【温度】③
帰宅した花香。
寝室とは、別の孝輔が使っている部屋を開ける。
カチャ…
机に置かれた、仕事用のバックから離婚届を取り出した。
ビリ、ビリ、ビリ
わざと、机の上に置いた。
机のメモに、【別れないから】とだけ書いた。
洗面所に行き、服を脱ぐ。
鏡の自分を見つめながら、花香は復讐を決意する。
【孝輔だけ幸せになるのは、許さないから】
そう思うだけで、全身を高い体温が駆け巡る。
12年前ー
「オエー」
「大丈夫?」
「うん」
副作用が酷いけど、治療薬を飲んでいたあの頃。
「孝輔、妊娠したよ!」
「やったな!おめでとう、花香」
二人で、抱き合って喜んだのも束の間…。
「心拍が確認できません。」
心拍確認が出来ずに、流産した。
「孝輔、私、赤ちゃん欲しかった」
「わかってる、花香」
「こんな辛い思いまでしたのに、何で出来ないのよ」
「そうだよな」
あの頃は、私の体温は孝輔と一緒ぐらいだった。
温度差もそんなになかった……。
流産をしてから、私は孝輔を責めた。
「何で?辛い時に、友達と釣りなんか行ってたの?私、流産してお腹が痛くて寝込んでたんだよ」
「ごめん」
「何で?今日、タイミングの日だって言ったのに、先輩と飲みに行ってるの?孝輔みたいに毎日チャンスがあるわけじゃないんだよ」
「ごめん」
「孝輔は、出すだけじゃん。何もしんどくないでしょ?何で、最後までちゃんと出来ないの」
「ごめん」
「痛いよ!無理やりいれないで、そっちは痛くないかも知れないけど…。私は、痛いの」
「ごめん」
度重なる私の言葉に、孝輔は一時的に機能不全になった。
「タイミング」
「ごめん、何か無理になった」
「役立たず」
「ごめん」
「こっちのせいにばっかりしてるけど、孝輔の精子にも問題あるんじゃないの?検査してよ」
「ごめん」
孝輔は、検査が怖くてしなかった。嫌、最初から私はわかってた。
孝輔は、検査して自分のせいだってわかると命を捨てるって…。
だって、孝輔にだって問題あるかもしれないと私が言う度にひきつった笑顔を浮かべて、涙を溜めていた。
情熱的で、弱い人。
そんな、孝輔が浮気するなんてね。
私は、鏡の中の自分の顔を撫でる。
孝輔が、離婚したい理由をちゃんと聞いてあげる。
私は、孝輔だけが幸せになるのは許さないから…。
この20年をなかった事になんかさせないから…。
あの子をいなかった事になんかさせないから…。
どれくらい、私を欺いていた?
どれくらい、私を裏切っていた?
孝輔……。
10年前から、私は孝輔への暴言をやめた。
それは、もう傷つけ合いたくなかったから…。
孝輔の機能不全もいつの間にか治っていた。
最後まで、出来るようになったのは、ここ二年だった。
なのに、なぜ?
それを他人にしているの?
最後まで、一輝さんの奥さんにしてるの?
私ともしていたくせに…。
「花香、しよう」
「この一年半、毎日だよ」
「お願い、花香」
「いいけど…」
「花香の可愛い声好きだから聞かせて」
「馬鹿」
「花香、愛してる」
洗面所に座り込んだ。
私は、孝輔とこのまま生きて行くんだと思ってた。
子供なんていなくたっていいよって笑ってくれた日もあったじゃない。
何で?
私を抱いたの?
何で?
私を求めたの?
一輝さんの奥さんを抱いていた罪悪感なの?
それとも、少しだけでも私に愛があったの?
本当の事を、孝輔の口から聞きたい。
私達の20年間は、一体なんだったの?
この、結婚生活はなんだったの?
下着姿で、洗面所に座ってた。
顔洗って、寝ようかな…。
ソファーで、寝ようかな
「花香」
「なに?」
「花香、風呂はいるの?」
「違う、パジャマ着るの」
「花香」
何故か、孝輔に抱きつかれた。
「やめてよ。離婚するんでしょ?」
「水飲んで、戻ったら洗面所の電気ついてたから」
「やめて、離婚してって言ったじゃない」
「花香しようよ」
「なに、言ってんの?」
孝輔は、酔ってるのか私の下着に手を滑らせる。
「なんで?」
「愛してる、花香」
頭おかしいよね、孝輔
私が、まだ孝輔を愛してるのわかってるからだよね?
洗面所の鏡に泣いてる私が映ってる。
体温が低いのと同じ、私の温度は上がらない。
孝輔が、一生懸命にしてる姿が鏡に映ってて、私は恥ずかしい格好をさせられて泣いてる。
なんで?離婚するんだよね。
ズルい人……。




