03-01.銀の令嬢の本心。
秋の暮れが見え始め、赤い空にまばらな雲が浮かぶ頃。リンディは広めの会議室で、アンジーを伴って壇上に立っていた。
(階梯7神獣のアンジーを出しっぱなし、かつ遠隔で維持できる……アプリコットの魔力は、やはり桁違いだねぇ。あたしでも真似できない)
その場にいない弟子を想いながら、リンディは目の端でちらりと隣の彼女を見る。アンジーの耳としっぽは隠れており、化粧で見た目は30台くらいに落ち着いていた。なお神獣なら階梯16以上でなければ喋れないが、そこは問題がない。代わりに神獣としての力が著しく低く、身体能力は見た目通りのものしかなった。
「先触れの通り、教頭は長患いの治療のために、あたしの魔法の実験を受けた。結果的にこのような姿になったが、職務に影響はない。この親族参観期間中はあたしについて回り、各国の要人とも面通しをしていく」
リンディはゆっくりと室内を見渡しながら、朗々と告げる。会議室に集まっているのは、管理職の職員たちだ。膨大な数の教師が勤めているこの魔法学園において、リンディの手足となり、人員の管理を行っている。基本専任であり、一部は教職と兼任していた。
(職員に動揺はないな……教師や生徒も、慣れたものだった。あたしのせいだろうが)
彼らの様子を見て、リンディは満足げに頷いた。リンディは今年79の高齢である。だがその魔力の特性により〝不滅〟であり、体は18の頃から成長していない。リンディが年を取らない魔女だという認識は広まっており、定着していた。アンジーのことも、これに付随するもの程度にしか、思われていないようである。
(部外者にどう反応されるか……当たり障りのない御仁から会って、試してみるとしようか。今はそれより)
リンディは気を引き締め、職員一同をもう一度見渡す。
「それでは本題だ。先般、正式に。60年前に倒された魔王が、今もなお暗躍していることを諸国に通達した。この対策についてはいずれ公式に会談の場を設けるが、参観期間では水面下での調整のみ行う。諸君らには、これに従事してもらいたい。質問は」
「学園長」
「なんだ、ケティーラ」
恰幅のいい中年の男が挙手し、リンディに名指しされて立ち上がった。
「魔王絡みということで……オットー伯爵のご令息、ご様子はいかがかと」
「伯爵本人からの問い合わせか? 絶対帰りたくないと息子が言っている、と答えてやれ。ああ、別に冗談ではない。本人がそう抗弁していて、こちらとしても困っている」
彼らの言う令息とは、先日学園に入り込んだ「魔王の憑依者」である。魔王の分霊は、エル・エリンジウムの活躍で排除された。令息はその後に正気を取り戻し、学園が身柄を預かっている。
「面会は、まだ可能ではないのでしょうか?」
「本人がシリカ関係者とは会いたくない、と言うんだ。魔王の分霊に接触され、操られた経緯を覚えてないらしくてな。疑心暗鬼になっている」
「嘆かわしい……承知いたしました」
大人しく引き下がるものの、ケティーラはどこか忸怩たる感情を、声や顔に滲ませていた。リンディは、深く頷いて見せる。
「ただでさえ、闇魔法防護術の授業担当にも急遽入ってもらい、管理職も兼任しているんだ。あまり抱え込んでほしくはないところだが……」
騒ぎを起こした禿頭の教師に代わり、小太りの教師は一時授業担当になっていた。彼の、強い意思を感じさせる瞳を、リンディは鋭く見つめる。
「調整を任せる、ケティーラ。学園としても、不安に苛まれた若者を預かり続けるのは、本意ではない」
「はい、学園長」
(こいつ、権力欲と上昇志向は少々強いが、働きはきちんとしているのよな……教師としても、人間としても。さすがに、教頭の後釜はもう狙っていないだろうが……さて)
隣に立つ仏頂面の教頭を薄く眺め、リンディは密かにほくそ笑む。ケティーラの着席を待って、彼女は再び口を開いた。
「他にないようなら、参観の各個案件に移ろう。まずナイト帝国についてだが、皇帝がすぐに――――」
☆ ☆ ☆
会議を終えたリンディは一人、学園長室へと向かう。窓から差す赤い光は僅かになっており、廊下を歩く生徒や教師の姿もまばらであった。
(アンジーはプリムラムの面倒を見に行ったし、エルは家族で過ごすと言っていたか。ならあとは、寮で弟子ども三人を捕まえて、少し話でも聞いておくか)
ここのところ誰かしらは周りにいたため、リンディは珍しい一人歩きでニヤニヤとしていた。周りに気遣うこともなく、深く思考に没頭する。
(当面は親族参観に集中。問題も多いが……喫緊のものは少ない。ユーラニアとラカルの婚約破棄も、どのみち今すぐ片付くことではないしな)
問題を整理し、リンディはふと、足を止める。窓ガラスに自身の姿が、映り込んでいた。
(あとは――――魔王、か)
波がかった黒い髪、鋭さを見せる黒い瞳。リンディと魔王は、よく似ていた。
(残りの分霊は、おそらく7体以下。問題は、奴が誰に〝憑依〟しているかがわからないこと。ペリーらが協力して、〝憑依〟魔法の検出手段の検討を急いでくれている……これができれば、打って出られるだろう)
怨敵を見るように、映り込む自身を睨み……リンディは細く息を吐く。
「そうしたら……決着をつける。60年前の因縁に。推しを救うためだとかで、あたしの学園を滅ぼし、あたしを魔王にしようとする……あいつと」
ゲームキャラクターの誰を救うつもりなのか、それはまだリンディにもわからなかった。だが学園やリンディ自身に立ちはだかるのならば、受けて立つまで――その想いをぐっと、拳の中に握り込む。
(その前に、死んじまうわけにもいかない。アンジーも命を繋ぐことができたし……あたしも、頑張らないとな)
「園長先生!」
後ろからかかった声に、リンディは振り向いて廊下の奥を見た。夕日の差す中、銀の髪を煌めかせ、ユーラニアがにこやかな笑みを浮かべている。
「学園長だ。リンドウはどうした?」
彼女が近づくのを待ち、リンディは問いかけた。すると令嬢は、子どものようにむすっと頬を膨らませる。
「アプリコットと二人でどこか行きました。魔力が安定したからって、勝手に」
「あの二人、仲いいな」
「ええ、わたくしを放っておいて! わたくしの神獣と親友だという自覚が足りません!」
元気の良いユーラニアの憤慨に、リンディは思わず笑みを零す。
「ならせっかくだ、あたしとディナーはどうかね。レディ。あんたの機嫌が直るような、とっておきを用意してやろう」
「――――はい! 是非ご一緒させてください!」
☆ ☆ ☆
数時間後、ブルー寮のリンディの寝室にて。
「うぷ…………すみません、先生」
(つい食べさせ過ぎた……この子、アプリコットより食べるんだよねぇ。この細い体のどこに、あれだけの食料が入るんだろう)
リンディは横抱きにした令嬢の身を、ベッドに横たえる。彼女の体に、そっと布団を掛けた。
「悪かったよ。今日はこのまま、休んでいきな」
「そ、添い寝権獲得もなしに、そんな……!」
(なんでそこ拘るんだい? アプリコットに勝たないとダメなんだろうか)
ため息を吐きながら、リンディは寝台を回り込む。指をぱちりと鳴らすと、リンディとユーラニアの服が、少し厚手の夜着に切り替わった。
「あたしも今日は眠くてね。他に誰も捕まってないんだ」
ユーラニアの反対側から、リンディもベッドに滑り込む。
「わ、わかりました! 不肖ユーラニア、安眠のお手伝いをいたします!」
「なら、よく眠りな。人の睡眠ほど、安眠に効くものはないよ。隣で穏やかに眠ってくれれば、それでよく寝れる」
「あ、はい。えと……」
ユーラニアが、苦労してなんとか寝返りを打っている。横を向いた彼女は、リンディにおずおずと両手を伸ばしてきた。
「リンディ、さん」
「ん。甘えさせてもらうよ」
リンディは近づき、しかし少し気を遣って腰を引く。ユーラニアはさすがに消化が終わらないようで、まだ苦しそうだ。
「…………明日から、参観期間、なんですね」
「ああ。まぁ明日到着で、授業参観は明後日からだがね。緊張するかい?」
「…………少し」
ユーラニアが、細く長く息を吐いている。彼女の長い睫毛が、まばたきに合わせて揺れていた。
「父や、陛下のご期待を裏切るのは……怖い、です」
「でもラカルは嫌……というか、結婚したくないんだったかい?」
ユーラニアが目で頷く。リンディは彼女の赤い瞳を、じっと覗き込んだ。
「わたくしは、貴族の娘、です。嫁入りし、旦那様を愛するのだと……様々なことを教わりました」
「ああ……エンタス家でもやっぱり、だいぶ詰め込まれるのかい?」
かつて侯爵令嬢だった自身のことを思い起こし、リンディは苦く笑う。
「はい、かなり。それ自体は、嫌ではないのです。上達や褒められるのが、楽しくもありました。でも、どうしても」
ユーラニアが言葉を切った。学園長は生徒が想いを吐き出すのを、ただじっと待つ。
「殿方を愛する、というのが。よく、わからなくて」
リンディは続きを促すように頷いた。ユーラニアが再び口を開く。
「そういう気の持ちようも、訓練のうち。嫁入りして、寄り添えば、心は後からついてくる……そう、言われるのですが」
ゆっくりと、しかしどこかせきを切ったように、令嬢が言葉を綴った。
「震える、のです」
リンディは彼女の手を探り出し、握る。ビクリと震えたその手を、柔らかく包みこんだ。
「震え? 体が、かい?」
「こんなこと、父にも、家族にも、言えなくて」
(なんと。男性そのものが苦手だったのか……?)
リンディは、ユーラニアから視線をそらさないようにしながら、言葉を選ぶ。
「家族や使用人でも、男はダメなのかい?」
「いえ、その。男性全般がダメ、というか。男性と恋愛しようと思うと、それがダメといいますか……あっ!」
腕を回し、リンディはユーラニアの頭を抱き寄せた。緊張、少しの安心、それから……僅かな震え。弟子は複雑な感情を、見せていた。
「そうかい。よく話してくれたね、ユーラニア」
「リンディ、さん」
体を深く預けられ――リンディはためらいがちに、ユーラニアの背に手を回す。
「おっ…………大丈夫かい? おなか、苦しいだろう」
「もう、平気です」
(平気なようにゃ見えないが。顔真っ赤じゃないかい)
リンディはユーラニアから手を離し、その赤くなった頬を撫でた。すると手を取られ、頬を擦り寄せられる。
「ユーラニア?」
彼女の瞳の端に触れた、指先に。
少しの雫が、乗った。
「あぁ……どうかお赦しを」
熱いため息が、零れる。
乙女の涙と、共に。
「お慕いしています、リンディさん」
☆ ☆ ☆
静かな寝息を立てるユーラニアを抱え、リンディは。
(…………何も、答えられなかった)
寝付けないでいた。
(生徒や子どもの好意には応えない、それがルールではあるが……)
銀の髪を、そっと撫でる。
(彼らの好意は、あたしへの敬意など別の感情から来る。だから年月経つときちんとパートナーを見つけ、学園から巣立って行った。どうしてもと残った者は、プリムラム一人だけ。だがあの子はまた別だしな)
視線が惑い、リンディは目を逸らそうとしながら。
(リンドウも好意的だが、あの推しってのはまた違った感情だ。アプリコットのは真っ直ぐだが、プリムラムに近い……あの子の家庭、控えめに言ってもまともじゃなかったからな。アンジーもまぁ、別だ。あたしに執着してるが、恋愛って気持ちじゃねぇ。あたしとしてもそうだが)
それでも何度も、どうしても。
ユーラニアを、見た。
「この子は……違う」
目を伏せる。
だがすぐに瞳は開いた。
あどけなく眠るその娘を、見ていないと。
落ち着かなかった。
(こんなに、不安になる想いを向けられたのは……初めてだ。ずっと、動悸が、おさまらない)
呼吸は落ち着いて。
鼓動だけが高鳴る。
きっとそれは、ユーラニアの耳に伝わっていて。
「あたしに言い寄る者は、男女問わずいた。だが結局……本当の恋愛感情を向けられたのは初めて、ってことなんだろうか?」
リンディは強く、胸の奥を締め付けられる気がした。
(わからない……だがもし、このまま。この子を婚約破棄、させたら。きっとユーラニアは、ずっとあたしのそばに、いようとするだろう)
それは確信だった。
(そんな苦難を、この子に与えてしまうのは――――)
離れようとしない、ユーラニア。
手を離せない、リンディ。
(つらい)
幸福で……不安な未来が。
頭から、離れなかった。




