30 壮大な作戦
「し、失礼。つい興奮してしまいました。私、この研究に長らく携わっていたもので……」
ハッと我に返ったような顔をして、藤原が椅子に座った。
「研究せずとも、サラエボ事件を回避すれば第一次世界大戦が回避又は縮小されるくらい分かるだろう、と思われるかもしれません。ですが、それを膨大かつ詳細なシミュレーションで実証に近い形で裏付けし、しかも地球世界全体における人生への影響が許容範囲であることを明らかにしたことに意義があるのです! まあ、かなりの追加サポートが必要にはなりますが……」
藤原が早口でそこまで言うと、小野とワタルがポカンとしているのに気づき、咳払いをして話を変えた。
「それはそうと、お二人はサラエボ事件についてどの程度ご存知ですか?」
ワタルと小野は顔を見合わせた。何だか学校の授業で習ったような気はするが……
藤原が二人の表情を見て説明し始めた。
「西暦一九一四年六月二十八日の日曜日、当時、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあったバルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナの都市、サラエボで起きた事件です。オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公とその妻が、ボスニア出身のセルビア人青年、プリンツィプによって暗殺されたのです」
藤原が、拳銃を撃つような真似をした。その仕草と平安貴族風の裝束とのアンバランスさが妙に気になる。
そんな小野の内心をよそに、藤原は話を続けた。
「その後、オーストリア=ハンガリー帝国は、セルビア王国に対して、暗殺の共犯者の法廷尋問の実施と同帝国機関の参加等を求める最後通牒を突き付け、セルビア王国がこれを拒否すると、七月二十八日に宣戦布告……そして、同盟関係等を背景に、ドイツ、ロシア、フランス、イギリス等々、ヨーロッパ諸国がなし崩し的に戦争に突入します。第一次世界大戦の勃発です」
藤原が、机に両肘をつき、組んだ手に顎を乗せた。何かの秘密組織のボスのような姿勢だが、平安貴族の優雅な雰囲気が残ったままだ。
藤原は、その姿勢のまま小野とワタルを見つめた。
「サラエボ事件を回避した並行世界を構築する。これが、今回のミッションです。これが成功すれば、二度にわたる大戦は大幅に縮小されることになり、この並行世界をコピーするなどして、多くの方の臨終時幸福度を上げるためのサポートに活用できることになります。基本的には主に欧米を所管する『審判庁』で対応することになりますが、閻魔庁でも応援要員を出すことになったのです。お二人には、是非ともこのミッションの応援要員として参加していただきたいのです」
† † †
あまりに壮大な話に、小野は戸惑ってしまった。そもそもどうして自分が呼ばれたのだろう。
ワタルも同じ思いだったようで、藤原に聞いた。
「あ、あの、こんな重大なミッションに、どうして我々が呼ばれたのでしょうか?」
藤原が、机に両肘をついていた姿勢をやめて、何故か少し恥ずかしそうな顔で椅子に座り直すと、笑顔になってワタルに答えた。
「ワタルさんは、異世界経由であの世にいらしたという珍しい経歴を踏まえてのことと聞いております」
「僕は何故呼ばれたのでしょうか?」
「小野さんは、ええっと……」
何故か藤原が言い淀んだ。嫌な予感がしたので、小野が聞いてみる。
「閻魔様が『小野篁さんと名前が似てるし、頑張ってくれるんじゃない?』と言ったとか、そんな理由じゃないでしょうね?」
「ま、まさか、そんな理由ではないと思いますよ。多分……ははは」
慌てた様子で藤原が笑ってごまかした。怪しい。
藤原が、やや強引に話を進めた。
「さ、さて、特に問題なければ、お二人には明治時代の京都へ行っていただきます」
「え、日本なんですか?」
予想外の場所に、小野とワタルが同時に驚いた。
藤原が笑いながら説明する。
「実は、サラエボ事件で暗殺されるフランツ・フェルディナント大公は、事件の二十一年前、二十九歳のときに、世界一周旅行の途中で日本に立ち寄っているのです。そこで、この日本滞在中に、サラエボ事件を回避する『きっかけ』を作り、事件前に思い出してもらう、というのが今回のお二人の具体的な仕事となります。詳しくは、この資料をお読みいただければ分かるかと思います。それではよろしくお願いします」
藤原はそう言うと、小野とワタルにそれぞれ紙の資料を手渡すと、足早に会議室から出て行ってしまった。
† † †
「色々説明してくれたけど、結局何をしたらいいんだろう」
「閻魔庁の偉い人って、忙しいせいか肝心なところの説明が抜ける傾向がありますよね……」
二人だけになった会議室で、小野とワタルが愚痴を言いながら資料を読んだ。
……フランツ・フェルディナント大公の日本滞在中に、サラエボ事件を回避する「きっかけ」を作る。
大公にとって神秘的・非日常的な体験である日本旅行中に、日本の「精霊」から啓示を受けるという形で、サラエボ事件を示唆し、印象づける。
サラエボ事件回避に対しては、非常に強い復原力が働くため、並行世界の不安定化に留意しつつ冥官二名で臨機応変に対応する。
「きっかけ」の内容は、大公の状況に応じて臨機応変に検討する……
「この『冥官二名』が僕達ですかね?」
小野がワタルに聞いた。
「そうみたいですね。ということは、我々が『精霊』役をするということですか……そして、とにかく臨機応変に対応・検討することになるみたいですね」
ワタルが苦笑しながら答えた。小野も苦笑しながら応じる。
「まあ、メインは欧米の所管庁らしいですし、僕達は念のための対応って感じかもしれませんね。気楽に、やれるだけやってみますか」
二人は第一部門の会議室を後にした。




