第55話 因果の外側
小田桐に促され、ヴァンガード隊の面々と美桜は、司令室奥に設けられたブリーフィングスペースへと移動した。
足音が、やけに重く響く。誰も口を開かない。
整然と並ぶ椅子に、それぞれが腰を下ろしていく。
だが、その動作には普段のような余裕はない。背もたれに身体を預ける者は一人もおらず、誰もが無意識に前傾姿勢を取っていた。
空気が張り詰めている。
言葉ではなく、沈黙そのものが圧力となって場を満たしていた。
正面――小田桐が、静かに席に着く。
薄暗く抑えられた室内。
天井灯は最低限に絞られ、コンソールの表示光だけが淡く浮かび上がっている。
その中で、指先が動く。
カチ、という小さな操作音。それが、不自然なほど大きく響いた。
やがて――正面の大型モニターが、ゆっくりと光を帯びる。
暗転していた画面に、像が浮かび上がる。
それは――
ニックが先ほどハンガーで目にした、あの映像だった。
カルナ・フロラ上空。
大気を巻き上げるように形成された、黒い渦。
雲ではない。煙でもない。質量を持った何かが、空そのものを侵食するように渦巻いている。
その内部を、無数の影が飛び交う。
飛行型サーヴィター。
個としての輪郭を保ちながら、それでいて群体のように絡み合い、流動し、ひとつの塊として空を覆っている。
その中心に――異質な色があった。
黒く渦巻く塊のただ中で、ただ一点だけ、濁りのない赤が浮かび上がっている。
周囲の闇とは明らかに性質を異にするその光は、溶け合うことなく、むしろ境界を際立たせるように存在していた。
やがて、その輪郭が、わずかに形を結ぶ。羽根だった。
左右に広がるそれは、人の形をなぞるように配置されている。
だが、その均整はどこか歪で、生物としての整合性を欠いている。
人型に近い。
しかし、人間ではない。
その存在は、既存のどの分類にも収まらないまま――ただそこに在るという事実だけで、見る者の認識を拒絶していた。
誰も、言葉を発しない。一度見たはずの光景。
だが改めて突きつけられることで、その異常性はむしろ強く際立っていた。
視線が、画面に縫い付けられる。誰一人として、目を逸らせない。
やがて――小田桐が、静かに口を開いた。
「これは、先ほどハンガーで映し出された映像を録画したものだ」
抑揚のない声。だが、その一音一音は、はっきりと空間に沈み込む。
視線が、わずかに横へ流れる。
「藤堂」
名を呼ぶ。
「お前が見た映像と――同一のものだ」
確認するように続ける。
「そうだな」
その一言が落ちた瞬間、室内の空気が、さらに一段沈んだ。誰も動かない。誰も、余計な音を立てない。
一瞬の間。
「……ああ」
藤堂が、低く応じる。短い。だが、その肯定には曖昧さがなかった。視線は、モニターから外れない。まばたきすら、忘れたかのように。
映像が、続く。黒い渦が、さらに膨れ上がる。
大気を巻き込み、空そのものを歪めるように広がっていくそれは、もはや偶発的な現象というより、一つの意思を持った存在のようだった。
そして――ゆっくりと、動き出す。
渦の根元、カルナ・フロラと接続していたはずの接点が、わずかにずれる。
引き剥がされるように、滑るように西へ……画面上の座標が、静かに移動していく。
屋島。
その上空へと、差し掛かった瞬間――光。閃光だった。白が、すべてを塗り潰す。
輪郭が消える。空も、渦も、存在そのものが、一瞬で焼き飛ばされたかのように消失する。
「……ッ」
誰かが、息を呑む。
その反応が、言葉になる前に――小田桐の指が動いた。
映像が、停止する。唐突な静止。画面には、爆発の直前が切り取られていた。
膨張しきった光の輪郭だけが、不自然なほど鮮明に凍り付いている。音も、動きもない。ただ、破滅の寸前だけが、永遠に引き延ばされている。
静寂が落ちる。
その沈黙は、先ほどまでのものとは質が違っていた。理解が追いつかないことで生まれる、空白に近い沈黙だった。
反応は、遅れて現れる。
佐伯の眉間に、深い皺が刻まれる。加納の手が、無意識に握り込まれる。関節が白く浮き上がるほどに。
そして――美桜。
その瞳は、大きく見開かれていた。
瞬きが止まっている。呼吸すら、浅い。
何かを理解しかけて、しかし届かない。その寸前で、思考が立ち止まっている。言葉が出ない。やがて――
「……飛行型サーヴィターにより、ミサイルが誘導された……ということか?」
佐伯が、慎重に口を開いた。
断定ではない。だが、ただの推測でもない。
この異常な現象に、何とか論理を与えようとする意志だった。
しかし――小田桐は、ゆっくりと首を横に振る。迷いのない動き。
「それは違うだろう」
即答だった。
否定に、躊躇がない。室内の視線が、一斉に集まる。小田桐は、そのすべてを受け止めたまま、続ける。
「カルナ・サーヴィターの目的は、一つだ」
淡々とした声音。
だが、その言葉には、既に結論が含まれていた。
「カルナ落下地点に存在するカルナ・フロラを護ること。それ以外にはない」
言い切る。
仮定ではない。観測でもない。
断定だった。
「飛行型サーヴィターは、ミサイルに干渉した。カルナ落下地点へ到達させないために」
一拍。
「結果として――軌道が変わった」
わずかな間。視線が、再びモニターへと向く。
「その帰結が、これだ」
凍り付いた閃光を示す。
「偶然、屋島へ落下した」
静かに、結論が置かれる。
だが――
「……偶然、やって?」
ニックの声が、低く落ちた。納得ではない。拒絶に近い響きだった。
こんなものが、偶然で片付くはずがない。
だが、小田桐は応じない。
ただ、ゆっくりと――眼鏡の位置を、指先で整える。
わずかな仕草。それだけで、場の温度が、さらに下がる。
そして。
「ただし」
静かに、言葉を継いだ。
「偶然ではないこともある」
その一言で、空気が張り詰める。全員の意識が、小田桐に引き寄せられる。
小田桐の視線が、一人一人を確認するように、ゆっくりと室内を巡る。
そして――
「それは……屋島周辺には、カルナが存在していなかったこと」
言葉が、落ちる。重く、確実に。
そして、さらに――
「もう一つ」
わずかに声を落とす。
先ほどよりも、静かに。それでいて、より深く沈む響き。
「屋島を選び、カルナの脅威から逃れ、移り住んでいた住民がいた、ということだ」
その言葉が落ちた瞬間――室内の空気が、わずかに軋んだ。
誰かの呼吸が、乱れる。それは大きな音ではない。だが、張り詰めた静寂の中では、異物のように際立っていた。
意味を理解するより先に、その言葉に含まれた歪みだけが、先に伝わる。
カルナが存在しなかったから、人が残った。
人が残っていた場所に、ミサイルが落ちた。
――それは、本当に偶然で片付く話なのか。
二つの事実は、因果の形を取りながら、どこかで噛み合っていない。偶然という言葉で括るには、あまりにも出来すぎている。
沈黙が、重く沈む。
藤堂は、正面を見据えたまま動かない。だが、膝の上に置かれた拳だけが、ゆっくりと力を帯びていく。関節が、白く浮き上がる。
美桜は、わずかに唇を開き――そのまま閉じた。
言葉が出ないのではない。どこから触れていいのか、分からなかった。




