報恩
夏至の休業期間が終わって剣闘が再開されてからも、シュームザオンの剣闘界はどこかまだ盛り上がりに欠けているようだった。
「別に、強い闘士がいないわけじゃねえよな」
「当たり前だ、この街は『剣闘都市』だぞ、剣闘については帝都にだって負けやしねえ」
闘技場で、酒場で、仕事の合間のそこかしこで、人々はそんな風に会話を交わす。
「再開始めの日なんか『炎』のギジオンと『隻腕』ミゼの一大決戦があったし、好カードの戦いは他にもあった」
「ああ、最近ご無沙汰だった『旗使い』ディムが『大盾』アガサを倒して派手に復帰したな」
剣闘談義は、シュームザオン市民なら多かれ少なかれ皆が嗜んでいる娯楽だ。会話の鉄板ネタと言ってもいい。
「新人もイキのいいのが揃ってるしな」
「最近いいのはリウ=シノバか。先日はとうとう二つ名持ちの『軽業』のデドを倒して見せた」
「シグ=キアンも悪くないぜ、サザード商会のコーザに負けて以降、まだ一敗しかしていないし、連勝数も5に戻した」
「休業明けからデビューしたイシュカシオンのスタークってのはどうだ。まだ二戦目だが、どっちも圧勝だった」
どこの会話でも、こうしてそれなりの盛り上がりを見せてはいるが、ふとした瞬間に会話が途切れ、誰もが同じことを考える。
「さて、今年はどこが勝つかな?」
「『双剣祭』か。こいつは毎回予想が難しい」
つまり今のシュームザオンは祭りの前だ。来る『本番』を前にして、誰もが興奮を腹の内に溜めている。
「前回優勝の『炎』のギジオンと『吼え猛る』モーガンは今回も有力候補だろう」
「今年は『三本足』のセネバネも出るらしい、相方は二つ名持ちじゃないようだからどうなるかね」
「最近名を売ってる巡業商会の剣闘士も出るそうじゃないか、番狂わせもありうるぞ」
「何を馬鹿な。流しの剣闘士にシュームザオンが負けてたまるか!」
予想も予断も噂話も裏話も、雑多に詰め込んだ平和な狂騒が、熱気の残る街の中に渦を巻いている。
組合の試算によれば、予想される参加人数はおよそ300組600名。これはシュームザオンの全剣闘士の三割超に当たる。
所属剣闘士には明らかに実力不足な新人や引退同然の立場のものも計上されているため、実際の一線級剣闘士の参加率という意味ではそれ以上だ。
だから、剣闘都市の住人にとっては正真正銘のお祭り騒ぎだ。複数同士での剣闘は通常の日程でもしばしば行われているが、これほどの規模で行われることはこの機会の他にはないし、普段は一対一しかやらない剣闘士も出場してくる。
「なんにせよ、楽しみだ」
「何としてでも見に行かなきゃな」
そんな風に、シュームザオンはいささか血気盛ん過ぎるきらいはありながらも、実にこの街らしい平穏な日常を送っていたのだった。
●
「まったく、こんな朝から泥だらけの血まみれで。どうして剣闘士というやつは後先を考えないのでしょうね」
フェートン=ジステンスが、嘆かわしげな口調で足元に転がっている二つの物体に声を掛けた。
『……』
ここはヒューバード商会の中庭訓練場。そこにいるのは無論、カタナとコーザだ。朝の光に照らされている彼らは、返す言葉もなく行き倒れの死体よろしく横たわっている。
「むむ、ちょっと奥の倉庫から軟膏と包帯持って来ないとかな? ぜんぜん足りそうにないないし」
全身傷だらけのそんな彼らにてきぱきと治療を施しているのは、この商会の主レレット。彼女がカタナの傷を処置している姿は、商会の人間にとってはもはや馴染みきった光景だ。
「お嬢様……」
「フェートン、いいの。わたしにやらせて」
何か言いかけた執事服の老爺に、レレットは軽く目を合わせてそれを遮った。
「――は」
剣闘で負った傷ならともかく、今回カタナが傷付いたのは本人の勝手な私闘だ。本来商会長としては怒りこそすれ甲斐甲斐しく手当てするいわれなどない。
ましてコーザは商売敵の商会の剣闘士だ。正直なところ放置してしまっても文句を言われはしないだろう。
「いや、おれは……」
「動かないで」
実際、コーザもやせ我慢半分だが治療を遠慮する動きを見せたが、レレットは取り合おうともしない。
「カタナがあなたを招いたのなら、あなたはヒューバードの客人です。それに……」
「?」
「あなたは、わたしの友達のお兄さんでしょう?」
それだけ言って、さっさとコーザの傷にも処置を進めていくレレットに、コーザは呆れたような感心したような微妙な顔で黙り込んだ。
彼とレレットの間には、カタナとも出会った酒場での、あの最悪の出会いから幾度かの場面を経てそれなりに折り合いはついてはいた。が、コーザが心底からレレットという人物を認めたのはこの時からだったのかもしれない。
「……」
「はい、よろしい」
そしてしばらくして無言になったコーザの処置を覆えたレレットが薬品の補充をしにフェートンを連れてその場を離れる。
「くくっ」
と、その隙を待っていたように、堪えきれないといった感じの笑いを漏らしたのは、ずっとやり取りを横目にしていたカタナだった。不機嫌に睨み返すコーザに彼が返したのは。
(どうだ、やっぱりウチの大将は大したもんだろう?)
とでも言いたげな何とも得意げな――世が世なら、「どや顔」とでも表現できそうな――表情だった。
「……このずっこけ野郎が」
いらっ。
と、こちらもまたそんな擬音が聞こえそうな感じの気配を漂わせたコーザが、ぼそりと呟く。
「ぐ……!」
そして今度は、カタナが顔を引きつらせる番だった。
――先刻まで繰り広げられていたカタナとコーザの殴り合い。その最終局面で、カタナが繰り出したのは、『闘技王』アダムの『無刃』の奥義。
かつてのアダムとの立会いで一度だけ、その身に叩き込まれた帝国最強の一撃。それを再現しようというカタナの無謀な試みは――。
半分は辛うじて成功し、もう半分はこれ以上ないほどの大失敗をやらかした。
全力を振り絞ってコーザの拳を掻い潜り、できうる限りの速さと鋭さを込めたカタナの掌は、確かにコーザの身体に命中した。
技の再現度としてはともかく、決めの一撃を入れたのはカタナだったのだからそこだけ見れば彼の勝利と言ってもいい状況――になるはずだった。
「技を出したはいいものの、完全に勢い余って地面に突っ込むなんぞ、お前はどこのイノシシだ」
「うぅ、うるさいな」
拗ねたように歯噛みするカタナだが、コーザの言葉は否定できない。
呆れた話だが、喧嘩の熱に浮かされていたカタナは「技を出した後にどうするか」ということを全く考えていなかった。というか、アダムとの一戦では最後に『闘技王』と交錯した瞬間には既に気を失っていた彼であるから、あの技の「残心」のやり方など知っているはずもなかったのである。
結果。
顔面から地面に突っ込んでその衝撃で気絶、という、自爆以外の何物でもない末路と相成ったわけである。
「言っておくが、さすがにこれで『負けた』と思ってやるほどおれはお人よしではないからな」
「あー、……うん」
コーザの複雑極まる表情に、カタナもまた微妙過ぎる顔で目を逸らす。
本来、コーザは最後の一撃を躱されたことをもって自分の敗北を認めるくらいの潔さは持っている男だとカタナは知っている。その意味で、これはしっかり勝ちきれなかったカタナに責任があると当のカタナは思っていた。
実際、地面に倒れて気を失ったのはほぼ同時なのだから、客観的に見てもこれはどちらの勝利とも断言することは難しい。
「何か、また因縁が積み重なっただけな気もするな」
「言っていろ。どの道、おれたちの本番は剣闘場だろう?」
コーザの問いかけに、カタナは目を細めて気配だけで笑う。
「ああ、そうだよな」
この喧嘩はこの喧嘩で楽しかったし、どこか懐かしさすら覚えたものだったが、カタナもコーザも剣闘士だ。
拳の勝負では、まったくもって物足りない。
握った剣の重さが足りない。
鍛えた技の鋭さが足りない。
命を賭ける想いが足りない!
闘技場で、勝利の天秤に掛けるのは己そのもの。
各々目指した生き方として剣闘を決意しているこの二人だが、それとは別に、この度し難いほどの野蛮な興奮に魅せられているというのも否定できない事実だ。
ただお行儀よく、人に迷惑をかけずに生きていたいだけならば、カタナもコーザも剣など持つことはなかっただろうから。
「おれたちの決着は――」
「剣闘場ではっきり着ける」
カタナとコーザは、やはり同類。
生まれも育ちも異なっていても、その強さと精神だけは双子のように瓜二つだ。
だからこそ、彼らはいずれ必ず雌雄を決する。
――しかし、その前に。
「まずは、セイ=シャインナッハと『独眼狼』ニス=キス」
「『双剣祭』で、奴らを倒す」
横たわったまま、まだ力の入らない互いの拳が伸ばされて。
「やるぞ」
「おう」
ごつり、と二人の拳が強く打ち鳴らされた。
●
「よう、おはようさんジーク」
気安くかかって来た挨拶の声に、ジークは今まで向き合っていた相手から視線を外してそちらを見やった。
「ああ」
「ああ、って。何だ、急用じゃあなかったのか」
「急と言えば……まあそうかもな」
拍子抜けした顔で首を傾げる兄――シグ=キアンに、ジークは平温を保ったような声音で対称に首を傾げた。
「何だそりゃ――あ、じゃあすみませんけど出て来ますね会長」
「失礼します」
「む。あー、うむ。ゆっくりして来い」
兄弟の言葉を受けて、この場にいたもう一人、ミノス商会の商会長はあまり似合っていない口ひげをいじりつつそう言った。
ジークも数か月前まで世話になっていたこの商会長は、ジークに言わせれば極めて「普通」な男だった。
特別に商才や先見の明があるわけではないがみすみす経営に失敗するほど無力ではなく、人並み程度の欲を持ってはいるがそのために悪事を為すほど倫理に欠けているわけでもない。
そうした人物であるから、せっかく儲けの種になるところをさっさと剣闘士を辞めてしまったジークに好意を抱いてはいないだろう。
だがさりとて、一時とはいえ世話をした男を無下に扱うほど了見が狭い訳でも情が薄い訳でもない。
商会に所属していたころのジークは、はっきり言ってこの商会長をただの俗物としてしか見ていなかった。だが、今のジークはこのどこにでもいるような中年の男に尊敬の念すら抱いている。
ほどほどに成功してたまに少し失敗して、欲の皮を張った後に自分で手綱を締め直して、気に食わない人間にも大人として当たり前の対応をする。
そんな、人間としてのごく普通の道を何の疑問もなく当然に歩くということがどれだけ大したことなのか、人生の獣道に散々迷った挙句にようやく「その道」を歩き出したばかりのジークだから良く分かる。
「む?」
若者の内心など知る由もなく。変わらず普通に立っている人生の先輩に、改めてジークは頭を下げると、数歩先を歩いている兄について古巣を後にした。
●
「ははあ、あの二人がそんなことにねえ」
真昼の強い陽射しを避けてシュームザオンの街を歩きながら、シグはジークに呼び出された用件を聞いていた。
「カタナとコーザがそんな風に散々にやられるとは、それほどの使い手が巡業剣闘士かよ」
弟と共に傭兵として各地を転戦していたシグだが、巡業の剣闘士を見た記憶はほとんどない。
(当然と言やあ当然か。稼ぐ河岸が全然違う)
片や殺し合いの戦場。片や街から街、村から村への旅暮らしだ。
「……あの二人が負けたのは、あいつらに集団戦の戦法がまったく身に付いていなかったからだ」
個々の実力では負けていなかったというジークの言葉にシグは納得して頷く。
この辺りは戦績を同じくするもの同士の呼吸か、シグにはジークの抱いた感想が正確に実感できていた。
「あれだろ? 六、七年くらい前、北の方で遭った兵隊崩れとやり合った時みたいな」
「ああ、そうだな。ちょうどあんな、頭がいなくてガタガタだった感じだ」
内乱の混乱で指揮官を失って野盗化した元帝国軍の部隊を、近隣の街の依頼されたシグたちの傭兵団が「処理」したことがあった。
個々の練度は並の正規兵よりも良かったぐらいの兵士たち。
それが複数の部隊に別れて巧みに連携する傭兵団に右往左往させられた挙句に為す術なく全滅させられる様は、一端の傭兵となりつつあった当時の兄弟にとってはいい教訓になったものだった。
「だがあいつらは、やられっぱなしでいる気はないらしい」
「ん?」
弟の呟きに、シグは眼を瞬かせる。
「一緒に組んで、『双剣祭』に出るそうだ」
「って。おいおい、そりゃ無茶だろ」
集団戦の難しさは骨身にしみているだろうに、まったく尻込みしていないのは大したものだが。
「問題なのは、無茶かどうかじゃない」
ジークは、そこで一度言葉を切って、息を細く吸った。
「……」
シグは、それがジークが緊張している時の癖だと知っていた。
傭兵時代、不利な戦況にそれでも突っ込んで行かなければならない時によくその呼吸を横で聞いていたことを思い出す。
「肝心なのは。あいつらが、それでもやる気だ、って言うことだ」
その言葉は、シグ以外の人間にはその意味は伝わらなかっただろう。
だが、シグはジークの実の兄だ。弟の本気が伝わらないわけがない。
「ああ、そうか……そうだな」
あの二人、カタナとコーザ。シグとジークの兄弟は、彼らにはあまりにも大きな借りがある。
自分たちの歪みがカタナに殺意を向けさせ、コーザの妹にも命の危険に晒させてしまった。
にも拘らず、彼らはジークの狂気を止めて、シグのたった一人の弟を救ってさえくれたのだ。
彼らが許してくれたからと言って、それに甘えたままではいられない。
「今、あの二人が目的を果たすためには、決定的に足りないものがある」
「それを、俺たちなら教えてやることができる、ってことか」
シグは、込み上げる熱に任せて弟の肩に腕を回す。
ああ――、やっぱりこいつは俺の自慢の弟だ。
そんな風に思う間もなく、口から場違いに笑みがこぼれる。
「そうだなジーク。恩に報いるには絶好の機会だ」
「シグ兄……頼む」
皆まで言わせず、拳を突き出して弟の繰り言を押しとどめる。
「バカ。『双剣祭』の一回くらい何だってんだ。兄貴なめんな!」
だいたい、この弟以上の相棒などそもそもシグにいやしないのだ。
大会まではもう日が無い。それまでに――。
「傭兵兄弟の持ってる限りのもんを、あいつらに渡してやるさ」
「……ああ!」
そして兄弟は、子供が競うように、シュームザオンの街を共に駆けだした。




