02-08.長生きしろと言われても。
(トラブル続きで、やることが多い――――)
翌早朝。リンディは学園長室の自分の執務机で、ぐったりと椅子の背もたれに寄り掛かった。
『
・魔物の大群→防衛軍が調査中。
・魔王と諸国動向調査→アンジーと情報部隊が担当。
・婚約破棄→ペリーに一任。今年度中に目途をつけたいので補助する。
・親族参観→予定通り晩秋から実施。各人の親類の誰が来るかは事前確認が必要。
・神獣契約→リンドウは魔法を教えつつ雇用、ユーラニアと契約予定。アプリコットは再調整。他の生徒は来春の神獣合成に向けて訓練。
』
宙に浮かぶ目の前の紙を眺め、リンディはため息を吐く。
(こんなとこ、か。直近の予定は……今日は授業もない。夕方はペリーの家族と顔合わせ、と。婚約問題は任せたのが三日前……今後の方針を、すり合わせておくか)
装飾少ない陶器のカップの淵を、リンディは指で叩く。宙を舞うポットから、朝日を反射しながら赤い液体が注がれていく。
(リンドウと情報の擦り合わせもしたが、ユーラニアが婚約破棄できて学園に残れば、完全にゲームの筋書きからは外れる。あとは魔王の横やりだけ気にしてりゃあいい……)
リンディはカップの取っ手を持ち、程よい温度の紅茶を口元に運ぶ。香りを楽しもうとするが、先にため息が出た。
(今年度は謀略を警戒しつつ、二人の神獣契約、親族参観。婚約問題を進捗させる。ここまで、滞りなくできればいいだろう)
リンディの前にはいくつかの紙が舞いこんで、その内容を見せた。二人の婚約事情についてを取りまとめた資料。特に、ナイト帝国側のものだ。
ひとしきり確認し、紅茶を一口。しかし二口目を含む前に、リンディの思考は別の方へと引きずられた。
(だが――――昨日のアレが、わからない)
カップを置き、天井を見上げれば、室内を舞う紙やペンが目に入る。術者のリンディが考え事に頭を使っているせいか、その作業速度は緩やかだった。
(ユーラニアの破滅を防げているのは、あたしが春にゲームのことを思い出したから。だがあたしはそれ以前から、ゲームに反する行動をとっている……)
リンディはぼんやりと振り返る。彼女が特に気にしているのは、アンジーの生死だった。いまいち自身の現実とゲームでの行動差が説明つかず、リンディはもやもやとしたものを抱えていた。
(しっくりこない……あたしは)
宙を舞う書類の一つが、リンディの目に入る。自分の名前がサインされるのを、他人事のように眺めた。
(あたしはいったい、何者なんだ?)
ほうっと吐き出したため息が、ばたん、という扉の音にかき消された。
(おっと、今は謎なんていい。問題を抱えるこの子たちを導くのが、最優先だ)
「園長、おはよー……う?」
「園長先生、おはようござい……ます?」
昨日はほとんど聞かなかった二人の弟子の声が、飛び込んで来る。リンディは口元に笑みを浮かべながら、宙を撫でた。
(……そうだな。何者も、何も)
入室してすぐのところで立ち尽くしている二人の少女に、リンディは笑顔を向ける。
「あたしは学園長だ。おはよう、二人とも。どうした?」
「いや」「その」
歯切れ悪く答える二人の視線は、リンディの左側に向いていた。
「ああ。集中してるとこ悪いが、リンドウ」
「んぁ……あぇ!? お二人ともいつの間に! おはようございます!」
「「おはよう……?」」
なんとも言えない顔をしている弟子たちを見ながら、リンディは思わず肩を震わせる。席から立ちあがって頭を下げている竜胆に手を差し向け、二人に視線を向けた。
「身分上は神獣だが、あたしが雇っていることにした。授業にも連れていく」
「よろしくお願いします!」
「「はぁ」」
アプリコットもユーラニアも、気のない返事をしながら自分の机にカバンを置く。お仕着せエプロンドレス姿の竜胆がどうにも気になるようで、彼女をちらちらと見ていた。その竜胆は再び着席し、机の書類と格闘を始めた。
「魔法を使いたいというんでね。しばらくは訓練しながら仕事をしてもらう」
「あ、そういうことなんだ。昔の私たちみたいだねぇ」
「半年は昔じゃないです、アプリコット」
にやにやしながら、アプリコットが席に着く。一方のユーラニアは、じっと竜胆のことを見つめていた。
「どうしたね、ユーラニア」
「あ、いえ。魔力、鍛えるんですね……。その、それって」
(ん? ああ。これは神獣契約のことを気にしてるな?)
リンディは笑顔を見せ、ユーラニアに着席を勧める。彼女が座るのを待って、口を開いた。
「リンドウの魔力が増えても、契約に必要な魔力には影響ないと見ていい」
「はい、先生。影響がない……ということは。リンドウさんご本人が魔力を持っても、ご自身の維持には役立たないということでしょうか?」
(おっと。ちゃんとこちらの向けた水を拾ったね。問題に対する意識が深い証拠だ……実にいい)
リンディは相好を崩し、深く頷く。
「そうなる。神獣維持に必要なのは、あくまで術者が契約線から流す魔力であり、他は関わりがない」
「他…………そう、ですか。ありがとうございます」
何かに思い当たった様子のユーラニアが席に着き、そのまま目を閉じて集中し始めている。彼女の机に積まれた紙がペンと共に舞い出し、リンディがそうするように書類処理が始まった。
「おお、すごいユーラニア様!」「いつの間にそれできるように!? くやしい!」
竜胆とアプリコットが騒ぐものの、当のユーラニアは薄く口元に笑みを浮かべて答えない。リンディは満足そうに微笑み、金の弟子と茶色の弟子に視線を向けた。
「アプリコットは魔力が大きい分、制御がもっと必要だ。基礎を続けるように。リンドウはユーラニアを目標とし、アプリコットを参考にしな」
「「はい、先生!」」
二人がペンをとる。リンディは弟子たちの様子を静かに眺め、二口目の紅茶を味わった。
☆ ☆ ☆
「今日は授業、ないんですか? 先生」
早々に書類を片付けたユーラニアと共に、リンディはバルコニーに出てきた。アプリコットと竜胆は残業である。午前のおやつを二人で堪能しつつ、リンディは弟子の疑問に耳を傾けた。
「神獣契約に成功したら、1日は指導教員の元で自由に使わせるのさ。だから今日は登校日だが、授業はない。上手くいかない生徒もいるから、事前通達はされないがね」
「なるほど」
(この子は……契約できなかったこと、冷静に受け止めてるねぇ。リンドウの面倒見ると啖呵を切ったくらいだし、もう覚悟が決まってるんだろう。アプリコットは焦れているようだが)
リンディは大判のクッキーをさくりとかじり、マグカップに入った琥珀色の液体を口に含む。苦みと甘みが混じり、小麦菓子はほろほろと溶けて良い感触を残した。
「あたしは夕方、ペリーとともに街に行く。リンドウは連れていくが、あまり人数多く押しかけるのはよくない。あんたとアプリコットには、課題を出しておくよ」
「わかりました、先生。ペリー先生のご家族に会われるんですね?」
「そうだ。あと、あんたたちの婚約のことも、少し話しておくよ」
「ありがとうございます」
ユーラニアは素直な笑みを浮かべ、穏やかな表情をしている。目は優しく、肩の力も抜けているようだった。
(神獣契約のこと、婚約破棄のこと……この辺が落ち着いて話せるなら。もう少しこの子の話に、踏み込んでもよさそうだね)
リンディもまた頬を緩め、頷く。
「ユーラニア。親族授業参観期間は、エンタス公のほか、夫人。それから、あんたの兄のランセスが来ると聞いたが。間違いないかい?」
「はい。その、家族総出で、ちょっとお恥ずかしいです……」
「そうかい? エンタス公は、節度を十分持っているだろう。特に問題はないと思うが」
「あー……父はいいんです。母と、兄が」
(そういやそうだった。一家そろって、ユーラニア大事なんだよなぁ。ゲームでも、娘が学園でひどい目にあったからと国に訴え、学園と距離を置かせていた……軽視できない、厄介な家だよ。まったく)
リンディはマグカップを揺らし、その黒い水面を見ながら黙考する。現実ではシリカと学園の間に未だ火種はないものの、情勢はいつ変じるかわからない。カップに口をつけ、浮かんだ懸念ごと苦みを飲み込んだ。
「そこは当主のエンタス公に、舵を取ってもらおうじゃないか。あんたは神獣契約に集中おし」
「はい、ありがとうございます。そういえば……皇帝陛下も、おいでになるのでしょうか?」
「ん? ブレイル帝なら来るよ。何か気になるのかい?」
「いえ、その」
リンディが問い返すと、ユーラニアは歯切れ悪く答え、視線を逸らした。迷いながら菓子に手を付け、カップを手にする彼女の様子は、どこか落ち着かない。
「っ!? こ、コーヒーって……結構、苦いですね」
「ああ。だから他の味と合わせるようにお飲み。ミルクや砂糖を足し、デザートのように飲むのもいい。どうする?」
「いえ、このままで……」
マグカップを持つユーラニアは、数度菓子とコーヒーを交互に口に含ませていた。リンディは自らもパイに手を伸ばしながら、彼女の返答をゆっくりと待つ。
「こ、皇帝陛下は。割とその。わたくしのことを、気にしてくださっていて」
「あの坊やがかい? なんでまた」
「いえ、それはその。よくわかりません。ただラカル殿下との婚約については、陛下が進めてくださったと」
「……逆じゃないのかい? あ、いやそうじゃないのか……」
リンディは予想外の話を聞き、混乱して首を弱く振った。
(ユーラニアは国内評判が最悪……嫁の貰い手がない。シリカ王国内で非主流派のラカルに、ユーラニアを嫁がせるのは、理に適っている。魔族撲滅を目指した先帝と、ブレイルは思惑が違うからな)
目を細め、長く息を吐く。ちらちら様子を窺っているユーラニアに、リンディは視線を合わせた。
「なるほど。十三番目の魔貴族と疑われていたエンタス公が、どうして魔族残党の多いと言われるシリカに、娘をやろうとしたのか。疑わしいものがあったが……融和路線の今帝の肝いりだったか」
「はい。父は皇帝陛下の右腕とも呼ばれていますし、それで私の婚約話になったのだとか。最近そういう裏事情を、手紙でようやく教えてくれたんです」
(む。それはひょっとすると。二人の不仲の噂を聞いて、婚約を維持させようとユーラニアに内幕を話したんじゃないかい……? となると)
リンディは僅かに息を呑む。ユーラニアが口元に笑みを刻み……その赤い瞳に、強く意思を込めているのが、見えた。
「わたくし。父や皇帝陛下になんと言われようとも。粛々と、婚約は破棄するつもりです」
力強い弟子の言葉に、リンディはすぐに返答できず、思わず視線を下げる。秋風が優しくバルコニーを吹き抜け、カップの水面を揺らしていた。
(お……この子)
よく見れば、背筋を伸ばしているユーラニアの肩に、妙に力が入っている。膝に乗せた手を握り締めているのだと理解し、リンディは小さく頷いた。
「意思は固いようだね。そんなに結婚したくないのかい。嫁入り先、本当になくなるよ?」
「構いません。それでご立派に生きてらっしゃる方が、目の前にいますので」
(あたしのせいってことかい)
リンディはカップを手に、中身をぐっと飲み干す。その濃さに、頬を苦く歪めた。
「そこまであたしを継がなくて、いいと思うんだがねぇ」
「継げるなら是非にそうしたいです。学生でなくなっても……お世話になりたく、思います」
「あたしゃもう79だよ? 世話してやれるか、怪しいねぇ」
「――――なら!」
ユーラニアが、おもむろに席を立つ。見上げれば彼女の赤い瞳が大きく丸く、真っ直ぐにリンディを見ていた。
「わたくし、先生に長生きしていただけるよう、専用の神獣を作ります!」
「…………なんて?」
思わず、リンディは目を点にする。だが意気込む弟子はどうにも鼻息荒く、やる気のようだ。
「神獣合成の過程で、神獣には様々な能力を付与できると聞いています」
「ああまぁ……その通りだが」
「ならわたくし、先生の寿命を延ばすためだけの神獣を作ります。リンドウをそのために使います!」
(おい本気かよ)
リンディはドン引きして顔を引きつらせる。銀の弟子はそんな師匠を無視し、拳を握り締め、意思強く宣言していた。
「やってやります! アプリコットも巻き込んで!」
(なるほど。あたしの弟子は、さては馬鹿なんだな? ……まったく)
呆気に取られてから……リンディは穏やかに、笑った。




