02-07.未来の大魔法使いへ。
学園に向かっていた魔物を、全滅させた後。
(明日には通常体制に戻れそうだな……)
リンディの駆る巨兵は風を巻き、再び学園へと舞い戻った。
(おかわりもなさそうだ。それよりも)
リンディは前の座席の茶色い頭のつむじあたりを、じっと見つめる。
(どうにも、すねちまったようだ。…………ん?)
学園本棟屋上、展望小屋へと差し掛かり、巨兵が着陸態勢に入った。リンディは小屋の隅に人影を見つけ、神〝髄白〟を己の陰にしまい込む。
「うひゃぁ!?」
「暴れなさんな、ほらよ」
宙に投げ出された竜胆を素早く抱え、リンディは展望小屋の中央へ降り立った。横抱きにした少女を床に降ろし、歩み寄ってきた老女を出迎える。
「今日は全員出勤禁止なんだが?」
「今初めて聞いたよ。それより、わたしに言うことはないかい? 学園長」
リンディは暖かな息をほうっと吐き出し、肩や背中の力を抜いた。
「ああ。ご苦労だった、教頭。帰りを待っていたよ」
「違う。また女を連れ込みやがって。話を聞かせてもらおうじゃないか、リンディ?」
頼みの教頭は腕を組んで、鼻息も荒い。目は竜胆を睨んでおり、少女を怯えさせていた。
(おい、なんでそんなにお怒りなんだよ)
期待と違う返事をぶつけられ、リンディは思わず鼻白んだ。
☆ ☆ ☆
「頭が痛いな。問題ばかりだ」
廊下を歩きながら、隣のアンジーが愚痴る。リンディは〝防音〟の魔法の具合を確認した。後ろからついてくる竜胆の視線は何かを疑うようであり、背中によく刺さる。彼女の不機嫌の理由が今一つわからず、リンディは肩を竦めた。
「まったくだねぇ。なぜか魔物の軍勢が学園を目指してくるわ。魔王はやはり、どこかに潜伏している可能性が濃厚。シリカは東方移動民族と遊んでるが、不穏は変わりない」
リンディは大きくため息を吐く。アンジーとの情報交換の結果、楽観要素は何も出てこなかった。
「あたしの弟子は二人とも神獣契約に失敗し、それに加えて」
「アレ、か。お前の転生記憶の元、だと?」
アンジーが横目で、背後を睨んでいる。リンディは首を振り、赤くなり始めた窓の外の空を眺めた。防空ドームはすでに引っ込み、きれいな夕焼けが見えている。
「ああ。記憶には整合性がある。ただどういう状況なのかはさっぱりだ」
「おまけに魔物を呼び寄せたかもしれないし、魔物に命令を聞かせた節もある、と?」
「証拠は何もないがね。ただの勘さ」
「そうかい。だがリンディ」
口調は軽かったが。
アンジーの声には、僅かな震えがあった。
「お前があの子を怖がってる理由は、それじゃないな?」
アンジーに鋭く切り込まれ、打ちのめされたようにリンディは俯いた。
握り締める手が、異様に冷たく感じられた。
それは、ある極北の寒村。
痛いほどの風の中。
さらに冷たいものを掬い上げたときの、忘れられない感触。
「なんの、ことだい。アンジー」
苦労して、リンディは軽く返す。だがアンジーは。
「らしくないね、とぼけるんじゃないよ。アレがお前と同じ記憶を持ってるってことは、知られてるんだろう? アプリコットのことも」
容赦が、なかった。
リンディは唇をかみ、手の震えをごまかすために再度拳を握り締めた。
「言わないでおくれ……お願いだよ」
「言いはしないさ。わたしとお前の秘密だろう。ほかの奴が知っているのは……正直、気に食わないね」
「あ、あんた。まさか。あの子を……」
剣呑な色を含んだ声音を耳にし、リンディは顔を上げる。
「ひどい顔だな、リンディ。教育者の顔は、どこに置いてきた」
「――――え?」
言われ、リンディは手で自身の頬をぺたぺたと触る。頬、目元、口元のこわばりや細かい震えが伝わり、思わず唾を飲みこんだ。
「年端もいかぬ小娘を、わたしが排除するかもしれないと。本気でそう思った顔だな? それは」
「ち、違う」
「違わないさ。魔王を殺した当事者だと知られることを怖がって、ずっと震えていたあの頃と同じ顔だ。もう40年は前か? リンディ」
答えず、リンディは目を強く瞑る。自然と足が止まった。
「思い出せ。お前は結局何を恐れていて、どういう顛末になった?」
「あたしは――――」
アンジーに優しく肩を抱かれ、リンディは体の震えを自覚する。涙のにじむ瞼の裏に、遠い昔の幻を見た。
(魔王を殺したと、皆に知られて。恐れられるのが……怖かったんじゃない。あたしは魔王がもういないと認めるのが、怖かったんだ)
手の中の冷たさが、ざらついた砂の感触に置き換わる。何十年も前に味わった、血と汚濁の手触りに。
60年前。リンディが魔王を倒した後も、世の荒廃は続いた。人類を裏切って魔王に寝返った者たちとの戦いが、待っていたからだ。滅茶苦茶になる社会の中で、リンディはアンジーと再会した。学園を再建し、守るべきものが増え、戦う相手が多数できた。
その間は、もう取り返しがつかないことから、目を逸らすことができた。
(家族も、故郷もなくなって。本当に何もかも終わってしまったなんて、認めたく、なかった。でも)
リンディの故郷の侯爵領は滅んでいた。家族は誰も、残っていなかった。魔王が死んだと認めず、戦い続けていれば、やり場のない怒りをぶつけることもできた。
だが戦いはいつの間にか終わって。
リンディは英雄だと知られ。
それを感慨もなく、受け入れた。
「そうだ。あたしが恐れたことなんてちっぽけで、何の意味もなかった」
目を開き、リンディは流れる涙をそのままに顔を上げる。
「世界はとっくに前に進んでいて、失ったものを大事にしてたのは、あたしだけだった。侯爵領で生き残っていたのは、あたしだけだったんだからな!」
ぎょっとしたような表情の竜胆が目の端に見えたが、ただ目の前のアンジーだけを見上げた。
肩を抱く手のひらがかさついていて、大きな年月を感じさせた。
それがどうしょうもない強い絆と、温かみと。
勇気を、思い起こさせる。
前を向く、勇気を。
「同じだ……アプリコットを大事にしてるのは、あたしだけだ。なら!」
皴の刻まれた教頭の顔が、学園長を讃えるように力強い笑みを見せていた。
「そうさ。きっと大したことない。お前が大好きな教師を休職してまで、そいつにおびえて探りを入れる必要なんて、ないんだよ。リンディ」
「ああ。その通りだ。なんて馬鹿らしい!」
風が、凪ぐ。
リンディと竜胆の間を塞ぐ魔法は、かき消えた。
「えっ、と。学園、長? 大丈夫、ですか?」
「ああ、大丈夫だともリンドウ。それで――――」
リンディはアンジーから身を離す。眉根を寄せて様子を窺うような竜胆に差し向い……不敵な笑みを、浮かべた。
「あんたはあたしに、たくさんの隠し事をしてる。あんたとしちゃあ、気を遣って喋ってないだけなんだろうが……こっちからしたら、怪しいだけなんだよ。その態度は」
「うぇぇ!? え、ばれて、いやその。ナンノコトデショウ?」
「かわいい子だねぇ。で、あたしもそうだ」
少女の黒い瞳が一度大きく揺れて、それからまっすぐにリンディを見た。強い疑念を、リンディは堂々と受け止める。
「言ったろう? ユーラニアやアプリコットを信じているからこそ、教えていないことがある。でもそれは、あんたも同じだよ。リンドウ」
「や、でも! 学園長、アタシのことなんて、信じてないですよね? 会ったばっかり、ですし」
「信じてる」
言い切るリンディの前で、竜胆が息を呑んだ。
「いいかい、リンドウ。信頼ってのは時間じゃねぇんだ。信じるって、腹据えて決めたところから始まるんだよ」
リンディは噛んで含めるように、言葉を紡ぐ。そこに込められているのは……隣に立つアンジーが。かつて対立したヒロインが教えてくれた、大切なこと。
「そいつに興味を持つ。知ろうと努力する。互いの不快を排除しつつ、気持ちよく付き合える距離感を探す。何度失敗してでも、仲良くなってやろうっていう決意こそが、信頼なんだよ」
「あ、アタシなんかと、仲良くなったって! 学園長には、なんのメリットもないです!」
「なるとも。ぜひそうしたい。メリットがなんだ。そんなことを気にして」
拒絶するような竜胆の叫びに、リンディは言葉を重ねる。
(この子は……孤児として、たくさんの冷たさを見てきた。一方で人のぬくもりも知って、それを失った。得難い成長を得た。だがまだ、子どもなんだ。教えと導きを待つ――――子どもだ!)
息を深く吸い込み、何かに怯える竜胆の目をしっかりと見て。
「学園長が務まるか!」
魔力に、気持ちを乗せて。
言葉に、想いを乗せて。
正面から。
叩きつけた。
「ぉ…………」
「メリットとやらが気になるなら、言ってやろうじゃないかリンドウ」
竜胆は震えず、ただリンディを見つめ返していた。リンディは大きく頷き、語りかける。
「あんたはあたしの大事な、ユーラニアの神獣だ。これからあの子を守り、共に歩んでくれるかもしれない、大事な大事な神獣なんだ」
少しずつ、言葉と共に歩み寄る。一言ごとに、リンディと竜胆の距離が、一歩ずつ、縮まる。
「それだけでもあたしにとって、あんたには無限の価値がある。きっとあんたを知る中で、その価値はどんどん膨らむだろう」
「でもアタシは、なにもできない学生だし、そんな」
少女の遠慮に、学園長は首を振らず、ただほほ笑んだ。本当におかしそうに、なんでもないと言うように。
「学生が大したことできないのは、当たり前じゃないか。あたしが学生の頃は、1年もそよ風一つ起こせなかった。落ちこぼれだったんだよ。知らないかい?」
竜胆の顔に、リンディの笑みがうつった。
「ぁ……しって、ます。すごいご令嬢なのに、魔法が全然、だめで。アンジーと、争って」
「ああ。そうだ、どうだいリンドウ。あんた、ユーラニアたち以上の、大魔法使いになるってのは」
「え?」
リンディは自分の思い付きに満足げにうなずき、にやりと笑った。
「魔法、使いたいんだろう?」
「そ、そうです、けど」
竜胆の声は、はばかるようである。
だが声が。目が。顔が。
期待に満ちていた。
それはリンディが何度も見てきた――――生徒のやる気が、花開く時の、顔。
「人間の階梯は7までしか上がらない」
一度言葉を切り、リンディは半歩引く。瞳を鋭くし、挑発的に竜胆を見据える。
「だが神獣は、もっと強くなる。この世のすべての魔法を、使いこなせるくらいに」
「っ!」
リンディは確信する。少女の黒い瞳には……先に流れた流星が、焼き付いているのだと。
彼女は。
一歩。また一歩と前に進み。
手が届くくらい、リンディのすぐ傍まで歩み寄った。
「…………たい。なりたい、です!」
リンディは手を差し出す。
その手を少女は、両の手で包み込んだ。
「大魔法使い! みんなを笑顔にできるような!」
「いいじゃないか。腹がよじれるくらい、笑顔と幸せを振りまいてやんな」
「はい、先生!」
リンディは、目の端に涙を溜めた竜胆をじっと見て、大きく頷く。その肩に、皴多い手がそっと置かれた。
「方向性は決まったみたいだな、リンディ」
「ああ、アンジー。じゃあ早速だ、リンドウ。魔力の訓練からでも…………どうした?」
竜胆の黒い瞳が、何度も瞬きしている。少女はリンディとアンジーを交互に見た。
「え、教頭? アンジー? ヒロインが、生きてる……?」
竜胆の呟きに、二人は固まった。
「「あ」」
老女たちはバツの悪そうな顔を見合わせ、肩を竦めた。
(そうだったよ……乙女ゲーム〝1〟のアンジーは、魔王がパルガスにかけた呪いを解くのに力を使い果たして、何十年も前に死んでるんだった。大きな違いだ――――ん?)
「これは……秘密のパーティが必要じゃないかい? リンディ」
アンジーの声が耳に入り、リンディは顔を上げる。
「そうだな。まだまだ、話し合いが必要そうだ。ここの地下にしようか」
「悪くない。おい、小娘」
「ひゃい!?」
教頭が竜胆の肩をつつっと撫でた。リンディは赤くなる竜胆と、にやりと笑うアンジーを、苦く顔を歪めながら見つめる。
「内緒話を、聞かせてやる。覚悟しろよ?」
「ええ!? その、覚悟、とは」
アンジーがじっとリンディを見つめる。
「年寄りの話は、長いんだよ」
リンディは首を横に振って、肩を竦めた。アンジーが竜胆の肩を叩き、彼女を促して歩き出す。
(……今まで気にしてなかったが、これおかしいな。あたしは春に転生知識を得て、ユーラニアの断罪を回避した。なら)
リンディは遅れて進みながら、竜胆の背をじっと見つめた。
(それ以前に。あたしがアンジーを生き延びさせられたのは――――なぜだ?)




