六十一話
部屋の中にはむせ返るほどの女の匂いが充満している。俺とイオネが身体を重ねた証だ。
しゅるしゅる、と布が擦れる音だけが響く。いや、耳を澄ませば僅かに俺たちの吐息も聞こえるだろう。
そんな無音に近い部屋に、こんこんこん、と扉が叩かれる音が響いた。
「男爵さま、おられますかい?」
木こりにして紫煙の蜻蛉団、副団長。デフの声だ。
そういえば、身体を重ねる前。イオネは部下をマーネン商会へ派遣していること。そして、遠からず報告があることを言っていた。
デフは、そのメッセンジャーなのかもしれない。
ちらり、とイオネを見やる。
そこにはまだ服をすべて着たわけではない。半裸で、恥ずかしがっている女がいた。
まさか、その状態でデフを中に入れる訳にはいかない。というか、独占欲でもあるが、俺の女の肌を他の男へ晒したくなかった。
「いるが、少し待て。……いや、なにか報告か?」
「へぇ……? 報告、というか来客ですぜ。マーネン商会のヴァンさまが来られてまさぁ」
「分かった、すぐ向かう。ヴァンを客間へ案内してくれ」
「承知いたしました。それでは――」
そのまま、扉の前から気配が消えた。
ちらり、とふたたびイオネを見やる。無言でいそいそ、と服を着込んでいた。
俺は敢えて気にせず、声をかける。
「どうやら、向こうから情報が来たようだ。……行ってくる」
そのまま返答を待たずに俺は部屋を後にする。
ばたん、と扉を閉める瞬間。彼女の声が聞こえたような気がした。
「……坊やの、アインのばか」
それが彼女の照れ隠しのように聞こえて、俺は知らず、頬を緩めていた。
「待たせてしまったな。すまない」
「いえいえ」
客間に向かった俺を出迎えたのは、客人であるはずのヴァン。その彼はいつもの胡散臭い笑みをさらに五割増しにしたような笑みを浮かべていた。
そんなヴァンがにやにや笑いながら話しかけてきた。
「こちらこそ、お楽しみの邪魔したようで。えろう、すみません」
そう言って頭を下げてきた。
イオネとの情事を言われたようで、ドキリとする。
なぜそのことを。そんな考えを察したのか、ヴァンは自身の首筋の一ヶ所をとんとん、と指で叩く。
俺は客間に設置されていた大鏡の前へ立つ。ヴァンが叩いて示した場所。そこには虫刺されのような赤み。彼女と身体を重ねた証。キスマークが残っていた。
改めてヴァンの方を振り向く。そこにはにやにや笑う男の姿。
してやられた、か。だが、俺の脇が甘かったのも事実。ここは甘んじて受けるしかないだろう。
俺はこほん、と咳払いをした。
「恥ずかしいところをお見せしたな」
「いえいえ。こちらも、男爵さまがお盛んと知れて安心しましたわ。どうでっしゃろ、こちら。赤子用の商品も取り揃えてますよって」
ヴァンの売り込みに咳き込みそうになる。いくらなんでも気が早すぎる。
「……そういうことを言いに来たんではないだろう?」
「こいつは失礼しました」
額をぺしん、と叩き舌を出すヴァン。まったく……。
「男爵さまのお耳にも入ってると思いますが、王族似の方々の件です」
「……っ」
こちらが促したとはいえ、こうも急に入ってくるとは思ってなかった俺は言葉に詰まる。こうも早く踏み込んでくるとは……。
いや、よくよく見れば、ヴァンのやつも僅かに汗をかいているように見える。
「実は、仕入れた商品のなかに、ですねぇ……」
そこで、ヴァンのやつが何を言いたいのか、嫌でも理解できた。
最初の奴隷取引からヴァン。マーネン商会には定期的に奴隷を卸してもらっている。出来れば、したくないことではあるが、マンパワー。人的資源というのは早々増えるものではない。
ならば、どこかから手に入れるしかないが、それで後腐れないのが、商品を取引する、という方法になってしまう。
その網に引っ掛かったのだろう、件の方々が。しかし――。
「それは……。マイア夫人の指示か?」
「はてさて、なんのことやら……?」
二つの意味での問いだったが、はぐらかされた。
すなわち、その王族似の奴隷を探している。そして、こちらへ連れてくるのは彼女の意思か。という意味で。
だが、はぐらかす。ということは、彼女の意思が介在しているのが高い、ということだろう。
そして、彼女の真意はここを。辺境に位置するフェネクス男爵領で保護してほしい、ということ。だが……。
「夫人にお伝えしてほしい。今すぐは難しい、と」
「ほぅ。今すぐは、ですか……」
ヴァンの目付きが鋭くなる。明らかにこちらを値踏みする目だ。夫人の指示や、お歴々を留め置くリスクを考えているのだろう。
だが、それはこちらも同じことだ。少なくとも、いまの状態でお迎えする訳にはいかない。
「むろん、ずっと、という訳じゃない。……そうさな、半年。待ってほしい」
「半年、ですか……?」
「その間にお迎えの準備をする」
こちらとしてもお歴々を留め置くとして、痛くもない腹を探られたくはない。誤魔化すため、保護するための施設。それと同時に、匿う。という事実を隠すためのカバーストーリーも必要だ。
そのためのカバーストーリー。それ自体は以前から構想していた。もっとも、実務を含めて前倒しする必要が出てきたが……。
「誰か、誰かいるか!」
俺は声を張り上げる。ヴァンはどうしたのだろうか、と首をかしげている。
俺の声が聞こえたのか、客間の扉ががちゃり、と開かれた。
「どうしたんだい、領主さま。声を張り上げて」
そして、入ってきたのは身支度をきれいに整えたイオネであった。
凛、とした雰囲気。先ほどまで身体を重ねていたのは夢だった。そう思えてしまいそうな出で立ちだった。
まぁ、いまはそんなことを考えている場合じゃない。
「イオネか。丁度いい、レグルスを呼んできてほしい。そして、ともに話し合いに参加を」
「はぁ……。まあ、分かったよ。呼んでくればいいんだね?」
「あぁ、頼む」
それきり、扉がバタンと閉められた。
そのやり取りの後、俺はヴァンへ向き直り、話しかけ――いや、依頼する。
「さて、ヴァン頭取。半年を目処に保護することに否やない。だが、それの前にとある噂を流してほしい」
「噂、ですか?」
「あぁ。辺境に誕生した貴族さま。フェネクス男爵家ご当主は大の女好きで、領地で囲っている、と」
俺の依頼にヴァンは顔を引きつらせる。どこの世界に自身の悪評をばらまこうと考える者がいるものか。
だが、それで良い。それに、まんざら嘘でもない。
「それかて、男爵さま――」
なにかを言おうとするヴァンへ俺は自身の首筋をとんとん、と指で叩く。先ほど指摘されたキスマークを。
それでヴァンの引きつりがさらにひどくなる。
「……難しくはないだろう?」
「……はい」
見られた、隠せないならせめて最大限に利用する。それがこの俺。アイン・アルデバラン・フェネクスのやり方だ。




