第7話
異動に伴い時間が無くなるのかと思いきや、そんなことはまったく無かった作者です。
戦国死にゲーである仁王、面白いですね。ただ一人でやると難易度が跳ね上がります。全然先に進めない。
さてさてこの三人称という書き方、慣れてないことに起因すると思いますが、難しいのですよやっぱり。これで上手に書ける人はすごいですね、マジ尊敬します。まあ、前書きが言い訳になっているこの状況をどうにかしなければいけないのは理解していますが、なかなか難しいですね(笑)
「受け入れのための施設は準備万端だ。教師も新しく入った人達と今年卒業する連中から優秀で、かつ教師を希望している奴が教えることになる。そういえばニムロデも来るんだろう、今回から?」
「はい。あの、えっとそのことなんですが、たぶん次の戦に指揮官として出なければいけない可能性があって、その」
言いにくそうにニムロデが話し始める。
この年齢で初陣とはもし元の世界だったら、確実に少年兵を使用したとして、指導者は戦争犯罪に国際刑事裁判所で問われるだろう。もちろんこの時代にはそんな機関は存在しないが。
少年兵とは言葉の通り子供の兵士のことである。有名なのは日本だと白虎隊とか二本松少年隊とかだろう、それ以前にも各地では初陣は今なら少年、十代前半であることは世界的にもさほど珍しくはない。
もっともこのことを現代の倫理観から見ると、いや見ていいのかという意見も当然あるが、まさしく異常の一言に尽きるだろう。
だがご多分にもれず、未だに現代の世界でもこの少年兵を使用した戦場が少なからずある。アフリカとか、アジアや南米の一部地域とか。
例えばもし、本当にそんな事態にならないことを本当に祈ってやまないが、もし、もしもPKOなどで少年兵が敵として現れたら撃てるだろうか? さらに戦術としては少年兵は、ゲリラやテロ組織、一部の反体制派からすると所詮弾をばら撒く装置、あるいは自爆する意思を持った誘導兵器に過ぎず、その後ろには専門的な訓練を受けた狙撃兵等がいるとしたなら、対処できるだろうか? たとえ撃った、または撃てたとしてもその行為に対して罪悪感はいだかないだろうか? もちろんだから行くなといっているわけでも、だから戦争反対といっているわけでも当然ないけど。
日本では少年兵というとこのように対処する側であると思うが、つい70数年前は使用する側でもあった。
沖縄戦での鉄血勤皇隊の活躍とその悲劇は我々も知って損はないものであると考える。対面した米海兵隊員も二十歳かそこらだったのだから衝撃は如何程な物であっただろうか。
防衛側にも色々と見るべき側面は戦術的には存在するし、賞賛に値する面もあるだろうが、色々と悪く言われている旧軍であるので評価は不当に低いとも思う。もちろん彼らのした非人道的な各種行為を肯定することはできないとしても。
まあ、そんなこというと勝利した側も色々としてるのだがそれを行ったところでなんとやらである。
事実はその時代の、そこにいた人間のそれを行った人間にしか判らないのだ。
例えば住民が沖縄戦末期、壕に身を潜める住人と軍人達、もうだめだろうと自決しようとするとお前達は壕から出て投降しろと、旧軍の軍人が言ったのだが、それを聞いた住民は軍に見捨てられたと感じたそうだ。
この件をどう考えるだろうか? 軍人は何を考え、何を思い、そう発言したのだろうか?
単純に死んで楽になるのは俺達だけだという利己的な考えだったのだろうか?
それとも俺達軍人は最後まで抵抗して死ぬのが任務であって、それに住民を巻き込むのは不本意極まりないと考えたのだろうか?
答えはまったく判らない。ただ投降して生き残った住民の証言が、ただひめゆりの塔の近くにある平和記念資料館に置かれているだけである。(今もあれば)
最後に一つ沖縄戦で有名な電文を紹介したい。(これを見ていかなる考えを持つかは各人にお任せする)
発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せられるべきも県には既に通信力なく32軍司令部もまた通信の余力なしと認めらるるに付き、本職県知事の依頼を受けたるに非らざれども現状を看過するに忍びす之に代って緊急御通知申上ぐ
沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど顧りみるに暇なかりき
然れども本職の知れる範囲に於ては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と家財の全部を焼却せられ、僅に身を以て軍の作戦に差支なき場所の小防空壕に避難、尚砲爆撃のがれ{1文字不明、たぶん、戦、}中風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘じありたり
而も若き婦人は卒先軍に身を捧げ、看護婦烹炊婦は元より、砲弾運び、挺身切込隊すら申出るものすらあり
所詮敵来りなば、老人子供は殺さるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて親子生別れ娘を軍衛門に捨つる親あり
看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄無き重傷者を助けて敢て真面目にして、一時の感情に馳せられたるものとは思われず
更に軍も於て作戦の大転換あるや、夜の中に遥に遠隔地方の住居地区を指定せられ、輸送力皆無の者黙々として雨中を移動するあり
是を要するに、陸海軍部隊沖縄に進駐以来終止一貫、勤労奉仕物資節約を強要せられつつ、(一部は兎角の悪評なきにしもあるものの)只々日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に{4文字判別不明、敵に打撃、とかそんな感じだと思う}与え{1文字不明、たぶん、る、}ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形{1文字不明、思いつかず、あえて言うなら、を、?}一木一草焦土と化せん
糧食6月一杯を支えるのみと謂ふ
沖縄県民斯く戦へり
県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを
この打電をした1週間後司令部は幕僚含め全員拳銃で自決した。
余談だが残された子供達の内数人が海上自衛隊に入隊しておられる。湾岸戦争で機雷掃海部隊指揮官としてペルシャ湾に向かわれたそうだ。
今の人間が肯定、否定、両面をいったところで、というやつでもある。当然、このことを記事として書く、または書かないという判断を新聞やテレビがしたとしても。重要なのは我々がそこから何を学ぶかであろう、とそうコウジは思っている。
「うん? 初陣かあ、ちょっと早いような気もするけど、まあしょうがないかな。本隊の方かい? それとも牽制の方?」
シャムシがニムロデに聞く。もちろん自身も初陣は速かった方なのだろうが、表には出さない。まあそんな考えすらないと思うが。
「牽制の方です。何もしなくても大丈夫だと聞いていたのですが、話を今、聞いてる限り、様子が違うような気がします」
当然である。
シャムシはアッシュール牽制ではなく攻略を実は意図している。実際は直接の攻略ではなくエラム連絡線の確保とチグリス川アッシュール上流の支流の制圧であるが、まだほとんど誰も、とくにバビロン側はほぼ知らない。
しかし十二分に知っている陣営もある。それがエラムである。彼らの経済的にアッシリアに進出したいという利益と、我々の拠点となる土地がほしいという利益が合致しているのだ。
ここまで利益のすり合わせができているのには訳がある。
エラム側から交渉に来た恰幅のいい商人と共謀して、次の学校の生徒募集の際に留学生的な人材を受け入れる事が背景にある。
なまじ目先の利益のみを確保しようとしない点には好感が持てるし、どうせこの星の防衛を考えると、いつかは技術を広く流布しなくてはならない。そのためのエラム側というのは重要な試金石になりうるのだ。
確かに各種懸念が完全にないわけではない、しかしリスクなくしてリターンなしである。
この商人の名前はクロシュといいエラム王家であるパフラ王の妹の旦那であるらしい。
さらに言うと、アッシュールに牽制に来る軍の指揮官である第一王子、名前をアイリーと読むが、の叔父に当たる。
パフラ王の信任も厚く、兄弟間の戦争では資金面でまた軍事的にも元王を支えたのだそうだ。
逆にこちらが主力であることを悟らせないためにも、また国内の隠れた反乱分子炙り出しの為にも、王自ら軍を率い、エシュヌンナ攻略軍に参加する。エラム総兵力の割には参加することになっている兵力が少ないのは、あえて反乱をさせて、さっさと王の元に統一させる為でもある。もちろん急ぐ必要は無いが、常に意見の伺いを立てる続けるのも厄介である。
「まあ、そうだね。牽制が牽制だけで終わることは無いね。例えばバビロンはこの戦いの後、何を獲ることができると思う」
シャムシがあえて婉曲して、答えをニムロデ自身で出させようとする。
「エシュヌンナを倒すことで再度のラルサ攻略? いやその前にエシュヌンナの弱体によって後ろ盾をなくすイシンに対しての攻撃? ならラルサのリム・シンがイシンを攻略する? 父は何を求めている?」
難しいか? 今回我々が最も悩んだ点になるからな。
シン・ムバリド王がこのエシュヌンナ攻略によって何を得ることができるのかが不鮮明すぎる。確かにエシュヌンナとその領地を手に入れることができるのは動機としては十分であるとも考えられるが、それは単独でエシュヌンナを攻略できた場合に限られる。
今回は単独ではなく3カ国連合であって、エシュヌンナ統治は3カ国合同で当たることになる。ただしこれには裏がある。イラ・カブカブ王以外の二人の王は自分の領地に帰る必要があるということだ。実質統治はイラ・カブカブ王が主導するようなものになるだろう。そういう意味において十二分に利益は確保できる、攻略さえ成功すれば。
では次に意図を読むのが簡単なエラムの利益は何になるだろうか?
アッシリア商人の基盤に入り込むことだろう。これはエシュヌンナ程度の統治から出てくる利益より、完全に上である。さらに新たに領地を手に入れることができるならば、これも損にはならないだろう。新たな統治先で人を釣る事もできるのだから。もちろん占領地の統治が簡単なわけがない、王に抵抗している人間に渡して、もし失敗したならその咎をもって叱責することも、簡単だろう。どちらにせよ損はない。
最後にバビロン側である。エシュヌンナ攻略によって得る利益は自分の背中を固めることのみ。それどころか敵対しているラルサを利することにもなりかねない。これが我々を不安にさせる理由である。もしかすると我々は見捨てらるのではないか。ある意味、巻き込まれるのではないか、見捨てられるのではないか、という同盟のジレンマとでも言うべきこの感覚は我々を保険としての今回の行動に駆り立てる。もちろんそれを利用することも十二分にありえることだが今回は少し違う。だからこそイラ・カブカブ王もできる限り兵力を連れて行けと親心から発言したのだとシャムシとコウジは理解している。
「だからこその保険でもあるのさ」
コウジはニムロデに言う。
「でも」
ニムロデもその考えに思いがいたったのかもしれない。頭にふと浮かんだ考えを振り払うように叫ぶ。
「解ってはいる。しかし、だ。王とは苦渋の決断を時にはしなければいけないこともあるんだよ」
コウジが落ち着かせる為にニムロデを引き寄せ、撫でながら諭すように囁く。
政治とは時に非情にならなければならないことがある。味方をだますことも必要になるかもしれないし、もちろんそんなことばかりしていると信用がなくなるが、自国の直接の利益にならないことすらしなければならないときもある、それどころか裏切る可能性もありうる。何はともあれ自国の利益のためには何をしても、いや如何なる事でもしなければならないのが国家というものである。もちろん国際的規則を守る方が利益になると考えれば守るだろうし、守る必要が無いと思えば無視するだろう。それどころか自分に有利な時にしか守らないということもある。
この国際的規則が常に国家の利益にのみなら無いというという例だってある。これがある国家お中央集権化を阻害し、その後の世界情勢を完全に左右してしまう結果ともなった。最終的には2度の無謀な世界大戦に突入させることになったといっても過言ではないと思う。歴史とは連続性の発現だという意見もある。
「その考えが無い、ということを示すための私の派遣では? いやまさか」
少し考えてニムロデが発言する。その可能性もあるが、それすら無視してくる可能性もある。自分で気がついたようだが。もちろん親子の仲が悪いようには見られないのだが、だから安全だと慢心することはしない、というより出来ない。
「もちろん答えは判らない。だからこそ。さ」
シャムシが同じくニムロデの頭に手を置きなだめる。
「まあ、とりあえず議論していれも始まらんさ。俺達の思い過ごしだということもある。悲観的に備えて楽観的に対処するべし、だ」
コウジが旨いこと纏めようとするがニムロデは少し凹んでいる。たしかこの言葉は旧軍の参謀課程で教わる言葉だったとコウジは記憶している。その信条にしたがい、今回は行動する。
これからの予定は難民の受け入れと募兵からだ。




