90.禍福の日々Ⅰ
たとえば時限爆弾を背負って歩けばこのような気分になるのではないか、そんなことをヤマシタさんは思った。
外で、夜道で、冬だった。
両側にはビルのようなものが立ち並び視界は良くない。
暗い景色は更に暗く、街灯はもちろん月明かりですら届かない。
いま現在は人姿であり、下半身に布を巻き付けたような格好だった。
うっすらと全身に汗をかいているのは、現在進行形で運動を行っているためだ。
「ううぅ……」
背負っているのは委員長。
着膨れした上に、全身を毛布で巻き、額にはピタリとジェル保冷剤が張られてる。漏れ出る『不運』に晒され、徐々に崩壊しようとしている。
委員長はそれほど大柄ではないが、この場合は比べる相手に問題があった。
ヤマシタさんとの体格差は相当なもの。少年は一歩ごとに全身の力を振り絞り進まなければならなかった。
特に酷使しているのは太ももと足だ。太ももは移動力の源であり、その筋肉を使わなければ進むことが出来ない。足にある大小無数の傷は靴も履かず素足でいるためだった。
まったく人間の足というものは、どうしてこんなにも寒さを考慮した作りになっていないのだろうかと少年は思う。肉球の持つ機能性が少しも無い。
背負う委員長は、ときおりコホコホと咳をつき、バコンバコンと周囲の建物を破壊した。
瓦礫に埋まらぬようにするために、足を速めなければならなかった。
「……」
流れる汗の量が多くなる。
果たして、たどり着くまでにどれだけの建物が倒壊するだろうか。
被害総額を思うと、胃が痛くなる。
もっとも、それを請求される可能性は低いだろう。
この未誕世界では人の住んでいない建物が数多くあった。
『生まれ』ておさらばした者たちが残したものだ。
また、選んで裏道を通ってもいた。
寂れたそこは暗く、寒く、薄汚れているが、そのぶん人通りが少なく、巻き込む公算も低くなる。
もちろん、低いだけで確実にいないとはいいきれない。
変わり者はいつの世にもいる。あのタレ目だって変わり者の部類だからこそあんな変な建物を選んだ。
仮にここに住む二回生の家を壊したら、この場で『生まれ』ることになりかねない。
恐怖と苦悩を押し殺しながら、少年は進む。
できるだけ早く、安定した場所で看病する必要があった。
「拙者の選択は、果たして正しいのだろうか……」
少年の首輪に触れ、安心したように息をつく委員長の様子を確かめながら、不安は湧き出た。
+ + +
通常、委員長と呼ばれる彼女は病気にかかりにくかった。
ウィルスや雑菌の類が、彼女に触れたとたんに自壊するためだ。周囲の雑菌の類を集めながら破壊する空気清浄機的な役割すらこなす。
だが、それも完全というわけにはいかない。
一割かそれ以下の『幸運』なものが入り込むことがある。
そうなれば、ごく普通に風邪を引く、『不運』にとりつかれているだけあって一度かかれば長引く。場合によっては新種のインフルエンザが誕生する。
健康か重病か、そのどちらかしかないのだ。
だからこそ、あるときヤマシタさんが委員長のところを訪れると、クレーターが出来ていたのも、それほど不思議な現象ではない。
周囲一帯が陥没し、すり鉢状と化していた。
大きさとしては大したことはない。
円周の向こうがまだ地平線に隠れていない。
おそらくアリがアリジゴクの巣をのぞき込んだ程度のものだ。
……一般的には壊滅的な被害と言うのかもしれない。
円周の外側ほど大ざっぱに破壊されたものは進むに従って細かなものとなり、やがては細かいガラス質の砂と化しており、中心には、完全球体の漆黒があった。
夕日に照らされ、ゆっくりと回転していた。
球体の周囲では風すら壊れ、無風状態となっていた。光や重力の類ですらも壊れてしまっている。
世界の一部が欠落した――言ってみればそのような状態だ。
酸素までもが巻き込まれていないのは、無意識的にでも操作を行っているためか。
「委員長殿、そのように拗ねずともいいのではないだろうか」
ため息混じりに猫は言う。
「少しばかり長く放浪していたのは拙者の落ち度ではあるが、このようなことをせずとも――」
返事はなく、代わりにロープが右前足にからみついた。
ぱん、と軽く音を立てて暗闇が弾け、だるまのように着膨れした委員長がころんと転がり出た。
真っ赤な顔で、咳をこほこほ出し、鼻水を垂らし、顔色が悪かった。
完全に風邪だった。
「む――」
「あ、ご主人様」
「その呼び方は止めてくれないだろうか」
「あんまり今の私の顔は、見ないでください」
「善処する」
「風邪を移してしまいますから、離れたほうがいいです。こうして大人しく寝ていれば、きっと治ります……」
「委員長殿は……その、寝相が悪いのだな」
「え? すうすう夢も見ずに寝ていましたよ? あ、なんだか涼しいですね……」
「そうか、ならばまた寝ているといい」
「はい……」
しゅごん! と音を立ててまた完全球体へと戻った。
そのままズブズブと周囲を破砕しながら沈んでいく。
快復する頃には、どれだけの穴の深さができあがっているかわからない。
というよりも、どうやら自分の状態を自覚していないようだった。
「致し方なし……」
そう口にしたのは、ずいぶんと迷ってからだった。
そう、ここで放置してしまうわけにはいかない、どこか安全な場所に移送しなければならないだろう。
そして、猫姿のままでは運搬などできない。
今の委員長を車やリアカーやその他の運搬用具で運ぼうとしたところで無駄であることは明白だ。おそらく一メートルも進まない内に壊れて大地に帰ることになる。
人姿で、運ぶ必要があった。
未だ委員長にはヤマシタさんが人型をとれることはバレていないはずだった。
以前、あのタレ目の仲間には知られてしまったが、角度として彼女には見られていない。
どうもそんなこと関係無しに気づかれているのではないかという疑いもあるが、まだ大丈夫だ、そのはずだ。以前に同じくらい背丈の子供を指して「あ、似てますね」などと言われたこともあるが、誰と似ているかまでは言っていなかった。
どちらにせよ、ここで見捨てる選択など取れない、それだけは確かだ。
「――っ!」
人型へと変化する。体が膨れ上がり、毛が引っ込んだ。
毛皮代わりの服はなく、寒空にただ裸で放り出される、寒さが全身を直撃し、鳥肌が気持ち悪いほどに立つ。
引っ込もうとするリードロープを引き留めた、再び委員長は転がり出る。
幸いなことに本当にすうすうと眠っている。
体格差に四苦八苦しながらも、なんとか背負う。
あと問題は――
「病院へ行くべきか、どうするべきか……」
通常であれば迷うことなく行けばいい。
だが、今の委員長がそこへと到着すれば、大災害が発生する恐れがあった。
なにせまったく『不運』を制御できずにいる。常人が近寄ればそれだけで死にかねない。
「だとすると――」
迷惑をかけてもいい相手となると、ほんの数人しか思い浮かばなかった。
ましてや人としての姿を見られてもかまわない相手、逸らす程度とはいえ委員長の『不運』を制御ができる者となると――
「うむ、以前、共に死んでも構わぬと拙者は承知した、ならば逆もまた然り」
タレ目の仲間しかいなかった。
どこか嬉しくうきうきしているように見えるのは、決して「不運災害に巻き込める仲間が増えるから」ではない。
すり鉢状になった場所から出るだけで体力が削られ、素足は傷だらけとなったが、ヤマシタさんと呼ばれる少年は下ろすことなく歩き続けた。
もうすっかり日は暮れ、更に寒くなろうとしていた。




