六十六話
立ち上がり、こちらを見やるアマテル姉さん。顔こそ笑っているが、あれは間違いない。姉さんは激怒している。
なんというか、凄みが違うんだ。部屋の外で感じた圧力。それは間違いなく、姉さんのものであった。
というか、アスガルの奴。仮にも主君を姉さんに売りやがった。口止めされてたのも、姉さん相手だからだろう。
「ねぇ、アイン?」
「は、はいっ!」
思わず直立不動になる。
こんなのは、過去。火薬を創るために肥溜めやらなにやらで汚れて帰ってきたのを見咎められた時以来だ。
「私ね。イクリルくん、婚約者と久々に会うため伯爵領を出たのよ」
「は、はぁ……」
なにを、言いたいのだろうか?
そう思っていたわけだが、続く姉さんの言葉で凍りつくことになる。
「それでね? 公爵領に着いたら、可笑しな噂が流れてるのよ。――アインが、女の人を手篭めにしてる、って」
この時点で脱兎のごとく逃げ出したくなった。
明らかに噂に尾びれどころか翼が生えて羽ばたいている。
――違う、と否定の言葉を投げたいが、かといって否定する材料がない。そもそも、こちらが故意に広めているのだから。
「それで、その事をこのおバカ――いえ、レグルスに聞いたら、女性の代官をあなたへ差し出した。なんて言うじゃない」
――この、ばか野郎!
と、レグルスを詰めたいし、冤罪だ。と叫びたい。
と、いうか。レグルスが伸びているのもそれが理由か。
それはともかく、代官の女性陣には誰一人手を出していない。……が、あくまでそれはこちらの言い分。
代官の娘が一人でも実は――なんて、意味深なことを言っていたら詰みである。
「あなた、どういうつもりなの?」
「あ、えっとぉ、そのぉ……」
いま、思いっきり目が泳いでいることだろう。
と、いうか。どういう言い訳をしろと?
これが現代なら、弁護士を要求する! なんてことも出来たかもしれない。それで助かるかについては、また別の話として。
ど、どうする。どうする……?!
「そもそも、手篭めにしているのは本当なの。答えなさいな」
……こうなっては仕方ない。隠し通したところで状況が悪くなるだけ。正直に白状しよう。そうして、俺は噂の真相。また、奴隷に関することについて、包み隠さず話すのだった。
「なるほど、そういうこと……」
あの後、すべてを吐いた俺に対して、姉さんはソファに座り直すと、情報と噂を鑑みて、うんうんと頷いていた。
「それにしても、そうならそうとこちらに連絡――は、無理よね」
「姉さん、流石にそれは……」
「でも、お父様も激怒してたわよ。『アインはなにをやっている!』って」
姉さんの言葉に思わず手のひらで顔をおおう。いや、まぁ。その可能性、考えなかったでもないが……。
それはそれとして。どこから情報が抜けるか分からない以上、迂闊に報告できるわけもない。
しかも、その情報が王家の醜聞なのだから、なおさらだ。
しかし、それはそれとして。姉さんがなぜここ、というか公爵領へ? イクリルくんに会いに行った、とは聞いたが。
「でも、姉さんがなぜわざわざ公爵領まで? しかも、お忍びっぽいけど?」
「エルファス閣下にお呼ばれしたのよ」
「閣下に……?」
普通、呼び出しなら当主。父上にかかると思うんだが。
そんな素朴な疑問は次の答えで吹き飛んだ。
「閣下から要請されたのよ。私とイクリルくんの婚姻を早めよう、って」
「……は? …………いや、そういうことか」
一瞬戸惑ったが、閣下は本格的に中央。王国がまずい、と考えているのだろう。そのため、姉さんとイクリルくんを結婚させて派閥の力を強めようとしている。
そういうことなら、閣下の行動も理解できる。
と、いうか。そもそも閣下、というかイクリルくんとマイア夫人でラインが繋がっている。そこから、王族奴隷の話が伝わっていても不思議じゃない。
……ちょっと待て。ということは――。
「姉さん、もしかして知ってたんじゃないか?」
「なんのことかしら?」
このはぐらかし方は、いつもの、腹に一物抱えてるときの姉さんだ。
間違いなく知っていた、王族奴隷のことを。
「姉さん、趣味が悪いんじゃ?」
「あら? 少なくとも、異性を手篭めにするよりは良いんじゃない。趣味」
「ぐむ……」
それはそれ、ということだろう。
と、いうより。イオス公爵領に入って噂を知り、入城して真相を知った、というところか。
「まぁ、それより」
「姉さん……」
「婚姻は今年中に調整しているわ。たぶん、秋くらいになるんじゃないかしら。それと、アイン。分かっているとは思うけど、あなたも挙式には出なさいね」
「いや、忙しいんだが……」
出たいのは山々だけど。まだまだ、領地の安定にはほど遠い状況で、というのは厳しいと思うんだが。
俺が消極的だと見ると、姉さんは深々とため息をついた。
「あなたね。せっかく、他の貴族と顔を繋げるチャンスなのよ? それに今回は、ディオスクロイ子爵家から、マイア夫人も来るそうだし」
そうか、閣下はマイア夫人との繋がりを表に出すつもりなのか。それなら、配下の貴族たちにも経済的な強みが出来た、と示すことが出来る。
そんな風に悠長な考えをしていた俺だったが、次の言葉で絶句することになった。
「それと、王家から名代として、ライナ姫も参加されるわ」
「なっ……!」
驚き、絶句する俺を姉さんは楽しそうに見つめていた。




