第57話 抗う者たちの選択
室内に、再び沈黙が落ちる。
先ほどまでとは違う。
それは疑念ではなく――すでに受け入れてしまった事実の重さが、言葉を奪っている沈黙だった。
やがて、小田桐が静かに口を開く。
「それで……ヴァンガード隊。これからどう考え、どう動く?」
視線が、まっすぐに向けられる。
問いは静かだった。だが、その奥にあるものは、逃げ場を許さない。
「確かに、わずかな可能性は残されているのかもしれない」
抑揚を変えずに続ける。
「だが、未来を見る能力を持つ人間が――生き続ける未来に希望を見出せず、自ら死を選んだ」
声が、わずかに沈む。
「その事実が意味するものは……理解できるか?」
沈黙が落ちる。
空調の低い駆動音だけが、やけに鮮明に耳に残る。
「我々が目指す先に――本当に希望はあるのか」
その問いは、静かに置かれたにもかかわらず、誰の胸にも重く沈み込んだ。
誰も、すぐには答えられない。
沈黙が、ゆっくりと広がっていく。
その空気を、最初に破ったのは――
「……私は……」
かすかな声だった。
視線が集まる。美桜は、言葉を探すように一度息を吸い込む。
「私は……諦めたくありません」
震えは残っている。だが、その奥にある意志は、揺れていなかった。
「たとえ、絶望的な未来が待っているのだとしても……私たちが立ち向かって抗うことで、その未来を一日でも遅らせることができるなら」
わずかに顔を上げる。
「それは……決して無意味なことじゃないと思います」
静かな声だった。だが、その言葉は確かに空気を揺らした。
沈みきっていた場に、小さな波紋が広がる。
「……せやな」
ニックが口を開く。いつもの軽さを残しながらも、その声音は抑えられていた。
「それに、彩人くんが見た未来が、本当に確定してるもんかどうかも、わからへんしな」
肩をすくめるように言いながらも、その視線は逸れていない。
藤堂が、ゆっくりと頷いた。
「……ああ」
短く応じる。そのまま、言葉を継ぐ。
「たとえ明日死ぬと決まっていたとしても――だからって、今日自分で首を吊るような真似をする人間は、ヴァンガード隊にはいない」
言葉は途切れない。だが、その意味だけが、ゆっくりと場に沈んでいく。
視線は、まっすぐ前を向いたまま。
「いや――与島基地には、一人もいない」
その声は、静かだが強かった。
「最後の最後まで足掻いて、生き延びる道を探し続ける。それが、ここにいる人間のやり方だ」
藤堂の声は強くはなかったが、揺るぎはなかった。その言葉は押しつけるような力ではなく、ただ事実として、静かに場へと沈み込んでいく。
その余韻の中で、佐伯がゆっくりと頷いた。
加納も短く息を吐き、視線を落とすことなく同じように首を動かす。
やがて、ヴァンガード隊の面々が、言葉を交わすことなく、それぞれに同じ意思を示した。
ほんのわずかな動きだった。だが、それで十分だった。
もし言葉にすれば、きっとどこかで軽くなる。だからこそ、誰も口にしないまま、その場には確かな合意だけが残った。
その光景を見届けて、小田桐が静かに息を吐く。
「……そうか」
短い呟きのあと、わずかに視線を上げる。
「それがヴァンガード隊――お前たちの答えか」
一瞬の間を置いて、口元にごく僅かな笑みが浮かんだ。
「ふっ……甘いな。実に甘い考えだ」
否定の言葉であるはずなのに、その声音には先ほどまでとは違う温度が宿っていた。
「だが、嫌いではない」
そう言いながら、小田桐は眼鏡に手をかけ、軽く位置を直す。
その仕草はいつも通りのものだったが、どこか僅かに力が抜けているようにも見えた。
視線をわずかに落とし、再び口を開く。
「ヴァンガード隊。今の眼の話だが……お前たちだから話した」
静かな声だった。だが、その言葉には明確な線引きがあった。
「私の能力について知っている人間が、他にいないとは言わない。だが、ごく少数であることは間違いない」
視線が、ゆっくりと全員をなぞる。
「そしてこれは、国の重要機密事項の一つだ。くれぐれも、他言無用にしてもらいたい」
命令というよりも、重い信頼を手渡すような言い方だった。
誰も軽く受け取ることはできない。応じる言葉はなくとも、その意味は全員に伝わっていた。
小田桐は、そのまま続ける。
「……そして」
ほんのわずかに、声の調子が変わる。
「私が、この地位にいる理由は――この能力にあると考えている」
静かに、だが揺るぎなく言い切る。
「この力を活かし、憎むべきカルナに対抗するために……そう、この国に命じられているのだと」
そこに迷いはなかった。
与えられた役割ではなく、自ら引き受けた責務として語られている。
「ゆえに――私の命がある限り、この能力を惜しむつもりはない」
それは誇示でも決意表明でもなく、ただ当然のことを確認するような言い方だった。だが、その静けさこそが、言葉の重さを際立たせていた。
やがて、小田桐の視線が再びヴァンガード隊へと向けられる。
「だから――お前たちも、私の考えに賛同し、引き続き協力してもらいたい」
わずかな間を置き、
「よろしく頼む」
そう言って、小田桐は静かに頭を下げた。
深くはない。だが、確かに意志を伴った動きだった。基地司令という立場にある人間が見せるには、十分すぎるほどの譲歩だった。
その光景に、誰もすぐには言葉を返せない。
沈黙が、ゆっくりと場を満たしていく。
重苦しさはない。かといって軽くもない。ただ、確かなものが共有されたあとの静けさだった。
やがて視線だけが交わされる。言葉はない。それでも、その場にいる全員が同じ意思を持っていることは明らかだった。
その沈黙を受け止めるように、小田桐が再び口を開く。
「……お前たちに、知っておいてほしいことがある」
小田桐の声は低く、抑えられていたが、その一言だけで室内の空気がわずかに張り詰めた。
視線が、ゆっくりと横へ流れる。モニターの並ぶ壁面へ――何かを確かめるように。
「この映像の――続きだ」
短く告げられたその言葉と同時に、落とされていた照明の下で、壁面のモニターが一斉に息を吹き返す。
暗がりに沈んでいた室内に、青白い光が滲み出すように広がった。
映し出されたのは――先ほどと同じ、白に塗り潰された映像だった。
輪郭を失った世界。音も熱も奪われたような、無機質な光の海。
だが――その停止していた光景が、ふっと動いた。
眩い光が、わずかに揺らぐ。静止していたはずの白が、呼吸を取り戻したかのように、微かに脈打つ。
やがて――ゆっくりと、収まり始めた。
飽和していた輝度が、ほんの僅かに陰りを帯びる。白の中に、薄い灰色が滲み、層を成すように重なっていく。
そして、少しずつ――本当に少しずつ、輪郭が戻り始めた。
「……なんや……」
掠れた声が、空気を震わせる。ニックだった。
「飛行型サーヴィター……あの爆発の中でも、死んどらんのんか……」
その言葉は、確認というよりも、拒絶に近かった。現実を認めることを、本能がためらっている。
だが――画面は、無慈悲に応え続ける。
屋島上空。
爆心となったはずの空域に、依然としてそれは存在していた。
黒い渦。
光を飲み込むような暗色が、空間そのものを歪めるように渦を巻いている。
先ほどの爆発を受けたとは思えないほど、形を保ったまま。
消えていない。
消えていないどころか――在り続けている。
誰も、言葉を発しなかった。
ただ、視線だけが画面に縫い付けられる。
やがて――
光が、完全に収まる。
爆発の残滓が、霧のように薄れ、空間から剥がれ落ちていく。
白に覆われていた世界は、ゆっくりと元の色を取り戻していく。
その中で――
ミサイルは、消えていた。
破片も、煙も、影すら残さず。
存在していたという痕跡さえ、どこにもない。
それを確認したかのように、黒い渦が、ゆっくりと動きを変えた。
収束でもない。拡散でもない。
ただ――ほどけていく。
固く絡み合っていたものが、解けるように。
静かに、しかし確実に、形を崩していく。
その中心。
そこにあった、赤い光。
脈動するように明滅していたそれもまた――渦の解ける流れに紛れるように、
ふっと、どこかへと飛び去った。
一瞬だった。
視認できたかどうかさえ曖昧な速度。
あるいは――最初から、捉えることなど許されていない存在のように。
映像は、そこで止まった。
音が消える。空気だけが、重く残る。
誰も、何も言わない。言葉が、意味を持たなかった。
その静寂の中で――
小田桐が、口を開いた。
「……カルナは」
低く、抑えられた声。だが、その一音一音が、確かに届く。
「種子の形で宇宙空間を漂い――そのまま大気圏に突入し、突破して地球へ到達した」
言葉は途切れない。だが、その意味だけが、わずかに遅れて場へと沈んでいく。
モニターの残光が、彼の横顔を淡く照らしている。
「宇宙には、絶対零度に近い超低温の領域もあれば――」
言葉は、淡々としていた。だが、その内容は容赦なく現実を削り出していく。
「逆に、数万度にも及ぶ高温の領域もある」
さらに。
「加えて――宇宙放射線は、至るところに存在する」
説明に感情はない。ただ事実を並べているだけ。
それでも――その一つ一つが、逃げ場を塞いでいく。
「……その環境を越えてきた存在だ」
わずかな間。
小田桐の視線が、静かに細められる。
「カルナ・サーヴィターが、核爆発に耐性を持つことなど――」
ほんの僅かに、声が沈む。
「むしろ、当然の帰結と言えるかもしれん」
反論はなかった。できるはずがなかった。
誰もが、すでに理解してしまっている。
小田桐は、ゆっくりと息を吐く。
その呼気が、わずかに白く滲んだようにすら見えた。
そして――再び、全員を見渡す。
「今一度――心に刻み込むんだ」
静かな声。だが、拒否を許さない。
「我々が――何と戦っているのかを」
それは説明ではなかった。
認識の、強制。逃避を許さない、現実の提示。
室内の空気が、変わる。
先ほどまでの決意とは違う。
もっと深く、もっと重い場所へ――現実が、ゆっくりと沈み込んでいく。
それでも。
誰一人として、視線を逸らす者はいなかった。




