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第6話 脈動する塔

艦橋内は、徹底した減光状態に置かれていた。

天井灯はすべて落とされ、広大な空間は深い闇に沈んでいる。


その闇の中で、与島基地最高司令官・小田桐の視界に浮かぶのは、無数のコンソールが放つ表示灯の淡い光だけだった。


正面の防弾ガラス越しには、二百メートル先まで伸びる艦首甲板が、二月の冷徹な群青の中にうっすらと沈んでいた。

海面から五十メートルの高さにあるこの位置からは、主砲塔の無骨な影が、闇を切り裂く楔のように見えた。


視線を室内に戻すと、闇に浮かぶ計器の配置が、各員の位置を間接的に示していた。


中央コンソールでは、操舵手の前に並ぶジャイロコンパスと舵角指示器が、アンバー色の光を最小限に灯していた。

左右に点在するレーダーや機関制御の表示は、数列と簡素なインジケーターだけを闇に浮かび上がらせている。


一段低い右舷側の艦長席には、与島基地最高司令官・小田桐が腰を下ろしていた。


艦長はその前方に立ち、操舵手と計器を交互に見渡しながら指示を飛ばしている。

座るべき席を譲ったという事実そのものが、この艦の指揮権が誰にあるのかを雄弁に物語っていた。


《暁》は進む。


足下から伝わる主機の微かな振動と、電子機器の冷却ファンの音だけが、この三百二十メートルの艦が生きていることを告げていた。


外気温は氷点下に近い。

強固な装甲に隔てられてなお、冬の海の峻烈な気配が艦橋の空気を研ぎ澄ませている。


「瀬戸大橋基部エリア、管制範囲内に入ります」


低く抑えられた声が、闇を乱さずに届く。


小田桐は、正面を見据えたまま頷いた。


四国側、瀬戸大橋の付け根。

そこは人類が辛うじて維持している、数少ない管理区域のひとつだ。


与島基地から延びる遠隔操作用ケーブルは、瀬戸大橋の構造体に沿って敷設され、橋脚ごとに設けられたアンテナ群へと接続されている。

鋼鉄の橋梁を伝うその通信網は、等間隔に配置された中継アンテナによって、この基部エリア一帯を覆っていた。


スサノヲは、その回線を通じて操縦される。

操縦席に座るのは前線の兵士ではない。

与島基地に詰めるパイロットが、遠隔越しに機体のすべてを制御していた。


アンテナによる通信圏内であれば現地にアメノウズメが立ち会う必要はない。

判断と操作はすべて基地側で完結し、スサノヲは人の意志を運ぶ“手足”としてのみ存在している。


「遠隔リンク、安定。警備機、異常なし」


「回収機も通常運転です」


報告を受け、小田桐は一瞬だけ目を伏せる。


カルナ・サーヴィターの酸でも溶かしきれなかった残滓が、白いサンゴの化石のように枯れた地上を埋め尽くしている領域が見える。そして、それは無人回収機によって集められていく。


カルナ・サーヴィターの酸でさえ溶解できなかった、最強の物質……

それがスサノヲの白い装甲――カルナイトの源となる物質だった。


奪われた世界の中で、拾い集めた力。


「……よし」


小田桐は短く告げた。


「このまま沿岸線に沿って進路を東へ」


小田桐の言葉を受け、艦長が即座に動いた。


「進路、東。沿岸線保持」


低く、しかし明確な声が艦橋内に走る。

操舵手が短く復唱し、舵角指示器の光がわずかに揺れた。


艦長は一歩だけ踏み出し、主機制御のインジケーターを確認する。

指示は最小限。だが、その一言一言が、この三百二十メートルの艦体を確実に動かしていた。


《暁》は、音もなく針路を変える。


ここから先は、管理区域ではない。

人の判断が、より重く問われる領域だ。


闇の中で、インジケーターの光だけが瞬いている。


《暁》が進むにつれて、右舷側に広がる海岸線の様相が、静かに、しかし確実に変質していった。


最初は、まだらだった。

光学センサーが強調する白化した灰色の地表の合間に、ところどころ緑を保った低木や、かつての防風林の名残が見える。


人の営みが、完全には否定されきれていない境界域。


だが、艦が数キロ進むごとに、その比率は逆転していく。


白。

白。

そして、白。


石でも砂でもない、生命を失った骨の色。

海岸線を縁取っていたはずの緑は途切れ、根こそぎ引き剥がされたかのように姿を消す。


その白の中に、わずかな「動き」が混じり始めた。


最初は、錯覚にも見えた。

遠景のノイズ。

白化地表に散った、黒い点。


だが、《暁》が距離を詰めるにつれ、それらは明確な輪郭を得る。


——蟻だ。

ただし、人の知るそれではない。


体長、約五メートル。

白い大地を這うその姿は、人の知る昆虫の延長線上にありながら、決定的に異なっていた。

発達しきった六本の脚が逆関節をきしませ、黒曜石のような外殻の隙間からは、赤黒い脈動が断続的に透けて見える。


焼け焦げた残骸ではない。

枯れ木でもない。


それらは、明確な“個体”として、白化地帯を移動していた。


赤黒い幹が、大地を穿つように突き出し、点在している。

そして、その根元や地表の割れ目から、蟻型のカルナ・サーヴィターが次々と姿を現しているのが見えた。


単独ではない。

一定の間隔を保ち、列を成して移動している。


まるで、見えない規律に従っているかのように。


「……カルナ・フロラ、密度上昇」


観測員の声が、淡々と告げる。


その言葉の裏付けのように、蟻型サーヴィターの数は、進むほどに増えていく。

白化した大地の上を、黒い流れが走っていた。


まだ遠い。

だが、もう隠しようもない。


闇に紛れていた赤黒さが、灰色の世界の中で際立ち始める。

夜明け前の、最も深い青そのものを塗りつぶすように。


そして——


それが、見えた。


カルナ落下地点。

白化した大地に乱立する“色”を持つ存在、その中心に聳え立つ、異質な存在。


それは、塔だった。


植物という言葉を拒絶する、汚濁した生命の巨塔。

剥き出しの臓器を思わせる、おぞましい赤黒さが、死の色に覆われた世界の中で、異様な存在感を放って鎮座している。


その基部を、無数の蟻型サーヴィターが取り囲んでいた。


体長五メートルの黒い個体が、地表を埋め尽くすようにひしめき合い、塔の周囲を循環している。

それは防衛線というより、血流だった。


幹は、樹木の形をしていない。

巨大な血管が無数に絡み合い、無理やり「柱」の形へと凝固した肉塊だった。

どろりと濁った暗赤色の表皮は、湿った光沢を帯び、筋肉の束のように幾重にも重なっている。


——生きている。


その事実を、否応なく理解させる音が響いた。


「ドクン——」


低く、重い鼓動。


その瞬間、地表の蟻型サーヴィターたちが、一斉に動きを止めた。

次の拍動と同時に、全個体が同じ方向——

塔の中枢へと向き直る。


赤黒い幹の内部を、巨大な光がせり上がる。

血液が逆流するかのように、中心から上方へ。

植物全体が、鮮血のような赤に激しく発光する。


四国全土に張り巡らされた根が、地中深くから奪い取った養分を吸い上げ、この中枢へと送り込む。

地球という生命を咀嚼し、飲み込み、同化する——

その「食事」の瞬間。


脈動に合わせ、幹の隙間から粘性のある発光液が溢れ出す。

暗赤色のそれは、白い大地を汚しながら流れ落ち、蟻型サーヴィターたちの脚元を濡らしていく。


それでも、彼らは動じない。

ただ、そこに在り続ける。


その周囲では、あまりにも濃密なカルナの気配に、空気が歪んでいた。

焦げた肉と鉄錆を混ぜ合わせたような、喉を焼く異臭が、艦橋の換気系にまで検知される。


葉はない。

代わりに、天を指す触手状の枝が、幹の上部から無数に伸びている。


それらは、赤黒い脈動を先端まで伝えながら、獲物を待ち受ける蜘蛛の脚のように、あるいは、天そのものを呪う者の指先のように、白み始めた空を掻き毟っていた。


誰も、言葉を発しなかった。


闇に浮かぶインジケーターの光だけが、静かに瞬いている。


この世界が、何と戦っているのか。

その答えが、白い大地の中心で、脈打っていた。

【技術資料:カルナイト】


カルナイトとは、スサノヲおよびアメノウズメの装甲材、ならびに超振動チップエッジの主要素材として使用されている特殊物質である。


その化学組成は、地球上に既知のいかなる元素体系・化合物分類にも属さない。

本物質は、カルナ・サーヴィターが分泌するあらゆる物質を溶解する酸の作用を受けてもなお、溶解・変質のいずれも起こさなかった残滓を原材料としている。


この残滓は、極めて高い耐熱性および耐化学反応性を有しており、通常の工業環境下では物理的・化学的手段による加工が著しく困難である。

しかし人類は、特定の条件下において本物質を一時的に可塑化し、成型・固定する技術を確立し、安定した工業素材として運用することに成功した。


こうして生成されたカルナイトは、軽量でありながら、以下の特性を併せ持つことが確認されている。

1. ダイヤモンドに匹敵する機械的強度を有すること

2. 極度の熱・圧力・腐食環境に対して高い耐性を示すこと

3. カルナ・サーヴィターの酸に対しても溶解・変質を起こさない化学的安定性を有すること


現在確認されている素材の中で、当該条件下において安定性を維持できるものは、カルナイトのみである。


このためカルナイトは、対カルナ・サーヴィター戦における装甲材および切断兵装素材として、事実上不可欠な存在となっている。

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