第二十二話 調略(マグナス&???視点)
前回までのあらすじ:
“魔炎将軍”を討つためマグナスは、女尊男卑の強い「魔女の国ヴィヴェラハラ」にやってきた。
現在、ヴィヴェラハラは体制側の白魔女と、“魔炎将軍”を背後に擁した黒魔女たちにより、国を二分する戦争の真っ最中。
しかし身分を軍師と偽ったマグナスが白魔女側についたことで、戦局は一気に体制側に傾いた!
稀代のトラブルメーカーである、エリス・バーラックが黒魔女側の軍師についてもなんのその。
現在は小康状態に落ち着いたため、マグナスは次なる策を巡らせつつ、アリアと束の間の休息をとったのだった――が。
しかし俺の休暇は、予定を大幅に繰り上げて終わりを迎えていた。
アリアとご飯を食べに行ったり、アリアと一緒に料理を作ってみたり、アリアと一緒にソファでごろごろしたり、アリアと一緒にベッドで朝を迎えたり……と休日を満喫しつつも俺は、〈攻略本〉の最低限のチェックは怠らなかった。
それで異変を察知し、魔女の国に戻らざるを得なかったのだ。
レクイザムで宛がわれた俺の屋敷で、まずはパウリから詳しい話を聞くことにした。
例の黒魔女たちの調略作戦についての現状報告だ。一連の計画自体こそ俺たち二人で綿密に立てたが、実行部分はパウリに一任していたのだ。
何しろ交渉事は、この稀代の悪党の天賦だからな。
逆に俺は正直、人の心の機微や綾に疎いところがある。
「正論でズバズバ論破するならマグナス殿も得意だけど、女性を口説いて味方につけるなんて真似はヘタクソだよねえ?」
と、パウリにも笑われたものだ。
悔しいが異論はない。
「だから、ここは僕の出番でしょ。護衛ならネビスたちもいるし、ショコラちゃんも貸してくれるなら万全だね」
と豪語されて、迷うことなく任せた。
俺はいっそ大船に乗った気で休暇を楽しませてもらうつもりだった。
なのに――
「悪いね、マグナス殿。調略が上手くいってないんだ」
「まさか一人目からつまづいているとはな……」
あっけらかんと報告したパウリを、俺は半眼になってにらむ。
異変も異変で、休暇を切り上げてきてよかった。
早急に手を打つ必要があるわけだが、
「このザマでよくぞ大言壮語できたものだな、パウリ?」
「よし、ショコラちゃんに問題だ!」
俺が詰問しようとすると、パウリは誤魔化すように俺の目から顔を逸らした。
一方、急に話を振られたショコラは「ふぇ?」と当惑顔。
ちょうど俺たちのために紅茶を淹れてきてくれたところだ。
ちなみにこの屋敷を宛がわれた時、大勢のメイドも用意してもらっていたのだが、今は全員お引き取り願っている。
彼女らのことはあくまで、侍女頭に化けていたエリス・バーラックを陥れるため、許容していたにすぎない。
俺は人に簡単に心を許すことのできない性分だ。
見ず知らずのメイドたちに囲まれて、生活の世話をしてもらう日々は、気疲れしてならなかった。
俺にはショコラ一人がいてくれれば充分。
いや、過分と言っていいくらい、ありがたい存在だろう。
本人に言ったら調子に乗るから言わないけどな!
そんなショコラに、パウリが教師ヅラで質問する。
「例えば黒魔女を十人調略するとして、一番チョロい相手から口説き落とすのと、一番手強い魔女から攻略するの、どっちが効率いいと思う?」
「え? え? それは……えーと……やっぱり、簡単な相手から、じゃないです……か?」
急な質問にショコラはおずおずと、しかし一生懸命考えて答える。
「ふーむ、その心は?」
「だ、だって、ユルい魔女さんたちから寝返りしてもらって、こっちの味方を増やしていけば、おカタい魔女さんたちだって『形勢不利だわー』って困って、『じゃあジブンも白魔女軍団に走ろー』って流れもできるんじゃないでしょうか?」
「うん、よく考えてるね! だけど流れができるという話なら、一番難しい魔女を口説き落とすことができれば、他の魔女たちも『あのお方が寝返るくらいなら私も!』ってなって、雪崩打つように僕たち“体制側”へ駆け込むんじゃないかな?」
「あっ、そうですね……。じゃあ、そっちのが効率いいってことなんでしょうか……」
「でも口説くのが一番難しいんだよ?」
「ど、どっちが正解なんですか、マグナス様ぁ……」
ショコラが助けを求めるように、俺に泣きついた。
「どっちも一長一短だ。つまりはケースバイで使い分けるべきだ」
俺は端的に答えてやった。
「ショコラが考えた通り、一番与しやすい相手から攻略していくやり方は、最終的に十人を調略するまでの難度もまた低い。ただし、このやり方では時間がかかる」
「逆に攻略困難な魔女から説得するのは、この最初の関門突破が大変だけど、それさえできてしまえば後は一気だからね。話が早いんだよ」
そして俺は今回、その速度を重視した。
いくら兵站補給が整うまで手透きな期間ができたとはいえ、あまり悠長にはしていられないからな。
ショコラが言ったやり方では恐らく四、五人目を調略した辺りでタイムリミットが来る。
「まあ、その最初の関門が突破できない現状じゃ、スピード決着目指したのに結果ゼロ人になりかねないんだけどね」
パウリがあっけらかんとほざいた。
……本当にふてぶてしい男だ。
悪びれないというか、まるで他人事みたいに言ってくれる。
「おまえくらい口の減らない男なら、関門の一つや二つあっさり越えてくれると思ったんだがな」
もちろん俺とて無策で丸投げしたわけではない。
俺とパウリでこれだと決めた最初のターゲットを、“純潔の宝石”セレストという。
自らの精神を魔法の指輪へ移植することで、二百年もの永きを生きる魔女の中の魔女である。
〈攻略本〉ではもはやモンスター扱いで、その〈レベル〉は二十五。
当然、ヴィヴェラハラの魔女たちの中でも五指に入るほど。
いや、五指が三指でも入る――つまりは“善なる魔女王”や“死者の女王”らにも並び立つと目されているのだ。
しかし実力者であることと、魔女の国を二つに割ったこの戦に積極的であるかは別の問題で、“純潔の宝石”は今までろくに前線に出ていないようだ。
好戦的な“異界の門を叩く者”や“魔獣狂い”たちの方が、やや格が劣ってもよほどに厄介だったというわけだな。
そして、実力だけは折り紙付きの日和見主義者ならば、調略相手にうってつけ。これを俺たち“西側”に寝返らせることができれば、宣伝効果は絶大。
〈攻略本〉情報によれば、セレストはやはり稀少な宝石に目のない女だということで、早速パウリに土産に持たせたという経緯だったのだ。
ちょうど海賊商会の先々代(つまりパウリやエリスの祖父)が大の宝石蒐集家で、国宝級のブルーダイヤを秘蔵していた。
それをパウリが提供してくれた。
「そこにおまえの口八丁が加われば、確実に陥とせると思ったのに……」
「いやあ、最初は感触良かったんだよ? これはイケるって内心、思ってたし。ただ……楽しくおしゃべりしているうちに、段々あっちが妙なムードになっていってさ。僕を見る目が熱っぽくなっていってさ。最後は宝石なんかより僕が欲しい、結婚してくれ、じゃなきゃ“体制側”にはつかないって言われました……ハイ」
「女にモテすぎるのも考え物だな……」
誤算である。
“純潔の宝石”の異名通り、二百年もの間、男には興味がなかったと〈攻略本〉には書いてあったんだが。
でもだからこそ免疫がなくて、パウリのような色男に熱烈にかき口説かれたら勘違いしてしまった――と、そういうことなのだろうなあ。
そして、この手の予想まではできなかったことが、俺が人情に疎い所以でもある。
今朝、〈攻略本〉情報が更新されて、セレストの項目に『パウリにぞっこん』だと出てきた時には、何事かと驚いたものだ。
それで残りの休暇を諦めて、ヴィヴェラハラへ舞い戻った。
アリアは聡明で理解のある素晴らしい女性なので笑って許してくれた(どころか応援してくれた)が、そうじゃなかったらひどく拗ねられてしまったに違いない。
まあ、パウリには〈攻略本〉の存在は明かすことができないので、単に「嫌な予感がしたから戻った」とだけ言っておいたが。
「二百歳のババアに言い寄られても困るよねえ」
心底辟易したように嘆息するパウリ。
でもおまえ、海原の神霊好きだろ。
というツッコミはさすがにシャレにならなそうなので黙っておいた。
「だからさ、マグナス殿――ここは方針を変更して、“純潔の宝石”の次に厄介な相手をターゲットにしよう」
パウリが最後は真面目な顔をして、次善の策を提言する。
計画を柔軟に変えていくこと自体は、俺も賛成だが……。
たとえ“純潔の宝石”の調略を諦めても、大きな問題が残る。
というのも、〈攻略本〉のセレストの項には、新たにこうも書かれていたのだ。
『パウリを己が物とするために、手段を選ばず画策中』
だと……。
しかも〈攻略本〉情報なので、パウリ本人にも警告してやるわけにはいかないんだがな。
◇◆◇◆◇
妾――“純潔の宝石”セレストは、レクイザムを訪れていた。
本当に久方ぶり……そう、実に三十年ぶりのことで、果たして〈タウンゲート〉が機能するか否か心配していたが、これは杞憂であった。
時刻は深夜。
妾たち魔女の時間だ。
そして目的は――初恋の人であるパウリを、妾の城まで連れ去ること。
俗に男は女のアクセサリだというが、妾にとっては男どもなど路傍の石。
真に妾の心を奪い、身に着けたいと思うものは、完璧な美しさを持つ宝石のみであった。
ところがパウリという男は、妾が初めて出会ったその「完璧」。
ゆえに妾の城に監禁し、常に傍に置いて、死ぬまで愛でることにした。
では、如何にしてそれを為すか?
二百年を生きる大魔女たる妾ともあろうものが、これには案じさせられた。
というのも先日、パウリが妾の城に訪ねた時、手強そうな護衛を二人連れていたのだ。
片方はネビスなる娘。魔女としては落伍者だが、魔法の腕前だけならこのヴィヴェラハラでも有数であろう。
もう片方はなんと古代アラバーナ魔法帝国の遺産、悪名高い殺戮メイドだ。
前者は妾には遠く及ばぬとはいえ、魔女の手管はさすがに知り尽くしている。
後者はただただ厄介だ。
まとめて相手取れば、妾といえど絶対に勝てるとは言い切れぬ。
妾のホームである城の外ならば、なおさら勝率は下がる。
まして全力の〈ウインドⅢ〉を見舞って、パウリごと吹き飛ばしてしまったという末路になれば、目も当てられぬしなあ。
ゆえに妾は〈遠見の水晶球Ⅳ〉――自慢の宝石の一つだ――を用い、ネビスや件の殺戮メイドがパウリの元を離れないかと、虎視眈々と窺っていた。
するとどうだ。
今宵、早速にして好機が訪れたではないか。
ネビスは部下らしき男どもと酒場へ行き、正体をなくすほど呑んでバカ騒ぎをし、そのまま酔い潰れた。
殺戮メイドは市長公館に呼び出され、“人形遣い”シャロンと益体もない恋愛話に花を咲かせ、そのまま公館に一泊した。
ゆえに今宵、パウリは広い屋敷に一人きり。
このチャンスを見逃す妾ではない!
普段は城に引きこもり、宝石を利用した魔道具の研究や、気に入りの宝石の数々を愛でること以外にとんと興味のない妾だが、目的を為すためならばいくらでも迅速にも強引にもなれる。
ゆえにこそ妾は、この魔女の国でも屈指の大魔女と成れたのだ。
〈タウンゲート〉でレクイザムに到着した妾は、すぐさまパウリのいる屋敷へ向かった。
左の中指にはめた〈身体能力強化の指輪Ⅲ〉のおかげで、全力疾走しても息が途切れることはない。
また深夜のことゆえ、通りに人気は皆無。奇異の目を向けられるようなこともない。
パウリがベッドに入る様は、事前に〈遠見の水晶球Ⅳ〉で確認した。
今ごろぐっすりであろう!
「くくく。目覚めた時には妾の城とは、なんとロマンチック。お部屋デートと洒落込もうぞ、我が愛しの『完璧』よ!」
屋敷の前庭に突入した妾は、誰の耳もないのをよいことに、興奮のままに独りごちた。
だが――
「いいお歳をしたご婦人が、気色の悪いことを言うのは勘弁してしただこうか」
――妾の独り言を聞いた何者かが、ウンザリしたようにそう言ったのだ。
周囲に誰もいないと思っていたのは、妾の独り合点でしかなかったのだ。
「何奴!?」
「パウリの貞操を憂う友人Aとでも言っておこうか」
けったいなことをほざく輩が、玄関扉前に立っていた。
しかも声がかかるまで全く気づかなかった。
不可思議なことに、妾は右手の小指に〈警戒の指輪Ⅲ〉をはめているのに、未だ何も反応がない。
仕方なく妾は、月明りの中その姿を凝らし見る。
〈魔法使い〉らしき風体の、若い男だ。まだ二十歳にもなっておるまい。
しかしその面構えは、そんじょそこらの若僧にできる代物ではない。
まさに数多の修羅場をくぐり抜けてきた男のそれ。精悍極まる。
そして、まるで妾の夜這いを察知し、待ち構えていたかのような態度でそこに佇む……。
「バカな! パウリの他には誰もおらぬと確かめてきたのに!」
「ははっ、ならば確かめ方が悪かったのではないか? 俺は日の高いうちからずっといた」
「それこそバカを申せっ。〈遠見の水晶球Ⅳ〉を用い、監視していたのだぞ!?」
「やはり方法の問題だったな。探知系の魔法や魔道具では、俺は見つけられんよ」
静かな自信を漂わせてほざく若僧。
にわかに信じられぬ。
そんじょそこらの魔道具ではなく、〈遠見の水晶球Ⅳ〉でも発見できないだと?
そんな凄まじい抗探知能力を持つ、〈マジックアイテム〉を有しているとでもいうのか?
そもそも、そんなアイテムが実在するのか!?
「常識と現実が相反した時、間違っているのは常に常識の方だぞ、“宝石”の」
「ええい、うるさいっ。二百年生きる妾に説法するか!」
妾は怒鳴って威圧する。
が、謎の若僧はそよ風でも浴びているかのように動じない。
さらには――
「軍師殿も人が悪いな! 彼女の言う通り、年寄りは敬うものですよ」
――玄関扉が中から開き、パウリまでが顔を見せ、若僧の隣に立った。
……なるほど、軍師か。
“人形遣い”シャロンを常勝将軍に押し上げた立役者、アンリ・マグナッソーとやらがこの魔法使いのことだったのだろう。
だが今、問題はパウリだ。
本当に妾を待ち構え、謀っていたのか。
ベッドに入ったふりをして、寝ていなかったのか。
しかし何より許せないのは、妾を年寄り呼ばわりしたこと!
いくら齢二百を数えるといえど、妾の外見年齢はギリギリ三十代で通るのだ、ギリギリ。
「パウリ! 従順ならば大事に可愛がってやったものを、その暴言後悔させてやるわ!」
「そういう気色悪い発言は、鏡を見てから言ってくれる?」
パウリはせせら笑うと、妾のファッションをあげつらってくる。
「厚化粧は見苦しいからやめなよ。年増を隠すより、受け容れて堂々としてた方が綺麗に見えるってわからない? あとその指全部に指輪を着けてるセンスが理解できない! いくら宝石が好きだからって、それじゃ暗黒時代の蛮族どもの王様スタイルだよ」
くくっ……。
くくくくくくくくくくくくく……。
よし、殺そう。
「デル・レン・ア・フラン・ティルト!!」
可愛さ余って憎さ百倍とはこのこと!
アンリ・マグナッソーとやら諸共に吹き飛ばしてくれるわ!
せめて一息に屠ってやるのが慈悲と知れ!
妾は呪文を唱え、持てる最強魔法である〈ウインドⅢ〉を撃ち放った。
ヴィヴェラハラ広しといえど現代では、妾以外の何者にも可能ならぬ秘術である。
しかも右手の人差し指にはめた〈セレストの指輪〉のおかげで威力増幅。
局所的嵐ともいうべき暴風がパウリどもに襲い掛かり、一撃で死を――
「デル・レン・ア・フラン・ティルト」
――死をもたらすと予見した妾の思いと裏腹に、嵐の中から呪文の詠唱が聞こえた。
魔法使いの声だ。
嵐の最中、パウリを背後に庇い、また自身は謎の障壁に守られ、余裕風すら漂わせるアンリ・マグナッソーの声だ。
そして、反撃の一発をお見舞いしてきた。
妾と同じ〈ウインドⅢ〉を! 余人には不可能なはずの高位の秘術を!
「ギエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ」
局所的嵐の凄まじい衝撃を全身に浴び、妾は絶叫した。
もし右手の薬指に〈守護天使の指輪〉をはめていなかったら、絶命していたかもしれない。
〈ウインドⅢ〉にはそれほどの威力がある。
しかし、ならばどうして、アンリ・マグナッソーは今も平気な顔で佇んでいるのか?
同じ〈ウインドⅢ〉の撃ち合いで、妾だけが一方的にやられているのか?
アンリ・マグナッソーを守っていた、あの謎の障壁の正体は!?
「魔法使いが習得できるスキルの一つで、〈余剰魔力放出〉というのだが――聞いたことはあるか?」
…………知らぬ。
そんなスキル、二百年生きたこの妾が、存在すら聞いたことがない……!
「まだ続けるか? 奥の手は残っているか?」
アンリ・マグナッソーはそう言って、妾の方へ向かってくる。
敢えてゆっくり、一歩一歩、妾の心を折ろうとするかのように。
「……妾の……負けだ……っ」
妾はがっくりとなってその場にくずおれ、息も絶え絶えに答えた。
「パウリのことは諦める……だから、命はとらないでおくれ。……いや、虫のよいことを言っているのは、わかっておる。妾が所有する中でも至高の指輪を差し出すゆえ、どうか見逃してはもらえまいか」
右の人差し指にはめた〈セレストの指輪〉に手をかけ、すぐ傍まできたアンリ・マグナッソーに訴える。
「いいだろう」
果たしてアンリ・マグナッソーは、同意するとともに左手を伸ばして指輪を要求した。
フンッ。涼しげな顔をして、腹は欲の深い奴だ。
しかし、妾にとっては好都合!
妾は弱り果てた女を演じながら、〈セレストの指輪〉の手渡した。
瞬間、周囲の景色が一変する――
屋敷の庭にいたはずの妾とアンリ・マグナッソーが、ダイヤモンドで囲まれた広い空間に立っていた。
無論、本当にテレポートしたわけではない。
また錯覚とも少し違う。
妾たちの精神のみが、〈セレストの指輪〉の内部に取り込まれたのだ。
「くくくく! かかったな、アンリ・マグナッソー!」
内心、動揺しておろう若僧に向かい、妾は勝ち誇る。
実は妾は持って生まれた肉体を、とうに捨てた存在である。
精神のみをこの〈セレストの指輪〉の内部に移植することで、寿命という煩わしさから開放された。
そして他者の肉体を奪い取り、憑依することで行動の自由を得ていたというわけだ。
先ほどパウリが年増呼ばわりしてくれたあの姿も、妾の生来のものではない。
二十年ほど前に、妾の自慢の宝石を奪いに来た魔女を返り討ちにし、逆に肉体を奪い取ってやったものにすぎない。
妾に体を乗っ取られた者は、そのまま魂の死を迎えるゆえ、後悔する暇もなかったであろうがな、くくくく……。
「――と、そういうわけだ、アンリ・マグナッソー。まんまと指輪に触れたのが貴様の誤り、その肉体を乗っ取ってくれるわ!」
この〈セレストの指輪〉の内部では、魔力とともに精神力の強さがものを言う。
ゆえに先ほどは妾の心を折りに来た若僧を、今度は逆に妾の方が心を折ってやろうと、さんざんに脅しつけてやる。
ところが――
「ああ、知っていたよ」
――アンリ・マグナッソーはあくまで、どこまでも余裕風を吹かせて言った。
別に構わないからこちらの策に乗り、指輪に触れてやったのだと言わんばかりの態度だった。
「つ、強がりを申すな!」
「それよりあんた、生来の姿は本当に可憐だったのだな。その姿の方がよほどに驚いているよ、“純潔の宝石”」
「!?」
妾の精神体――生来の肉体を捨てた時点の、完璧な乙女然とした容貌――を褒め称えるアンリ・マグナッソーに、その余裕と自信はどこから来るのかと妾の方が狼狽させられた。
そして、
「命乞いをするなら、急げよ」
アンリ・マグナッソーが宣言するや、その精神体がみるみる大きくなっていった。
最初は巨人の如く。
やがてこの〈セレストの指輪〉の中、いっぱいにまで。
このままでは妾のちっぽけな精神体は、金剛石の外壁と奴の巨体の狭間で、圧し潰されてしまう……!
「……〈レベル〉が違いすぎる……」
ケンカを売っていい相手かどうか、完全に見誤っていたということだ。
妾は今度こそ、本当に降参した。
◇◆◇◆◇
「お怒りはごもっとも……なれどどうか、どうか命ばかりはご寛恕を、アンリ・マグナッソー様。大魔法使い様」
意識を〈セレストの指輪〉の外に出した後も、妾は平伏して謝罪した。
すると彼は苦笑して、
「別に取って食うつもりはないから安心しろ。あんたが俺たちに協力してくれれば、それだけでいいんだ」
「協力……と申しますと妾に“体制側”に降り、御身の指揮下で戦えと……?」
「いや、俺の命令をいちいち窺う必要もない」
と、アンリ・マグナッソー様は意外なことを仰った。
別に指揮下に入れと言われても、今の妾には逆らう気力さえないというのに、
「あんたら魔女は独立独歩の気風が強い。俺はそれを尊重する。だからこれからは白魔女として戦ってもらうが、やり方はあんたの自由に任せる」
だなんて、アンリ・マグナッソー様はひどく懐の広いことを仰った。
そればかりかパウリに目配せすると、小箱にしまっていた青い宝石を、妾の前に差し出させる。
妾のコレクションの中にもこれほどの逸品はないほどの、大粒のブルーダイヤだ。
「こ、これは……?」
「あんたが“西側”に来てくれるなら、その契約金代わりだ」
「妾を見逃してくださるばかりか、褒美までくださると仰るのですか!?」
「もともとそのつもりだったからな。加えてあんたが名のある黒魔女を一人討つなり、捕まえるなりしてくれるたびに、報酬を出そう。さすがにこのブルーダイヤほどのものは無理だが、それなりに稀少な宝石を用意する」
「…………」
信じられないほどの好待遇に、妾はもう唖然とさせられた。
この男は――
否、この御方は――
実力だけでなく、人としての器がもう妾とは違いすぎる……。
妾はこのヴィヴェラハラでも屈指の魔女であり、それは厳然たる事実。
一方、アンリ様はそんな妾を歯牙にもかけないくらいの、超越的な大魔法使い。
もし逆の立場なら、妾は路傍の石ほどにも価値を認めないだろう相手に、しかし、アンリ様はあくまで「人と人」として対してくれているのがわかる。
完敗……とはこういうことをいうのだろうな。
俗に男は女のアクセサリだという。
妾にとっては、傍に置く価値のない男ばかりだと思っていた。
それがパウリほどの別格の男ならば、妾を飾る存在にしてもよいと思った。妾の初恋だった。
しかしアンリ様のことはもう、そんな基準では考えられない。
世の男の中には、これほどの偉大な御方がいたのだということを初めて知った。
「畏まりました、アンリ様。必ずやご期待に沿うてみせまする」
妾は再び平伏して誓う。
妾が“東側”についたのは、単に黒魔女たちの方が勝つと思ったからだ。
戦自体には興味がなく、負けて戦犯扱いされないなら、なんでもよかったのだ。
だが今宵、妾は確信した。
このアンリ様がいらっしゃる限り、勝つのは白魔女たちだ。
ならば妾は喜んで“西側”につこう。
久しぶりの更新ですので、かなり長めの1話です。
これから毎週更新がんばります!




