旧校舎と欠片<学園祭1>
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園1年生。
・高瀬 也梛…同上1年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同上2年生。ギターを弾く。
【その他】
・イツキ…白い鳩。諷杝に懐いている。
・臣原 千佳…彩楸学園1年生。矢㮈のクラスメイト。
一.
夏が終わり、二学期に入った。
この夏休み、矢㮈にとっては八月の頭にあった他校との合同音楽祭が一番のイベントとなった。春から再びバイオリンを練習するようになった理由、諷杝のギターと高瀬のキーボードと共に演奏したいという思いを最高のステージで形にすることができた。
音楽祭後はあっという間に盆に入り、寮生活の男子組は帰省したりバイトだったりで、結局夏休み中に三人で顔を合わせることはなかった。元々部活でもサークルでもなく、ただ一緒に音楽を奏でたくて集まっていた矢㮈たちなのである。
そして矢㮈はといえば、折角再開したバイオリンの練習に明け暮れていた。高瀬のピアノ演奏会に触発されたのもあり、またコンクールに出てみようかと考えたのだ。音楽祭では多くの人から褒め言葉をもらったが、一年のブランクはまだまだ大きい。何より、コンクールレベルに戻すには猛特訓が必要だ。
さらに二学期と言えば、学校行事として大きなイベントが待っている。学園祭である。矢㮈たちが通う彩楸学園の学園祭は、文化祭二日と体育祭一日の三日間の行程となっている。
文化祭の例年のパターンからいくと、二、三年生が体育館や講堂を使った劇を選択でき、その他は模擬店やテーマ展示、教室劇を含むミニ発表になるようだ。それに加えて、文化系の部活やサークルの展示や発表などがある。
二学期の登校が始まる少し前に、矢㮈たちのクラスも集まって何をするか話し合った。クラスは約三分の一強が文化系、残りの三分の一が運動系、その他がバイトを含むいわゆる帰宅部である。
話し合いと多数決の結果、矢㮈たちのクラスの出し物は、クレープカフェという模擬店になった。しかも一体誰が提案したのだか、執事の格好をして対応するというオプション付きだった。では女子はメイドなのかというと、まさかの男装だ。
「はい、次は女子の採寸しまーす!」
今まさに、メジャーを手に謎にわくわくとした女子達が声を張っている。彼女たちは家庭部に所属しているらしく、服飾関係の作品を手作りすることも多いのだと言う。部活で展示する作品の用意も忙しいだろうに、執事衣裳にも妥協を見せるつもりはないらしい。
矢㮈は調理担当の話し合いに参加しながら、男子の採寸から戻って来た一人――ものすごく不機嫌そうな顔を見つけて苦笑した。
言わずもがな、高瀬也梛である。
クラスのテーマの方向性全てが決まった時、高瀬は一人頭を抱えて、これ以上ないくらい不機嫌な顔をしていた。いや、不機嫌と言うかこの世に絶望した、というような。かろうじて、クレープの存在が甘党の彼を支えていた。
「高瀬君の執事姿の接客、すっごく楽しみなんだけど! またカメラの出番ね!」
クラスメイトで高瀬がお気に入りの臣原千佳は、文化祭の準備が始まってからというものずっとるんるんしている。美人な彼女の方こそ、執事の男装が映えそうなものだが。
文化祭準備は、主に休み時間と放課後を使って進められる。矢㮈たちのクラスでは、基本的に放課後一時間だけは全員参加、それ以降は自由参加という取り決めをしている。そのため、陸上部期待の新人の千佳などはある程度区切りがつくと「ごめん! お先に!」と教室を去って行く。
部活動に参加していない矢㮈の場合は、何だかんだと残ってしまうことも少なくない。この日もあれよあれよと下校時間近くまで居残ってしまった。しかしクラスメイトたちとわいわい準備するのも結構楽しいというのが本音だ。
「あ」
昇降口まで来て、見知った顔に出会う。
「矢㮈ちゃん。文化祭の準備?」
丁度靴を履き替えたばかりの海中諷杝が、矢㮈の方を見て微笑んだ。
「うん、そう。諷杝も?」
「うーん、僕はちょっと職員室で先生と話してたらこんな時間に」
「……ひょっとして赤点取ったの? それとも何か悪いことした?」
「いやいや、両方違うよ。てか赤点なんか取ったらうちの鬼の家庭教師に叱られるし」
「ああ、確かに」
諷杝が眉を寄せて困った顔になるのを見て、矢㮈も小さく笑った。
諷杝のテスト勉強の家庭教師を務めるのは、ルームメイトである高瀬だ。それで諷杝が赤点を取ろうものなら、彼自身のプライドに関わる。
「それにしても久しぶりだなあ。文化祭準備に入っちゃってから屋上も人で一杯になっちゃったし」
矢㮈たちが集まる定番の場所と言えば校舎の屋上だったのだが、文化祭の準備に伴い、そこでも準備する生徒が溢れ始めたのである。別に部活動でもなく集っているだけだったので、あっけなく場所を明け渡した次第だ。あの騒々しさの中、バイオリンを弾こうとは思えないというのもある。
「文化祭ステージの話も断っちゃったしね」
実は夏の音楽祭の時に顔見知りになった三年の女子生徒・春日井から、文化祭のステージでも演奏しないかと誘われていたのだ。ステージ発表は部活・サークルとは別に特別枠が設けられていて、参加申請して受理されれば個人、グループを問わず参加できる。
しかし音楽祭とは違い学園中の生徒を対象とした行事であることから、あまり乗り気になれず断ることにした。元々好き勝手気儘に、個人的に音楽を奏でていた三人である。そして本当のところを言うと、バイオリン練習にバイト等それぞれの事情に加え、クラスの文化祭準備だけでもてんやわんやだったからだ。
諷杝と共に昇降口を出る。涼しい風が顔に、身体にぶつかって来る。まだまだ昼間は残暑が窺えるが、日も暮れる頃になると季節の変わり目を感じる。
「諷杝」
校舎から少し離れた花壇の傍に、背の高い黒髪の少年がポケットに手を突っ込んで立っていた。いつも背中に背負っているキーボードの黒いケースは見当たらない――持って来ても弾く時間がないからだろう。
「あ、高瀬」
いつの間にか教室から姿を消していたので、すっかり帰ったのだと思っていた。
高瀬は諷杝の隣に矢奈がいるのを見て若干眉を寄せたが、小さく息を吐いただけだった。
「也梛、今日はバイトじゃなかったっけ?」
諷杝がいつものように和やかに訊く。
「この前代わってあげた先輩が入ってくれたからなくなった」
「そうなんだ」
諷杝は少し考えるように顎に手を遣って、それから矢㮈と高瀬を順に見た。
「折角だから、ちょっとお茶して帰らない?」
「する! 何かあったかいの飲みたい!」
矢㮈は挙手する勢いで答えた。久しぶりに会えた諷杝と、もう少し一緒に話したいと思った気持ちが大きい。
「別にいいけど」
高瀬も珍しく素直に頷いた。
「じゃあ、マスターのとこ行こうか。おいしいコーヒー淹れてもらおう」
諷杝が嬉しそうに笑って、次の瞬間足元に視線を転じた。つられて矢㮈も下を向くと、そこには白い鳩が一羽いる。諷杝に懐いている鳩のイツキだ。この鳩をじっくり見るのも久しぶりだった。
「イツキさんは店には入れないから、途中まで一緒に行こうか」
諷杝はまるで友達にでも話しかけるように言い、ゆっくりと歩き出す。その後をひょこひょことついていく白い鳩が面白くて、かわいい。
「犬の散歩ならまだしも、鳩の散歩かよ」
矢㮈の隣で、高瀬が呆れたように呟いた。
二.
「そういえば体育祭の準備って何もしなくて良いの?」
矢㮈は少し前から思っていた疑問を、体育委員の千佳にぶつけてみた。
彩楸学園の学園祭は文化祭二日と体育祭一日の計三日間の日程で行われる。文化祭の方は言うまでもなく毎日のように準備が進められているわけだが、体育祭の方は何一つ準備という準備を行っていない。小学校の体育大会、中学校の体育祭といえば練習というものがつきものだったはずだが高校では違うのだろうか。
千佳は矢㮈が試作した模擬店用のクレープを頬張りながら軽く頷いた。
「もうすぐ種目のエントリーシートが配布されるはずだから、各出場種目に名前書いて終わり。後は私たち体育委員会が打ち合わせやら準備物やらの手配をするだけ」
「競技の練習とかないの?」
「やる気があるならしても良いわよ」
矢㮈は曖昧に微笑んでその場を濁した。残念ながらそこまでのやる気はない。
「まあ、体育祭って言ってもガチなのは運動部くらいだと思うわよ。学園祭の一部としてのお祭りだからね」
「千佳ちゃんはガチの方?」
「そうね。私は元々負けず嫌いだから。特に陸上部としてトラック競技は負けられない」
陸上部期待の短距離走者である千佳が不敵に笑う。彼女とは一緒に走りたくないなあと本気で思うと同時に、彼女の走る姿を今から楽しみに思った。
「個人的には高瀬君の徒競走とか楽しみなんだけどね。春の体力測定で結構良い成績出してたのちゃんとチェックしてるんだから」
千佳の目がキラリと光る。出た、彼女お気に入りの高瀬の話題。クラス内で取っ付きにくいオーラ満載の高瀬に対し、唯一これでもかと興味を持っている女子生徒を彼女以外に知らない。
「高瀬はガチ勢には見えないんだけど……」
確かに彼はそこそこ運動神経が良い。だが見るからに体育祭に本気になるような性格ではない。
「あ、それクレープの試作? オレにもちょうだい」
「俺も欲しい」
「あ、ちょっとそれ私の!」
どこからかひょいと登場した松浦と衣川が紙皿に盛ったミニクレープを横からつまむ。全て自分の胃の中に収めようとしていた千佳が小さく悲鳴を上げた。
「大丈夫、まだ生地残ってるから」
矢㮈が笑って空になった紙皿を手に取ると、
「俺の分も」
新たな声が注文を追加した。振り返らずとも声の主は分かっている。出た、甘党高瀬。
「あ、高瀬君」
彼の姿にミニクレープを横取りされて落ち込んでいた千佳が急に元気を取り戻す。
「お前本当見た目に似合わず甘党だよなあ」
松浦が若干呆れたように笑うと、
「さっきまでとことん執事接客マニュアルを叩き込まれてたんだぞ。頭がおかしくなりそうだ」
高瀬が苦々しい顔でため息を吐いた。そういえば小道具班や調理班以外のクラスメイトたちは皆接客講習に励んでいたか。
「えー、高瀬なかなかだったけど?」
衣川がニヤリと笑うのに千佳が反応する。
「え、何それ! 私も今度見に行く!」
「見に来なくていい」
高瀬がうんざりした声で千佳を押し止める。松浦が肩を竦めた。
「臣原さん残念、高瀬は案外要領良くて追加講習はなしなんだよなー」
「え、それってマスターしちゃったってこと?」
「少なくとも講習の先生をしてた佐藤さんからは合格点もらってた」
「へえ、意外」
思わず口を挟んだ矢㮈を高瀬が軽く睨む。
「もしかしてこういうバイトしてた?」
「してない。俺が好き好んでこういう系のバイトするように見えるか」
「ううん、全然見えない」
「だろ」
それでも彼が執事の接客をする姿を想像するとおかしくて、矢㮈は横を向いて笑ってしまった。
「おい笠木」
「あはは、ごめんごめん。……ははっ」
これ以上高瀬の不機嫌な睨みが飛んでくる前にこの場を撤退しなければ。クレープを焼いてくれば甘党の彼もすぐに機嫌を直すだろう。
「オレは笠木さんの男装接客見てみたいけどなあ」
「私は千佳ちゃんのそれがすごく見たい」
「私の男装より何より高瀬君よ! 私も笑顔の高瀬君に接客してもらいたい!」
「誰が笑顔だ」
「そうそう、高瀬があまりにも無表情だからついに佐藤さんも諦めてクールな執事で妥協してもらったんだよね」
どうでもいい裏事情を暴露した衣川に高瀬が顔を顰め、千佳が一層顔を輝かせる。矢㮈は心の中で一人納得していた。バイト代も出ないのに高瀬が笑顔のサービスなどするわけがない。そもそも彼がにこやかに接客する様を想像できない。
(むしろ笑顔で接客されたら気持ち悪いなあ、私は)
本音を口には出さぬまま、矢㮈は追加のクレープを作るためにひっそりとその場を一時退散した。
三.
「ねえ、不審者に見えない通行人ってどんな風に演じたらいいと思う?」
突拍子もなくそう問われた也梛は雑誌から顔を上げて容赦なく怪訝な目を向けた。目の前のルームメイトは真剣な表情で答えを待っている。だが、正直まず質問の意味を理解できない。何だ、不審者に見えない通行人って。
「意味が分からん」
「え? だから、不審者に見えない通行人を演じたいんだってば」
諷杝が言い直すが、やはり意味が分からない。手元の雑誌を一旦わきに置き、改めて彼に向かい合った。諷杝との会話は適当に返事をし過ぎるとたまに変な方向に向かって迷子になることがあるのだ。
「演じるってことは、文化祭の劇か何かか?」
まずは前提を確認すると、諷杝はあっさり頷いた。
「そう。僕は端役で通行人Cをすることになったんだけど、ただ舞台を横切るだけなのに毎回ダメ出しをされるんだ」
「よっぽど挙動不審なんじゃねえの、それ」
「知らないよ! 僕にとっては普通だと思ってるんだけど。……ていうか、今さらだけど僕って普段から変なのかな?」
諷杝の声が途端に弱気なものに変わる。也梛は否定せずに頷いた。
「ああ、今さらだな。一番の友達が鳩で、その鳩とほぼ毎日戯れているところからしてちょっと変わってる」
「ええ? イツキさんは良い鳩だよ?」
「今はそんなこと聞いてねえよ。で、お前はどんな風に演じてるんだ。ちょっとそこでやってみろ」
そう言うと、諷杝は少し恥ずかしそうにしながらも部屋の端に移動し、也梛の目の前を横切るように歩き始めた。
(あ?)
也梛がわずかに眉間に皺を寄せる頃には諷杝は目の前に戻って来て正座し、期待のこもる目で感想を求めてきた。
「どうだった!?」
「うん、ああ、何か分かったような気がする」
也梛は首の後ろをかきながら、先程気付いたことを彼にどう言ったものかと逡巡した。
「お前、歩いてる間どこ見てんだ?」
「え? どこって……色々?」
「そう、色々過ぎるんだよ。きょろきょろし過ぎだ」
先ほど也梛が感じた違和感はこれだった。小さな部屋をさっと数十歩歩いただけなのに、その間彼の視線は驚くほど落ち着きなく彷徨っていたのだ。
「え、そんなにきょろきょろしてるように見えた?」
本人はあまり自覚がなかったらしい。也梛はため息を吐いた。
「何をそんなそわそわしてんだってくらい動いてたぞ」
まさに挙動不審の怪しい人だ。ここで彼の初めの質問の意味をようやく理解した。
「でもお前普段そんなことないだろ。何か気になることでもあるのか」
いくら諷杝が少し変わった人間とは言え、今までに隣を歩いていてそこまで気になったことはない。先程のような挙動不審な動きをすれば嫌でも目について苦言を呈している。
「うーん、気になるっていえばやっぱ周りの視線かなあ。大勢がじっと舞台上の動きに注目するでしょ?」
「誰も見てない劇とかあり得ねえだろ。だいたいそんなでよく舞台に出ようと思ったな」
「とりあえずちょい役でも出演すれば他の仕事があまり回ってこないから」
諷杝が言うには、大道具小道具、背景等の制作係になってがっつり長期間の仕事を任されるより、たった数十秒の出番で終了する仕事の方が気楽ということらしい。
「そりゃ人手が足りなければ応援に入るけど。いやあ、六月の水無月祭で担当係にされたのが堪えたよ」
六月にあった水無月祭という催しで、彼はクジ運悪くクラスの担当係になってしまったのだ。祭りの実態は仮装行列なのだが、そのテーマ決めやら打ち合わせやらと係は大変だったらしい。
「まあせめてどこか一点だけを見て歩けるように練習しろ」
まさか普通に歩くこともできないとは露にも思わなかった也梛は、結局当たり障りのないアドバイスしか返せなかった。むしろこれ以上のアドバイスをどうしろというのか。
「そういう也梛の方はどうなの? 執事の練習はバッチシ?」
諷杝が急に話題を転換する。対して也梛は自分の眉間に思い切り皺が寄ったのを感じた。
「……文化祭に季節外れのインフルエンザにかかるにはどうすれば良いと思う?」
「何言ってるの也梛。君はただでさえ体が丈夫なんだから普通の風邪ですらひくの難しいじゃないか」
あっけらかんと返した諷杝の言葉はひどく正しくてぐうの音も出ない。項垂れた也梛に諷杝がくすくすと笑った。
「毎日クラスの皆と楽しく練習してるみたいじゃない。矢㮈ちゃんがメールで教えてくれたよ」
「誰が! 楽しく練習だ!」
頭の中を過った彼女に八つ当たりするように言い返す。諷杝はますます笑って「はいはい」と也梛の言葉を適当にあしらう。
「楽しみだなあ、也梛の接客」
「絶対来るな」
「またまたそんなこと言って。矢㮈ちゃんの接客も見たいしね」
諷杝は完全に自分の劇のことなど忘れて、也梛たちのクラスの出し物の方に思いを馳せている。
也梛は出そうになったため息を押し殺し、脇に置いたままの雑誌を手に取った。ペラリとページを捲るともうすぐ公開される秋の映画が一覧になっていた。それを何ともなしに順に眺める。
「あ、そうだ。也梛」
諷杝が思い出したように言った。也梛が返事をせず顔も上げずにいるのを全く気にしないまま彼は淡々と続けた。
「今日並早先生に聞いたんだけど、文化祭には副理事長戻って来るって」
ページを捲っていた手が止まる。顔を上げると、諷杝がぼんやりと部屋の時計を見つめていた。
「副理事長って……お前の父さんが組んでたバンドを知ってる人だったか」
夏休み前、副理事長に話を聞くためにコンタクトを取ろうとしたが、あいにく出張やら何やら忙しすぎて捕まらなかった。いつ戻って来るとも知れなかった。
「この文化祭の間に何としてでも捕まえないとね」
諷杝がようやく也梛の方を向いて、困ったように笑った。




