第10話 刹那
サイクロプスが駆け出した、その直後。
「——ニック!前に出すぎるな!」
鋭い声が挙げられる。
加納だった。
「藤堂とカマキリを落とす!そのあと、すぐ合流する!無理に踏み込むな!」
その声は怒鳴り声ではない。
だが、瞬時に戦場の空気を引き締める力を持っていた。
声には、戦場を知り尽くした者だけが持つ切迫と確信が同居していた。
スサノヲは、現時点において人類が保有する唯一の、カルナ・サーヴィターに対抗し得る兵器だ。
前世代の電動機や油圧駆動の建設機械の技術を転用した兵器とは、次元が違う。
反応速度。
機動力。
攻撃に至るまでの判断と実行の速さ。
そのすべてが、人間の限界を押し広げるために作られている。
それらはすべて、過去の兵器体系を凌駕している。
それは疑いようのない事実である。
だが――
それでもなお、スサノヲはあくまでも「遠隔操縦兵器」だ。
それもまた、認めざるを得ない、避けることのできない現実である。
操縦者の判断。
通信を介した信号。
機体側での再現。
その一連の過程には、どうしても“わずかな遅れ”が生じる。
その遅れは、数字にすれば微々たるものだ。
だが戦場では、それが生死を分ける。
それは蟻型サーヴィター相手でさえ、意識しなければ足元をすくわれる可能性がある、無視することができない落とし穴と言える。
カルナ・サーヴィターの中でも、最速・最敏の捕食者――蟷螂型を相手にした場合、その差は尚更のこと歴然であり、致命的である。
人の意思を機械操作に変換、通信を介してカルナ筋束が収縮する一拍。
カルナ・サーヴィターの自らの身体として即応する一瞬。
その差。
だからこそ、加納の中で対蟷螂型の基本陣形は決まっていた。
二機一組。
一機が囮となり、動きを誘導する。
もう一機が、その“隙”を正確に突く。
幾度もの実戦と犠牲の上で導き出した、戦術的な最適解。
しかし——
サイクロプスと蟷螂型サーヴィターが、正面からぶつかり合う。
距離が詰まる。
空気が張り詰める。
次の瞬間、サイクロプスが先に動いた。
カルナ筋束の力を最大限に引き出すために大きく踏み込み、長刀を、大きく振り上げる。
しかし——
振り下ろされる長刀の先にあったのは、何もない虚空。
致命的な空振りの軌道。
蟷螂型サーヴィターが反応する。
踏み込みを最小限に、巨大な体躯を翻しながら鎌を振り上げ、反転する。
獲物を確実に捕らえる、全く無駄のない最短の動き。
その速度は、映像処理の遅延すら錯覚させるほどだった。
サイクロプスは、止まらない。
虚空に向かって、なおも長刀を振り下ろし始める。
軌道を変えず、修正もしない。
——無意味な動きに見えた。
しかし——
蟷螂型サーヴィターの急な転回。
細い脚が、わずかにぶれる。
完璧だったはずの挙動に、ほんの一瞬の乱れが生じ、頭部の軌道が僅かながら大回りになる。
それは偶然ではない。
踏み込みの瞬間に、藤堂が“そう動かせた”。
その結果、蟷螂型は――
自ら、差し出す形になった。
長刀の軌道上へ……
頭部を……
次の瞬間――
——ズバン。
鈍く、しかし確かな手応え。
サイクロプスの長刀が、蟷螂型の頭部を正確に捉え、一刀のもとに両断した。
刃は止まらず、切断面を通り抜け、背後の白化地面へと深く突き立つ。
胴体が、時間差で崩れ落ちる。
威嚇音も、断末魔もない。
ただ、機能を失った肉体が純白の砂を汚すだけだった。
一瞬の静寂。
この藤堂の動きを――
モニターの蟷螂型サーヴィターを示す赤い点の消滅でとらえた佐伯は、小さく頷いた。
遠目でキルシュのカメラ越しにその光景を捉えた美桜は、思わず息を呑み、言葉を失う。
理屈では理解できない、あの一瞬の読みと踏み込みに、ただ圧倒されるしかなかった。
蟻型サーヴィターへ向かって走行しつつ、横目でその結末を捉えたニックは、軽く口笛を吹く。
「……ほんま、遠慮せえへん人やな」
呆れとも、感心ともつかない声音。
だがその口元は、わずかに吊り上がっていた。
そして――
真正面から一部始終を見届けていた加納は、藤堂が味方であるにもかかわらず、無意識に舌打ちをしていた。
速すぎる。
読みが深すぎる。
そして何より――
“一機でやり切る”という選択。
否、それが可能であるという確信に裏付けられた実行、そして成功。
加納にとっては理論上は否定すべき行動。
だが、結果がすべてを黙らせる。
その小さな舌打ちの音は、アメノウズメの重厚な駆動音にかき消され、誰一人の耳にも届くことはなかった。
加納は、思考を即座に切り替えた。
視界の左――
六体の蟻型サーヴィターへ、まもなく到達しようとしているジョーカー。
そのすぐ傍では、つい先ほど蟷螂型サーヴィターを仕留めたばかりのサイクロプスが、刃を引き抜き、次の獲物へと機体を向けつつある。
二機の位置、速度、残存敵数。
対して――
走り出したとはいえ、なお距離のあるストライク・イーグル。
そして、アメノウズメの守護を単機で引き受ける形となっているキルシュ。
瞬時に、戦力比が弾き出される。
蟻型六体。
ジョーカーとサイクロプス。
戦力としては、必要十分。
いや――余裕すらある。
感情を挟む余地はなかった。
純粋な、客観評価。
その結論に至った瞬間、加納は迷わずストライク・イーグルを急停止させる。
砂を巻き上げ、機体が低く姿勢を落とす。
背後へ視線を走らせ、キルシュ周辺の状況を確認。
接近反応、なし。
通信アンテナ、防衛線、異常なし。
同時に、前衛二機が展開していない方位へもセンサーを振り、反応を洗い出す。
そして――
前にも後ろにも即座に対応できる、最適な中間位置へと機体を滑らせた。
前線を支援することもできる。
後衛に穴が開けば、即座に埋められる。
その判断は、速く、正確で、無駄がない。
それこそが――
加納自身は気づいていない、だが誰にも代えがたい、唯一無二の能力。
戦場全体を俯瞰し、最適解を選び続ける才能。
だが、その胸中で。
蟷螂型を単独で仕留めた藤堂の姿が、どうしても引っかかる。
圧倒的な読み。
圧倒的な踏み込み。
理論を越えた“個”の完成度。
あれは、偶然でも賭けでもない。
蟷螂型という最速最敏の捕食者を相手にしてなお、必要十分――
いや、それ以上の能力を、藤堂は明確に示していた。
認めざるを得ない。
前線における“対個体戦闘能力”において、藤堂は自分を上回っている。
そして、その事実を踏まえたうえで――
加納自身は、冷静に結論を出している。
自分は、前に出る必要がない。
前線は、任せられる。
ジョーカーとサイクロプスがいれば、蟻型の群れは押し切れる。
無理に自分が踏み込むより、後衛と全体配置を維持する方が、戦線は安定する。
それが、最適解。
誰がどう見ても、正しい判断だ。
だからこそ。
加納の胸中に湧き上がるのは、焦りでも恐怖でもない。
『不要である』と、自分自身が即座に判断できてしまう、その状況への苛立ちだった。
必要とされないことではない。
必要とされる余地がないことへの、苛立ち。
前線に立たなくてもいい。
立たない方がいい。
そう結論づけてしまうほどに、藤堂という“個”が完成している現実。
合理性が、正しさが、自分を前線から押し下げる。
加納は奥歯を噛みしめる。
それでも、判断は揺るがない。
自分は、ここにいるべきだ。
——疑う余地はない。
自分の判断は、正しい。
だからこそ、その正しさが、どこか耐え難かった。
そう理解しているからこそ。
加納は、胸の奥に小さく、しかし確かな苛立ちを覚えていた。




