第8話 やれったってそんな簡単にできるもんじゃねえだろっ!
奥の間にあたるのだろうか、部屋の前に着くと朱音は中に声を掛け襖を開ける、中を覗くと二十畳ほどはありそうな広いお座敷であった。
右手側に女性が二人正座をしている、一人は巫女装束を着た初老の女性。
少し怖い印象を受けるが若いころは美人であったろう、そんな顔立ちの女性は弥命の祖母なのだろうか? そしてもう一人は弥命であった。
健登の姿を見ると、心配そうな顔をしながらも安堵した様子で話しかけてくる。
「守羽くん、具合はどうですか?」
「ん、おかげさまでこの通り、多少全身が筋肉痛っぽいけど、体を動かしたら大分よくなったよ、姫宮こそ肩大丈夫か?」
「よかった、わたしは大丈夫です。しっかり治療してもらいましたから」
そう言う弥命のシャツの襟元から少し覗く包帯が痛々しく見え、健登は酷く居た堪れない気持ちになってしまった。
そんな二人のやり取りを横目に見ていた老女が口を開く
「守羽健登さん。初めまして、私はこの神社で巫女達を纏めている東條唱と申します」
「は、初めましてっ! か、守羽健登ですっ!!」
落ち着いた感じでありながら重く威厳のある唱の声に、健登は背筋を伸ばし気を付けの姿勢で返事をしてしまった。
どうやら弥命のおばあちゃんではないらしい、たぶんこの人が紅葉の言っていた大巫女様なのだろう。
かなり偉い人なのか唱が話し始めると弥命は黙り、朱音も部屋の一番後ろで正座をし目を伏せてしまっている。
「この度は弥命の為に大変な事態に巻き込んでしまい、実に申し訳ありませんでした。一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたやもしれません、弥命にもきつく叱っておきました故、何卒ご容赦ください」
親父さんにぶん殴られても仕方ないとさえ思っていた。
年頃の娘さんを連れまわし傷を負わせてしまったのだ、非難されこそすれ謝られる立場ではないと思っていたのに、逆に謝られてしまいかえって健登は罪悪感が増してしまった。
「そんな、俺の方こそ、その……姫宮……姫宮さんを危ない目に会わせてしまって、あんな怪我まで負わせてどう謝ればいいのか……本当にすみませんっ」
健登は深々と頭を下げ謝罪する、怒鳴り散らされた方がまだ幾分気は楽だったかも知れない。
「いいえ、これは弥命の起こした不始末であり、朱音の怠慢が招いた事態でもあります」
そう言って朱音の方へ鋭い視線を送る唱、部屋の後方からゴクリと唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
「お、おおお、大巫女様っ、それにはその事情がありまして」
かなり動揺しているのが見て取れる、朱音は冷や汗をダラダラ流し、目が完全に泳いでしまっている。
「朱音、言い訳なら後で聞きます。今は守羽殿と話しているのです黙っていなさい」
「はい……」
あの朱音が、唱の一言でまるで借りてきた猫のような状態だ
そんなことは気にも留めず唱は続ける。
「朱音からも説明があったと思いますが、やはり事情が事情故、これから守羽殿には会って頂かねばならないお方がおります。その、大変気難しいお方でいらっしゃいますので気を付けて頂きたく……」
ついに来た。
弥命を叱り朱音を黙らすほどの人が、ここまで気を遣うお方というのはいったいどんな人物なのか、戦々恐々していると……
「だーぁれが、気難しいじゃとぉ?」
お座敷の奥から響く声に健登は振り向き、その姿を目にする。
「ガキじゃねえかあああああああああああああああっ!!」
瞬間、健登のオデコ目がけて15センチ程の何かが飛んできて直撃した。
その何かは跳ね返り、そのまま空中で弧を描き投げつけた主の手の中に戻る
「誰がガキじゃっ! 無礼者めっ!!」
そう言い放ちふんぞり返る声の主は、どう見ても小○生くらいの女の子であった。
身長は140㎝ほどだろうか、クリクリとした大きな青い瞳に真っ白な美しい髪のおかっぱ頭、着物を着崩しまるで遊女のような出で立ちだが見た目が小○生なので色気はない。
健登はオデコを押さえ畳の上でもがきながら叫んだ。
「痛ええええ! なにぶつけやがった!!」
「ふっふふ~ん♪ 鉄扇じゃ! ワシくらいになるとどこに投げても百発百中、必ずこの手の中に戻ってくるのじゃ、すごいじゃろ!」
「すごいじゃろっ! じゃねえ! 鉄の塊を人に向かって投げつけるなあっ!!」
そのやり取りを見て唱は右手を額に当て天を仰ぐ、横で弥命が声に鳴らない様子で慌てふためいている。
こうならない様に、会わせる前にこの少女への対応をレクチャーしようとしていたのに「呼びに行くまで待っていてね」と言ったところで聞くような性格ではないことを、唱は重々わかってはいたのだが詰めが甘かった。
「ふんふんふん、まったく言葉使いのなっていない小僧じゃの、粗野でがさつ、盛りのついた猿のようにキーキー喚きおって、本当にこの小僧が神器を引き抜いたのか弥命?」
「はい、白様……確かに、私がその様に守羽くんに頼みました……」
白様と呼んだ少女に尋ねられ、弥命は畏まって答える。
「なるほどのぉ、して……どのようにして引き抜かれたのじゃ?」
「え? どのようにって……それはその、わたしの胸元に……」
「なんじゃ? 顔を赤くして、ははぁなるほど」
恥ずかしげに頬を染め口籠る弥命を見てなにやらニヤニヤする白、これは悪いことを考えている時の顔だ。
「乳を揉まれたのか」
「揉まれてませんっ!」「揉んでねえっ!」
同時に叫ぶ健登と弥命、そして部屋の後方でわなわなと震えながら朱音が悲鳴をあげる。
「なっ!? ななななななな、姫様の、ひ、ひひひ、姫様の胸を……たわわに実ったうら若き乙女の果実を弄び堪能しただと……ゆ……許さん……きさま許さんぞおおおおお」
なんだかいやらしい妄想が爆発し、健登に飛びかかろうとする朱音。
その腰にしがみつき必死に止める弥命に、それを見て笑い転げる白、唱はというと深い溜息をつき項垂れるしかなかった。
一頻り大騒ぎした後、朱音は唱にこっぴどく叱られ部屋の隅でスンスンと泣いている。
白も唱に少しは自重するように言われ、最初は言うことを聞かなかったが唱の堪忍袋の緒が切れると大人しく従う、怒られる姿は子供そのものであった。
「まったく朱音も白様も、少しは年相応に落ち着いてくださりませんと、二人がそんなでは若い巫女達にも示しがつきません」
「だからすまなかったと申しておるじゃろ、そうやっていつもカリカリしておるから皺が増えるのじゃぞ」
「誰の所為だと思っているんですかっ!」
「はーい、反省してまーす、さーせんしたー」
完全に舐めている白の態度に、こめかみをピクピクさせながら唱は話を進める。
「守羽殿、そちらの糞ガキ……オホン……そちらのお方が白様、この神社の御神体であらせられるお方です」
「御神体? どう見ても子供なんですが?」
額に大きなたんこぶを作り、口を尖らせ不貞腐れながら答える健登。
こいつらヤ○ザでもなんでもない、○クザ以上に酷い奴らだちきしょう、って気分だったので、もうどうでもよくなってしまったみたいだ。
「だから子供ではっ!」
「白様は少し黙っていてください」
子供と言う単語に反応する白を抑える唱、見兼ねた弥命が間に入り説明をしてくれる。
「守羽くんあのね、白様は実はああ見えて三〇〇〇年以上を生きている大妖で、とても神聖なお方なんです」
弥命の言葉に白は腰に手を当てえっへんとふんぞり返る、もっと自分に畏敬の念を持って接しろと云わんばかりだ。
「ふーん、このちびっこがねぇ」
しかし今日一日色んな出来事がありすぎて、もう何を言われても何を見ても、健登は驚かないようになっていた。
そんな健登の態度が不満なのか、白は悔しそうに着物の袖を噛む。
「キーっ!! そうじゃ小僧、今のおまえになら見えるやもしれぬ、眼を凝らしてよくわしの姿を見てみい」
「目を凝らしてぇ?」
「そうじゃ、集中して、闇の中遠くを望むように、遥か深淵を覗き見るかの様に……」
なにをさせたいのかよくわからないが、白に言われるがまま健登はなんとなく目を細め、遠くを見る様に白を凝視すると。
なにか、薄い光の膜のような……そう、オーラのような物が白の背後で揺らめく。
尻尾? 太く膨らんだかわいらしい尻尾が、白のお尻の部分から生えているように見えた。
だが、もう一度目を凝らした瞬間、その尻尾が九つに裂け白の周りが黒い霧のような物で覆われたように感じられた。
その霧は健登の所まで広がり、まるで闇に纏わり憑かれるとでも言ったらいいのか、健登はなんとも言えない圧迫感に今にも押しつぶされそうな感覚を覚える。
恐る恐る白の顔を見ると先程までの愛くるしい少女の面影はなく、恐ろしい、なにか形容しがたい恐ろしいモノに見えた。
「守羽くんっ!!」
弥命の呼ぶ声に我に返る健登気が付くと、汗だくになり呼吸も乱れていた。
いつの間にか膝の上で握り拳を作り身体は硬直し震えている、今のは幻だったのか? 目の前に座る一見かわいらしい少女の瞳の奥に、とても恐ろしいなにかを垣間見たような気がした。
「ふふふん、どうやら見えたようじゃの、わしの本当の姿が」
「本当の姿?」
「そうじゃ、まあ本当の姿と言っても、九つある内の七つは理由あって今はここにはないがの」
どういうことだろうか? 健登が意味を理解できないでいると、その言葉に唱が驚き声を荒げる
「白様っ! その様なことまでっ!」
「よいよい、小僧一人がそれを知った所でなにするものか」
想像していた人物像とは全く違ったものの、もっと恐ろしい物を見たような気がして健登は複雑な気持ちになった。
そしてなによりそんな物が見えてしまったことが恐ろしかった。
白は今の健登にならと言っていたが、なにか変な術でもかけられてしまったのか?
「あのぉ、今見えたのはいったい、俺の目どうなっちまったんですか?」
「ふむ、少しはしおらしくなったようじゃの、安心せい、神器の力を使った副作用みたいなものじゃ、多少そう言った霊的なものに敏感になっているだけでそのうちまた見えなくなる、今までなんの力もなかった者が触れただけでそうなってしまうほどに神器の力は絶大だということじゃ」
やっぱりあの剣の影響らしい、弥命の身体から出てきた刀。
それだけでも驚きなのに、その剣を手にした瞬間健登はそれがなんなのか一瞬で理解し、その力の一端を使いこなし、見事あの獣人を人へと戻したのである。
「あの剣のことは手にした瞬間にだいたい理解したんですけど、神器の巫女ってなんなんですか?」
天羽々斬……日本神話の中に登場する須佐之男命が、それを手に八岐大蛇を退治するという有名な話であるが、あんなものは作り話である。
それが実在し、しかも人の体の中から飛び出してくるなど、まったくもって馬鹿げた話だ。あれだけのことがありながら、一応現実に起こったことだと認めながらも健登はまだどこか半信半疑、壮大なドッキリかなにかを仕掛けられているのではないかと勘繰ってしまう。
そんな健登の問いに答えたのは唱であった。
「元来巫女とは神に仕える女達のことを言います。仕えると言いましてもその身に神を宿し、様々な神託、お告げですね、それを伝える役割を担っていたと言われています。その中でも神そのものではなく、神々が使用していた武器や道具などをその身に宿し、守り伝えてきた者達を神器の巫女と言いました。現代では神器のお傍でお仕えする者を神器の巫女、神器をその身に宿す者を神器の姫巫女と呼んでいます。そして現在、弥命が天羽々斬の姫巫女なのです。」
かなり簡単にかいつまんで説明してくれたっぽいので、健登にもなんとなく理解できた。
そして、もう一つの疑問を健登は口にする。
「だったら……その剣、もう一度出せるんですか?」
健登のその問いに、弥命、朱音、唱の三人は押し黙ってしまった。
なんだかとても気まずい空気だ、ひょっとしてこれはかなり不味いことになっているのだろうか、健登はなんとなく白の方を見てみる。
すると、白はなにかとても意地悪な笑みを浮かべ健登のことを見ていた。
「それじゃ! おまえに直接会って話をしたかったのはそのことなのじゃ、本来神器の封印は姫巫女だけが解くことができるもの、ましてやそれを解放し実体を顕現させ力を振るうことができるのは、神以外には神器を身に宿していた姫巫女以外には不可能と考えられていたのにじゃ」
そんなことはない、確かに自分は神器を引き抜き使った。
健登は怪訝な顔をする。
「はっきり言うぞ、神器の封印は解かれたが弥命は未だ独力で解放することは適わず、それをおまえはやってのけた、これまで千と余年、神器を解放できた者できなかった者、幾人もの姫巫女共を見てきたがこんなことは初めてじゃ」
白はワクワクを抑えきれない様子で健登ににじり寄り捲し立てた。
「おまえはいったいなんなのじゃ? おまえの中にあるなにか特別な力がそれを可能にしたのか? 或いは弥命の中の何かがそうさせたのか? なんなのじゃなんなのじゃ! こんなに面白いことは何百年振り、わしはおまえにとても興味が湧いてきたぞ」
白は健登の鼻先まで顔を近づけまじまじと見つめる、白の吐息を感じ少しドキドキしてしまう、キラキラと輝くその瞳はまるでデパートで新発売の玩具を目の前にした子供の様であった。
三千年を生きている妖怪と言っても見た目は人間の女の子と変わらない、健登は照れてしまい白の目を見ることができずに視線を逸らす。
「そこでじゃ、わしにも、弥命の内から神器を引き抜くところを見せてほしい」
「は?」
「は? じゃない、おまえが一度やってみせたことをもう一度ここでやれと言っておるのじゃ」
突然の白の無茶ぶりに健登ではなく弥命が反応する。
「な! ななな、なにを!!? 白様っ! 突然何を仰るのですかっ! そんなことできるわけ」
弥命も唱も、白が健登を呼べと言い出したのは、姫巫女以外の者が神器を使用したことを問題視し、問い質す為かと思っていたのに、まさか興味本位からただ自分がそれを見たいだけだったとは思いもしなかった。
「だって! わしだって見たいんじゃ! 神器が他人の手によって引き抜かれる所を見たいのじゃ!!」
駄々っ子のように健登の手を掴みくねくねと体を揺らす白、しかしその手を掴み引く力は、見た目の子供の物とは全く違った。
健登は抵抗するも、いとも簡単に白に引き摺られ弥命の前まで連れて行かれる。
「ほれ? どこじゃ? 弥命の胸のどこら辺からハバキリがでてきたのじゃ?」
健登の手を掴み弥命の胸元へと伸ばす白。
「だああああっ、ちょっと待て何考えてんだ! やれったってそんな簡単にできるもんじゃねえだろっ!」
「やってみんことにはわからんじゃろうがっ! 弥命も恥ずかしがっとらんでその無駄に膨らんだ乳をもっと前にださぬか!!」
このガキなんつー力をしてやがるんだ、必死に腕を引っ込めようとするも白の力があまりにも強いので健登は抗えない、このままでは弥命の胸を触ってしまう。
弥命は弥命で白と健登の迫力に気圧され、逃げ出しもせずにただアワアワしているだけだった。
「いい加減にっ!」
死力を振り絞り全身の力を使い振りほどこうとした瞬間、白の力が抜ける。
急に拘束から解放され、健登は足を滑らし前のめりに倒れてしまった。
「あいてて……」
なにか柔らかい感触を手の平に感じる……これはまさか?
視線を上げると、健登は弥命に覆いかぶさるような体勢で右手は弥命の胸を握っていた。
「こ……これはその、何と言うか、ははは」
その状況に固まる一同、まるでここだけ時間が止まってしまったかのようである。
健登はなんとかその場を誤魔化そうと愛想笑いを浮かべるも、なにも言い訳が浮かんでこなかった。
そして、時間は動き出す。
「き……」
硬直していた弥命の口から洩れる音、次の瞬間。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
弥命の平手打ちは日頃の鍛錬の賜物か、眼にも留まらぬ素晴らしいキレで健登の横っ面を貫いた。