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剣闘のカタナ  作者: 某霊
外伝 獣の章
70/113

勝者と敗者

 今年で二十五歳になるアミタ=ソーンは、帝国兵である。


 彼の生まれは『獅子』皇家に仕える貴族の、その家臣のさらに分家筋に当たる家だ。

 『獅子』の旗下だけで見ても主流からは程遠い位置にいるアミタだったが、人好きのする性格で中々の剣才も持ち合わせていたために、上級騎士ヌアジ率いる精鋭隊に取り立てらた。


 今回の乱はアミタたち兵卒にとっては、帝国の覇権を握り一皇家の勢力から一国そのものの中心へと躍り出るまたとない機会だった。そうなれば隊長であるヌアジは将軍の地位を手に入れ、自分たちは帝国将軍の直属部隊になれる。


 主家への忠義も大義名分に殉ずる気持ちもないわけではないが、何よりも利益が重要。特別利己的なわけでも人品が卑しいわけでもないアミタにとってさえ、戦う理由とはそういうものだった。


 将が振りかざすのはきらびやかな御旗、兵が振りかざすのは血に濡れた刃槍。それがアミタにとっての当たり前だった。よほどのことがない限り、兵は御旗に逆らってはならないし、疑問も持つべきではない。


 だから、年端もいかない『大鷹』の皇女を捕らえて帝都へ連行するという今回の任務についても特に思うことはなかった。自分が捕らえれば褒賞を弾んでもらえるかな、と漠然と空想したくらいだ。


 アミタにとっては、これは単なる一作戦。そのはずだったのだが――。


「選べ。全てを話すか、それとも死ぬか」


 獣に襲われて死にかけたアミタを救った老人のその一言から、彼の人生はまったく予想だにしない方向へと進んで行ったのだった。



 そして今――。


「あああぁ!」

「――ぬん!」


 アミタは、呆気に取られて眼前の戦いを眺めていた。

「なんだよ、これは……」

 謎の老人――素性を訪ねても無視された――に状況を洗いざらい吐かされた後、森を進んだ仲間の元へと案内させられて辿り着いたこの広場のように開けた空間で、件の老剣士と異形が凄まじき闘争を繰り広げていた。


 地に手足を着いて、異常な速度で地を転がるように走る小さな人影。先刻皇女を追い詰めていたアミタたちに襲いかかった怪物――のような少年だ。


 さっきは異様な怪物にしか見えなかったが、今改めて見てみると不思議と人間に見えた。風体が甚だしく異様ではあるが、あれは人間だ、しかもまだ幼い少年だ。

 そして、あの時は全く追えなかった動きも距離がある今ならその全体像が何とか見て取れる。


「合間で一瞬止まって『溜め』を作って、速度を跳ね上げている、のか?」


 疾走の合間に手足を縮めるように構えた少年が弾かれるように駆け出す度に、まるで距離を誤魔化したような高速で少年の身体が地を駆ける。


 距離を十分に取っているアミタにとってすら見失いかねない人外の速度は、相対している老人にとってはもはや悪夢の領域だ。少なくともアミタがあの場に居れば一合と持たず屍を晒していただろうことは疑いない。


 だが。


「ギぃッ!」

 その魔少年の振るう錆びた鉈は、老人に未だ当たってはいなかった。


「ふん!」

 低く篭った気合と共に打ち下ろされる老剣士の長剣、目で追えぬはずの高速攻撃を、しかし狙い澄ませた正確さで打ち落とし、軽い少年の体躯を吹き飛ばす。その度に少年は地を転がり、しかし即座に跳ねあがって挑みかかる。


「まさしく獣の戦いか。速いばかりで味気ない」

 円熟もなければ練達もない。剣戟と呼ぶには粗末に過ぎると、老いた声が重く潰す。

 同時に、老人の左腕が迅雷の鋭さで突き出された。


 剣を持たない手による拳打が、低い体勢で疾走する少年の胸元を当たり前のように捉えた。


「があっ?」

 少年が、困惑の色の濃い苦悶を漏らす。自分の最高速が他人に追いつかれるなど、彼にとっては初めての経験なのだろう。


 だが老人は構わず、動きの止まった少年の喉笛を掴み上げて宙吊りに、冷たく告げる。


「愛無き、友無き、心無き。故に貴様に未来無し! せめて我が介錯おうぎで逝くがいい」


 そのまま、片腕で少年を放り投げる。そして落下した少年が咳き込みつつ顔を上げた時には、既に勝負の趨勢は決していた。


「三連斬鉄剣――九重ここのえ!」


 その時アミタが見たものは、少年の全身を穿ち断ち切る――刃の流星群だった。



「……」


 老人――カーン=ハイドは、静かに剣を構え直し、そして目線を横へ向けた。今の今まで戦闘を繰り広げていた男とも思えない、静謐の佇まいがそこにあった。


「何の真似か――皇女」

 視線の先、カーンの真横に立って居るのは、保護すべき皇女、ラファエラ=イヴ。だがカーンの眼には尊敬の念も労わりの気配もない。


 だがそれも無理からぬことだろう。


「……見ての通りだ」

 幼き皇女の手には、追っ手が持っていた剣が握られていた。そしてそれを、カーンの首筋に突きつけていたのだから。

「久しいなカーン=ハイド。よく来てくれた、ありがたく思う。そして、早速だが命令がある……剣を引け」


「……ぅ」

 両者の足元には、先刻まで暴れまわっていた少年が地に伏している。全身を切り裂かれて血塗れの有様だが致命傷はないと、傷を付けたカーンには分かっていた。


(『九重』で仕留められなかった相手など何十年ぶりか。まあ、この皇女が横槍を入れねば死んでいただろうが……)


 決着の寸前、この皇女はカーンに向かって白刃を手加減なしに突き出した。皇女の剣の腕はカーンでなくとも問題にならない程度のものでしかなかったが、敵にとどめを差す瞬間を狙うという手段は非常に効果的であり、結果としてカーンの剣は少年の命に届かなかった。


「さて皇女、貴女と以前に会った時はまだ二つ三つのご幼少であったと記憶しているが」

「覚えているさ。西の離宮で、おじい様と話しているのを見ていたこともな。お主のような種類の人間は珍しかったからな……それで、我の命を聞き入れる気はあるのか?」


 久闊を叙する、というには、両者の声は硬質に過ぎる。カーンの気配は敵意や殺気は無いにしても巌のような重みを持っていて、ラファエラも皇族の威風を隠すことなく露わにしていた。


「……できませんな。この子供は危険過ぎ、そして憐れ過ぎる。ここで殺してやるべきだ」

「それを許さんと言っているのだ、我は」


 そこで、ラファエラは剣を捨てた。眉をひそめるカーンに構わず地に膝を付き、倒れた少年を両手で抱えた。


「この者はな、戦っているのだ」

 幼い顔に似合わない、深い憂慮の表情で少年の手から握られたままの鉈を取り上げる。


「過去と、己と、この世界とな。愛を忘れ、友を亡くし、心を殺して、そしてそれでも生き抜いて来た」


 ラファエラの眼光が、カーンの眼を射抜く。曙光を受けたような金と、古代の宝剣を思わせる金。


「それほど傷付いても生き抜いてきたこの者に未来がないなどと――我は絶対に認めない」


二種の金眼がしばらくの間拮抗するように相対していた。

「……」

 そして、先に逸らされたのは老いた黄金――カーンの瞳だった。構えていた剣を下ろし、少年から背を向けた。


「――すまないな『闘王殺し』。礼を言う」

 その挙動を見届けてから、ようやく皇女は気を抜いてほのかに顔を緩めた。


「配慮は無用。敗者・・には過ぎた気遣いかと。それに、助かったのはこちらの方でもあります」


 振り返ることなくカーンはそっけなく言葉を返す。そして、左腕を持ち上げて見せる。


「……それは」

「見ての通り。この小僧、最後の一瞬でこちらの腕を狩り獲りに」


 カーンの左腕、肘の辺りに深い裂傷が生じ、いつの間にか彼の腕は真っ赤に染まっていた。

「皇女の制止で剣を戻していなければ、踏み込んだ分深く抉られて今頃は隻腕になっていたでしょう……この者が危険だと言うのは、何の誇張もない真実だと忘れぬようになさるがよろしい」


 カーンはそうして皇女に告げるが、余人に窺えない彼の表情は、微かに楽しげな笑みを含んでいるようであった。


「ともかく、未だ森の外には追っ手が多数。一度奥へと進みましょう――その小僧も共に」



(――痛い)

 カタナ・・・は、途切れ途切れの意識の中でそう思った。


 全身がズタズタにされたように、痛覚が全神経を乱打している。流れ出す血が、かえって身体を冷やすかのように怖気を振るう。


 だが、それでも彼の身体は生きている。イサギナの『血』は既に各所の傷を塞ぎ、破れた身体を繕って、なくした血を補填しつつあった。


 だから、カタナが真に恐れていたのは痛みではなかった。


(気持ち……悪い)

 頭の中に・・・・何かが居る・・・・・


 それは衝動のような、記憶のような、本能のような、それらすべてを歪めて繋ぎ合わせたような、異形の構造を持つ精神。


 『獣』。

 カタナの中でそう名付けられた概念は、カタナの頭蓋の内側に巣食う大罪だった。


(いやだ……!)


 『獣』が暴れている。この世のどんな生物とも違う、奇怪で醜悪な生態を備えた存在をカタナは幻視した。


 食い殺した人間の数だけ増える嘲笑の瞳、この世ならぬ速度を生み出す異常に発達した後ろ足。

 全身は青白い死人の肌のつぎはぎで、毛の一本も生やしていない。

 左手は地面を掴む触手の集まりで、右手は硬化して武器のような刺々しさを具現して死臭を纏っている。


 そんな化け物が、カタナの頭の中に居る。


 我が物顔で脳裏に住み着き、勝手気ままにカタナの脳髄を貪り喰らい、空っぽになってしまったカタナの内側に、いかにも厚意・・でやってやるという態度で産卵するのだ。


 そしてその卵からは悪意と暴虐が産まれ、カタナはどんどん化け物自身になっていく。


 正気を保てないのも当然だった。寄生虫に腸を喰い破られる方がまだましだ。いかな痛苦もココロを凌辱される絶望とは比べ物にならない。


 そしてなによりも耐え難いのは、その化け物を最初に生み出したのはカタナ自身であったことだ。


 弟を、父と母を、幼馴染の少女や村の人々に歯を突き立てたという事実から逃れたくて、そんな醜悪を喰らって生きる怪物を産み出した。


 だが、そうして生まれたもう一人のカタナかいぶつは、あまりにも強すぎた。狂気に、暴威に、悪意に満ち溢れすぎていた。


 傷だらけで精神の檻に逃げ込んだ主人格のカタナなどあっさりと凌駕したその意志力は、これまでの数年間、異形の『獣人』としてカタナの肉体を生かしつつカタナの内側に君臨していた。


 だが。それが今、綻びを生じさせている。

 現実から目を背けて、壊れる前に逃げ出したはずのカタナの意思が目覚めている。否、目覚めさせられている。


『甘えるな!』

 少女の声が、『獣』が支配するカタナの脳裏に響き渡る。


 甘え。これは甘えなのだろうか、カタナには分からない。

 だって自分はこんなに苦しんでいる。傷付いて、逃げ出して、心の中でも『獣』に食い荒らされて虐げられている。これが甘えなのだろうか。


『違うよ、カタナ。苦しんでいるのが甘えなんじゃない、苦しんでいるからって何もしないのが甘えなんだよ』


 ふと、懐かしい声が聞こえた気がしてカタナは悶えるのを止めた。


『カタナの中の化け物はさ、毎日楽しそうだよ? 命を狩り獲って、人を喰らって、欲を満たすのが幸せで仕方がないって思っている』


 それは、どこかで聞いたことのある声だ。名前は思い出せないが、とても好きな響きの声だった。

 しかしその声は、今は重く沈んだ声音を響かせる。


『でもそれも当然。この化け物をそういう風に――人食いで苦しまない存在として望んだのは、造り出したカタナ自身だものね』

 苦しみから逃れるために別人格を造り出すのならば、その人格は主人格の苦しみを苦しみとは思わないものである必要があるのは道理だ。そうでなければ人格を変える意味がない。


『だからさ、この『獣』は、ある意味でカタナの理想そのもの』


 人を喰った、だから何だ?

 主人格の苦しみ、それがどうした?

 我は思うがまま肉を狩り、食らい尽くすだけで満ち足りる。故に、それ以外などどうでもいい。


 いかなる行為にも傷付かず、悔やまず、幸せに生きていける精神。醜いほどに歪んでいても、そう生きられればどんなにいいか。


 それが、カタナの理想。屍の山に一人残された少年が抱いた絶望ユメの真実だった。


『ねえカタナ。悔しくないの?』

 在りし日の己を取り戻したカタナに、声が告げる。


『弟を、お父さんとお母さんを、あたし・・・を食べたことを幸せだなんて笑うような奴にいいように身体を使われてさ、我慢できるの?』


 許せる、わけがない。

 あの日のことを、福音の日だったなどと感じる存在を、許しておけるわけがない。


『だったら――』


 しかし、その『獣』もまた、カタナの想いから生まれたものなのだ。歪んではいても、一つの真実。嘘や偽りからは、あれほどの暴威の獣は産まれない。


『だからこそ、あの『獣』はカタナが倒さなくちゃダメ! 身体の問題じゃない。その意志ココロを、カタナが戦って取り戻すの!』


 できるのだろうか。そんなことが、この自分に。

 『獣』を乗り越え、己を取り戻す未来などというものがあり得るのだろうか。


『あるよ。きっと、カタナには未来がある』

 擦れるような優しさで、声が吹き抜けた。


(この者はな、戦っているのだ)

 同時に外側からも、声が聞こえた


(過去と、己と、この世界とな。愛を忘れ、友を亡くし、心を殺して、そしてそれでも生き抜いて来た)


『そう、生きてるんだよ、カタナは。生きているなら、戦える。戦えるなら、きっとカタナは負けたりしない』


(それほど傷付いても生き抜いてきたこの者に未来がないなどと――我は絶対に認めない)


『ほら、どこかの誰かもあたしと同じ意見みたい。でもすごい自信。「認めない」だって。そう言われちゃったらもう諦めるしかないよね』


 諦める――、何を?


 だが、そんなことは問うまでもない。

 逃げるのを、怯えるのを、甘えるのを――諦めろ。


 『闘い』の対義語は、『平和』などではない。

 『甘え』だったのだと、今カタナは確信した。


 それは、何も物質的な意味の話ではない。苦境に抗うこと、弱く醜い自分を否定すること、諦めないこと。すべて、すべてが『闘い』だ。そしてそこから逃げることは、『甘え』以外の何物でもない。


『大丈夫、カタナは勝てるよ』


 その声を契機に、カタナ=イサギナの精神は自らを閉じ込めていた檻を斬り開き、『獣』の統べるカタナの意識へと浮上していった。


 誰の記憶にも残らない、人間『カタナ=イサギナ』の、これが最初の戦いだった。


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