音楽祭 閑話休題<後編>
「音楽祭 閑話休題<前編>」の続きです。2話に渡って掲載しています。
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校1年生。
・高瀬 也梛…同上1年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同上2年生。ギターを弾く。
【その他】
・相田 将…雲ノ峰高校2年。音楽祭実行委員長。
・並早…彩楸学園英語教諭。音楽祭の担当教員。
四.
演奏後、也梛は颯爽とステージを後にして楽屋へ向かった。もちろん、先生と村住には一言かけて。
先生は一刻も早くこの場から立ち去ろうとする也梛に、素直に首を傾げた。
「え、也梛君。もう行っちゃうの? まだ料理にも手つけてないんじゃ……」
「すみません、先生。今日は本当にありがとうございました」
也梛は深く突っ込まれる前に、あいさつの言葉を放った。ただし、失礼のないよう、礼だけは丁寧にゆっくりすることを心がける。頭を上げたところで、先生の真っ直ぐな視線に捕まった。
「――也梛君。さっきの演奏、どうだった?」
「どうって……良かったと思いますよ。練習よりもリハよりも、今までで一番良かったと思います」
也梛は正直に胸の内を打ち明けた。本当に、良い演奏だった。音のノリも良かったし、いつも以上に指が滑らかに動いた。先生はもちろん、村住にも特に文句の付け所はなかった。
先生は也梛の目をじっと覗き込んだ。
「じゃあ、楽しかった?」
「え?」
質問の意味を理解できず、とっさに答えられなかった。――いや、たとえ理解できていたとしても、即答はできなかったかもしれない。
黙ったままの也梛に、先生はふっと笑い、彼の額にデコピンを喰らわせた。
「相変わらず正直ねぇ。あなたの音楽を聴いてたら分かるわよ。確かに技術面も表現面もいつも以上に評価できるものだった。けど、そこに也梛君は見当たらなかったもの」
「はい? 見当たらなかった、ってどういう……」
也梛はちゃんと先生に向かい合う形でピアノを弾いていた。
「心から楽しんでいる人の演奏には、その人が楽しんでる姿が音の中に見える気がするのよ。――私にはね」
「俺には見えませんけど」
「まだまだ修業が足りないわね」
先生はクスクス笑って、少し伸びをして也梛の頭に手を載せる。
「也梛君のことは、お母さんから少し聞いてる。学校のこととかね」
也梛は困ったように眉を下げたが頭の上の手を振り払おうとはしなかった。
「で、明日から音楽祭なんだって?」
「え、それは……」
思わず目を見開いた也梛の前で、先生はグッと親指を突き出した。そして、
「もちろん見に行くわよ」
問答無用だと言わんばかりの宣言。こうなると多分、実際也梛にはどうすることもできないだろう。
「それに向こうに行く前に、最後に也梛君の本当の音楽を聴いておきたいじゃないの」
「!」
全て見透かされている、と思った。声が出ない。
頭を一度ポンとたたいた手が離れ、也梛の背中を押す。
「ほら、さっさと行って練習してきなさい」
「……ありがとう、ございます」
也梛が照れくさそうに礼を言うのを見て、先生はぷっと吹き出した。
「何からしくないわねえ」
全くもって、自分でもそう思う。也梛は再度頭を下げると、面倒臭い父親と姉が側に寄って来ないうちにさっさとホールを出た。
楽屋で堅苦しい衣装を着替え、慣れた学園の制服姿で廊下に出る。手荷物と言えば、キーボードが入った黒いケースだけ。財布などは制服のポケットに入っている。
諷杝に連絡を入れようとズボンのポケットから携帯を取り出した時、
「お疲れサマ」
エントランスホールに出る前辺りで、陽気な声が飛んで来た。ぎょっとして前を向くと、有り得ない人物たちが視界に入りこんできた。
たった今、電話をかけようとしていた相手・諷杝と、なぜか矢㮈までいる。しかも二人共、スタッフの制服姿であった。
「お前ら、一体こんなトコで何してんだよ」
大方予想はついたが、とりあえず訊いてみる。
「ほとんど君の予想通りだよ。スタッフのアルバイトとして、演奏を聴きに来た」
諷杝が平然と答えるのを聞いて、頭が痛くなってきた。
「今日はもう音楽祭前日だろ。仮にも副委員長が何やってんだよ。しかも笠木まで」
だいたい、何でこうも都合良く、このホールスタッフ――それも今日――のアルバイトを掴んでくるのだ。也梛は驚きを通り越して呆れた目で彼らを見遣った。
「今日の練習は夕方から、そして夜が打ち合わせだったはずだけど」
諷杝が不思議そうな顔をする。
「そんなことは知ってる。俺が言いたいのは――」
「大丈夫。ちゃんと委員長の許可は取ってるよ。昼間設置予定のステージ作りは委員長に任せて、僕は片付けに回してもらった」
まるで、「ちゃんと親には言ってきたよ!」と得意そうに言う諷杝。也梛は言葉を失くして今度は矢㮈を見た。先程から一言も喋らず、黙って也梛を見ているようで――その視線はどこか虚ろだった。
「笠木」
「……」
「おい、笠木」
「……へっ?」
二度目でようやく我に返ったかのような反応があった。いつも以上にアホ面だ。
矢㮈は也梛が背負ったキーボードケースをじっと見つめて、ふいにつぶやいた。
「高瀬のキーボードが聴きたい……」
「は?」
也梛はいきなりなのとその内容に、訝しげな顔をした。矢㮈はただじっと黒いケースを見つめている。
そんな彼女の肩に、ポンと手を乗せて諷杝が苦笑した。
「矢㮈ちゃんは素直だなあ。けど、まだ僕らのアルバイトは終わってないよ」
「……そうだった」
ようやく矢㮈がいつものような表情に戻り、疲れたように息を吐き出した。
先程の彼女は一体何だったのか、也梛にはさっぱり分からず終いだ。
「丁度正午で終わりなんだ。後一時間ちょっとぐらいなんだけど、也梛は先帰ってる?」
諷杝が彼らのスケジュールを告げる。
「なら、このホール出てすぐの公園で時間つぶしてる。終わったら連絡しろ」
「オッケー」
諷杝は片手を上げて、矢㮈と共にスタッフ専用通路へ消えて行った。
改めて考えると、あの二人はわざわざ也梛の演奏を聴くためだけに、このバイトをしに来たということになる――諷杝の話では。
(そこまでして聴きに来た感想はどうだったんだか……)
也梛はホールの入り口の自動ドアを通り外に出た。生暖かい風と強い日差しに目を眇める。
「あいつらのバイト代で昼飯奢ってもらうとすっか」
彼らは呼んでもいないのに勝手に来ただけだ。也梛には、「演奏を聴きに来てくれたお礼に」などという考えはない。
それでも一人で先に学校へ帰ろうと思えないのが、也梛自身不思議だった。
シフト終わりに手渡されたバイト代は、そのほとんどが昼食代に消えて行った。しかも、受け取って一時間もしないうちに。なぜか、高瀬の分を矢㮈と諷杝が出し合って。矢㮈の手元には千円が残ったが、諷杝の方はかろうじて三百円程しか残らなかった。
デザートもたらふく食べた高瀬が、当たり前だが満足そうな表情を浮かべる――というか、むしろこれで満足しなかったらキレるところだ。
矢㮈たちは店を出ると、自然に駅の方へと歩き始めていた。
行きは諷杝と二人で歩いた道を、矢㮈を真ん中に三人で歩く。
背も高いが足も長いせいか、少し前を行く高瀬の背にある黒いケースが目に留まる。
前を行く彼が、「なあ」と口を開いた。
矢㮈と諷杝はその先を待つ。しかし続きはなかなか出て来ない。
諷杝が矢㮈の方を向いて、困ったように笑った。そして、高瀬が訊きたかっただろうことの先を読んだ答えを返した。
「別に悪くなかったよ。ていうか、レベルは半端無かったと思うけど」
演奏の感想だった。
「……そうか」
高瀬は喜びもせず、ただ一言返した。それきりまた黙りこむ。
矢㮈は特に訊かれることもなかったので、口を開かなかった。
諷杝は夏の青い空を見上げて、どこか楽しげに見える。そして、
「でも帰ったら、僕のお願いを一つきいてね、也梛。僕のバイト代であれだけ食ったんだから、君にはその義務があるよ」
さらりと言い放った。
「は?」
高瀬が足を止めて振り返る。矢㮈も首を傾げた。
諷杝は相変わらず空だけを見ながら、ふふと軽く笑った。
五.
音楽室にいるのは、諷杝と高瀬と矢㮈、そして音楽祭実行委員長の相田将と音楽祭担当教員の並早教諭だ。時間はもう後三十分で練習時間終了という頃だった。
つい先程矢㮈たちが練習を終えたところに、委員長と並早がやって来たのである。
きっと諷杝に何か用があるのだろうと片付けを進めていると、諷杝が謎の発言をした。
「二人共、準備はバッチシだから、よろしく」
「二人共」――は、相田と並早ではなく、矢㮈と高瀬に向けられていた。諷杝は音楽室のグランドピアノの横に立ってにっこり笑った。
「……えっと」
矢㮈は意味が分からず、困ったようにバイオリンケースを抱えた。
「諷杝、それは一体何の準備だ?」
矢㮈の少し後ろに立つ高瀬が、単刀直入に尋ねた。彼も眉をひそめて不可解そうな表情をしている。
それに対して諷杝は、
「ん? アンコールコンサート、かな?」
飄々と言ってのけた。ますます高瀬の眉が寄る。
「そんな話、聞いてないぞ。つーか演奏者は誰で、客は誰なんだ」
「たった今、言った。んで、演奏者は君たち二人。客は僕一人――と言いたいとこだけど、今回ばかりはあちらの二人も外せない。三人だよ」
色々融通してもらったからね、と諷杝は相田と並早を示す。高瀬は不機嫌そうな声で諷杝に言った。
「何だそれ。ただのワガママか?」
「そうだね。僕のワガママだよ」
諷杝は高瀬の側まで行くと、ポンと肩をたたいた。
「まさか、あの演奏が君の最高なんて言わないだろう? 僕には分かる」
「……」
高瀬が数秒親友の顔を睨んで、やがてため息を吐いた。
諷杝の言った「あの演奏」が、今朝の演奏会のものだと矢㮈にも分かった。
もうキーボードをケースに片付けて背負っていた高瀬は、それを下ろして諷杝に渡した。そしてピアノへと歩き出す。キーボードを受け取った諷杝は、そのまま矢㮈に近付いた。
「一度練習に付き合ってるから、弾けるよね? 僕のワガママ叶えてくれない?」
「……あたしが弾いていいの?」
思わず、訊き返していた。昼間の演奏会を思い出す。あのバイオリンの音が耳に蘇る。
矢㮈にはあんな演奏はできない。
今改めて気付いたが、あのバイオリンに矢㮈は気圧されていた。敵わないと思うと同時に、高瀬のピアノが遠くなった気がした。
(あたしなんかが、あのピアノと一緒に弾いていいの……?)
思えば、ずっと心の中でそんなことを考えていた。
矢㮈の縋るような視線を受け、諷杝はふっと柔らかく微笑んだ。
「何言ってるの。僕は矢㮈ちゃんのバイオリンを聴きたいんだけど」
諷杝の笑みに、矢㮈の心の中がすっと軽くなる。
――全く、その笑顔に勝てるわけがないではないか。
矢㮈は小さくうなずくと、ケースからバイオリンを出して高瀬のピアノの前に立った。ちゃんと譜面も用意されている。
音と、弦の調律をする。
後ろのピアノを振り向くと、高瀬がじっと矢㮈の方を見ていた。
そして、
「お前、今回は練習じゃねえからな。中途半端な演奏したら許さねえぞ」
「それはこっちのセリフよ。諷杝の前でそんなことできるわけないでしょ」
矢㮈は「べえ」と舌を出して、前に向き直った。
少し離れた正面に諷杝が立っている。その左斜め後方には、相田と並早が見える。
「行くぞ」
高瀬の言葉に、神経を集中させる。
曲は、『G線上のアリア』。祖父が好きだった曲。
(あたしの音で、丁寧に……)
諷杝は矢㮈の音を聴きたいと言ってくれた。
流れるピアノの音色に耳を澄ます。高瀬のピアノだ。
(……あれ?)
不思議な程、馴染んでくる。今朝の、「高瀬らしくない」音ではない。矢㮈が知っている、いつもの彼の音だった。
諷杝を見る。彼はどこか安心した表情で、音色に耳を傾けていた。
「ありがとう。とても素敵な演奏だった」
「え、そんなこと……。こちらこそありがとう」
体育館の前で諷杝が矢㮈にお礼を言ってきたので、矢㮈もそれに返事をした。高瀬と相田は二人で話をしながら、一階の男子大部屋に行ってしまった。
「うん。僕のワガママはとっても満足したよ。きっと、あいつも……」
諷杝が男子部屋の方へ視線を遣った。
「え? 何……?」
首を傾げる矢㮈に、諷杝は「あれ?」とおかしそうに笑った。
「矢㮈ちゃんは気付かなかったかな? あいつ――也梛、とてもいい表情してた。きっとあいつも満足してるよ」
「……!」
それは最大の褒め言葉ではないだろうか。高瀬のことをよく見ている諷杝が言うのだから間違いない。
正直、今日一番うれしい出来事だ。
「……少しは、高瀬に認められたと思っていいのかな?」
矢㮈の言葉は諷杝の笑い声にかき消された。
「あはは、そんなこと思わなくていいよ。だって、もうとっくに――あははっ」
とっくに、何なのか。諷杝の笑いはおさまらない。
でもその表情から、何となく思いは伝わってくる。
とりあえず矢㮈は、高瀬に許される演奏をしたようだ。
(ねえ高瀬、楽しかった?)
心の中で、答えが返って来ないことを知りつつ問いかける。
(あたしは楽しかった。――悔しいけど、また思ったよ。やっぱ、あんたすごいわ、高瀬)
ピアノもキーボードも関係なく、彼の音楽がすごいと思う。
『今のステージ上の也梛も也梛だよ』
諷杝の言葉がようやくするりと矢㮈の中に入ってきた。
そう、今朝の演奏も紛れもなく高瀬の音楽だ。だが一方で、つい今しがたの矢㮈との演奏も彼の音楽に間違いない。
でも一つ、矢㮈の勝手な独断で言わせてもらうなら。
たとえ高瀬に調子に乗るなと言われても、矢㮈ははっきりとこう言うだろう。
――あたしたちと一緒に演奏している時の方が、「彼らしい」高瀬の音楽である、と。
きっと、諷杝も同じ気持ちに違いない。
矢㮈はバイオリンケースを胸に抱きしめ、一つ深呼吸して気持ちを改めた。
いよいよ明日から、音楽祭が始まる――。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
『奏』のお話はまだ続くのですが、次回の更新は暫く間が開いてしまいそうです。
番外編が2本ありますので、そちらは『奏~間奏曲集~』に掲載する予定です。
いよいよ音楽祭本番!というところで本当に申し訳ございません。
それでもまた更新した際には、よろしければお付き合い頂けますと幸いです。




