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空を行く雲、流れる水のごとく  作者: 原 徹生
第1章 日本編 Ⅰ948-1978
10/24

流雲は、カメラに魅せられて、カメラの世界に……

[3] 激動の時代に 3-3 カメラに魅せられて


1968年の秋。20歳の終わる頃、流雲は東京に疲れ本郷村に帰ってきた。

大山は、イロハモミジの鮮やかな赤紅色に染まっていた。雲龍院の参道は桜紅葉の万華鏡に彩られている。

 流雲は、雲龍院の参道は桜紅葉が舞う景色が良く似合うと思っている。


 雲龍院の朝は冷え込みが厳しく、冬の訪れを感じる。

 日に日に寒くなる朝、流雲は振鈴と共に起床し座禅する暮らしに戻った。6年前の暮らしに身を置き、流雲は精神の安定を図ろうとしていた。


 ある朝、流雲は雲を眺めていた。何故か、雲を眺めるの忘れていた気がする。それとも、毎朝、眺めていても心に残らなかったのだろうか。

 大山の森は紅く燃えていた。深紅の葉色から黄朽葉、赤朽葉、青朽葉、朽葉色の秋色が大山を彩っている。

 山道に霜が降り、踏みしめる落ち葉はキラキラと白く輝いている。霜を踏みしめ歩くと、靴音がサクサクと森の中に木魂する。

森は森閑とした静寂に包まれ、微かに鳥の囀りが聞こえるだけだ。流雲に呼び掛ける者は誰もいなかった。カンナビに触れる感覚も無かった。きっと、自然の神々も殺伐とした流雲に語り掛けることは無いのだろう。

 流雲は寂しさを覚え、自然と触れ合った昔に戻る決断をする。暫らく大山に身を委ねることにした。

 

 大山に暮らし2週間が経過した。

 朝、目覚めて窓を開けると以前のように、鳥の囀りが聞こえた。

「ツッーチョン、ツィーチョチョ」と響くビンズイの囀り。「ピッツ、ピッツ、ピー」と高く響くクロツグミの囀りが聞こえた。

 流雲はこの鳥の囀りが、聞き分けられたことに感動した。鳥たちは毎朝、鳴いていたのだろう。その声を聴き分けるゆとりが蘇ってきたのだろうか。自然を感知する感覚を取り戻したいと切に感じた。

 流雲は大山の山頂に連なる山道を歩いている。

 中腹辺りで一息ついた時、脇道に小さな石仏が佇んでいた。これまで気付かずに歩いてきたのが不思議に思えた。石仏の頭には薄っすらと苔が生えていた。石仏の周りの雑草は綺麗に駆られていた。その立ち姿は、悠然と森に溶け込むように背筋を伸ばし佇んでいた。


 流雲は大山の自然の中で過ごす内に、光と影が織りなす光景に魅せられカメラを手にしていた。今、流雲は不安の解消をカメラに求めていた。

 父親から譲り受けた「ニコンFフォトミックT」を手にしていた。父親の手ほどきを思い出し、見様見真似で写真撮影に没頭していった。

 ブラックのボディにシルバーのファインダーに「F」のロゴがカッコ良い「ニコンF」は流雲のお気に入りのカメラになった。

「TTL露出計」が内蔵されていたが、中々適正露出の写真が撮れなかった。黒くつぶれたり、白飛びしたりと何度も挫折を味わった。カメラをいじり始めてひと月程経った頃、コツが掴めるようになった。

 構図も写生時の感覚が蘇り、カメラを構えるだけで構図が決まるようになってきた。 しかしイメージした写真が撮れないことに苛立ちを覚え、写真技法の専門書を探したが見つからずにいた。

美大の友達から「日本には写真集も専門書も少ない。丸善書店に洋書を調べに行って見ろ」と教えられる。


日本橋の丸善書店に出掛けた。

流雲は書棚に並ぶ書籍の中から、1960年に出版された Ansel Adams の写真集「This is the American Earth」を見つけた。流雲は自分の求めるモノクロの陰影世界をそこに見た。流雲はアダムスの写真集に魅せられ衝撃を受けた。

流雲は書店の人に「この写真家の別の本はありますか?」と尋ねた。

すると「写真集ではありませんが『Zoon System』と言う写真技法の技術書ですが宜しいですか?アメリカの写真大学の教科書なので、少し難しいですが?」と見せてくれた。

かなり難しそう本だった。それでも、流雲はこの2冊の本を購入した。この2冊の本との巡り合いが、流雲の生き方を決定づける出合いになると、その時は知る由もなかった。


大山に帰り、写真集を開く。

写真集「This is the American Earth」は、光と陰が織りなすカラフルなモノトーンの世界が表現されていた。1955年に地球環境問題を提言するシンポジウムで発表された。

(今から10年以上も前に既に地球環境問題を危惧するシンポジウムが開催されていたのか?環境問題など、この2、3年の話でなかったのか。驚いたなぁ)

 写真集は、国立公園や原生林の自然景観の美しさと自然保護への警鐘を鳴らすのが目的だった。このシンポジウムは、自然の光景が持つ偉大さを示唆し森林保護とダム建設の是非を問いかけていた。

 そしてこの時代に生きる私達の義務は、自然資源を保護し賢く利用することを提言していた。私達の時代の破壊的な活動を抑制し、野生生物の保護し自然の無形の豊かさを子孫の時代に残す重要性を伝えていた。

(自然保護を伝える写真集、素晴らしい。俺もこんな写真集を作りたい)


流雲は「アメリカン・アース」にインスパイアされた。このように大山の美しい自然をカメラに収めたいと思った。 

その秘密が「Zoon System」に書かれていた。難解な本だった。

 流雲は辞書を片手に貪るように原書を紐解いた。そこに書かれていた内容は、目からウロコの写真技法の基礎が紐解かれていた。Ansel Adams とFred Archerの2人の写真家は、厳密な写真画像の作成システムを開発した。それがゾーンシステムだった。


 写真技術を学ぶことに時間を費やした。写真フィルムのASA感度は感光能力を示す数値だと知る。写真フィルムの感光性素材の感度測定の科学的な研究は1876年頃に完成していた。この感度測定「Sensitometry」が基本技術と定義していた。 

 被写体はネガフィルムに陰陽反転したコントラストが転写され、印画紙に焼き付けるプロセスで「写真化」される。

 問題は、撮影時のイメージと「写真」が中々一致しないことにある。このギャップは、被写体が持つ特有の質感や表情を表す「コントラスト」のメリハリにあると記されていた。

 

 写真家が意図する「想定通り」の写真撮影は「イメージ管理」と「画像バリュー」のコントロールが重要と規定している。

 ゾーンシステムは「画像バリューのコントロール」を意図通りに描写する方法を定義している。「画像バリューのコントロール」とは、被写体の「陰部と陽部」の測光量を予測することにある。測光量を予測するには、光度、光束、照度、輝度、光束発散度の測定がポイントになる。

 被写体には、反射光源と入射光源の2タイプの「光量」がある。

 反射光源は、太陽や照明光の光源が被写体が反射する光量。これはカメラに内臓された反射光式露出計により計測できる。入射光源の計測は、光度計を使用し被写体の側で光量を計測する。

 流雲は早速、光度計を購入した。


 測光は「ハイライト/センター/シャドウ」のスポットで測定する。

ハイライトで明度、シャドウ部で暗度を測定。全体のグレー彩度をセンター部で測定する。

 ゾーン・システムは、ハイライトの「純白」からシャドウの「漆黒」までを11段階のゾーン分けしている。「Z-0 」は完全な黒。「Z- 10 」は純白になる。ゾーンは露出を指し示し「Z-5」 の露出は中間色グレーとなる。各ゾーンは隣り合うゾーンとは2倍の比になると定義している。 

 アダムスは、利用可能なダイナミック・レンジは「Z-1~ Z-6」最大の明暗を認識する範囲としている。テクスチュアル・レンジは「Z-2 ~ Z-8」が質感と材質を認識できる範囲と規定している。被写体に当たる「光」の向きが、質感や表情を左右する。


「順光/逆光/サイド光」の実験に大山に出掛ける。目で見ている光が、実際にどれくらいの強さ・向きで当たっているのか。どのような陰影感が写真に定着されるのか。露出計で物理的に測る。撮影場所が変わっても同じ陰影感を再現できるようにする方法を模索する。

 流雲は、被写体の光度を測定し露出調整する方法を大山で練習した。


 流雲は 、秋から冬に移ろう風景を撮り続ける日々を過ごす内に”光の粒子”が見えるようになった。 木漏れ日に包まれる樹や葉の周辺に光の粒子を一番感じる。光の粒子が舞い踊り飛翔する姿を流雲は見た。


 今、流雲は光と影が織り成す、モノクロ写真の陰影世界に魅了されている。

 水墨画のような雪景色に光を感じ、光が色を感じさせる世界観を表現したいと流雲は撮影に情熱を注いでいる。

 樹々が半逆光に霞む幻想的な情景や曇天に覆われた雪化粧の光景を求め、カメラをぶら下げ大山の中を走り回り撮影する。

モノクロ写真の”美しさ”は構図にある。流雲は様々な角度から撮影を試みた。その結果何時しか、色情報に惑わされずに構図が見えた。情景をどう切り取るかに焦点を当て、色彩に惑わされずに構図に注目した。明暗差の領域を見極め、様々な条件を瞬時に判断し構図決めする。


 1968年の年の暮れ12月。

 混沌とした年を締めくくる事件が東京府中市で発生した。「3億円強奪事件」だ。白バイを偽装し警官に扮した強奪事件は、これまでの犯罪と異なり映画を彷彿とさせた。


 流雲は、深々と降りしきる雪に霞む大山を雲龍院から眺めている。

 大晦日。雲龍院は慌ただしく大晦日の準備が進められている。

「大晦日」は「除夜」とも呼ばれ、大晦日の夜に「1年のこよみを除く夜」という意味があり108の煩悩を払う願いがあると、祖父に教えられた。

 雲龍院では元々、毎日夕刻に鐘を108回撞いている。

 雲龍院の「大晦日」には、「鳴鐘偈めいしょうげ」をお唱えしながら「除夜の鐘」を撞くのが年間行事になっている。流雲も「三塗八難 息苦停酸 法界衆生 聞声悟道(さんずはーなん、そっくじょうさん、ほっかいしゅじょう、もんしょうごどう)」と「鳴鐘偈」をお唱えしながら、除夜の鐘の突く音を聞きながら年を越した。

  

 1969年3月。

 雲龍院に暮らし早くも5ヶ月が経過した。桜便りが届く頃、大山も春の息吹きが感じられる季節になった。

 大山に、冬の終わりを告げる春一番がひと吹き吹き荒れると春の訪れは早かった。流雲はカメラを片手に自然を駆け巡り、大山と対峙する日々を過ごしていた。

 春になり古木の森は、陰影を帯びた情景から、草木が芽吹く生命が息づく季節が巡ってきた。

 流雲は、モノクロ世界と異なる淡い色彩世界を切り撮る為、カメラ撮影の様々な手法を試し表現方法を模索していた。

半逆光や逆光の木漏れ日の中に浮かび上がる草花。霞の中に浮かぶ草木の織りなす色彩世界に魅了された。森の中に生まれた虫達や草花の無垢な美しさに魅せられ、シャターを押し続けた。

 ある日、山頂に連なる雑木林の獣道に踏み込んだ時、木立の陰に獣を見た。

 こちらの様子を伺うように、灰色の尾をだらりと不気味に垂らしている。

 狐よりひと回り大きく、犬のような体型をしている。流雲は、野犬かと警戒したが、周りに仲間は確認できない。少し近づくと銀灰色の毛を逆立て、少し短めの耳をピント立て、金色の冷たい目で流雲を見詰めている。全く動こうとしない。

 威風堂々とした立ち姿は、神聖で威厳に満ち美しく、思わず息を飲む。

 そっと、カメラを構えてファインダー覗き、ピントを合わせる。

(あれは、オオカミだ。この大山に、未だオオカミが生息していたのか)

 流雲は膝まずきながら、オオカミにフォーカスする。素早く連写の構えを取り、オオカミに神経を集中する。

 オオカミが連写音に反応し身を翻し、走り出す。流雲は、木立の中をオオカミを追いかけながら速写するが、オオカミは林の中に幻のように消えていった。

(本当に、オオカミを見たのだろうか?幻を見たのか。自信がなかった)


 流雲は大山の写真集「陰翳と息吹」を自費出版した。手作りの30冊程の写真集を知人や写真家に配布した。日本の原風景の自然美の姿を切り撮った写真集は、意外に評判が良かった。流雲の大山暮らしを記念する作品となった。



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