絶技
闘技場にて、カタナとアダムが相対しているのと同時刻。闘技場前広場にて向かい合っている二つの人影があった。
「さて、ヤっぱりどいてくれる気はないのかな?」
一人は、闇夜に相応しい黒の長衣を身に纏ったリウ=シノバ。
「さっきも言った……二人の戦いの、邪魔はさせない」
もう一人は、深緑の戦闘用コートを羽織ったロロナ=アンゼナッハ。
かつて傍らの闘技場にて出会った二人の少女が、再びの邂逅を果たしていたのだった。
●
この事態が発生する、今からほんの数分前。
「ちっ、もう始まるか――レレット、急ぐヨ!」
「え……あ、うん」
リウとレレットが、言葉を交わして中央闘技場の入口へと小走りに移動していた。彼女らは、商会を抜け出したカタナの後を追ってここに辿り着いていた。無論、カタナには悟られないように十分に距離を開けた尾行である。
「ふふん。このボクに隠し事しようなんて甘いんだヨ、カタナは」
得意げに口元を吊り上げるリウの言葉通り、カタナがいかに警戒していても、彼女の耳を欺くのは非常に困難だ。
さらに、リウは元来諜報を生業としていた人間だ。ジークがカタナに告げた伝言のことを知らずとも、断片情報がいくつかあれば大体のことは察しが付く。
「でも、さ。こないだの、地下闘技場の時はリウくんもわかってなかったんじゃ……」
「あーあー聞こえなーい! あれはちョっと油断してただけー! ていうかククがこそこそ人の察知範囲外でカタナにコナかけたせいだから!」
移動しつつ首を傾げるレレットの疑問に首を振るって抗弁するリウ。そして都合の悪い話題を逸らすようにレレットを横目で見る。
「それヨリ。レレット、付いて来るのはいいけどボクの指示にはちャんと従ってヨ? キミを夜連れ出して怪我させたら、色々ウルサイ人がいっぱいいるんだから」
「わかってる……足手まといには、ならない」
二人は、行動を共にしているものの、その目的は微妙に異なっている。レレットがカタナの後を追っているのは基本的には彼の身を案じているからこそであるが、リウの方はもっと単純に、自分が蚊帳の外に置かれているのが気に食わないだけであったりする。
故にこそ――。
「場合にヨっては? ボクも一枚噛ませてもらうからね?」
彼女は、己自身が『闘技王』に暗器を向けることもまったく躊躇うつもりはないのだ。
だが。
「――レレット。止まって」
「え?」
広場を抜けようとした二人の視線の先。闇に沈んでいるはずの道の中央に、灯の点ったままのランプが一つ、無造作に放置されていた。
「あんたが門番? 悪いんだけどどいてくれないかな――『車輪剣』」
その、夜を震わせるリウの音声に応えて。
「ずいぶん鋭い感覚なんだね……暗器使い」
光源のさらに奥から、重苦しい車輪の軋みと共に――長躯の少女が現れた。
「だけど駄目だよ。邪魔は、させない」
夜色の黒髪を光に照らして、『車輪剣』ロロナ=アンゼナッハが、リウとレレットの前に立ちはだかっていた。
●
そして。
「別に、邪魔する気なんかないんだけどね」
リウとロロナ、両者の足元にはそれぞれ持参していたランプが置かれ、互いの姿を照らしている。その中でリウは、円を描くようにロロナと等距離を保ったままその場から離れて、夜に沈んでいく。
「ただ……何度も蚊帳の外っていうのが気に食わないだけで、ね?」
「そういう勝手な横槍を、普通は邪魔と呼ぶんだけど」
対するロロナは、その場から動かず愛剣たる『車輪剣』を構えてリウの挙動を見据えている。
「ともかく、貴方にはここで止まってもらうから」
僅かな間――。両者、口で退く相手ではないと確認するだけの呼吸を置いて。
「――ふっ!」
ロロナが、車輪を蹴立てて走り出す。闇に隠れるリウへと一気に距離を詰める。
「……くはっ!」
待ち構えるリウの両手が、闇夜に紛れる悪夢のように不吉に閃く。微かな風切り音が空気を裂いた。
「!」
咄嗟に疾走を中断して剣を盾にしたロロナ。その判断の正しさを証明するように、『車輪剣』の剣身にいくつもの火花が咲く。リウの十八番、『針』の連続投射だ。
「ヤっるう!」
久々の強敵との実戦に、リウは機嫌よく歓声を上げて走り出す。その姿は夜に咲く血吸いの花か、それとも現世に迷い出た嗜虐の夢魔か。
「させない」
だが、それに対するのは異形の処刑兵器。闇より出たとは言え、未だ常識外の剣呑さを持つ存在だ。
断夜、暗割。鋼の閃光が、滑るように迫るリウの頭上から墜落する。
リウはたまらず回避。躱しざまに『針』を抜き撃つも、剛剣の一振りを貫くことは叶わない。
「さすがだね。でも、ヤる気な割にはレレットはあっさり行かせたね?」
間合いを取って言うリウの言葉通り。ここにいるのはリウとロロナの二名のみ。リウに同行していたレレットの姿は既にない。彼女は一足先に闘技場へと向かっていた。
「レレットはもう闘技場の中に入ったかな。邪魔されるとは思わなかったの?」
「もしわたしが止めようとすれば、あなたはその隙を突いたでしょう?」
つまりリウにとっては、ロロナがレレットに気を取られればその不意を突いて無力化し二人で向かえばいいし、ロロナがリウを警戒すればレレットは労せずに目的地に辿り着ける。その判断の上でロロナの相手を買って出たのだ。
リウにしてみれば、どっちに転んでも自分は楽しめる、というだけのことかもしれない。ついでに言えば、彼女には音のない夜、この距離ならば内部の状況もある程度は把握できる自信があった。無論、戦闘中でなければ、だが。
「あの子に、アダムさんとイサギナくんの戦いに介入できる力はない」
不自由な二択を突きつけられた形になったロロナだが、特に表情を変えることもなく、そう返す。
「もしそうしようとしても、ミスマさんが止めるでしょう」
しかしそんな彼女に、リウはにやりと性格の悪そうな笑みを浮かべる。
「そんなこと言って、実は自分が気まずかっただけだったりして? ぎろぎろ睨まれまくってたからねー、レレットに」
「……」
ロロナは無言。だが、そのどこか所在無げな呼吸を聞き取って、リウは自分の邪推が正鵠を射ていたことを確信した。
「ま、気にしないことだね。あの子はカタナに近づく女には大体あんなもんだろうし?」
慰めるような、またからかうような口調のリウ。
ロロナはその姿を軽く目を細めて見ていたが。
「じゃあ、何故あなたは睨まれていないの?」
ぽつりと、その言葉を落とした。
「――へえ、分かるんだ。珍しい」
表面上冷静を保ったリウは、微かに感心したようにそう呟く。だがその内心には多少の動揺があることは否めない。
ただ単に身体の線を隠すだけでなく、口調や身のこなし、表情や視線に至るまで偽装しているリウであるからこそ、ほとんど初対面で性別を見抜かれたのは、彼女の経験では片手の指で数えられる程度の数しかなかったのだ。
(いヤ、相手がどうこうヨリも、むしろボクの方で偽装が崩れて女っぽくなりすぎてたのかな。最近ちョっと油断が多いかなあ)
と言うよりも、この場合は単純に両者の間である種の共感があったということかもしれない。
リウとロロナ。この二人には実は共通点が多い。
血に濡れ、人の命を奪って来た過去。敢えて望まないながらも選んだ剣闘士という現在。
そして、巡り合ったカタナ=イサギナという存在。
――こんな自分のような人間が、他にも居るなんて。
今の彼女らは、無意識にであってもそう感じていたのだろう。それはある意味では、それぞれがカタナに感じていたものよりも強いのかもしれない。
しかし。
「勝手に人のこと見透かしてくれるね、ぽっと出のくせに」
「あなたの底が浅いだけでしょう?」
それが必ずしも好意にばかり繋がらないのも、人間の情というものである。
「来なさい。小細工で今の私と『車輪剣』に勝とうなんて、思い上がりだと教えてあげる」
「はっはー、言ってくれるね。『縛』!」
鎖が刃を絡め取ろうと鎌首をもたげ、刃が鎖を砕かんと吼え猛る。
二人の剣闘士の少女は、非友好的な対話を示し合わせたかのように再び打ち切り剣戟へと移る。だがそこには、どこか対等に競うことのできる存在を見出した喜びが含まれていることに、当のリウもロロナもまだ気付いてはいなかった。
●
「はあっ、着いた!」
ロロナとリウ、両者の戦いを背に駆けていたレレットは、閉門されていないままの正面大門を抜け、そのまま闘技場壁内を駆け上がった。
レレットには、カタナを助ける力があるわけではない。彼が『闘技王』と立ち会うからと言って、何かできることがあるわけではないのだ。
しかし、それでもレレットはカタナの戦いを見届けなければならないと感じていた。この街で、最も長くカタナと関わっているレレットだからこそ、カタナにとって『闘技王』という存在が何か大きな意味を持っていると感じ取ることができていた。
リウに、カタナが今夜『闘技王』アダムに呼び出されていると聞かされた時、ほとんど直感的にレレットはこう思っていた。
――今夜は、カタナにとって、何らかの分水嶺となる夜だ。
――その場に、自分は居なくてはならない。
だから、今レレットは一人夜の闘技場を走り抜けているのだ。
その衝動に駆られるまま、レレットは人気の全くない観客席へと辿り着き――。
「……あ」
そして、見た。
「――ぐ、ぅう」
眼下の剣闘場。地に片膝を着き、刃を杖に上体を起こすのがやっとの状態のカタナと。
「立て、まだ貴様は何も見せてはいないだろう」
レレットが最強と信じる少年を、傲然と見下ろす『闘技王』――『無刃』のアダムの姿を。
「我らが師に恥を掻かせるな。貴様の意地を示せ」
その言葉と共に、無傷で佇むアダムが地に伏すカタナに刃を振り下ろした。
●
死。
その時カタナの脳裏にあったのは、その一語のみ。
「う、ああぁ――!」
だから、脳天に落ちて来るアダムの剣から跳ねるように転がり逃れることができたのは、頭で考えた動きではなく、反射的な本能によるものだった。
「そうだ。師に教えられた、否、叩き込まれた通りだろう? いかなる時でも生き残れ、地を這いずってでも生き残れ。戦士ならば従容と首を差し出して死ぬことなど許されない」
伏せた頭上から降ってくる、アダムの静かな言葉が、カタナの心を掻き乱す。
「うる、さいっ!」
訳もなく沸き起こる反骨心のまま、身体を撥ね起こして『姫斬丸』を突き出す。
胸の中心を狙った一撃は、しかしアダムの剣の一振りで弾かれる。
「突きの軌道が見え見えだ。速いばかりで虚実がない」
冷静極まる指摘と同時に、カタナの右胸に衝撃。鏡写しに突き出された刃が直撃し、少年の身体は為す術なく再び地を転がった。鎧を貫いた剣先は、カタナの肌を微かに突いた時点で、狙ったように止められている。
「ぎっ、ぐぅ!」
――まただ。
痛みと屈辱に、カタナの身体が熱を帯びる。
アダムは戦いが始まってから常に、カタナの攻撃を弾き、その上で全く同じ攻撃を繰り出してくる。まるで、カタナとアダムの実力の違いを明確に突きつけるかのように。しかも、その攻撃はぎりぎりのところで手加減されている。
突きを放てば受け止められて突きを返され。足を斬り払えば蹴り潰されてブーツを断たれ、渾身の振り下ろしは同時に繰り出された切り上げにかち上げられた。そしてがら空きの身体に返す刃の振り下ろしが叩き込まれるのだ。
「おおぉ――!」
ならばと、起き上がりざまに右手の剣を左手に投げて持ち替える。
遷し刃。
グイードの戦術を参考に編み出した、未だ剣闘では使ったことのない技。カーン=ハイドの元を離れてから独自に身に付けた技術でアダムの虚を突く。
「追い詰められて小手先の技に頼るか」
だが、今までと逆軌道で迫る剣を、アダムは無感動な眼で眺めやり。
がつん、と。
『姫斬丸』に鈍い手応えが返る。
「な……」
「そんな『小技』一つで裏をかけるほど、『闘技王』は甘くない。技巧に走るには十年早いな」
カタナの剣は、アダムの剣、その柄頭に僅かに切っ先を喰い込ませた状態で停止させられていた。
そのまま剣が捻りあげられ、利き手でない左手で握られていた『姫斬丸』がもぎ取られかかる。
「――っ!」
反射的に両手で掴み取って剣を引き、何とか無手になることだけは逃れる。否、見逃されたのだということは明らかだった。
その証拠に――。
「ぐあっ!」
余裕を持ってわざわざ左手に持ち替えられたアダムの剣が、カタナの胴を斬り払ったのだから。
「く……!」
強い、どころの話ではない。全く、勝負にもなっていない。
斬撃の衝撃に乗って大きく後退したカタナは、虚勢を張ることもできずそう理解した。
正に、『鼠と竜ほどにも格が違う』としか言いようがない実力差。
カタナがまだ意識を保って、それどころか生きていられるのは、竜が細心の注意を払って鼠をあしらっているからだと、否が応にも理解させられる。
「本調子ではないのか? 今の貴様はあまりに温い」
しかしアダムは、そんな怯懦を許さずカタナに告げる。本気でやれと。
「ロロナとの戦いで見せた剣の冴えはどうした? カガマと向かい合った時の気迫はどこに消えた? それが貴様の地金だなどと、頼むから言ってくれるな」
――そんな無様さでは、同門と認めてはやれないぞ。
「……」
――呑まれている。
アダムの威に、どう攻めても無効化される状況に、カタナは抗することができない。
それは、カタナが戦闘で感じる、初めてと言っていい重圧だった。何千もの観衆の中で戦う時でさえ臆したことのない少年が、アダムというたった一人の重圧に心を折られかけていた。
だからカタナは、その言葉に反論できない。
カタナは全力を尽くしている。だが確かに、今の状態が全盛だとは彼自身でも思えないのだ。
「……」
アダムは、一つ息を吐くと剣を構える。刃の向こうに、冷徹な瞳がカタナを射抜いた。
「弟弟子とは言え甘やかす気はない。己で立ち直ることもできない愚図なら、ここで終わらせてやるのが慈悲だろう」
そして、アダムが初めて攻勢に移る。
「あ、ああぁ!」
斬、薙、払。突、断、翔。
一瞬の遅滞もなく放たれる連撃を、カタナは無我夢中で凌ぐ。
脚を動かし、刃を盾に、ひたすらに相手の剣と眼の死角に身を潜らせる。
カタナ自身、無様としか評せない必死の防戦。十の攻撃の内無傷で捌けるのは二か三か。残りは肌を裂いて鎧を削り、カタナの身体はあっという間に傷だらけにされる。
だが。
(――、分かる?)
傷を負って、追い詰められて、しかしカタナは立っている。『闘技王』の剣に晒されて、まだ剣を構えていられるのだ。
それは、本来なら有り得ない。鎧袖一触にカタナを薙ぎ倒せるだけの実力を、『無刃』のアダムは備えているはずなのに。
攻めの組み立て、繰り出される斬撃。一つ一つの技と全体の攻勢が、カタナに既知感をもたらす。
何故か、この剣を知っている。次に来る攻撃が、何故か分かる。
「これ、は――、カーンの師匠と同じ?」
カタナが最も多く剣を交わした相手は、『闘王殺し』のカーン=ハイド。何年もの間、カタナは毎日彼の剣と向き合って来た。
そしてアダムの剣は、カーンの剣と瓜二つだ。
それは、本来なら瞠目すべき事実だろう。『無刃』の名を持つ剣闘士が、剣を持ってさえ『闘王殺し』に匹敵する実力を備えているのだから。
しかし、カタナに限ってそれは不利な事実とはならないのだ。
確かに強い。確かに速い。確かに実力は段違いだ。
それでも、この剣は『知っている』。
「――ほう」
カタナの眼に土壇場で光が戻ったことに、アダムが思わずと言った風に声を漏らす。
そして、ほんの僅かな余裕を取り戻したカタナの視界に掠めたのは、いつの間にか観客席に立ち尽くす一人の少女。
「――レレット」
その姿に、カタナの身体が、魂が震える。
何をしているカタナ=イサギナ。そんな様で、レレット=ヒューバードの助けになれると思っているのか!
『剣闘士』カタナが、たった一人の観客の存在を芯に己を取り戻す。そして同時に――。
「『斬鉄、剣』!」
奇しくも最良のタイミングで突き出されたアダムの剣に、『姫斬丸』が食らいついた。
●
「……なるほど」
動きを止めたアダム=サーヴァは、肩で息をするカタナを見やって一つ頷いた。
「斬鉄か、師匠の得意技だな。流石は弟子か、技の切れがよく似ている」
アダムの持っている長剣。その切っ先が、ほんの指一本分ほどだが、確かに斬り落とされていた。
「認めよう、カタナ。お前もまた、カーン=ハイドの剣を受け継ぐ者」
「……」
カタナは無言。だが、先程とは打って変わって戦意と意地に満ちた戦闘的な眼差しでアダムを見返している。
実にいい。
ようやく『本題』に入れそうな頃合いだとアダムは判断する。
「だが、あともう一つ見せておこう」
呟いて、アダムは手にした剣を大きく引く。今までの剣を身体の前に構える姿とは全く異なる姿に、カタナが警戒するのが伝わる。
偶然だが、剣先が斬り落とされたのは都合がいい。この技は、自分でも加減が難しいのだから。
アダムは、そう内心で囁いてから、カタナに告げる。
「知っているな? カーン=ハイドの剣術、その秘奥。『斬鉄剣』と並ぶこの技を」
瞬間。アダムの身体が疾走を開始する。
狼のように低く、影のように密やかに。そして、あまりにも速く彼我の距離を駆け抜ける。
「!」
咄嗟に反応するカタナの防御を完全に追い抜いて。
そして、勢いのまま突き出されるのは切っ先の潰された剣の先端。
「『三段突き』」
もう一つの剣の極致。達人にのみ許された至高の技が、カタナの身体を直撃した。




