三年目の寝太郎 16
「タニシ、ちょっと」
「どうした?」
「何だか腕が締め付けられているみたいなんですけど」
「当然だ」
奇妙な感覚に戸惑いながら、全くわかっていない顔で凶華は首を傾げる。
「一体何をするつもりなんですの? 少しは説明なさい」
「簡単な話だ。水をぶつけるんだ」
「水を? そんなんであの大きな円盤が止まるんですの?」
「それは勢い次第だな。だからこうして、特製水鉄砲の準備をしている」
「とくせい……みずでっぽう?」
聞き覚えのない単語を健乃が繰り返す。
「あぁそうだ。僕の本気の一撃だ」
「タニシの本気って、ザリガニを吹き飛ばす程度では倒れませんわよ、あの円盤」
「まぁ聞け。僕にはくっそ底意地の悪い義理の姉がいるんだが、何が気に入らないのか知らないが、仲が悪くてな」
「タニシであることが気に入らないのでは?」
「タニシの弟とか、食べる以外に役に立たないよね」
「譲歩の余地がねぇ!」
水の膜が圧を増し、次第に固くなっていくせいか表面の揺らぎがなくなっていく。
「で、仲が悪くて嫌がらせでもされたんですの?」
「うむ、あの女、僕を起こす時に金槌を用いるようになってな」
殺しに来てるじゃねーか。
「ダメだなぁ、その人」
「やっちゃんもそう思うか」
「割れたらつぼ焼きできないよ?」
「いや、そういうことじゃなくてな」
心底残念そうなところが本気っぽくて悲しいタニシである。
「まぁとにかく、僕は身を護るために、この技を編み出したのだ!」
「で、上手くいきましたの?」
「ある意味な」
というタニシの言葉に、健乃と凶華が同時に首を傾げる。
「思い切り撃ち出してやったら、自分が飛んだ」
「なるほどですわ」
「そしてアイツのお気に入りの花瓶が割れた」
「そういえばウチの水瓶も割ってたよね」
懐かしい話である。
「そして跳ね返った僕は家の外に飛び出してしまってな。帰ってくるのに一日かかった」
痛み分けである。
「だが今回は、飛ぶことはない。お前たちが支えてくれるからだ!」
タニシは更に集中する。
直径三尺程度の透明な球体は、まるで未来を見通す水晶玉のように輝きを放つ。その表面を柔らかな月明かりが滑り降りていく。
だが、その月明かりが何者かに遮られた。
あの円盤だ。
轟音と地響きが、間近に迫る。
あの筋肉と違い、進路上に立っているワケではないので大きな危険はないが、その距離は凶華が一足飛びにできるギリギリといったところだ。
感覚的には、酒呑童子の振るう金棒を紙一重で避けているような、それほどの迫力がある。
「よし、そろそろだっ。踏ん張れよ!」
三尺水晶の中心にいるタニシの言葉に応じて、僅かに凶華の重心が落ちる。その微かな視界の変化も考慮に入れて、タニシは狙いを定めた。
とはいえ目標は極めて大きな、視界全体を覆うような円盤岩だ。しかもその中心目がけて撃つとなれば、目を閉じていても外すことはない。
しかし目を見開いたままのタニシはしっかりと狙いをつけ、水晶玉の表面に小さな、針の穴程度の綻びを作った。
その時だ。
激しい轟音と地響きの中、ふと風が通る。
未だ実をつけていない柿の木の枝を梳き、葉を揺らす。
その風は健乃の頬も撫でていった。
「へくちん!」
夏というにはまだ早いこの時期、夜風はまだ涼しすぎる。
ドンという、破裂音というよりは爆発音と共に文字通り噴き出した細く鋭い濁流は、起点となる穴とタニシを結ぶ直線上をひたすらに突き進む――ハズだった。
しかしそれは、些細な影響によるものか失敗によるものか、左へと逸れていく。
と同時に撃ち出した二人と一匹も、凶華の踏ん張りの甲斐なく地面を離れて転がった。
鬼族の一員である凶華ですら抑えきれないほどの勢いを有したまま、確実に左へと逸れていく水鉄砲。
目の前を左から右へ転がっていく円盤から、隠れていた月明かりが顔を出した瞬間、その円盤の左端――正真正銘円の最も左側の円周に、水鉄砲の先端が突き刺さった。
否、掠めた。
当たったというには、あまりにもささやかな当たり方である。
しかしそれでも、鬼の爪の如きその先端は岩を軽々と穿ち、まるで泥団子を崩しているかのように一端を削り取っていく。そして一番左端に、ある意味効果的に加わった一撃は、円盤の進路を僅かに右へとズラしていく。
「何とか当たったが、これは――」
青々とした田んぼに転がり落ちて泥だらけになった二人と一匹が慌てて立ち上がると、本来屋敷を真っ二つにしていくハズだった円盤がフラフラとしながら丸太へと突っ込んでいくのが見える。
「壁が……なぎ倒されていきますわ」
そう、右へ少し逸れた円盤は、本来突き抜けるべき正面の丸太ではなく、丁度丸太の外郭を辿るように突き進む。そして端からなぎ倒し始めた。
まるで怪物の咀嚼音のような、派手なばかりではなく迫力を伴った破壊音を撒き散らしながら丸太の壁を蹴散らしていく。そして少しずつ勢いを殺され、今度は大きく左側へと傾いていく。
それはまるで狙っているかのように、寝太郎宅を取り囲む丸太の壁を食い荒らし、蹴散らし、なぎ倒していく。
涼やかな月明かりの下、全ての丸太を倒して一周を終えた円盤岩は、少しだけ内側に食い込んで屋敷を囲むように半周回った後、ついに力尽きて倒れていく。
びたーんと、圧迫された屋敷の空気を瓦礫ごと押し出して、全てが終わった。
「……屋敷、潰れましたわね」
「あぁ、見事にな」
「まだお料理残ってたのに」
健乃が一番無念そう。
とにもかくにも、寝太郎(偽物)圧殺事件は一定の解決を見たのであった。
犠牲者は一名。
被害の大きさの割には最小の犠牲者で済んだのではないかと、後に囁かれることになる。
ちなみに、そのたった一名の犠牲者は自ら円盤に突っ込んでいったということで、実質一人の犠牲者もいなかったと言っても過言ではない。




