第4話
投稿できていませんでした。ごめんなさい。ちゃんと投稿したんですけどね。前書きの内容が変わってしまいます。前回の前書きを忘れてしまいました。たぶんこんな感じだったと思います。
さてさて、今回で前回宣言した通り模擬授業は終了になります。いやー授業って書くの難しいですね。 次回から生徒を少しの間、主人公にして学校生活を書いていきたいと思います。
ボーイズラブタグつけとけばよかったかなとも思いますが、まあいいでしょう。ついでに作者は中学が男子校でした。私の一学年下は共学となり、最後の男子だけのクラスでした。高校は共学ですが。 まあその系統(男○娘関係)の趣味はないのでご安心を。ただし二次なら男女どっちでもおなじだ、という意見は理解できないこともないです。まあだからなんだと言われると何もないのですが。
「戦闘に於てどうすれば敵に勝利しうるか? そしてこの勝利に法則性はあるのか? そして、もしあるとするならば、それは如何なる物か? 連邦加盟国に於てもこの事を考えた軍人や政治家、学者は数多くいました。彼等の大半は同じ答えにたどり着きました。それこそがまさしく戦いの原則という物であります。さて、では、シャムシ君。君は戦場に出たことがあったと記憶しておりますが、勝利には原則があるとして、それが何であるか思い付きますか?」
唯一、模擬授業を受けている3人の中で実戦経験のあるシャムシに問いかける。
「負けた経験からすると奇襲と兵力かな。ほかにも原則はあると思うけど僕が感じたのはこの2つだね」
この敗戦はヤギトに奇襲を受けたときのことである。
「はい、奇襲というのはまさしく原則であるでしょう。しかし兵力のみでは原則と言えるでしょうか?」
「違うのかい? 兵力の多い方が有利だと思うけど」
納得がいかないとばかりに質問するシャムシ。
「そうですな、では兵力を集めるだけ、で勝てますかな? 古今東西、兵力の多寡が戦闘の雌雄を決する絶対的要因ではありません。つまり兵力の少ない方が絶対負けますかな? あるいは兵力が多い方が絶対勝ちますかな? 加盟国の戦いに於て、野戦で1万の軍勢が10万の軍勢に勝ったことがございます。ほかにも籠城戦で千の軍勢、女や子供含めて、が1万の軍勢を押し返したこともございます。いかがですかな? もし理解できないのならばこう考えてはいかがでしょうか? 例えば、もし火薬を使用した遠距離武器である銃砲を装備した部隊がいたとして、銃砲の装備されていない兵力が同数の部隊と戦うとしてどちらが有利ですかな?」
「それは銃砲に不利な地形、気象等の不利な条件さえなければ装備の優越によって銃砲を装備している部隊が普通は勝つと思うよ」
少しも考えずに即答する。
「そうでしょうな。では同数、同装備ならば?」
「それは、えーっと奇襲するとか、指揮する人間が指揮が上手いとかじゃない限り勝敗の判断を下せないんじゃないかな」
「そうですな、少々質問がよろしくなかったかもしれませんな。一般的に兵力や装備、そしてその質は戦闘力といわれる物になります。これは戦いの原則というよりむしろ構成要素であり、必要不可欠な物でありましょう、では兵、装備の量、質のみで戦闘力の優越を見ることはできますかな?」
「うーん、士気が高い部隊は強い、みたいな事かい? 白兵戦ならば理解はできるけど、遠距離での攻防になると経験上あまり意味がないと感じたけどね」
つまり。こういうことをシャムシは言いたいらしい。前回、負け戦では、奇襲から立ち直り、相手と対峙した時に相手側の軍勢の士気はシャムシ側の軍勢の士気を大きく下回っていたらしい。そのため白兵戦では優勢であったが白兵戦から弓矢や投石を使った遠距離戦に移行した時には士気の優越はあまり関係ないと感じたそうだ。
「ご自分の経験を糧としておられますな。そうです、当然、士気の差も要因のひとつではあります。が、それだけではありません。我々はこの戦闘力を有形戦闘力と無形戦闘力に分け、戦闘力はこれ等の相互作用によって構成されていると考えています。まず有形戦闘力は実際の兵力、編成、装備、そしてその装備の性能威力及び数量等々であり、殺傷力、破壊力、衝撃力等の実際の物理的な力として作用します。この有形戦闘力は容易に実際の数値として把握し、それによって認識することが可能であり、戦闘力の基礎ともなります。次に無形戦闘力とは、先程答えられましたように部隊、あるいは軍隊を構成する個人、団体の心身両面での能力であります。つまり指揮統制能力の優劣、規律、士気、訓練の精否、団結、協同一致の精神です。これは数値として表すことも、実戦以外では証明することも容易ではありません、それどころか人と状況によっては大きく変動しますし、良い状態ならばプラスにも、逆に悪くすれば大きなマイナスにも作用します」
兵力や装備だけで勝利することはないというかとだろうか?
しかし士気や指揮が戦闘の勝敗に作用することがあるのだろうか? 練度ならばまだしも理解できるのだが。
「ようやく原則に入ることができますな、ではこのような戦闘力が拮抗している部隊同士が戦闘するとして、どうすれば勝てるでしょうか? そしてこの答えこそが戦いの原則という物です。あまり引き伸ばすのもどうかと思いますので答えに参りましょう。まず始めに目的の原則、これは全ての軍事行動は明確な目的を有し、達成可能な目標を追求する事です。簡単にいうと何のために何をするかでしょうか。この原則こそが根本であり基礎であります。例えば戦闘に負けたとしても目的を達成したとしましょう、この場合、敗北していますかな?」
なるほど、日露戦争中の連合艦隊の作戦参謀だった秋山真之がいった言葉にこういうのがあったな。たしか『戦いに敗れるも目的を達成することあり、勝つも目的を達せざることあり。真正の勝利は目的の達不達にあり』だったかな。まさしくこの事なんだろう。
「戦闘の勝利が目的でないのであれば目的を達成している時点で勝利だと思うよ」
シャムシも同じ意見のようだ。
「そうですね。では次にいきます。攻勢の原則、これは主動性の獲得し、維持及び拡大に努めることです。別に攻撃を奨励しているわけでも、強要しているわけでもありません、単に姿勢の問題です。当然ですが防勢より攻勢の方が望ましいものです。なぜならば主動性を得ることが出来るからです。主動性とは軍隊の行動の自由であり意思決定の自由です。行動の自由を失うということは敗北に近づくということに他なりません」
うーん、毛沢東が似たようなことを言っていた気がする。それにたしか中国人民解放軍の「三戦」という概念ににも似た物があったな。たしか、その内の法律戦は人民解放軍の武力行使の合法性を確保して、敵の軍事行動の違法性を暴き出し、他国の干渉を阻止する活動で、この活動により自軍を主動の立場に敵軍を受動の立場に置くことを目的としていたと思うけど。まあ、近年の中国の行動を見るに法律戦を仕掛けてられているような気しかしないけど。結局は一党独裁の国家のすること、自分の都合の良いように物事を利用しているだけであろう。国際法を順守するのは自分にとって都合の良い時だけで、訴えられたら当然の権利と言ってうやむやにするということなのだろう。
「そしてシャムシ君が言ってくれた奇襲の原則。これは敵が予測不可能な時、場所、手段によって敵を攻撃することです。この奇襲のとって一番重要なことは、相手に対応するいとまをあたえないことです。実例でいえば時間的奇襲は夜襲になりますし、場所的奇襲は山間部の通過など。気象的奇襲は霧や雪を利用し、技術的奇襲は銃砲等の新しい技術の利用となります。これ等色々とありますが重要なのは相手に想定外だと思わせることでしょう、逆に想定外を想定して対応することが次の原則、警戒の原則になります」
場所的奇襲はアルプス越えとかかな? 技術的奇襲が一番馴染みがあるのではないかな。
「警戒の原則とは、敵と相対する為に部隊の安全を確保し、敵に利点を与えないようにするための原則です。危険にされて、想定外だと言うのは無能の証明にほかなりません。奇襲を防ぐにはまず敵を知ること、そして自分をもよく知ることから始まります。もっとも何をするにしても危険はつきものです。だからといって危険を恐れてばかりでは話になりません、危険をおそれず、その危険の要因を見極め、上手に制御することが重要です。そのための手順もお教えしますがそれはまた後程」
なるほど、危険見積もり、あるいはリスクマネジメントというものか? 確かに重要だな。
「さて、お次は集中の原則。戦闘力優れているものが勝ち、劣っているものが負ける、これが、これこそが理ですな。兵力以外の差がない場合、すなわち資質、装備が均質、均等である場合、兵力を集中した方が勝利します。さらには相手側の集中を防ぎ、孤立させ、孤立した部隊を保有する全戦力で打ち破れるように機動すると勝利は間違いのないものになるでしょう。この事を各個撃破といいます。そしてこの原則の中で出てきた機動も原則になります」
集中の原則か、ランチェスターの法則みたいだな。ランチェスターの二次則モデルはたしか装備×兵員の2乗だったか。この場合装備は均等、均質だから、もし兵力5、と3が戦闘したら5の2乗で25、3の2乗で9、そして25-9で16で、√16の4そしてこの兵力5の4が生き残る、という方程式である。
もっともこの方程式を更に複雑にしたものもあったような気がするが。この法則はマーケティング戦略にも多用されている。硫黄島の戦闘のデータがこれにピタリと当てはまると聞いたことがあるが詳しい事は知らない。
「さてこの機動の原則は、敵に対し予期ないし利点を与えないことです。簡単にいうと戦闘力の集中競争ともいいますな。根本的なことにもなりますが、機動と移動の違いはなにか? 移動は作戦開始位置への単純なる移動で戦闘は伴いません、しかし機動は作戦開始後の戦闘を伴った攻撃行動の一部で移動しながら戦闘することもあります。さて次は集中の原則とは逆に戦闘力の節約です」
機動かナポレオンがたしか言っていたな、最良の兵隊とは闘う兵隊というよりむしろ歩く兵隊だと。まあ歩かせすぎのような気もするけど。しかし逆に節約の法則か集中すれば良いのか節約すれば良いのかどっちなんだ?
「これは、全戦闘力を無駄なく可能な限り最大限有効適切に運用することです。二義的意義にとどまる正面には最低限の戦闘力を当てるにとどめることですな。言うに易く、行うに難しですが要約すると戦闘力をどこかに集中すると他方面の戦闘力を制限しなければならなくなります。さらに簡単にすると防衛時すべてを守ろうとしてあらゆるところに戦闘力を配置すると、どうなるか? 敵を圧倒する戦力を持つならば可能でもそうでない場合、局地局地での相対戦闘力の差を下げるためには、何処か、を捨てる事が重要になります、そうしないと全ての場で負けることにも繋がるからです。作戦にはこの非情とも言うべき決断も重要になってくるのです。経済的には、創造的破壊ともいいますな。当然このためのリスク、責任は指揮官が負うべき物でもありますな」
ブラムが、一瞬、ほんの一瞬であるが、険しい顔をする。
スクラップアンドビルドの事かな? グー・パー・チョキ理論のようだ。グーで良い製品を開発してドメイン、この場合は企業が活動する事業領域で、に販売、パーで販売の促進、チョキで不採算部門の縮小、廃止。まさしくこの事に近いと言えば近いような気がする。まあスクラップはどこの国でも抵抗を伴うものだが。
「ようやく残すところあと2つです。一気にいきましょう指揮の統一の原則と命令の簡明の原則です。指揮の統一とは目標の追求に当り、指揮を統一して全ての部隊の努力、行動、を共通の目標に方向づけ統合することです。昔のある高名な将軍がこう言いました。『1人のバカの指揮の方が2人の天才の指揮よりましだ』と、過去この指揮の統一に失敗して敗北した例は多数存在します。さてさて、ようやく最後ですな。命令の簡明の原則。単純明快な計画及び簡明な命令文を作成して伝達、関係者の理解を容易にすること。まあ、こういってはなんですが文明的に文言をよく修飾する軍隊は弱いですな。命令は簡潔に、修飾語は不要です。そもそも戦場とは状況が複雑に入り交じった理解するに易くない場面の連続ともいうべき物であり、そしてこの状態が常であるとするならば、この錯綜とも言うべき場面が少ない方が勝ちを得る、と言われても何を言いたいのかすぐに理解できないものでしょう。しかし先程のように命令は簡潔にといえば簡単に理解できるものです。そうでなくても技術によって戦闘領域が拡大、機能もその機能によって分化していくと思われる戦闘領域に於て複雑な命令など利がないこと間違いなしでありますな。逆にそうするためにありとあらゆる訓練などの手順や、その他の手続きを整備して標準的に画一化することで部隊の戦闘力を向上させる事も出来ます」
なるほど、指揮権は統一して、命令はシンプルにか。陸海空の統合作戦とかならば非常に重要そうだな。命令の簡明化は重要だろうな。外交で戦略的互恵関係云々なんていわれても何をしたいのかよくわからんからな、下手な抽象的用語が命令文に来たら切れそうになるわな。まあ、外交だから許されるのかもしれない。シンプルな命令文か。うーんと、あ、これだ。敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し。かね? これは日本海海戦の電文だったかな?
よくよく戦いの原則を聞いて見ると、するべからずということばっかり日本はしているような気がするが、俺の思い過ごしなのだろうか? 決断しない、解決策を先延ばしする、危機に直面しないと動かない、目の前の問題をやり過ごそうとする。一度決めた事をなかなか変えられない、情報を軽視してしまう、主導的な行動が必要な時に受け身になる、決断が遅い、簡単に他人の言う事を信じる、等々、これでよく世界有数の経済大国になれたものだと感心してしまう。
「いかがだったでしょうか? 大分駆け足で授業して参りましたが、持ち時間がこれまでのようですな。ご静聴ありがとうございました。もしわからない事などございましたら是非声をかけていただきますようお願い申し上げます。では次は休憩を挟んでお嬢様の授業ですな」
このあとはエルザの天文学の授業とコールの農学、俺の化学の授業である。
さてまだまだ授業は続くんだよ3人とも。そんな顔しない。
この後3人は疲れた足取りで、実際疲れていたらしい、学校を夕方に後にした。
 




