21 奉行所への書状
寛政元年十月一日、西暦一七八九年十一月十七日の昼前。小野は、江戸、南町奉行所内の庭で焚き火をする若者と少年の傍に立っていた。消えるくんで姿を消し、小型翻訳機を作動させている。
今回のサポート対象者は、この少年、中田春之助だ。
春之助は十四歳。父親は南町奉行所で吟味方の与力、大雑把に言うと検察官兼裁判官を長く務めている中田喜右衛門だ。
春之助は、父親の下で裁判等の仕事を学ぶため、今日から見習い与力として南町奉行所に出勤している。
ちなみに、春之助の隣にいる若者は、同心、大雑把に言うと警察官兼裁判所職員だ。
「これを全て燃やすのですか?」
春之助が焚き火の横に積んでいる書状の山を指差して同心に聞いた。
「そうですよ。これらの書状は、正式な手続きを経ずに奉行所に投げ込まれたものなんで、受理せず燃やすことになっているんです。火が強くなり過ぎないように、少しずつ燃やさないとね」
同心の言葉を聞きながら、春之助が紙の山から一通の書状を拾い上げた。姿を消した小野が横から覗き込む。
何と書いているのか分からなかったので、小野は翻訳機能のあるゴーグルをかけて覗いてみると、「お奉行様へ」と、丁寧な字で書いてあった。
実は、これが春之助の人生の岐路なのだ。春之助は、この書状の中身を見ずに焼却処分するのだが、その中身に何が書かれていたのかがずっと気になってしまう。
もしかすると、何か冤罪を防ぐ手がかりがあったのではないか……
春之助は、将来、立派な吟味方の与力に成長するのだが、ずっとこの書状の中身が気になってしまう。そのため、元来の真面目な性格もあり、臨終時幸福度が下がってしまったのだ。
春之助は、少し悩んだものの、その書状をそっと紙の山の上に置いてしまった。何とかして、春之助にその書状の中身を読んで貰わなければならない。
小野は、いつもの「怪現象」の手を使うことにした。ちょっとした風が吹いたのを見計らって、紙の山を手で散らかし、先程春之助が拾い上げた書状が春之助の足下に落ちるようにした。
「何だ? そんなに強い風じゃなかったのに」
春之助がその書状を拾い上げる前に、同心が散らばった書状をかき集めて紙の山に戻してしまった。失敗だ……
実は、この並行世界のこの時点、何故か復原力が非常に強く、なかなか思いどおりに進まないのだ。
過去、久場がこの時点で手を変え品を変え書状を春之助に読ませようと努力したのだが、ことごとく、この若手の同心が妨害するのだ。まあ、この同心に悪気はまったくないのだが。
小野はめげずに再チャレンジした。また少し風が吹いたのを見計らって、今度は例の書状を手に取った上で、他の紙を空中へまき散らした。
そして、やや不自然だが、風に流されたように、例の書状を春之助の着物の懐に差し込んだ。
「なんだ、なんだ? つむじ風か?」
同心がまた紙の山を片付け始めた。春之助が驚いて懐に入った書状を見る。先程拾った書状だと気づき、さらに驚いた。
同心が、書状を持つ春之助に声をかけた。
「その書状も必ず焼いてくださいね。全て焼却処分したって報告書を作成して上に出さないといけないんで」
「わ、分かりました」
春之助はかなり悩んだものの、例の書状をまた紙の山に戻した。もう! 同心め、余計なことを……一通くらい焼却しなくてもバレないのに。
同心が紙の山から何通かの書状を取り上げて、焚き火で燃やし始めた。例の書状は、位置的に、この次には焼かれてしまう。
小野は、怪現象のレベルを上げることにした。例の書状の端を手で掴み、待機する。
同心が紙の山に手を伸ばした。例の書状を取ろうとする。小野が手で引っ張った。
同心が不思議そうな顔をした。
「ん? 何かに貼り付いているのかな?」
同心がぐいぐいと例の書状を引っ張る。小野も負けじと引っ張る。
普通は、この段階で怪現象に驚いて引っ張るのを止めるはずだが、この同心、一筋縄ではいかない。必死に引っ張り続ける。ついに、小野が持っている書状の端が破れてしまった。
「よし!」
同心が、反動で少しよろけながらそう声を上げると、取り上げた書状を焚き火に放り込もうとした。それを見て、小野は思わず叫んでしまった。
「なんでそこまでして焼こうとするの⁉」
同心と春之助が、驚いて顔を見合わせた。
「い、今何か言いました?」
「い、いえ。私は何も……」
小野がやけっぱちに叫んだ。
「お願いです! どうか読んでください!」
「わわわ」
同心が驚いて書状を地面に投げ捨てた。
春之助がおそるおそる書状を拾い上げた。同心が怖がりながら言う。
「や、焼いた方がいいですよ! 祟りがありますよ!」
春之助が怖がって書状を地面に戻そうとした。この同心、焼却への思いがハンパない。小野はダメ押しで叫んだ。
「読んでいただければ祟りません!」
春之助がおそるおそる書状を拾い上げた。書状を開こうとする。途端に同心が叫んだ。
「や、やめてください。やっぱり祟りがあるかもしれない。ここでは開けないでください! それに、焼かないのであれば、私は嘘の報告書は書きませんからね」
同心は、春之助から後ずさりしながら言った。
「わ、分かりました。とりあえず、私が持って帰ることにします。上への報告書は私が作成することにしましょう」
そう言うと、春之助は書状を懐に入れた。
† † †
その後、書状を懐に入れた春之助は、機会を見つけてその中身を読もうとしたが、ことあるごとに邪魔が入った。これも復原力による妨害だろうか。単に偶然かもしれないが。
結局、春之助は、書状を懐に入れたまま、夕方に父親と一緒に奉行所を出た。帰宅するようだ。小野もついていくことにする。
馬や駕籠を使うのかなと思ったが、春之助と父親は、お供一人を連れて歩いて帰るようだ。
春之助は、三十分ほど歩いて家に帰り着くと、自室の文机の上に書状を置き、部屋を出て行った。
小野は、万が一に備えて、姿を消したまま文机の横に座り、書状を見守る。部屋は明かりがなく暗い。
すっかり日が暮れ、真っ暗になった部屋の中で小野がいつの間にかウトウトしていると、春之助が戻ってきた。食事や風呂を済ませたようで、寝間着に厚手の羽織を着込んでいる。
春之助は、行灯に火を点し、住み込みの女中が持ってきてくれた炭を火鉢に入れ、背中を温めながら、文机の前に座って書状を開いた。
小野は、姿を消したまま、翻訳機能のあるゴーグルをかけて横から覗き込む。
書状には、丁寧な字で次の内容が書いてあった。
『堀端屋の手代、清吉は犯人ではありません。犯人は、私、■■です。清吉さんを釈放して、私を捕まえてください』
書状を読んだ春之助が息を呑むのが分かった。残念ながら、肝心の名前部分が破れて分からない。あの同心との引っ張り合いのせいだ。
小野は、今後の対応を相談するため、一度閻魔庁へ戻ることにした。




