カミルを殴る会
中央ブリタリア王城に幾つもある庭園の一つ。
様々な品種の薔薇が咲き誇る薔薇園に、人影は二つのみ。
銀髪蒼眼の美少年――カミル・ソード=ブリタリア。
黒髪黒目の仏頂面――黒陽練。
練がソニアに頼み、この場をセッティングした。
「な、なんでしょう。僕一人、こんなところに呼び出すなんて」
咲き誇った色とりどりの薔薇を背景に、カミルがおどおどとする。
不安そうな表情、不安定に揺れる声。
「いや、そういう演技はもういいから」
と、練。カミルが小さく息をつき、表情を一変させる。
ルナリアとソニアにも似た美少年には不似合いな、ふてぶてしい表情。
「初対面だというのに、ずけずけとよくも言いますね。王族として僕のほうが立場が上なんですよ?」
(ま。練がルナリアを娶るだけでひっくり返る程度の立場だけどな)
呆れたように、グロリアス。練はその言葉をスルーして、カミルに言葉を返す。
「暗殺しようとした相手に払う敬意はないからな。それに――ブリタリア王族のルールに則って、この場で君を俺が殺したところで、罪には問われない」
「……目には目を、歯には歯を、でしたか。そちらの世界のハンムラビ法典のようなものは、こちらの歴史にもありますよ? 暗殺……ふふん。僕が何の備えもなく、ここに来ると思いますか?」
カミルは何らかの策を講じてあるようだ。余裕たっぷりの態度である。
「まあ、それはそうだろうな。別に殺しに来たわけじゃないから、心配はしなくていい」
カミルの表情に苛立ちが混ざる。
「その口ぶり。殺そうと思えば、殺せるように聞えて――気に入らないな。ノウ無しのくせに」
「これがあるからな、今は」
練は懐から、魔力『1』カードの束を取り出した。
ジオールドの闘いから、およそ一週間。せっせと練はカードを作り続け、数は再び一〇〇枚を超えている。
「……聞いているよ、そのカードのことは。一枚、魔力『1』。ぱっと見、一〇〇枚以上はあるみたいだけれど、僕に言わせれば、それしかない魔力で強気でいられるおまえはおかしい」
「一〇〇の魔力を侮るその感覚が、今の俺には異常だと理解できる。でもノウ無しになる前の俺なら、同じようにたった一〇〇の魔力と馬鹿にするだろう――だが」
カードの束をしまい、練は続ける。
「魔力『1』になった今は、いかに魔力が大事かわかるようになった。魔力資源の枯渇が問題になっているこの世界に、今の俺の感覚は、役に立つと思う」
カミルが訝しげな顔をする。
「……何が言いたいんだ、黒陽練」
「俺は、この国の王を目指すことにした」
(お。きっぱり言い切ったな、おまえ。いいぜ、その覚悟)
――実のところ。覚悟なんか、まだ出来ていない。
――だが。何もしないでいたら、きっと未来に後悔する。
――だから。やれることは全部やることにした、それだけだ。
(ははっ。それを覚悟っつーんだよ! って、この坊主。おもしれえ表情してるなあ)
カミルは複雑な感情に苛まれているようだった。苦笑なのか微笑なのか嘲笑なのか渋面なのか悲嘆なのか諦観なのか、表情が不安定に乱れている。
何を思ったのか、カミルが自分の頬をいきなりきつくつまんだ。
「痛いッ! っていうことは、これは悪い夢じゃないのか……現実にしては、ずいぶんとふざけている。おい、ノウ無し。もう一度、言ってみろ」
練を睨みつけ、カミル。練は平然と返す。
「俺は、この国の王を目指すと言った」
カミルの顔が、かあっと赤くなった。照れたのではない。怒りで頭に血が上ったのだ。
「はあッ!? 頭が変になったのか、この異邦人!! ブリタリア人でもないくせに、何を勘違いしているんだ!
そりゃあ確かに、おまえにも王位継承権はあるさ、ルナリアと父上が何を勘違いしたか、公爵なんかにして王族末席を与えたからな!
けれども、そんなものは建前だけだ! 異世界の、それも魔法後進国の人間のおまえが、この世界の三分の二を統べる大ブリタリア王国の玉座に座るなど、誰が許すものか! いや、誰が許そうとも、この僕だけは絶対に許さない、認めない! 貴様にそんな資格があるものか!!」
「まあ、そう言うだろうと思っていた。だから、ルナリアさんとソニアさまに相談する前に、カミル王子にまず、俺は言いに来たわけだが」
カミルの表情から怒りの色が薄れる。そして警戒感をあらわにした。
「……最初に、僕に? 邪魔者は真っ先に排除しようということか。それなら――」
「違う、そうじゃない。言っておかないと、フェアじゃないと思ったんだ」
「フェアじゃないって。おまえが王を目指す宣言なんて聞かなくても、別に僕は不平なんて感じない。むしろ、その言葉に最大限の不平不満を感じたくらいだ」
「カミル王子は、ブリタリア人でもない俺には王を目指す資格がないと言った。確かに、俺にはないかもしれない。だが――」
練は、自分の左目を指さした。
「俺の中には、まごう事なきブリタリア王がいる。名は――
グロリアス・ロード=ブリタリア。
五〇〇年前。君の一族の始祖、エミリア・ソードが殺した男が」
「……何を言い出すかと思ったら。そこまでの嘘だともう腹も立たないし、呆れもしない。頭が可哀相な奴だったのか、おまえ。そんな妄想をするなんて」
「……いや、嘘でも妄想でもない」
(練、ちょいと身体を貸せ。俺が直接、話してやる)
「だな。そのほうがわかりやすいだろう」
カミルが、異常なものを見るような表情になる。
「何をブツブツ言っているんだ。脳内設定のグロリアスとでも話をしているのか?」
練はまぶたを下ろし、脱力した。自ら身体を手放すよう意識する。
開き直した練の左目。瞳孔には紋様が浮かび、蒼く発光する。
――あとは任せた、グロリアス。
「ああ、任されたぜ、練。というわけで――よう、ソードのガキ。俺が練の脳内設定とやらのグロリアス・ロード=ブリタリアだ」
グロリアスは練の許可さえあれば、首から上と左半身のみだが身体を操ることができる。
グロリアスが、ぬっと左手をカミルの胸元に伸ばした。断りなく襟首を掴み、引き寄せる。
「よく見やがれ、この左目。小さくて見づらいだろうがな、ソード家の奴なら知っている紋様があるだろ?」
グロリアスはカミルに顔を突きつけ、左目を覗かせる。
左目の光彩の中央。そこに象徴的な紋様がある。
「……それは。ロード=ブリタリアの――」
「ああ、そうだ。エミリアが俺を殺してくれたせいで誰も継がなかった、最初の正統王家となるはずだった――歴史から抹消された、俺の紋様だ。こいつを知っているのは今の四王家の、それも一部の王位継承権所有者だけなんだってな?」
「何でそのことを知っているかは知らないが、さっそくインチキが知れたぞ、黒陽練。五百年前に死んだグロリアスが、そんなことを知っているわけがないっ」
「ったく頭の固えガキだな、おまえ。俺はグロリアスだぜ? たとえ魂だけの存在なろうが、魔法使いとしては現役のつもりだ。練の知らねえ魔力の運用もあれば、独自の情報入手の魔法だってある。練が寝ちまってる時は、この身体も自由にできるからな」
――おい、グロリアス。俺が寝ている時に、いったい何をやってたんだ。
聞き捨てならないと、練はグロリアスに文句を付けた。
「いいだろ、そんな細けえことはよ。俺だって魔力が『1』しか使えなくなってからは、さんざ苦労したんだぜ? ったく、誰のせいだと思ってんだ」
――それについては、正直、すまないとしか言いようがない。
――それとこれとは……
「いいから黙っとけって! ったくうるせえ弟子だな、俺は今、カミルと話をしてんだよ! っつか誰が俺に出てこいって言ったの、おまえだろっ」
――それはそうだが!
――寝ている間に好き勝手されていたなんて知らなかったんだ!
――気にするなというのが無理だろっ!!
「ああもうマジでうるせえなあ。別に自販機で買った酒を飲んだりした程度だって。お姉ちゃんのいる店にとかには行ってねえから、心配すんなっての」
――それは心配することだろ!
――未成年に飲酒などさせるんじゃないっ。
襟首を掴まれたままのカミルが、きょとんとする。
「……いったい誰と、何を揉めているんだ……? まさか演技とかじゃなく、ほんとうに精神が分裂するような病気なのか」
――誰が病気だ!
「病気扱いするな! いいか、クソガキ。俺がグロリアスなのは、揺るぎない事実で、俺が練の魔法の師なんだよ。練はガキの頃からみっちり仕込んだからな、そんじょそこらのブリタリアの魔法使いなんざコイツの足下にも及ばねえ。それは、てめえでもわかるよな?」
カミルが顔を横に逸らす。そして小声で答える。
「……旧神竜を二度も退けたんだ。実力は、その……まあ。認めなくは、ない」
「素直じゃねえ言い方だが、まあ、いい。納得できずとも受け入れろ。事実を認識することから、魔法は始まるからな」
カミルが顔を逸らしたまま、視線だけ、練に戻した。
「……その魔法が。僕は、嫌いなんだ」
「あ? そりゃどういう意味だ? 魔法が嫌いって、また珍しいな。ブリタリアの、それも王族のくせに」
「……」
カミルが無言で視線を逸らす。拗ねたようなその表情。
「……ひょっとして、おまえが実の姉を殺そうとしてまで王位にこだわるのも、その辺りに理由があったりするのか?」
「どうでもいいでしょう、そんなこと。僕は、魔法が嫌いなんです。ただ、それだけです」
経緯の欠片も感じさせない、カミルの敬語。精神的に距離を詰められたくない、それが練にもグロリアスにもわかった。
――グロリアス。とりあえず、離してやらないか。
「ま、締め上げられてたら、話なんかする気にもなれねえか」
グロリアスはカミルの襟首を掴んでいた左手を離した。
「話してみろ。何故、おまえが魔法を嫌うのか」
「ふん。話さないとわからない時点で、貴方もそっち側の人間だってことですよ。まあ、貴方が本物のグロリアス・ロード=ブリタリアというのなら、そっち側の頂点――史上最高の魔法使いにして、近代ブリタリア式魔法の祖、か。まったく気に入らない」
「……そっち側? わかるように言え」
「黒陽練だって、そうだ。そっち側の奴らは誰も、こっち側の人間の気持ちというものを、考えやしない」
――そっち側。こっち側。何か、隔てるもの……
――もしかして。魔法の才能、か。
練の思念を、グロリアスがそのまま口に出す。
「……魔法の才能のことか?」
ふう、とカミルが疲れたように小さくため息をついた。
「ええ、そうです。貴方は希代の天才だ。きっと黒陽練もそうでしょう。そして我が姉たち、ソニアもルナリアも、貴方たちには遠く及ばずとも、並の才能じゃない」
「俺たちのことは、おいといて。確かにソニアもルナリアも、並じゃあねえわな。ソニアの魔法道具師としての腕は、俺が知る限りでもずば抜けてる。ルナリアは、言う間でもないな。聖騎士なんざ歴史上、数えるほどもいねえからな」
「そして僕には、魔法の才能なんてろくにない。王族ですから、魔力量だけはそこそこありますけどね。僕には、絶対的に足りないものがあるんです」
悔しそうに、カミル。
足りないもの。
それが練にはわからないが、グロリアスは違うようだ。
「――想像力、か」
カミルが自嘲とわかる笑みを浮かべた。
「なにぶん、現実主義者なので――魔法は、空間の持つ潜在能力である魔力を、意志と論理と想像力で、構築、発動させる。原理は理解していますし、実際、多くの魔法も修得してはいますが……
姉たちのように『ブリタリア王族にふさわしい、民の驚くような魔法』は、僕の想像力では、無理だと悟っているんですよ」
きゅっと唇を一文字に固く結んだ後、カミルが改めて告げる。
「僕は。凡人なので。旧神竜の召喚だって、僕じゃできなかった。僕を王にしたい派閥の協力があったから、できただけです」
カミルはカミルで、練の想像できない苦労をしてきただろうことだけは、練も察した。
ここはグロリアスに応対を任せようと決める。
「……なるほどな。で、カミルよ。そんな凡人のおまえが、魔法王国であるブリタリアの王になって、どうする気だ? まさか魔法を禁止するとか寝言をほざかねえよな?」
「まさか。この魔法に頼り切った国で禁止になんかしたら、即刻、国が崩壊しますよ。取り締まるのにも魔法を禁じたら、そもそも禁止する手段すらありません」
「そりゃそうか。じゃあ、何がしたいんだ?」
カミルの表情から自嘲が消え、真剣さが宿る。
「僕は。向こうの世界の科学を、この世界に定着させたいんです。今は元老院も賢人議会にも反対者が多くて難しいのですが」
――科学を?
「ほう。そりゃ面白いことを考えるじゃねえか。理由を言ってみろ」
「技術として利用する限りなら、科学に才能はいらないからです。もちろん、魔力も使わない。この世界で希薄になってしまった魔力の温存もできますし……生まれついて魔力に恵まれない人間でも、文化的な生活ができるようになる」
「生まれついての魔力なし……ノウ無し、か」
「ええ。貴方がご存じかどうかはわかりませんが、この世界は魔力資源が乏しくなるに従い、魔力を持たずに生まれる人間が、徐々にですが増えているんです。ちょうどそちらの世界で、魔力のある人間が増え始めているように。
そしてこれは、貴方がグロリアスというのならば、知っていることでしょう。この世界では建国以前から、多くの場合、ノウ無しが人間扱いされないということを」
「そりゃ知ってるさ。何せ俺が近代ブリタリア式魔法を作った理由の一つが、魔力の少ない人間でも簡単な魔法を使えるようにするためだからな」
「近代ブリタリア式の普及によって、魔力の少ない人間でも、魔法で文化的な生活が送れるようになりました。ですが、結果的に。極端に魔力に乏しい人間が、完全に取り残されることになりましたが、それは貴方の責任ではないでしょう――グロリアス・ロード=ブリタリア」
カミルがグロリアスを名で呼んだ。どうやらグロリアスを本物と認めたようだ。
「だとさ、練。王を目指すのに、いちおうはまっとうな理由があったようだぜ? そんじゃ後は任せた」
グロリアスが身体の支配を練に戻した。練の左目から蒼い光が消える。
軽い目眩と共に、練は肉体を実感した。
「話してくれてありがとう、カミル王子。事情はそれなりに理解した」
「……黒陽練に、戻ったのか? さっきのも今も演技だとしたら、王を目指すより役者にでもなったほうがいい」
「役者に興味はない。今の俺の、当面の目標は――この国の王になることだから」
「黒陽練。おまえが王を目指すのは、自分の意志なのか? それともグロリアスの命だからか?」
「自分の意志だ。グロリアスは、俺に何も命令などしない。ただ、ずっと前から、俺がブリタリアの王になるのは決定事項だと言われ続けてきただけだ。しつこいくらいに」
カミルがきょとんとする。
「……それって。洗脳されているだけなのでは」
「洗脳? 考えたことがなかったな――いや、だが。決めたのは俺自身だ。俺は俺の意志で、ブリタリアの王を目指すことにした。それは紛れもない事実だ」
「それなら、黒陽練。どうしておまえは、ブリタリアの王を目指す? 僕の理由を聞いたんだ、話さないのは公平じゃない」
「理由は単純だ。俺は、俺が、何の心配もなくひたすら魔法を探求できる環境が欲しい」
「はあ? そんなもの、どこか山奥にでも引きこもって一人でやればいいじゃないか! 王を目指す理由になんてならない!」
カミルが軽く興奮した。練は淡々と返す。
「いや、理由になる。俺もブリタリアの王族扱いになった以上、今回のように、また王位継承権争いに巻き込まれる可能性がある。命を狙われる心配をしていて、魔法研究に没頭できると思うか? 安心して魔法研究をするためならば、俺はあらゆる世界を平和にしてみせるさ」
「なるほど。言っていることはでたらめに近いが、その動機はわからなくもない。それなら黒陽練、僕と取引をしないか?」
「取引?」
「おまえが優秀なのは僕も理解しているし、高く評価もしている。それこそ王位継承権争いに関わってくる前に、亡き者にしようと考えるくらいには。
だからこそ、僕が王になるのに協力するというのなら、おまえの望みは、僕が必ず叶えよう。後ろ盾のないおまえが王を目指すより、それなりの派閥を持つ僕が王位を狙うほうが確実だ」
(はっはっはっ。信用できねえなあ)
「信用するわけないだろう。俺はともかく、実の姉のルナリアさんと、許嫁のレイチェルさんを殺そうとした人間を?」
「理知的に考えれば僕と組むことが正しいとわかるだろうに、黒陽練。おまえもソニア姉さまと同じく、情を優先してしまうくだらない人間か……」
どこか残念そうなカミルの声。
カミルとは違う意味で、練も残念に思った。
練は、情というものをおろそかにしたくはない。
国立魔法技術学院高等部に入学しての、この短い間に繰り返しとんでもない目に遭い、色んな人々との関わりの中で自分が生かされている、そう思うようになったからだ。
自分を好いてくれる人も、嫌う人も。
抱く感情に違いこそあれ、練という人間に関心があるのに違いはない。
少し前までの練は、そうした関心を疎ましく思うことが多かったが、今は違う。
これも、悪くない。
そう思うようになったのだった。
「俺は政治や経済のことなど、まださっぱりわからない。だが、俺たちの世界の科学をこの世界に導入すべきだとは考えている。そこはカミル王子と同じだから、協力できる可能性もあると思っていたが――やっぱり、俺と君は、わかりあえそうもないな」
「……残念ですよ、黒陽練。貴方のことは僕が、誰よりも高く評価しているというのに。それこそ命を狙うほどに」
何らかの敬意をカミルは練に抱いたようだ。口調が丁寧になった。
「暗殺されてやるつもりはないからな?」
「殺されていいと思っている人間は、そもそもこの国じゃ王になれませんよ」
「客観的に考えて、ここは酷い国だと思うぞ。こと王位継承権争いに関してだけ言えば。俺が王になったら、真っ先に暗殺を法律で禁止する。近代化への第一歩として」
「そうは言いますけれどね。暗殺が認められているのには、単純な王位継承権争い以外にも理由があるんですよ?」
(……ああ。そう言えば、そうだ。俺が殺されたのも、それが理由だからな、そもそも)
「――何だって?」
「暗殺は、国と人間を統べるのに不適切な王を、合理的に排除するためでもあります。この場合の不適切は、単純に資質が足りないという意味だけではありません。
時には、優れすぎた王も排除の対象となりえます……グロリアス・ロードのように。せいぜい貴方も注意することですね、黒陽練」
くるりとカミルが練に背を向けた。
「もう話すこともないでしょう。それじゃあ、僕はこれで」
「あ、ちょっと待て。話はまだ終わってない。むしろ、ここからが本題だ」
カミルが肩越しに振り返り、鬱陶しいものをみるような顔をした。
「は? 本題って、何を――」
練の背後。石畳にいきなり、魔法記述光跡が走った。
転移の魔法陣である。
出現した人影は、三つ。
「カミルさま、ご無沙汰していますです!」とレイチェル。
「カミル。姉としては大変悲しく思います……」とルナリア。
「いさぎよく観念することね、カミル!」とアリス。
さあっとカミルの顔が青ざめる。
「か、観念って。何を言い出すんだ、アリス=アリスっ。おい黒陽練、いったいこれはどういうことだっ?」
「カミル王子をグーで殴る会の皆さんだが?」
「何なんだ、その迷惑でしかない会はッ!?」
「いや、そのままだが? ちなみに俺も、殴る会の会員だ」
「冗談じゃないっ、僕は帰らせてもらうっ! ――て、転移が使えないだとっ?」
カミルが魔法を使おうとしたが、発動しなかった。
どこからか、ソニアの声が響く。
『その庭園全体に、練くん開発の魔法封じの魔法をかけたわよ、さっきの転移魔法の直後にね! ほーっほっほっほっ、カミル! さあ報いを受けなさい!』
「――と、いうわけだ。カミル王子、人の命を狙っておいて、殴られるだけで済むんだから、幸運だと思って素直にグーで殴られろ。それだけのことはしただろう、彼女たちにも、俺にも」
「はいです、カミルさま。レイチェルはこれでも、怒っているのです。殴るのに、ハンマー公の鉄槌を借りようとちょっとだけ考えてしまうくらいには、怒っているのです」
と、満面の笑みでレイチェル。両手をグーの形に固める。
隣でルナリアが、おどおどと胸元で左の拳骨を握った。
「カミル。貴方が生まれる前に、私は母さまに言われました。もし生まれてくる子が悪いことをしたら、姉としてきちんと叱るように、と。ですから、この拳は。母さまのものだと思ってください」
アリスが、ぐっと力を込めて右腕を突き出し、みちっと音すら立てて鉄拳を構える。
「魔法が使えたら、魔法刃で死なない程度に切り刻んであげるところだけど。ソニアさまのはからいで、幸か不幸か魔法は使えないわ。その代わり、おもいっっっきり、行くわよ!」
「は、話し合おう! 暴力はよくない!」
レイチェルが、ルナリアが、アリスがカミルに殴りかかる。
練はカミルが少しばかり可哀相になり、殴られる姿は見ないでやろうと、空を仰いだ。
よく晴れていて雲一つない空は、異世界だろうが、やはり蒼い。
(さてさて。これから大変だぜ、公爵さまよ? 王を目指すということは、有象無象による権謀術数だらけの権力闘争に飛び込むんだからよ?)
「何とかなるだろ、俺とおまえの二人なら」
(だな! そんじゃ景気づけにライバルをぶん殴るとするか!)
「そうしよう」
ブリタリア王国の王になる、手始めに。
練は、王位継承権第三位の王子を殴ることにした。
ノウ無し転生王 底辺から逝く魔法の覇道
魔力『1』でも彼は魔法で無双する 完