二十九話
モンスターの襲撃騒動から既に二ヶ月経った。あの後は大変だった。俺が政務に復帰するのをレグルスに認めさせるのに、結局、二週間もかかってしまった。
それでも、重要な決済はこちらへ確認してくれただけ、まだマシだろう。
しかし、俺がいない状態で政務が回る、と確認できた意義は大きいと言える。むろん、今回はイレギュラー。かつ、レグルスが無理してくれたことが大きい。だが、それでも回った以上、流石、と感嘆する他ない。
俺の傅役になる前、名官吏と呼ばれただけはある、ということか。
こうなると、今すぐというわけにはいかないが、数年を目処に少しづつ、少しづつレグルスへ政務。そのうち内政部分を委譲できるようにする。
なにしろ、いまの俺の身分は領主。しかも本来の領地の持ち主は公爵家で管理は伯爵家に委託され派遣された陪臣という立場だが、ここを巧く治めれば、新たな家を興す。すなわち直臣になることを認めてもらえるだろう。
その場合、新たに他家との外交などの仕事が増える。だから、委譲できる部分は委譲した方がいい。
また、以前考えていたレグルス。そしてアスガルの出世にも繋がる。レグルスは新たに興した家の家宰。アスガルは家独自の軍事力である騎士団。その騎士団長だ。
もっとも、すぐに出来る訳じゃない。王国、つまり国王の承認。その前に、下からの推挙。今回の場合で言えば、公爵家の推挙などが必要だし、そもそも領地だけで内政が完全に回る仕組みが必要だ。軍事しかり、食料、財貨確保しかり、だ。
まぁ、そちらはなんとかなるだろう。現状で少しづつ統治の税収が上がってきている。そのうち、収支は安定するだろう。つまり、条件は遠からず達成できる。
「そちらの方は、まぁ大丈夫。むしろ、問題は……」
はぁ、とため息を吐く。そう、問題は他にある。
実は、アルフェが召喚状で帰って以降、こちらへ戻ってきていない。先日、その事を商人に問うと、驚きの理由が帰ってきた。
なんと、おめでた。子供が出来た、とのことでしばらくの間、本店の方に留まるという話だった。
それだけなら、素直に祝福するのだが。
その商人からヴァンの書状を手渡された。内容はこうだ。
――妻が妊娠したことで、しばらく本店でゆっくりしてもらいます。ご迷惑をお掛けしますが、ご了承願います。また迷惑料として、以前の職人について、無料で紹介させていただきます。なお、賃金のみはよろしくお願いいたします。
という内容だ。
見た目だけなら問題ない。が、正直いやらしい手を使う、と嘆息したくなったものだ。
なにしろ、無料で紹介。かつ、アルフェの妊娠という事情でこちらに寄越す、と言っている。
いままでの交渉であれば、万一の可能性を考えて断ることが出来た。しかし、今回の場合は無理だ。
無料というこちらに都合の良い契約。そして、アルフェの妊娠、という名目。これを断れば、俺、いや、辺境領は妊娠を祝福するつもりがない、というメッセージになる。今後の取引に確実に影響が出る。
すなわち、ヴァンは確実に逃げ道を潰してきたのだ。それにそうでなくても、先日のモンスター襲撃。あれは、専門家がいたら防げた事象。そこも突かれている。そこでも反論が封じられているわけだ。
「手強いな、本当」
頭を抱えたくなる。というか、書状を最初に見たとき、本当に頭を抱えた。
だが、まぁ、仕方ない。そういう手を打たれた以上、こちらはなんとか他の手で挽回するしかない。それに、職人がこちらに来て、都合が良いのは確かなんだ。
ならば、いま考えることは、いかに利益を最大化するか、ということ。
仮にマーネン商会の紐付きだったとしても、こちらがさらに良い待遇を提示して、鞍替えしてもらうという方法もある。
そうでなくとも、こちらが給与、金を出すんだ。それで少しづつ、帰属意識を植え付ける、という乃も悪くない。
まぁ、なんにせよ。こちら長期的な視野でやるしかないだろう。それに、確実に利益でぶつかる、という可能性は存在しない。利害調整を行える可能性の方が高い。
ならば、警戒しすぎると、逆にマーネン商会と事を構える可能性が出てくる。慎重かつ、臨機応変に対応すべきだろう。
「後は住居の方か。流石に領主館に、というのはまずいだろうな。世間体もある」
なにしろ、現状の領主館は政務の中枢プラス、奴隷たちの社宅として機能している。こちらとしては差別、区別をしているつもりは毛頭ないが、そこへ職人を入れると奴隷と同列に扱っている、と取られかねない。それだけは避けるべきだ。
「……と、なると新築を造る必要がある、か。まぁ、家屋の補修は終わっているし、問題はないが」
幸いにして、黒鍬隊も冬前までは留まってくれる、という連絡が来ている。職人たち、書状では森林管理人一家族、大工二家族、釣り師一家族。他にも鍛冶屋や、山師などの細々とした専門家が来る、と書いてある。
その程度の数なら、なんとか建築は間に合うだろう。
むしろ、大工は自ら家を造る可能性もある。まぁ、流石にないだろうが。
「一応、考えるべきはこれくらいか。後は本当に臨機応変に対応するしかない」
まだまだ、視点の抜けで問題が埋もれている可能性は十分ある。俺、という一人の視点だけではどうしても漏れが出るからだ。
だから、出来るのは、今後行動しながら適宜修正する。それくらいだ。それに――。
「おにーちゃん、準備できた、っておじーちゃんが」
「そうか、ありがとう」
ぎぃ、と扉を開けてメルが内へ入ってきた。
そう、あの襲撃から二ヶ月。暦の上では秋に入っていた。そして、実りの収穫も終え、今日は実りに感謝する収穫祭だ。
そうそう、そういえばメルだ。この娘、どうやらあの襲撃の後。大人と混じり、修練に顔を出すようになった、とアスガルから報告を受けている。
しかもアスガル曰く、俺よりも断然筋が良い、だそうだ。
……正直、これは。メルがすごい、と褒め称えるべきか、それとも俺の才能がクソザコすぎる、と嘆くべきなのか、複雑な心境だ。
さらに言うと、メルだが。去年の晩秋の頃に比べると明らかに発育が良くなっている。これは、そういういやらしい目、とかではなく純然な事実だ。
伯爵家による食糧支援で、きちんと栄養を取れるようになったこと。そして、子供たちと外で遊ぶことで自然と身体を動かしていたこと。そして、修練に参加したことで身体が鍛えられた、という複合理由からだろう。
後は単純に成長期が来た、というのもある。その結果、メルは小さいながらも前までは痩せこけた頬がふっくらしてきたり、動作のひとつひとつが、力強く見えてきたり、などだ。
「おにーちゃん、どうしたの?」
動かない俺を不思議に思ったのだろう。メルが、こてん。と首をかしげた。そこでようやく動きが止まっていたことに気付いた俺は、苦笑いを浮かべた。
「なに、メルは大人になったな。そう思ってただけだよ」
「……! えへへっ」
俺の誤魔化しに、メルはにぱぁ、と華開いた笑みを浮かべた。
さて、それはともかくとして。これ以上、淑女を待たせるのは失礼だろう。
俺はメルの手を優しく握ると先導するように部屋を出る。そして、収穫祭が行われる、村の広場へと向かうのだった。




