかさっぱりわかりませんが、困りましたねぇ。リンディ様。あなたも」
イブロスが左手を見せ、にやりと笑った。
「約束。忘れていませんよね?」
「おうとも。あんたの詫びは受け入れる」
「っ!?」
リンディは自信満々に答える。イブロスとの間にたゆとっていた、薄い魔力線が……静かに消えた。それを確認し、リンディは口角を吊り上げる。
「状況が変わり、何年か経ったら、な」
「ふ、ふざけるな!? 約束がっ」
「果たされた。あんたはそう思った。元々条件や期限は、決めてないのだからな。口約束など、こんなものさ」
喚くイブロスを嘲笑うように、リンディはくつくつと声を漏らす。
「口約束をどんなに力で縛ろうとも、そもそも契約として甘すぎる。魔王の呪いを解き続けたあたしに、こんなものが効くわけないだろう? 若造」
「ふ、ふふ……そうですか。ならば!」
表情を歪めた王太子の両の手が、燃え出す。その手が近くの、アプリコットに向かい――――。
「無駄だ」
リンディに掴まれ、止まった。
「はい! ダメダメダメダメェ! さぁ約束しろ、リンディ! この俺を抱きしめて離すなぁ!」
手首を掴まれたまま、イブロスが凶笑する。リンディは。
「無駄だ、と言っている」
その身を、白く輝かせていた。
「あがっ!?」
イブロスが弾かれ、たたらを踏んで下がる。
「今の魔力、わたくしの……」
「ああ。〝契約破棄〟だ。燃費は悪いが、役に立つねぇ」
呟くユーラニアに向かい、リンディは微笑みかけた。手首を押さえるイブロスに向かって、リンディはまた鋭い視線を向けた。
「魔法に隠して契約線をつけ、炎の揺らめきを利用して軽度の暗示。それで一つか二つの命令かける……器用な技だな。この技で約束し、悪魔の力で言うことを聞かせる……それがあんたの手口か?」
「だったらなんだという!?」
「――――認めたな」
「〝契約破棄〟!」
リンディが高く叫ぶ。白い光が、ブレイルの身を包んだ。黒い光が、小さく弾ける。
「こ、これは……」
「相手との同意の意思能力を捻じ曲げて行った場合! その契約は無効だ!」
リンディが使った〝沈黙〟の魔法ごと、ブレイルにイブロスがかけていた〝約束〟がはがれた。
「いいや、まだ残っているぞ!」
「きゃっ!?」
イブロスが手を伸ばし、ユーラニアを掴んで引き寄せた。リンディは息を呑み、近づこうとするが……イブロスににらまれ、足を止める。
「結婚の手続きと準備! この冬の間に行う! この同意には、魔法や暗示は使っていないぞブレイル! シリカ王族として、この女を相応しく教育してやるッ! 貴様らも動くな! いいんだぞ? この約束を破っても! 国家要人同士の約束を!」
「皆、動くな! 悪魔の力だ、この学園ごと燃やされる!」
奥歯を噛み、リンディは殺気を発し、イブロスを睨みつける。冷や汗を垂らす彼は、しかし口元に引きつったような笑みを浮かべていた。
(おのれ、三者会談のときの! ブレイルとの同意を元にした契約……〝契約破棄〟や神獣の力では破れない!)
「くく……筋張って、面白みのない女だ。俺はこんなガキより、あなたがいい……わかりますね? リンディ様」
「先生……!」
イブロスの首筋、髪が作る影に、折り重なった羊皮紙が浮き出ている。彼の契約する〝皮の悪魔〟だ。
(ユーラニア……あたしのユーラニアを! この若造めッ!)
リンディは歯を噛みしめ、怒気を発しながらも……必死になって自分自身を抑え込んでいた。イブロスに捕らえられ、盾にされ……それでも臆せず、自分を見ている――――ユーラニアの赤い瞳を見ながら。
「さぁ――――俺と約束しろ! リンディ・グラネート!」
「結婚が核となるなら……これで無効だな」
イブロスの、耳障りな叫びに……少年の低い、静かな声が割り込んだ。開け放たれた学園長室の扉の向こうから、現れたのは。
「ラカル、貴様何を……」
紙を掲げた、ラカル王子。その隣には、桃色髪の教師にして諜報員……プリムラムの姿があった。
(プリムラム! と、いうことは……!)
「父上。これはパルガス王が〝婚約破棄〟を認めた証書だ。ユーラニアと俺の婚約は無効。もちろん」
ラカルの口元が。
不敵な笑みを、象った。
「結婚のための手続きと準備なども、成り立たない。先生!」
「でかした! その契約、確かに無効だ!」
生徒の宣言を受け、リンディの白い魔力がまた皇帝を包み、黒い染みのような〝約束〟を割る。
だが。
「くく、皇帝!」
イブロスは、まだ余裕を失っていなかった。彼の言葉に、ブレイルが肩をびくりと震わせている。
「メローナは今、どこにいると思います?」
皇帝が顔を上げ、信じられないものを見るかのように、イブロスを見上げていた。
「あのしなびた女は! 今どこにいますかねぇ!」
「なっ、どういうことだ!? メローナは、メローナは無事なんだろうな!?」
(こいつ! 今度はメローナをだしに、約束を無理やり結ばせるつもりか!)
「私はここです、陛下」
その声は、ラカルの背後から響いた。彼が道を譲ると、エルと……若々しい姿のアンジー。
そして。
「な、ぜ……」
メローナの姿が、あった。イブロスが振り返り、彼女を呆然と見つめている。ほこりやすすがついたままの令嬢は、にこやかにほほ笑んでいた。
「イブロス王太子殿下。こうしてお話するのは、初めてですが……コレ。素敵なカフスですね? 私を誘拐した男の、持ち物なのですが」
「そのお顔、魔法で怪我を隠してらっしゃるのでは? きっと傷跡がおありだ。皇帝陛下。最初から全部、この男の仕込みですよ」
メローナが小さなボタンを掲げて示し、エルが指摘を重ねる。イブロスは自分の襟もと……ボタンのない襟口を慌てて見た後で、左目の周りを手で押さえた。拘束が緩み、ユーラニアが彼の腕の中から脱出する。駆けだした彼女を、リンディは抱き留めた。
「バロッサと名乗ってメローナさんを身受けし、学園のスパイにしようとして……失敗。ブレイル様が目を付けたのをいいことに、妾として送り込み、帝国の情報を流させていた。友好とやらがスムーズに進んだのは……あなたのことが何もかも掴まれていたから、です。皇帝陛下」
「そんな、じゃあ君は……」
「私は恩義あるバロッサ様に、日々のお手紙を送っていました。陛下のことも、幾分かは。知らぬこととはいえ……」
視線を交わす、ブレイルとメローナの間で。
イブロスが慇懃に、笑った。
「なるほど。これは分が悪いようだ」
「イブロス」
リンディはユーラニアを抱きしめながら、強く彼に殺気を叩きつける。青くなる顔を睨みながら、噛みつくように言葉を向けた。
「あんたこれだけやって、ただで済むとでも?」
だが。
「済みますとも! 俺がやったことはなんです? メローナをさらった? 学園が俺を捕え、罰しますか? できやしない! 公表されてない妾を、この俺がさらったなどと! やれば最後、帝国宮中には火がつくぞ!」
イブロスは喚く。冷静に、狂奔して。
「ただでは済まさん」
彼に鋭く告げたのは……ロンドルだ。
「シリカの王太子。貴様は、ナイト帝国皇太子の母――――すなわち、第一皇妃を浚ったのだ」
「な、何を言っているガキが。血迷ったか?」
「いいや? 学園に帝国兵を向けた皇帝は、国内で非難を受ける。すぐに後継を指名し、その後ろ盾にでも回らねば……国は四五分裂する。俺を認めぬわけにはいかない」
「そぉじゃあないんだよぉ! これだから教育のなってないガキは! お前は! 今! 皇太子じゃない! メローナだって、皇妃などではなぁい!」
「そうだな、それで?」
「は?」
呆気にとられるイブロスに、普段無表情なロンドルが……凶暴な笑みを、向けている。
「帝国国内のことはご存知ないようだ。俺という存在を皇帝が認めたら、俺の生誕まで翻って序列は書き直され……少なくとも母は、第一皇妃に位置づけられる。貴様が帝国の国母を誘拐したという事実は……変わらない。シリカの王太子」
たじろぐイブロスに向かって、ロンドルは吐き捨てるように続けた。
「なに、国家間のことだ。この場で始末などつけない。パルガス王と我が父が、両国間契約をもって……じっくりと始末をつけるだろう」
「ぁ、ぅ……」
イブロスの顔には額から汗がしたたり、普段の若々しさは消え、深く皴が刻まれている。魔法が安定しないのか、左目の周りには確かにアザのようなものも見えた。
「リンディ学園長。捕縛のご協力と……可能なら、身柄の引き渡しをお願いしたい」
「捕まえるところまでは、聞いてやろう。引き渡しについては、応相談だねぇロンドル」
ロンドルに頷いて見せてから、リンディは改めて。
「おい、イブロス」
「リンディ、様。どうか、俺の愛を――――」
凄絶な笑みと。
「今、楽にしてやる」
殺気を、イブロスに叩きつけた。
彼は半笑いを漏らし――――。
「なにっ!?」
ドンっ、という強い衝撃が、響き渡る。揺れ、音がしばらく続いた。
「そぉでした! 帝国兵の皆さん、お怒りでしたよ! 学園に皇帝陛下が囚われた、と! お止めになったらいかがです? 神獣をも貫くという、帝国製の新魔法!」
「き、貴様が煽ったのか! 王太子ィ!」
「あなたとの友情ごっこ、楽しかったですよ? 滑稽でね! ハハハハハハ!」
イブロスがブレイルを煽る。彼の哄笑と共に――――緑の炎が、燃え上がった。
「近づくな、悪魔の炎だ! ユーラニア!」
「はい!」
腕の中のユーラニアが、リンディと共に白く輝く。
「「契約破棄!」」
二人の魔法が、炎に刺さると。
(チッ、短距離転移も使えたか……実力を隠していたな)
後には、何もなかった。
『リンディ様!』
(〝回線〟! 次から次へと!)
リンディは胸の内で悪態を吐きながら、右耳に手を当てる。
『帝国兵が皇帝を引き渡せと言いながら! 巨大魔力砲、第二射を準備しています!』
「あたしが――――」
返答しかけ……リンディは顔を上げた。
その視線の先には。
頼りになる……相棒の姿。
「いや。教頭と学園長が対処する」
『わかりました!』
通信を切り、リンディはユーラニアを支えて立ち上がる。視界の隅に、慌てた様子のブレイルが映った。
「り、リンディ先生!」
「慌てるな、ブレイル。あのムカつく若造じゃないんだ、殺しやしないよ。アンジー」
「おう。行くかリンディ」
二人、並んで立つ。〝転移〟の魔法を、準備し。
「リンディ!」「リンディさん!」
弟子の声を聴いて、リンディは一同を見渡した。
頼もしい今の生徒たちに、情けない姿を見せても立ち上がった、かつての教え子たち。そして……無事に戻った、エルとメローナを見て。
「せっかくだ。壁のモニターを、かぶりつきで見てるといい」
リンディは高らかに、告げた。
「この学園長の仕事をな!」
リンディとアンジーの姿が。
虚空に、消えた。




