二つの長者大戦 12
朝食を食べ終えた凶華が角を曲がったところで、何かが彼女のおっぱいに突撃してきた。
「わぷっ!」
埋もれてもがいている。
一応彼女的には普通に着込んでいるつもりなのだが、どうにも大きすぎるせいなのか胸元が見えており、この町へ来たばかりの頃は遊女と間違われることも多かった。現在は彼女自身の知名度が上がったこともあり、胸が大きいことをアピールするスタイルとして定着しつつある。
「あらあら、大丈夫ですか?」
スポンと引っこ抜くと、相手を確認する。
「誰かと思えば、やっちゃんじゃありませんか。おはようございます」
「うん、おはよう」
はふぅと一息ついて、健乃も挨拶を返す。
「まだ眠そうですね?」
「うん、起きたばかり」
「朝食の準備はできてますよ。食べて目を覚ますといいですわ」
「うん、そうする」
半分閉じた目を擦りながらフラフラと覚束ない足取りですれ違っていく。この炭焼き長者の食事は、組長も含めて同じところで食べることになっており、言うなれば社員食堂が存在する。臨時で雇った大工さんなどの職人たちも利用しており、食べる時間もバラバラなので朝から晩まで常時稼働している。昔ながらの上下関係を重んじているわらしべ商会と違い、全体的にフランクな雰囲気だ。
そのせいか、従業員の中には凶華のような人外も珍しくはない。健乃のようなあからさまな幼女がウロウロしていても、あまり目立つこともなかった。
「食堂の場所、おわかりですかぁ?」
背中に呼びかけると、右へフラフラよたつきながらヒラヒラと手を振り返してくる。一応は大丈夫ということらしい。
「……まぁ方向は合ってますし、近くまで行けば匂いでわかりますわね」
凶華は少し後ろ髪を引かれるような面持ちながらも巡らせていた首を戻し、再び歩き始める。
一人と一匹がこの炭焼き長者の一員になってから一晩経ったが、まだそれほど大きな変化は訪れていない。むしろ拍子抜けするくらい平和な朝だ。
「ちょいと凶華っ」
屋敷周りの掃除から始めようかと玄関に向かっていた彼女に、右手から声がかかる。
「あら奥様、おはようございます」
「おはよう。聞いたよ、アンタ。昨日妙な座敷童子を拾ってきたらしいじゃないか」
「はい、旦那様の許可はいただきました」
「そういう話はまず私のとこに持ってきな。というか、普段ならそうするだろうに」
「でもあの子、お仕事の役には立ちませんし、単なる居候ですから旦那様の管轄かと思いまして」
「そうなのかい? まぁ聞いた話によるとわらしべに一発お見舞いしてやったとか何とか」
「単なる偶然かもしれませんが」
「それでもいいさ。あのバカ息子が困るんだったらね。それに、向こうが持て余して手放したもんをウチが引き取って何ともならなかったら、アイツはさぞ悔しがるだろう」
「でしょうね」
ヒヒヒと笑う奥様。
おばさんと呼ぶと怒るお年頃なので、魔女のおばあさんぽいなどという表現は命取りである。
「とはいえウチは大丈夫なのかい?」
「私がその分は働いて取り返しますので」
「まぁアンタの働きは確かに助かってるけど、噂だとヤクザや妖怪が大挙して押し寄せるとかって話じゃないか。そんなのどうにかなるのかい?」
「そのくらいなら何とか」
なるんかい。
「まぁアンタが言うなら信じるさ」
「ありがとうございます。ところで今朝方屋敷の四方にスズメバチが巣を作っていたのですが」
「おいっ、全然大丈夫じゃないじゃないかい!」
「慌てないでください。とりあえず玄関付近一つは遠くに飛ばしておきました。他は近づかない限りは問題ありません。しばらくは私が屋敷の周囲の掃除をしますので、他の方にそう伝えていただけると助かるんですが」
「……わかった。伝えとくよ」
「助かりますわ」
「それにしても随分と入れ込んでいるじゃないか。ひょっとして昔馴染みとかなのかい?」
「いいえ」
凶華はとびきりの笑顔を作り、心底楽しそうに続ける。
「ついこの間会ったばかりですわ」
箒を片手に裏庭へと回る。
この時間は元々人の姿はない。しかも現在はスズメバチの巣が絶賛造成中なので余計に誰も寄り付かない。生憎ブンブンとうるさいので静かではないのだが。
それでも凶華の足取りは軽い。抜け落ちたカラスの羽根より軽い。
この大きな屋敷の中で、様々な仕事を回されることの多い彼女が純粋に一人でいられる時間というのは決して多くはなく、今がその貴重な時間なのだ。今なら王様の耳の話だってできる。できてしまう。おあつらえ向きに井戸もある。
「ふふふふふふ……」
凶華は笑い出した。
「おーっほっほっほっほっほっほ!」
でも右手の甲を口元にあてている辺り、どこか上品だ。
「これでっ、これでようやく、この街の長者は大打撃ですわっ。人の世を崩壊させ、いずれはこの私が世界を手に入れるための一歩、その第一歩がようやく果たされるのですっ。これが笑わずにいられましょうかっ!」
「えー……」
妙に近くからドン引きしている声がする。
凶華はふと俯いてみた。
するとそこに、胸の谷間にタニシが挟まっていた。




