02-09.未来の学園長。
午後、夕刻より少し前。リンディは弟子二人を寮に返し、バルコニーから空へと飛び立った。
(寿命、か)
リンディはドラゴンの背で風に吹かれつつ、ユーラニアの言葉をぼんやり思い返す。
(正確には、いつ〝不滅〟じゃなくなるか、不明なだけだが)
眼下に見える街を眺め、リンディはため息を漏らす。
(学園はあたしが死ねば、緩やかに終わるだろう。そうなったら、あの子たちは……)
気を取り直し、顔を上げた。
「さて。ようやくの顔合わせだ。あたしが同行するのは、今後彼女たちをどう魔王から匿っていくか……それを相談して決めるためだが。それで」
リンディは飛行を神獣に任せ、振り返る。どこか真剣で余裕のなさそうな禿頭の教師と、さらに二人の同乗者がいた。興奮した様子の、竜胆。それから。
「リンドウは付き人扱いでいいとして。あんたをどう紹介したらいいか、ちぃと悩むね? ラカル」
赤毛の王子、ラカルであった。竜胆に好奇の眼差しを向けられている彼は、いつかと違って堂々と竜の背に立っている。
「何もしないし、紹介もいい」
「後からペリーの家族が、あんたを王族だと知ったら。恐縮しちまうだろうが」
「それは……そうだが」
口ごもるラカルを、リンディは目を細めて見つめた。
「どう紹介するかは、あんたのつもり次第だな。なぜ同行を願い出た?」
「ペリー先生の生徒が、一人でもいた方がいいと思った」
(なるほど。家族にペリーの仕事ぶりを聞かれたとき、フォローするつもりかい。気の利く生徒だこと)
リンディはペリーに視線を向ける。彼は恐縮した様子で、その頭を手で撫でていた。
「…………となると、悩みどころだが。ペリーの被害者として紹介しよう」
「うえぇ!? 今そういう話の流れでした!?」
反射的に声を上げたのは、竜胆だ。
「不満か? ラカル。ペリー」
「いえ」「俺は賛成だ」
ペリーは目を鋭くしたが、小さく頷いている。ラカルもまた、同じであった。
「ペリーとその家族のため、だ。ペリーが魔王に操られていた話は、もうしてある。だが操られてやらかした具体的なことは、まだでね。ご家族にも共有しておいた方がいい」
「でも……」
「リンドウ、なぜそうするか、考えて見ろ。アプリコットやユーラニアに伏せた話があるのと対比して、答えろ」
「ほあっ。えっと」
メイド姿の竜胆が、しばし両手で頭を抱える。数度視線がペリーとリンディの間を行き来し、彼女は答えを滑り出させた。
「…………ペリー先生たちが信頼関係に、ないから? あ、すみません失礼な発言を!?」
「ペリー、礼を欠いた言葉だと思ったか?」
「いえ、本質を突いていると思いましたよ。ご安心を、リンドウさん」
ペリーが深く頷く。その視線は、遠く地上を見つめていた。
「ワタシは自分勝手な理由で、妻と離縁しました。エルのためとはいえ、魔王と契約し……彼女たちを裏切ったのです。本当は会う資格もない。ですがこうなった以上、会ってきちんと話をしなければなりません」
「加えて、この対面は先方の依頼でもある。会う資格がないと腰が引けているペリーと、会いたいという家族の間を繋ぐには、壁を作らぬ誠実なやりとりが第一だ。そうだろう? リンドウ」
「ぁ……はい。えへへ」
昨夜、アンジーと竜胆とリンディの三人で開いた秘密のパーティを思い出したのか、竜胆が照れた様子で笑顔を浮かべている。
(リンドウは本当にあの乙女ゲームが大好きで……だが同時に、数々の悲劇に心を痛めていた。アンジーやアプリコットのこと、悪役令嬢とヒロインの仲、学園の崩壊への対抗……様々なゲームと現実の違いを、喜んでくれた。できればこの子に)
リンディはそっと、ペリーとラカルを見つめる。二人とも何事かを思案しているようで、その視線は遠くに向いていた。
(多くの希望を、見せてやりたいものだ)
☆ ☆ ☆
学園の周囲に広がる街は、俗に〝学園街〟と呼ばれる。
区画の一つに〝監獄街〟と通称されるところがあった。様々な理由で諸外国から流入した事情のある者たちが、捕えられたり、あるいは住んでいる場所である。犯罪者の街……というわけではない。だがその性質上、治安維持には力を入れられており、学園街の中では最も安全性が高かった。そのせいか移住希望が多く、建物の高層化と密集化が進んでいる。
その一角。尖塔のような集合住宅の最上階。屋上にドラゴンで飛来したリンディたちは、とある一室を訪れていた。
「…………事情は、理解いたしました」
ペリー・ブラックシップの元夫人は、落ち着いた印象の女性であった。設えられたソファーに浅く腰掛け、その視線はローテーブルに向けられている。
「アーリィ・エリンジウム。ペリーの身にあったこと、離縁の背景、実際にペリーがやったこと、そしてエル・エリンジウムが狙われた理由……一通り飲み込めた、ということで良いんだね?」
「はい、私は」
「ボクもダイジョブです、学園長先生」
アーリィに続いて応えたのは、彼女の隣に座っている少女。アプリコットと同じ、金髪碧眼。乙女ゲームのヒロイン予定――エル・エリンジウムであった。
「念のため整理しようか、エル。あんたは特に、関わりが深い」
「はい」
リンディは透き通るようなエルの瞳を見つめ、慎重に言葉を選んだ。
「まず、あんたが狙われていることについて。あたしは匿った上、将来に不都合があるなら学園として対応したい考えだが。わからないことはあるかい?」
「対応、というのは。ボクの学園入学や、母の仕事のあっせんなどですか?」
まだ12、3の少女の口からは、するりと回答が出てくる。瞳に、何の惑いもなかった。
(これは。アーリィの教育の成果というところか? アーリィは学園にいた頃から、教師を勧めたくなるくらいには教えるのが上手かった。結局ペリーと学生結婚して、ナイト帝国へ。ペリーと離縁してからは、故郷のシリカに帰っていたが……)
リンディは一度目を瞑り、深く頷く。
「加えて、この街での衣食住の確保だ」
「それは。借金とか……」
(聡い子だねぇ。アプリコットやアンジーを思わせる)
リンディは教え子や、相棒の若き頃を思い出し、目の前の少女に対する遠慮をごっそりと削り落とした。
「そんなものはない。元より、ここはそういう街だ。皆、勝手に諸外国相手に商売始めて儲けを出し、街に還元して成り立たせている。学ぶにも働くにも生活するにも、金は求められない。学んだり働いたり生きる気がない奴は、追い出して国元に返す」
「理想郷……?」
「低きに沈む現実を追放しているからな。そうとも言える」
リンディは苦笑いを浮かべる。一方のエルは、初めて疑問を顔に浮かべた。
「あっ、もしかして。ケガや病気、老齢で働けなくなった人とかを?」
「いや。魔法でなんとしても治療し、不可能なら魔道具で代替させ、本人の意思が続く限り働く機会を与える。辞めたくなったら、稼いだ金を持って国に帰らせている。治療費は取っていない」
「ははー……中産階級以上が暮らしやすいんですね。それ未満の人は武力で追い出されるから、破綻しないんだ。徹底した理想郷ですね」
納得して頷く彼女に、リンディは微笑みかける。
「そうだ。そして恩恵を受けやすい中・上層ほど武力が高い。ゆえに、街の負担となる低層はどう徒党を組もうとも、犯罪に走ろうとも、もれなく切除される」
「低層庶民を押し付けられる、周辺諸国とはどう折衝してるんですか?」
遠慮のない疑問をぶつけられ、リンディはソファーに深く座り直し、肩を竦めた。
「元々うち以外で生産された者たちだ。それを押し返しているだけさ。人の学園を、勝手に掃き溜めにしようとしているやつらが悪い。そも、諸国に返しているのは庶民だけじゃないよ」
「学び終わって普通に帰る人が多いと。人も経済も、還元性があるってことなんですね。じゃあ、あとは……」
エルが腕を組んで、眉根を寄せる。リンディが顔を上げると、ラカルとペリーが呆然としており、竜胆は目を白黒させていた。母親のアーリィは静かなもので、優雅に茶を飲んでいる。
「この街」
リンディの視線が再びエルに留まったところで、彼女は口を開いた。
「いつまで持続できるんでしょう?」
「あたしが死んだら、終わる」
リンディはすかさず答える。少女の碧眼が、見開かれた。
「次世代が育っていないということでしょうか?」
「そういう問題ではない。そも、遺志が継げない。60年前の地獄を経験した者は、もうほとんどいないのだから、当然だろう」
「ああ、能力はあっても、同じ意志の持ち主がいないんですね……だから継いでも、別物になってしまう」
エルが納得したように何度も頷いている。そして何事か、さらに思案している様子だった。
(これは。どうすれば学園を継承できるか、思考実験しているのか? 驚くべき知性だ)
「先生の想いを理解できる者は、本当にいないのか?」
横から声をかけてきたのは、ラカルだった。赤毛の少年は、苦悶するように眉根を寄せている。
「いないよ、ラカル。見ているものが違う」
「先生の教えを受けていても? 同じ場所を目指そうとしていても?」
「あたしの教えを受けているからこそ、その道は分かれる」
ラカルをじっと見据えて。ペリーやアーリィといった、かつての教え子たちを視界におさめて。あるいは多くの生徒たちを、その奥に幻視して。
「あたしが見ているのは、後悔だ」
彼らにはない暗闇を見つめるように、リンディはきっぱりと言い切った。
「過去を見て、そうならないようにと教えている。その教育を受けた者は、当たり前だがあたしと同じ後悔は、しない。させてはならない」
「確かに論理的に、学園長先生と同じ人は、学園からは生まれないように見えますね。では例えば、学園長に似た経験をされた方が、学園に入学された場合は、どういうふうになるのですか?」
「あたしと、似たような…………」
顔を上げたエルにぽつりと尋ねられ、リンディは視線を逸らす。思い浮かぶのは、まずアンジー。時代を下り、幾人か。最近であればユーラニア……ではなく。
「あたしの後悔を癒そうとして。その後は」
金髪の、一番弟子。
「同じことを、別の者にし始めるだろうな」
「いらっしゃるんですね? そういう人」
エルの問いかけに、リンディは頷く。その口元に、どうしても笑みが浮かんだ。
「そうはなって欲しくないがね。別に自分の人生を否定する気はないが、人に勧めたくもない」
言葉の裏で、リンディは自身を振り返る。後悔から始まった、悔いなき幸福な人生を。だがそれを、自分を愛していると言う彼女に、歩ませるのは。
耐えがたかった。
(そう。あの子が一番近いが……たぶんあたし亡き後、その心はすぐには他者へ向かない。いずれはそうするかもしれないが、その道を歩ませるのは、酷というものだろう……ん?)
リンディはふと、気づいた。
俯き、小さく頷き、奥歯を噛みしめている幼い少女の姿に。父親を10年魔王にとられ、家族をバラバラにされ、今もまた命を狙われている……そんな苦難を背負った、エルの姿に。
(――――同じだ)
自分の影を、見た。
それはただの、直感だった。だが一度気になってみれば、もう目が離せなかった。何度死のうとも、淡々と魔王に向かい続けた、かつての自分。婚約者、友、家族と故郷からの離別を強要され、それでもただ歩み続けた、リンディ・グラネートの人生が。
あの、遠く見える、他人事のような世界が。
少女の青い瞳に、映っていた。
「あんたがなってみるかい? エル」
「ボク――――――――」
リンディは、そう問わずにはいられなかった。
その答えが、わかっていても。
「はい、やります」
☆ ☆ ☆
ドラゴンが再び、空に発つ。アーリィとエルは魔王のことも鑑み、学園の寮に入ることになった。エルのたっての要望で、今日はペリーと共に一足先に、寮で過ごす。アーリィは住居の引き払いに残った。
そのエルは今、竜の背に堂々と立ち、ペリーの隣で世界を睥睨している。
「もし、敵じゃなく。エルと学園長が出会っていたら……こんなふうに、なるんですね」
「そうだな。魔王となったリンディに対抗できるということは、何か近いものを持ってるってことなんだろうねぇ」
隣に立つ竜胆の呟きに、リンディはぼんやりと答えた。顔を上げると、彼女の黒い瞳がこちらを向いている。その奥に、仄かな輝きを灯して。
「アタシ、見てみたいです。エルちゃんが、学園長やってる……未来」
赤い日差しの中に、少女の呟きが零れた。




