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空を行く雲、流れる水のごとく  作者: 原 徹生
第1章 日本編 Ⅰ948-1978
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流雲はヒッピー・ムーブメントに魅せられ、新宿の地下道で針金細工の路上販売を始める……

3-2 ヒッピーに魅せられて

  

 ジョン・レノンは、中国文化大革命で吹き荒れた暴力に非暴力を訴え Revolution をリリースした。ミック・ジャガーは、レコード・ジャケットに警察官の黒人への暴行シーンをデザインした反戦歌 Street Fighting Man をリリース。人種差別、非暴力を訴えたが放送禁止にされる。

 

 英国ロンドンの大規模な暴力に反対するヒッピー・ムーブメントは、反暴力運動となり世界中に広がり、大きなうねりを起こしていた。

 アメリカからは、州兵に銃を突きつけられたヒッピーが銃口に花を挿した反戦運動が伝えられた。

 日本の反戦運動は、単純に集団暴力で機動隊に対峙していた。流雲は日本の学生運動に虚しさしか感じなかった。


 流雲はヒッピー・ムーブメントに魅せられた。ヒッピーのバイブル『Whole Earth Catalogue』をアメリカから取り寄せた。

 『全地球カタログ』は、創刊者スチュワート・ブランドの詩的な言葉で彩られいた。カタログには、時代に先駆けた思想と概念を伝える「言葉と商品」が掲載されていた。

 ヒッピー達に『Stay hungry. Stay foolish.』の強烈なメッセージを伝え、保守的な価値感へのアンチテーゼと創造力を促していた。カタログは一貫して「 Power to the People」の思想に溢れ、自然と共存し、大自然の中でサバイバルする生活必需品を紹介していた。

 

 このカタログに同封されてきたコミュニティ誌の囲み記事に針金細工の写真とアクセサリーの作り方が掲載されていた。単純に針金をコイル状に巻いたり、曲げたりして制作している。


 流雲はこの針金細工に興味を覚え作り始めた。単純な花模様から、徐々に複雑な三次元のチョッパーや三輪車などオリジナルな細工物を作った。

 完成した細工物を学友に見せると意外に評判が良く。自然に仲間が集まり、針金細工を始めた。

 似顔絵を描くように、流雲は名前を聞きながら、アルファベットで針金を曲げ加工して即興で「ネームピン」を制作した。100円で販売すると、キャンバス内で人気となり飛ぶように売れた。何故かこの単純な「ネームピン」の細工物が、女子大生に受けた。

 その場で作る針金アクセサリーに加えて、彫金や七宝焼きと組み合わせた本格的なアクセサリーも販売した。


 1968年の夏。巷には ジョン・レノンの『Revolution 』が流れていた。

 流雲は仲間と共に新宿西口の地下道にいた。眼の前にシーツを広げ、針金細工を並べ路上販売を始めた。

 流雲はアルファベットを三次元加工に曲げた「ネームピン」をデザインした。「ネームピン」に星や花を組み合わせたピンやピースマークのピンを制作した。

新宿地下道でも、名前を聞きながら即興で作る「ネームピン」が注目され、若い女の子達に順番待ちの人気を博した。

 流雲達のアクセサリーが新しいファションとして新宿の街で小さなブームになった。流雲は「ネームピン」を胸に付けた若い女の子が、新宿の街を歩く姿を見かけると嬉しかった。「ネームピン」が新宿の街を明るくしてると誇らしくもあった。


 新宿はアングラ演劇、ジャズ喫茶や歌声喫茶など若者文化の情報発信の中心地になっていた。

 流雲達は、新宿の路上に集まる若者達に声を掛けて『1968 Street ARTS & CRAFTS』を池袋のデパートで開催した。新宿のデパートと交渉したが賛同を得られず、池袋のデパートが会場を提供することに決まった。

『1968年 Street ARTS & CRAFTS』には、ユニークな手作り商品を製作する若者達が集まった。

 アクセサリーからキャンドル、絞り染色布、家具、粘土細工、飴細工、和傘、和凧や下駄や草履など様々な手作り商品や民芸品が展示販売された。

 デパート側とトラブルもあった。人集めに場所を提供する約束が、余りの盛況に売上金の15%をチャージすると伝えてきた。流雲達はこの要求を蹴飛ばした。若者達は自由に展示販売し、クレームが付けば店仕舞いし新宿の路上に散っていった。 

 

 流雲達は、アクセサリーの路上販売に、若者文化を牽引する灯りになると期待した。ところが流行りだすと、類似品が新宿の路上に溢れたり、やくざ者が所場代の徴収に現れる。

 カウンター・カルチャーの発信を企画すれば、利益追求に走り若者の上前を跳ねようとするデパート。流雲はアクセサリーの路上販売に興味を失った。

 若者文化の発信を金儲けにする輩や上前を跳ねる輩の標的にされる。こんな風潮に嫌気がさした。

 

 そんな時に暴動事件が新宿で起こった。西口地下広場で反戦フォーク集会が大々的に開催されていた。この日の新宿は、雰囲気の異なる戦闘的な集団が続々と集結していた。


 1968年10月21日。国際反戦デー。

 新左翼の中核派・ML派などの武装した集団約2000人が、続々と新宿駅に集結し機動隊と衝突した。

 

 西口地下広場の友達の路上ショップを早めに閉めて、帰ろうと仲間と準備している内に、地下広場は警官隊に包囲され、閉じ込められてしまった。

午後6時頃、新宿は完全な無秩序状態に包まれた。

 午後9時頃、デモ隊は新宿駅東口の広場で決起集会を開き新宿駅構内に乱入した。集団は瞬くに戦闘モードに入ると、電車のシートを外して、それを薪代わりにして放火し、新宿の街は暴動の震源地と化した。街は暴徒に占領され、新宿の街が燃えた。


 新宿の街には、デモ隊の何倍もの野次馬が駅周辺や構内に溢れた。新宿駅に接続する私鉄、国鉄、地下鉄などの交通機能は完全に麻痺状態に陥った。


 流雲達は機動隊に追われる学生の集団に巻き込まれ、歌舞伎町方面に逃げる羽目になった。しょんべん横丁の脇道を駆け抜けた時、山手線の高架橋から誰かが飛び降りるのが見えた。地上から7、8メートルの高さはあった。

 日本政府は、翌日10月22日深夜に騒擾罪を適用し743人を逮捕した。


 新宿騒動の余波は大きく、この日を境に新宿の街は殺伐とした空気に包まれ、暴力の渦に巻き込まれた。

 流雲は大学紛争に翻弄され、新宿の街の殺伐とした雰囲気に疲れ果て自分を見失った。スケッチブックを開いても、写生をする意欲は湧かず、絵に向き合う気力も湧いてこなかった。

 

 流雲の青春を過ごした街「新宿」が壊された。自由な雰囲気は沈殿し淀み、生命力を失った。多分、街の生命力は熾火のように燻っているのだろう。だけど、今の新宿には体制を跳ね除けるパワーが削がれ、活気が失せてしまった。

 流雲はこの新宿暴動を体験し大学に戻る気力が全く失せたのを実感した。流雲の青春を刻んだ街、新宿を離れることを決意する。


 新宿の空に秋の気配が深まる頃、流雲は東京を離れることを決意した。青春のページをめくり華を咲かすことがは出来なかった。

 キング牧師の暗殺事件に始まり、新宿騒動と激動に流され混沌とした1968年は、流雲にとっても「熱く、混沌」とした年だった。

 

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