うすうす気づくオモイ 02
「この奥か」
呟くタニシの前には、大きな扉が一つ。
普段あまり開け閉めされていないことが見え見えの、古びた扉だった。
ぶっちゃけ汚い。
そして暗い。
更にカビ臭い。
「……何も見えない」
健乃も呟きを漏らす。
船行灯は遥か後方だ。目の前に扉があるということ以外、何もわからない。このまま扉を開けたところで、何が出てきてもわからないような気がした。こんな状況で見えるのはホタルか幽霊くらいのものだ。
「くくく暗いなら戻ろうっ。それがいいっ、うん!」
大の大人が幼女の背中に隠れている。
所々はみ出して隠れきれていないところか、また一段と哀れでならない。
「丁度いいからお前さん一人で戻って、途中にある船行灯持ってきてくれない?」
「ふざけるなっ!」
これ幸いにと雑用を口にするタニシに若者が切れる。
「いや、このままじゃ何も見えないし」
「この安息の地から出たら僕は死ぬぞっ。それでいいのか!」
「いや、死なないし」
幼女の背中は安息の地らしい。
あながち間違っていない。
「とにかく嫌だ。何があっても僕は彼女と一緒だ!」
最低の大胆な告白である。
「……まぁいいか。とりあえず中の様子を窺ってみようぜ、やっちゃん」
「でも何も見えないけど」
「見えなくても聞こえるだろ。扉に耳を当ててみろ」
「なるほど」
言われるままに首を捻って右耳を押し当てようと近づく。
その時だ。
ごろごろごろごろごろごろごろっ!
雷かと思うような重低音が、足元を伝って響いてきた。
「ひゃわああぁぁぁぁぁぁああぁぁっ!」
背後からけたたましい悲鳴も上がる。
ごろごろごろごろごろごろごろっ!
右から左へ音が走る。
「ふやぁああぁぁぁあああぁぁぁっ!」
背後で鳴き声が上がる。
ごろごろごろごろごろごろごろっ!
今度は左から右へと音が走る。
「おひぃやあぁぁぁああぁぁぁぁぁっ!」
『うるさいっ!』
幼女とタニシの声が完全にハモった。
「だだだだって、だってぇ」
「大の男が泣くな。みっともない。部屋の中で何かが転がっているだけだろうが」
「船が揺れてないのに転がってるんだよっ。怖いよ!」
「転がることの何が怖いんだ。誰だって殻に閉じこもったら転がるだろ」
「タニシ基準で語るなっ!」
「大体だな、この程度の音にビビッてどうする。怨念めいた呟きでも漏れ聞こえてきたっていうなら話は別――」
『あひたひあひたひあひたひあひたひ……』
何か聞こえる。
「うひょおほおああぁぁあああぁぁっ!」
「もう、ホントにうるさいなぁ」
はふぅと小さな溜め息を吐いた健乃が、半眼で背後の若者へと視線を投げる。
その冷たい眼差しに、ちょっとだけゾクッとした若者は、多分Мである。
「いやいや、よく考えてみてよ」
そんな高揚感を振り払うように、若者は反論する。
「明かりもない暗い部屋で、ゴロゴロ転がった挙句に変な呟きを漏らすんだよ。普通に怖いでしょ!」
「私もよくやるけど?」
「そんなバカな!」
「動きたくない午後の昼下がり、歩きたくないから転がってみたけど棚の上まで手が届かなくて『食べたい』と何度も呟くことくらい、誰にだってあるよ!」
「いやないよ!」
「さすがにそれはちょっと怖いぞ、やっちゃん」
「えー……」
タニシからも否定されて、健乃ちょっとショック。
ちなみに同居人がいる時にそれをやって、何人か逃げ出して幽霊小屋だと噂になったことがあるという実績持ちである。
「まぁそれはそれとして、だ」
タニシは一呼吸置いてから、改めて続ける。
「とりあえず開けてみようぜ」
「ないわー、それはないわー」
「わかった」
一人反対する若者の声など聞こえてすらいないのか、健乃はえいやとばかりに両開きの引き戸の片方を押し開いた。少しばかり重くてズリズリと開いていく非力な様が、妙にあざとい。
「さて、中には一体何が?」
目と耳を塞いで背中に隠れた一人以外が目を凝らす。
しかし、何も見えない。
「……タニシ」
「何だ、やっちゃん」
「光って」
「無茶言うな。僕はホタルじゃない」
「ケチ」
「いや、ケチとかそういう問題じゃない」
さすがの難癖にタニシも笑うしかない。
「むしろやっちゃんこそ、暗い所が好きなら夜目とか利かないのか
?」
「暗い所でよく見えたら落ち着かないよ」
「なるほど、それはもっともだ」
色々とよく見えないからこそ闇は落ち着くのだ。
真理である。
「あ、でも何か慣れてきた」
「うむ、僕も薄ぼんやりと見えてきたぞ」
それほど広くない船室には網や釣り竿といった物が散乱しており、全体としては雑然としている。しかし、そのいかにも船の物置らしい部屋には、一つだけ似つかわしくないものが鎮座していた。
それもど真ん中に。
「……臼がある」
「うむ、確かに臼だな」
一人と一匹は頷き合った。
「おい若者よ」
「怖くない怖くない怖くない……」
呪詛が聞こえる。
というかお前が怖い。
「いい加減現実を見ろっ」
「嫌だっ。何もない。ここには何もないんだ!」
「いや、何もなかったけど?」
「まさかっ!」
若者は立ち上がり、急いで目を開ける。
「嘘吐きぃいいいぃぃっ。臼の幽霊出たああぁぁぁぁっ!」
「いやいや、幽霊じゃないだろ」
「お餅食べたい」
「やっぱり存在感ないんだっ」
最後の発言に、一同が沈黙する。
というか、存在感ありまくりですよ、アナタ。
「臼がしゃべったあああぁぁぁあぁぁっ!」
「あーもーうるさい」
健乃ですらちょっと呆れ気味である。
「まぁタニシの僕がしゃべれる以上、臼がしゃべっても不思議ではないが――」
そう前置きしつつ、タニシは決め顔を臼へと向ける。
「君、ただの臼ではないね?」
「あ、えっと、サルカニ合戦の臼です。一応……」
そう答える声は、臼には似つかわしくないほどに澄んだ、優しい女性の声だった。
ちなみにサルカニ合戦は、説明する必要もないほどメジャーな昔話の一つである。
が、説明しておこう。
サルカニ合戦はサルのいじめで殺されたカニの親の仇を子ガニが討つという忠臣蔵みたいな話である。
未必の故意によって殺してしまったサルを、陰口で仲間を集ったカニが集団でボコるという、あまり教育に良くなさそうなお話ではあるが、一人の悪人を善人の集団が一度にボコるというのは正義の世界では当たり前のこととして認められているので、そこはスルーしたい。
ちなみに止めを刺したのは臼である。
なんて酷い。
「違うんですぅ。あれは違うんですぅ!」
いきなり泣き出す臼に、二人と一匹は唖然とするしかなかった。




