12 歴史の歯車
小野は、貝原と同僚が飲んでいた居酒屋から見て駅の反対側にあるラーメン屋の前に立っていた。
タイムリモコンの表示は、あれから二十四年後の西暦二〇一四年十二月十二日の金曜日。今は二十時十五分だ。仕事帰りと思わしきコート姿の男性が、足早に目の前を通り過ぎて行った。
ラーメン屋は、駅前の大通りから路地に入った所にあり、意外と人通りは少ない。
貝原の最初の人生では、二十一時過ぎにこの店に一人で押し入り、店長とアルバイト店員を殺害後、店の売り上げを盗んでいる。
小野はリュックを開けて中の資料を見た。一回目と二回目の介入が上手くいっていれば、このラーメン屋では何も起きないらしい。店でラーメンでも食べながら、何も起きないことを確認後、あの世に戻ってね♪ と資料の最後に書かれていた。
小野は、阿佐美のお言葉に甘えることにして、ラーメン屋に入った。
† † †
「っらっしゃーい!」
ドアを開けると、店長とアルバイト店員の威勢の良い声が聞こえた。店は奥に細長く、右手に厨房とカウンター席があり、通路を挟んで左手に四人掛けのテーブル席が三つほど並んでいた。
小野は、店内を見て声を上げそうになった。一番奥のテーブル席に、貝原が座っていたのだ。二十歳のときよりも老けているが、間違いない。
貝原は店内入口側に向かって座っており、貝原の向かいには女性が二人座っていた。後ろ姿でよく分からなかったが、おそらく妻と娘だろう。
貝原は、最初の人生では結婚後二女をもうけるが、三十歳のときに離婚している。今回の人生では離婚しなかったようだ。向かいの妻子と思われる女性二人と雑談する貝原の表情は、とても穏やかだった。
小野は、とりあえずカウンターに座り、リュックを足下に置くと、店長にラーメンを注文した。
ラーメンを待っている間、小野はテーブル席の貝原達の会話に耳をそばだてた。
「……ねえ、さっき駅前の雑居ビルの前を通ったときに見た人影、あれ絶対に幽霊だって。お姉ちゃんが勤務してる交番の上司も、昔あそこで幽霊を見たって言ってたらしいし」
「そんなのいるわけないでしょ」
「いや、いるかもしれないぞ。お父さんも昔不思議な経験をしてな……」
そう言うと、貝原があの居酒屋で経験したペン&契約書浮遊等怪事件について話し出した。
「お父さん、それマジじゃん! それって妖怪のせいじゃない?」
「はは、最近流行りのアニメか。まあ妖怪か幽霊か神様かは分からんが、あのおかげでお父さんは詐欺に遭わずに済んで、こうしてお母さんと結婚できたってわけだ」
あのときの介入が功を奏したようだ。小野は少しウルッときてしまった。
「へい、お待ち!」
ラーメンが出来上がった。小野は店長からカウンター越しに受け取る。豚骨醤油でなかなか美味しい。
小野はのんびりとラーメンを食べた。食べ終わる頃には二十時五十五分になっていた。貝原一家も帰り支度を始め、小野はリュックの中からお金を取り出そうとした。
ちょうどそのとき、店に男性が一人で入ってきた。カウンターは空いているのに、何故か小野のすぐ右隣に座る。
店長が男性に声をかけた。
「あ、お客さん、すみません。もう閉店なんですよ」
「動くな!」
突然、男が小野に包丁を突きつけ、小野を後ろから羽交い締めにした。男に引っ張られ、小野は通路に立たされた。
想定外の展開に、小野は何もできなかった。首筋に包丁が突きつけられている。
「おい、こいつが殺されたくなければ、売り上げ全部だせ!」
男が叫んだ。まさか新たな強盗犯が現れて、しかも自分が人質になるとは想像もしておらず、小野は慌てた。
出発前に久場に聞いた話だと、小野の体は魂が顕現したもので、大怪我をすれば、魂自体が消滅してしまうらしい。これはマズい。
店長が必死な表情で強盗犯に声をかけた。
「お、落ち着け!」
「うるせえ! 早く金を出せ。俺は本気だぞ!」
強盗犯はかなり興奮しているようだ。
「や、やめるんだ! 相手は子どもだぞ」
奥のテーブル席から男性の声がした。貝原だった。強盗犯が貝原の方を向く。
「うるせえんだよ! あんまり騒ぐと、このガキを殺すぞ」
貝原が席から立ち上がり、小野と強盗犯にゆっくりと近づいた。
「落ち着くんだ」
「うるさいって言ってんだよ!」
強盗犯が貝原の方へ包丁を向けた。
今だ!
小野は、ポケットの中に手を入れて、消えるくんのボタンを押した。
強盗犯に羽交い締めされていた小野の体が消えた。
「なっ⁉」
小野が消えるのを見て、強盗犯が驚き一瞬固まった。小野は、急いでしゃがむと向きを変え、強盗犯のお腹を思いっきり両手で押した。強盗犯がバランスを崩して転倒し、その拍子に包丁が通路に転がった。
「包丁を拾って!」
小野が立ち上がって叫んだ。転がった包丁を貝原の方へ蹴ると、急いで誰もいないテーブル席に移動する。
小野の声に気づいた貝原が、突然自分の方へ転がってきた包丁に戸惑いながらも拾い上げ、カウンター越しにアルバイト店員に渡すと、立ち上がろうとする強盗犯に飛びついた。店長も厨房から通路に回り加勢する。
「警察呼んで!」
小野が厨房のアルバイト店員に向かって叫んだ。店員はびっくりしつつ、店の奥に置かれた電話へ走って行った。
ほどなくして、駅前交番の警察官が駆けつけ、強盗犯を確保してくれた。貝原や店長に怪我はないようだ。良かった……
ラーメン店の前にはパトカーも到着し、店内にどんどんと警察官が増えてきた。小野は、姿を現すタイミングを完全に失ってしまった。
小野は、人とぶつからないように気をつけながら、カウンター下に潜り込み、リュックから財布を出すと、とりあえずラーメン代として千円を取り出した。皆に気づかれないよう、そっとカウンターに置く。
その時、妻子と一緒に奥のテーブルで待機していた貝原が、店内を見回しながら叫んだ。
「おーい、さっきの少年! 君はもしかして、俺が子どもの時に助けてくれた『遠い親戚のお兄ちゃん』じゃないのか? もしかすると、俺の人生を何度も助けてくれたんじゃないか?」
貝原の目に涙が浮かんでいた。
「俺を、家族を守ってくれてありがとう!」
不思議そうな顔をする妻子や警察官。貝原は、両手で涙を拭いながらそう叫んだ。
僕のことを覚えていてくれたんだ……嬉しさのあまり、小野は涙ぐんだ。本当は良くないのだろうが、思わず声を出してしまった。
「貝原さん、お幸せに!」
小野はタイムリモコンのホームボタンを押した。




