表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プロジェクト・アマテラス ― 三貴機神再生計画 ―  作者: 狐月華
1. カルナ・フロラ浸透作戦
64/64

第63話 預言者の眼

 藤原博士は、最後の一口を飲み込んだあと、わずかに喉を鳴らした。指先に残る油の感触を、紙ナプキンで拭いながら――ゆっくりと口を開く。


「……ジョディちゃん、申し訳ないんやが、帰りに寄り道させてもらって良いかね?」


 視線を送る。試すようでもあり、確かめるようでもあった。

 ジョディはフォークを止め、軽く首を傾げる。


「良いですが、どちらに行かれるおつもりですか?」


 声音は変わらない。だが、その奥にある注意深さだけが、わずかに色を変えていた。藤原博士は、ほんの一瞬だけ間を置く。

 潮風が、その沈黙を埋めるように吹き抜ける。


「ああ――あの預言者の坊主の話を、ちょっと聞かせてもらおうかと思ってね」


 軽く言ったつもりだった。だが、その言葉はわずかに場の空気を変えた。

 潮風が吹き抜ける中で、ジョディはフォークを止めたまま、静かに視線を上げる。表情は変わらない。ただ、その瞳だけがわずかに細められた。


 数秒。短い沈黙の中で、思考だけが静かに巡っていた。


「……そうですね」


 納得とも、確認ともつかない声を落とし――そして、ふっと口元を緩める。


「それじゃ、テイクアウトのドリンクの追加で手を打たせてもらいます」


 片目を閉じて、軽くウインクする。

 その仕草には、さきほどまでの張り詰めた気配はなく、すでに話はまとまっていることだけが、さりげなく伝わってきた。

 藤原博士は、思わず小さく笑った。


「しっかりしとるなぁ、ジョディちゃん」


 小さく漏れた笑いは、感心と苦笑が入り混じったものだった。その響きに、わずかな頼もしさが滲む。

 ジョディは肩をすくめる。


「レディとのデートを延長するには、追加料金がかかるんですよ」


 さらりと言ってのける。


 足元では、ニワトリたちが諦めきれずに地面をつつき、吹き抜ける風に紙皿の端がぱたぱたと揺れていた。


「じゃあ、行きましょうか」


 ジョディが立ち上がる。容器の蓋を閉じ、手際よくまとめる。

 藤原博士も、それに続いた。


 視線の先――スラムの奥へと続く細い路地。さきほどまで何気なく見ていた風景が、今はわずかに違って見える。


 容器をダストボックスに放り込むと、ジョディはそのままくるりと踵を返し、窓口へと戻った。


「Lサイズ、ひとつ追加で」


 慣れた口調で告げる。


 受け取ったカップは――明らかに大きかった。

 片手で持つには少し躊躇するほどのサイズ感。氷がたっぷりと詰め込まれ、透明な蓋の内側で音を立てている。


「……それ、飲みきる気かね?」


 藤原博士は、思わず眉をひそめた。


「移動中にちょうどいいですよ」


 藤原博士の懸念を気にもとめず、ストローを差し込む。軽く一口。氷が、カラン、と乾いた音を立てた。


 藤原博士は小さく息を吐く。


「……ようそんな量、平気でいけるな……」


「褒め言葉として受け取っておきますね」


 軽く流しながら、ジョディは歩き出した。

 藤原博士も、その背を追う。

 そして――港のざわめきから離れ、再びスラムの中へと戻っていく。


 ――預言者。

 神の加護で未来が見えると語る、あの少年。

 軍の干渉を恐れてか、一定の場所には留まらない。食事をとる前に見かけた場所とは少し離れたところに、少年はいた。


 少年の周りには、護衛するように立つ大人が数名。

 そして、その周囲を行き交う者の中で、足を止めて話を聞いている者が、ぽつぽつといるだけだった。


 ただの子供の戯言――そう切り捨てられかけた空気が、場に残っている。


「……おったな」


 藤原博士が足を止める。


 その視線の先――スラムの雑然とした空間の中、壊れて打ち捨てられたトラックの荷台に、ひとりの少年が立っていた。

 錆びついた車体は歪み、長く放置されていたことを物語っている。その上に、細い体でまっすぐ立ち、周囲を見下ろすようにして声を張り上げていた。


「――ワイアナエの基地は危ないんだ!」


 かすれた声。それでも、その言葉はざわめきの中に確かに届く。そこには、ただの叫びでは終わらない、奇妙な確信が滲んでいた。


「このままだと、あそこからモンスターが出てくる!」


 その叫びに、周囲の人々がざわめいた。信じ切るには荒唐無稽だが、笑い飛ばすには妙に引っかかる――そんな曖昧な空気が場に滞る。

 藤原博士は無言のまま、その様子を見つめていた。


(……やっぱり、あの目や)


 ただの子供ではない。少年の右目が、微かに――だが確かに、淡い光を帯びている。

 隣でジョディが、小さく呟いた。


「相変わらず、目立ってますね」


「探す手間が省けて助かるわ」


 短く返し、藤原博士は一歩、前へ出る。人混みに足を踏み入れた瞬間、ざわめきの質がわずかに変わった。それを感じ取ったのか、少年の声がふと揺らぐ。

 そして次の瞬間、その視線がまっすぐに藤原博士を捉えた。


「ジャパニーズ! 貴方はジャパニーズですね!」


 先ほどまでの叫びとは違う、一直線に向けられた声だった。

 藤原博士はわずかに顎を引き、頷く。


「ああ、ワシは日本人じゃ」


 そう言って踏み出そうとした、その瞬間――す、と横から影が差し込んだ。

 ジョディだった。


 ドリンクを持ったまま自然に半歩前へ出て、藤原博士の進路をわずかに塞ぐ。同時に、空いた手がさりげなく腰へ落ちる。


 ――銃。


 視線は動かさないまま、周囲を捉える。少年の背後では、護衛の一人が反射的に上着の内側へ手を差し入れていた。

 空気が、わずかに張り詰める。引き金に指がかかる直前の、短く鋭い間合い。


 その緊張を――


「彼は大丈夫だよ。ありがとう、カレオ」


 少年の声が、静かに断ち切った。


 カレオと呼ばれた男は一瞬だけ目を細めたが、すぐに手を離す。それを確認し、ジョディも何事もなかったかのように力を抜いた。

 腰から手を離し、そのままストローを口に運ぶ。氷が軽く鳴り、ゆっくりとひと口含む。

 まるで今の一瞬など最初から存在しなかったかのような顔だった。


 藤原博士は、そのやり取りを横目で受けながら、小さく息を吐く。


「……ちょっと話を聞かせてほしいんや」


 視線を、まっすぐ少年へ戻す。


「ここじゃあ話しにくいこともあるやろ。良かったら、どこか静かなところに移動できんか?」


 少年は、迷うことなく頷いた。


「解りました」


 短く答えると、少年はそのまま荷台の縁に足をかけ、軽く飛び降りた。細い体が、音もなく地面に着地する。

 それを見届けて、背後の男――カレオが口を開く。


「この近くに俺の家がある」


 低い声だった。


「ボロくて風通しはいいが、少なくとも外よりはマシだ。余計な耳は入りにくい」


 実用一点張りの言い方だったが、藤原博士はためらいなく頷いた。


「解った。そこで良い」


 短く言い切ると、少年は一度だけ周囲を見回した。

 ざわめきはまだ残っているが――関心はすでに別の場所へ流れ始めている。


「行こう」


 その一言で、流れが定まった。

 カレオが先に立ち、人を軽くいなすように歩き出す。少年がその後ろに続き、藤原博士とジョディが並んで後に続いた。


 再び、スラムの中へ。

 細く折れ曲がる路地、湿り気を帯びた空気、途切れることのない生活の匂い――それらの中へ、四人は自然と溶け込むように踏み込んでいく。


 少年が立っていた場所からいくつか角を曲がった先、周囲の喧騒からわずかに切り離された一角に、その家はあった。

 ワイアナエのどこにでもある、古びたプランテーション・スタイルの平屋だ。

 潮風と強い日差しに晒され、外壁のペンキは所々剥げ落ち、赤土の埃が薄く積もっている。


 屋根の一部はトタンで補修されており、決して裕福とは言えないが、周囲のテント村に比べれば、確かな生活の重みを感じさせる佇まいだった。


 家の前には、使い古されたプラスチックの椅子が二つ並び、その脇でマンゴーの木が乾いた音を立てて葉を揺らしている。

 窓には古いブラインドが下ろされ、軒下には洗濯用のロープが渡されている。


 どこにでもある、見向きもされないような静かな家。


「……ここだ」


 カレオが、短く言う。

 足を止め、ポーチへと上がる。その動きに迷いはない。ポケットから、使い込まれた鍵を取り出す。

 金属が擦れる、小さな音。ドアノブに差し込み、回す。カチ、と乾いた音が鳴った。


「さあ、入ってくれ」


 扉が開く。その瞬間、家の奥から、スラムの熱気とは対照的な、ひんやりとした静寂が流れ出してきた。

 外の空気とは明らかに違う温度。湿り気を帯びた熱が、すっと押し戻される。

 藤原博士は、わずかに目を細めた。


(……空気が、違う)


 生活の匂いはある。壁際には、煤けた防火ジャケットが無造作に書けられ、その下に、使い込まれたブーツがきちんと揃えられていた。

 焦げ跡の残るヘルメットが、棚の上で静かに色を鈍らせている。


 外のざらついたそれとは違い、どこか整然としている。

 ジョディが、無言のまま一歩、先に視線を滑らせる。入口、窓、奥の影――一瞬で把握する。

 問題なし。小さく顎を引いた。


「失礼するで」


 藤原博士が言い、靴先をわずかに止めてから、敷居を跨ぐ。少年が続き、ジョディが最後に入る。

 カレオが外を一度だけ確認し、扉を静かに閉めた。


 音が、遮断される。ざわめきも、風の音も、遠のく。残るのは――閉じた空間の中に落ちる、静かな気配だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ