第三十三話 魔物、斬るべし(レイ視点)
前回のあらすじ:
大公国の城にエルドラが攻め入り、その渦中でベリーがあわや誘拐されそうになるところを、エリスに助けられる。
僕――〈光の戦士〉レイは、愕然となっていた。
マグナスが教えてくれた情報が、それほどに堪えていた。
「エルドラは人類を裏切り、“魔弾将軍”に魂を売ったようだ。さらに、君の元パーティーメンバーを二人とも殺害することで、〈レベル〉も36にまでアップしている」
朝の日課で、〈攻略本〉をひもといていたマグナスが、敢えて感情を消した事務的な口調で、教えてくれた。
「竜の墓」にほど近い山中。早朝の寒気に首を竦めながら、テントを出て焚火に当たっていた僕は、そのまま首を戻せなくなった。
「エルドラは……それで、何をするつもりなんですか……?」
「ここにはまだ書かれていないが、想像に難くないな」
マグナスは、山間部特有の冷たい空気よりも、もっと冷え冷えとした声音で語った。
「エルドラという人物は、権力欲と上昇志向が強く、浅薄な男だ。そんな男が光の戦士の〈ユニークスキル〉により、軍隊でも容易に止められないほどのレベルを手に入れた。ならば考えることは一つだろう。武力による国家転覆と、恐怖政治による支配だ」
「まさか……そんな大それたことを、考えるなんて……っ」
「あり得ないと思うか? エルドラのことは、一緒に旅をしていたレイの方が詳しいだろう。その君がないと言うなら俺も予想を改める」
「…………」
僕はにわかに返事をできなかった。
あまりに非常識なスケールの話なので、反射的にまさかを唱えたけれど……よくよく考えてみれば、エルドラはそれくらいやるかもしれない。
ベリーのことも自分の出世の道具くらいにしか思わず、成り上がるためなら卑怯な手段を使って、怪我をさせたっていいと思ってたような奴なんだ。
「こうしてはいられないな」
マグナスは〈攻略本〉を閉じると、立ち上がった。
「できればここでレベルを35まで上げていきたかったが、そうも言っていられなくなった。ショコラが水汲みから帰り次第、俺たちも動くぞ」
「わかりました! 〈タウンゲート〉で都まで戻るんですね?」
「ただ戻るだけではダメだ。準備が要る」
「と、言いますと?」
「エルドラは謀反に際し、恐らくは甘言を弄して若手騎士たちを味方につけるだろう。どんなに強い個人武勇を手に入れようが、城の制圧や占拠には、やはり人数が必要だからな」
「な、なるほどっ」
「だからこちらも、ある程度の兵力が必要となる」
「理屈はわかるんですが、そのアテはあるんですか?」
「もちろんだとも」
僕たちはテントを畳み、野営地を引き上げる準備をしながら、ショコラの帰りを待った。
それからマグナスが呪文を唱え、〈タウンゲート〉で移動した。
行先はキロミツである。
ゲオルグ将軍に面会を求めると、まだ朝っぱらにもかかわらず、すぐに貴賓室へ通してくれた。賢明な将軍閣下は、緊急事態に違いないと考えてくれたようで、とるものもとりあえずという格好で僕たちの前に現れた。
「ゲオルグ将軍に折り入って相談があり、罷りこした――」
と、マグナスが僕たちを代表して説明する。
ゲオルグ将軍はそれに、真剣に耳を傾けてくれた。
でも、僕はハラハラとしながら様子を見守った。気が気じゃなかった。
だって〈攻略本〉の存在は明かすことができないから、情報ソースは説明できない。
しかも話の内容が荒唐無稽。
さらには、エルドラが若手騎士を扇動して、都のお城を攻めるだろうって部分は、あくまでマグナスの推測であって確証があるわけじゃない――
「わかり申した、マグナス殿。麾下の兵の三分の一を、お連れください」
――にもかかわらず、ゲオルグ将軍は快諾してくれた。
「信じてくださるんですか!?」
「ははは、もちろんですよ、光の戦士殿。だってマグナス殿がいらっしゃらなければ、この町はとっくにゴブリンどもの軍勢に、蹂躙されていたんです。マグナス殿がキロミツに対してよからぬ企みを抱いているなら、あの時に助けてくださるわけがない」
理屈ではそうなんだけれど……。
自分の判断に従って、大胆な差配ができるこの人は、やっぱり名将なんだろうなって、僕は思わされた。
「それにね、レイ殿。私の中では『荒唐無稽』の基準が、とっくにぶっ壊れているんですよ。なにせあなた方ときたら、たった二人で四つも砦を落とすわ、空から隕石を降らせるわと、メチャクチャやってくれましたからね。そのあなたたちが、明日天地がひっくり返るから備えよと仰れば、私は信じて備えますよ」
ゲオルグ将軍はそう笑って、数百人の精鋭をポンと貸し出してくれた。
◇◆◇◆◇
そうして僕たちは都へと帰還した。
〈タウンゲート〉を使えば、何百人で移動しようと、あっという間の話だ。
転移の門をくぐった先は、城下にある公園の一つだった。
僕たちはすぐに城を遠望し、煙が上がっているのを確認した。
『マグナス様の予測が的中のようでございますね!』
「正直、外れてくれた方が、笑い話ですんでよかったのだがな」
「とにかく、急ぎましょう!」
僕は気が急くあまり足並みもそろえずに、真っ先に走り出した。
ベリーは無事かと、それが不安で不安で堪らなかった。
一刻も早く城内に突入したかったのに――
城門前を、五十人ほどの若手騎士たちが、封鎖していた。
「姫の窮地に馳せ参じるとは、なかなか鼻が利くではないか、ベアトリクシーヌの騎士よ!」
「見事な忠犬ぶり、拍手をくれてやろう」
「しかし、いささか遅きに失したようだな!」
「先ほど報せが入った。城内の制圧は、九割方完了しておる」
「大公もルイーゼル公子も、エルドラ様がお手打ちになったそうだぞ?」
「ベアトリクシーヌ姫の訃報が聞こえるのも、すぐのことであろうな」
「ハハハハハハハ!」
「ヒャハハハハハハハハハハハ!」
連中は口々に僕を嘲り、笑い飛ばした。
以前から僕のことが目障りだった上に、エルドラとの決闘騒ぎの時には赤恥をかかされた、その恨みつらみだろう。
「あんたらの戯言を聞いてる暇はないんだ! どけ! じゃないと痛い目に遭うぞ!」
僕は〈ブラッククレイモア〉を抜き放つと、両手で構える。
本当にもう、こんなくだらない奴らをまともに相手にしている余裕がない。時間が惜しい。
そんな風に焦る僕の目の前で――信じがたい光景が現れた。
「さあて、痛い目に遭うのは、果たしてどちらかなあ?」
「今の我らをただの騎士と思うなよ!」
「カリコーン様より授かった力、見せてくれるわ!」
「ハハハハハハハ!」
「あびゃばばばばばばばばばばばば!」
なおせせら笑う連中の、その笑い声が歪んでいった。
同時に連中の姿も歪んでいった。
人間をやめて、魔物へと変貌していったんだ!
「魔物に魂を売るとは、こういうことだ」
兵を率い、追いついてきたマグナスが、戸惑う僕にそう言った。
「少し小突いて、眠らせてやろう――そんな風に考えているなら、甘いことだぞ、レイ」
「だ、ダメなんですか?」
「連中はもう人ではない。魔物なのだ。戻ることもできない。ならば息の根を止めて斃す。今まで俺たちが、他の魔物をそうしてきたようにな」
「だ、だけどっ、いくらヤな奴らでも彼らは人間で――」
「いい機会だから言っておくぞ、レイ」
マグナスがひどく厳粛な口調になって言った。
「どれだけレベルが上がろうと、どれだけ常人離れした力を得ようと、俺たちは人間に変わりはないのだ。全知全能の神ではないのだ。そこを勘違いし、できぬことをやろうと驕れば、必ず痛い目に遭うぞ」
「…………」
マグナスの言葉のあまりの迫力に、僕は生唾を呑み込んだ。
「わかったな? 連中のことは諦めろ。自業自得だ」
「…………はい。…………わかりました」
「いい返事だ。ならばこれより戦端を開く」
マグナスが呪文の詠唱を始めた。
「……ア・ウン・レーナ」
僕も〈練気功〉の集中を始めた。
そして、マグナスの〈ファイアⅣ〉が炸裂し、城門前にいた魔物たちの半分ほどを、一度に吹き飛ばす。
「ギアアアアアアアアアアア!」
「な、なんだ、この魔法の威力はああああああ!?」
混乱する魔物たちの中へ、僕はすかさず斬り込む。
特にスキルを使うまでもなく、一太刀で一体を屠っていく。
……この手応え、レベル15には届かないかな?
そう、僕はマグナスと一緒に旅をして、激闘を繰り返すうちに、今ではそんなことがわかるくらいに、経験を積んでいた。
レベル15足らずか。
たった15足らずか。
魂を売って、人間をやめてまで、その程度か!
それがあんたたちの望みだっていうのか!
「バカ野郎!」
僕は怒鳴り散らさずにいられなかった。
涙を堪えて、剣を振るい続けた。
「グアアアアアアアアアアアアアア!」
「や、やめてくれええええっ」
「降参する! 降参する!」
「だから命だけは助けてください!!」
「光の戦士様!! レイ様!!」
涙を堪えて、剣を振るい続けた。
一太刀で一体を屠っていった。
もう人には戻れない彼らにとって、それこそが救いだと信じ――いや、そんなのは欺瞞だ。
「僕は魔物を許さない! ベリーを狙う君たちを許さない! 絶対に!!」
嗚咽を堪えて、剣を振るい続けた。
最後まで、手を緩めなかった。
そう、元は騎士だった魔物たちが、全て息絶える、その最後まで。