33 運命の日
小野とワタルは、東西に流れる川に架かる小橋のたもとに立ち、通りを行き交う人々をキョロキョロと目で追っていた。
二人とも、ジャケットにスラックス、ハンチング帽を被ってリュックを背負い、翻訳機を作動させている。
時刻は、西暦一九一四年六月二十八日の日曜日、午前八時半過ぎ。場所はサラエボ、ミリャツカ川に架かるラテン橋という小さな橋のたもとだ。
「なんだか眩暈がしますね」
小野がワタルに言うと、ワタルが頷いた。
「僕もです。緊張のせいでしょうか」
しばらく立っていると、円筒形の赤いトルコ帽を被り、ジャケット、スラックス姿に肩掛け鞄、口髭を生やした優しそうな男性に声を掛けられた。
「ワタル君とアツシ君かな?」
少し緊張しながらワタルが答えた。
「はい。閻魔庁の者です。私がワタル。こちらがアツシです」
ワタルと小野が会釈をすると、男性が笑顔で二人に握手した。
「よろしく。私は審判庁のスナリッチだ。少し時間があるし、コーヒーでも飲みながら打ち合わせしよう」
三人は、ラテン橋の近く、川沿いの通りに面したカフェに入った。
† † †
「スナリッチさんは、こちらのご出身なのですか?」
カフェの小さなテーブルを囲み、小さなカップでコーヒーを飲みながら、ワタルがスナリッチに聞いた。
「うん。そうだよ。生まれるのはもっと後だけどね。この帽子だって初めて被ったよ」
スナリッチは、そう言って笑うと、コーヒーに添えられたお菓子を一口食べて、話を続ける。
「本当は審判庁から冥官をもっと派遣したかったんだけど、この並行世界の不安定化が許容範囲を超えるんで、結局、主担当の私一人だけの派遣になったんだ。ほら、時々眩暈がしない?」
「え、この眩暈って、不安定化が原因なんですか?」
小野が驚いて聞くと、スナリッチが苦笑した。
「そうみたいだよ。結構ギリギリらしい。これ以上派遣者を増やすと、この世界が崩れてしまうそうだ。だから、我々三人でこの大仕事を成し遂げなければならない」
スナリッチが真面目な顔で小野とワタルを見た。二人は頷いた。
スナリッチがカフェの外へ目を向けた。小野とワタルも外を見る。
カフェの外は、川沿いの通りが左右に続き、通行人で賑わっていた。
スナリッチが外を見ながら小声で話し始めた。
「さて、この後の動きだけど、今から一時間後の午前十時頃、この通りの右、西から大公夫妻の車列がやってくる。この通りの左、東にあるサラエボ市庁舎へ向かうんだ」
スナリッチが小野とワタルの顔に視線を移した。声が更に小さくなった。
「この通りには、すでに何名かの暗殺者が潜んでいる。審判庁が数々の工作を進めてきたけど、史実どおりであれば、暗殺者の一人であるチャブリノヴィチが、この通りの右、西に二百メートルほど進んだ先にあるチュムリヤ橋のたもとで爆弾テロを起こすはずだ」
スナリッチが再び外に目を向けた。
「大公夫妻を乗せた車は、難を逃れてこのカフェの前をスピードを上げて右から左へ駆け抜けていく。そして、さっき二人が立っていたラテン橋前の交差点を直進し、四百メートルほど進んだ先のサラエボ市庁舎に入る予定だ。史実だと、その後、大公夫妻は爆弾テロの負傷者を見舞うため、予定を変更して、十時四十五分頃にサラエボ市庁舎を出発し、この店の前の通りを左から右へ戻ろうとする……」
スナリッチが暗い表情になり話を続ける。
「……しかし、運転手が手違いで予定変更前のルートを進んでしまい、さっき二人が立っていたラテン橋のところで右折して、ラテン橋の向かいに進んでしまう。そこで、道を間違えたことに気づき、車が止まったところで、たまたま車の進行方向右側、惣菜屋の前に立っていたプリンツィプに大公夫妻が射殺されるんだ」
今から一時間後、歴史を動かす大事件が起きようとしている。小野は思わず息をのんだ。
それに気づいたスナリッチが明るく言った。
「まあ、そんなに緊張しなさんな。もし失敗したら、また次の並行世界でやり直したらいいんだよ」
「すみません、ありがとうございます!」
別の並行世界でまた最初から様々な工作をするのは大変な労力がかかる。
それでもあえて気軽に明るく言ってくれたスナリッチの優しさに、小野は少し気が楽になったように感じられた。
スナリッチが笑顔で話を続ける。
「それじゃ、この後の具体的な動きだけど、私は最初の爆弾テロを起こすチャブリノヴィチを監視して、不測の事態に備える。二人は、この店の前の道を左に進んで、サラエボ市庁舎に先回りしておいて欲しい。そして、大公が一人になったときに『精霊』として負傷者の見舞いに行かないよう説得して欲しい」
そこまで言うと、スナリッチが鞄からインカムを二つ取り出した。
「今回、復原力は観測史上最大の強さになることが想定されている。何かあれば、お互いにこのインカムでやりとりしよう」
小野とワタルは、スナリッチからそれぞれインカムを受け取った。
「それでは、神のご加護があらんことを」
スナリッチが立ち上がった。店の時計は、九時二十分を少し過ぎたところだった。




