剣の最果て
ああ、楽しい。
ロロナは、剣を振り切った余韻と共にそう思う。
カタナとのこの逢瀬は、彼女の起伏に満ちた人生でもついぞ感じたことのない高揚を感じさせてくれる。
己が一振りごとにより強くなっているという興奮。
目の前の相手に負けない剣闘士であるという誇り。
そして、何より強いのは、彼との時間がこれほどまでに濃密なものになっていることの快感だろうか。
心が躍る。刃が弾む。もっともっとと、『車輪剣』もこの一戦にのめり込んでいるように感じられる。
ああ、だから――。
「……邪魔、だな」
ふ、とこの剣闘が始まってから初めて顔を僅かに曇らせたロロナは、一歩引き下がると片手で己のコートを剥ぎ取った。
その下から現れるのは、白く染められたインナーの上下と、それにもまして白い少女の身体。起伏にはやや乏しいものの十分に鍛え抜かれたそれは、この闘技場という場において露わな瞬発力と柔軟性、そして隠しきれぬ可憐さをも覗かせて、観衆の眼を惹きつける。
ばさり、と。
宙に放り投げられた、今までロロナが纏っていた濃緑のコートは、彼女の肩から流れた血に染まって一部が黒ずんでいる。
(これで楽になった)
コートに仕込まれた金属は防御のためのみならず、絶大な重量を持つ『車輪剣』を振るうロロナの身体を保護するためのものでもあった。だが、そんな「安全装置」を付けていては、無論身体の動きは多少なりとも制限される。
高速で剣闘場を駆けるカタナ相手に、速さで後れを取ることこそ致命的――。ロロナはこの局面に至ってそんな失敗をする気はさらさらなかった。
しかも、ただでさえ金属補強を為されていて重い戦闘用のコートは、血を吸ってより重量を増して身体にまとわりついていたから、ロロナにとってはもはや無用の長物だ。
「――はぁあ!」
重荷もろとも守りを捨てたロロナは、より速く、より激しく身体を舞わせて剣を駆る。
快い。
感に堪えない。
速く、鋭く。回転を加速させた『車輪剣』が、それでもまだカタナには届かない。
「もっと……もっと!」
解放感と共に戦うロロナは、我知らず心にこう呟いた。
(いっそ、このまま何もかも脱ぎ捨てて……互いに剣と身体だけ、あなたと一つに溶け合ってしまいたい)
――そうすれば、命ある限り永遠にこの戦いを続けることもできるだろうから。
それは、彼女にとってあまりに甘美な想像で。
ロロナ=アンゼナッハの猛りはなお衰えることなくただカタナだけに向かっていた。
●
まったく、面映ゆい。
カタナは、刃を眼前にかざす傍らこう思う。
ロロナとのこの告白は、彼の波乱に満ちた人生の中でも他に類を見ないほどに劇的だ。
カタナは、自分が女心というものにいささか疎いと自覚していた。
土台となる経験がなさ過ぎて、男女関係というものが良く分からないというのもある。
今に至るまでの思春期で、そのほとんどを獣の生活か剣の鍛錬かに費やしてきた彼だから、それも無理はないと言えばその通りだ。
だが、だからこそというべきか。戦いの最中の今この時は、カタナの神経は限りなく「冴えて」いる。
剣に乗せて伝わって来るロロナの熱情は、カタナにとっては誤解しようのないものだった。
強い剣闘士、共感できる相手、可愛いと思わされた女性にここまで熱烈な想いをぶつけられて、悪い気持ちは抱くはずもない。
(ただまあ……)
どうやら彼女、自分と同じかそれ以上に「こういう経験」には縁がなかったらしい。熱に浮かされすぎて、多少こちらが気後れするくらいに求められてしまう。
剥き出しになった手足を惜しげもなく躍動させて、カタナの首をすっ飛ばしに迫る『車輪剣』。
普通の男ならこの積極性を前にしてはどうしようもないまま「イチコロ」だろう。……物理的に、文字通り「一撃」で「コロリ」と首が転がる。
無論。カタナがそういう感想を抱いていることはロロナにも伝わっているはずだ。カタナがロロナの想いを受け取ったように。
しかし、それでもロロナの剣は止まることはない。むしろ、ますますその剣技は冴え渡る。まるで、「でもそこがいいんでしょう?」と言わんばかりだ。
駆け抜ける車輪の勢いのまま、剣を踏み台に跳躍すると、その長身が弾き飛ばされたようにカタナに突進。
「!」
カタナが咄嗟に身を躱したと同時、着地したロロナはカタナのがら空きの延髄に手刀を落とす。
「――危ないな」
その繊手を斬り落とそうと下段から跳ね上がる『姫斬丸』。ロロナはあっさり手を引いて、主の後を付いて来るように地をこすりながらもすぐ傍に転がって来た『車輪剣』を拾い上げた。
「ははっ」
カタナは、今までとは別の意味で笑うしかない。ここまで自在に巨大な『車輪剣』を操るなど、曲芸を通り越してもはや芸術だ。
(「そこがいい」……か。まったくその通りだな)
認めるしかないだろう。確かにカタナは、ロロナに惹かれている。
物騒で激しくて、剣を誰より愛しているこの彼女に。ちょっと根暗で口下手で、とびきり強いこのロロナ=アンゼナッハという人間から、カタナ=イサギナは目が離せない。
カタナが一番親しく感じるのはリウだ。
今、誰よりも憧れているのはルミルだろう。
彼が助けてやりたいと思うのは、レレット以外にはいない。
だが、ロロナは。この死者の轍を駆け抜ける車輪の乙女は、カタナに理由もわからせぬままに、それでもどうしようもなく惹きつけるのだ。
「――欲しい」
つい、と言葉が零れ落ちる。ほとんど無意識に発せられたそれは、カタナの心にしっくりと収まる。
何が欲しいのか。痺れるような勝負か? その先の勝利か? それとも、彼女自身をか?
分からない。分からないからこそ、その衝動は強烈にカタナの意識を刺激する。
「は、あああぁ――!」
ただ、この一戦を戦い抜いたその果てに答えがあることだけは分かっていたから、カタナはそれ以上思いを巡らすことはせずに、ロロナへと駆け出していったのだった。
●
「ちょ、だめだよリウくん! 待って待って、落ち着いてくれたまえ! 落ちる、落ちるから!」
カタナとロロナの戦いを誰もが固唾を飲んで見守っている闘技場で、オーブ=アニアは観戦を中断して、別のことにかかりきりになっていた。
それは――。
「放してオーブさん! 少しだけ、一分でいいからボクにも混ざらせて!」
あまりの熱戦に我を忘れて剣闘の場に乱入しようとしているリウ=シノバを、必死に捕まえていることだった。
「こんな戦い横で指くわえて見てるだけとか、ありえない! ボクも戦る!」
「そんな無茶……! 通るわけないだろう? ああもう、いいから戻りたまえ!」
「ヤ・だ! ボクもカタナとあんな風に! オーブさん、手を離さないと後で酷いヨ!」
もう辛抱たまらんと言いたげに鼻息を荒くして、大して高くもない塀を乗り越えようとするリウを、オーブは渾身の力で引き戻そうと奮闘する。
「乱入なんかして、後で酷いことになるのは君だよまったく! 我慢したまえ!」
他人の剣闘に他の剣闘士が乱入するなど前代未聞だ。どんな罰が下るかは想像もできないが、もしこれを許せば、リウのみならず戦っていた二人や商会にも類が及ぶだろうことは確実だ。
と、そこまで考えて、オーブは気付いた。ここにはもう一人味方が居たではないかと。
「れ、レレットさん!」
そう、商会の代表者にして年少の彼らと仲の良い商会長。彼女ならどうにか宥めてくれるのではないかと期待して振り返り。
「あ、貴女もリウくんを説得するのを、手伝っ……て……」
そして、オーブは、後方を振り返ってしまった自分の行いを後悔した。深く、深く後悔した。
オーブの雇い主でもある赤毛の少女は、無表情で、ただ剣闘場を見つめている。カタナと、そして彼と戦うロロナの姿を。じいっと、食い入るように、射抜くようにただ見ている。
だが……、ただ見ているだけなら、何故、それを目撃したオーブに異常なまでの寒気が走っているのだろうか。
「れ、レレットさん?」
恐る恐る声を掛け直すオーブに、レレットは、ぽつりと一言。
「……てる」
「え?」
その小さな囁きに、反射的にオーブは聞き返してしまう。もしここに第三者が居れば顔を手で覆ったことだろう。――止せばいいのに、と。
「カタナが、よその女にでれでれしてる!」
オーブは、二の句が継げない。でれでれ……、とあまりに場違いな言葉に絶句し、またその言葉を発したレレットの迫力に完全に呑まれていた。
「カタナに色目使うなんて、あの女ズルい。ちょっと強いからってカタナを『ゆーわく』するなんて、ありえない!」
そして、彼女の言葉に応えるものがもう一人。
「そうだヨ、レレット。ありえないよね! だからボクも行く! あんな風に後から出て来てカタナを独り占めとか、ズル過ぎる!」
さらに勢いを増して剣闘に参戦しようとするリウに、オーブはさらに事態が悪化したことを認めざるを得ない。前門の虎、後門の狼とはこのことだ。というか、あの戦いをでれでれだの独り占めだの、どうやったら解釈できるのだろうかと困惑する。
経験ある剣闘士であるオーブが気付けなかった彼らの戦いの内側を、経験に劣るこの少女二人が察することができたのは、ひとえにその「少女である」ということ故だろう。
闘いの機微とはまったく異なる次元で、彼女らはカタナに(正確には自分とカタナの関係に)迫る危機をほぼ正確に理解していた。
だからリウは形振り構わず乱入を試みていたし、レレットはひたすら焦燥に駆られていろいろ暗黒な領域に落ちていたのだ。
「え、ちょ、ちょっと。リウくん。君どこにそんな腕力が……。あ、ああ! レレットさん、待って。正気に戻って下さい! ねえ――!」
無論、と言うべきか、オーブにはそんな事情は理解できず、彼はそのまま異様な迫力の女性二人に挟まれて悪戦苦闘する羽目になるのであった。
「ボクも混ぜてってばー! 少しだけ、入るだけだから、ホントに!」
「カタナ、カタナ。大丈夫だよね。わたし、信じてるから、そんな女について行ったりしないよね……」
「ああもう……誰か、助けて……」
ある意味、今回の最大の犠牲者が彼だった。
●
そんな『尊い犠牲』が出ていることなど知る由もなく、剣闘はつつがなく進行する。
「……そろそろだな」
そう呟いたのはコーザ=トートス。彼は眼下で戦っている両者の戦いがついに佳境に入ろうとしていることに気が付いていた。
カタナとロロナの戦意は底なしだ。それこそ一昼夜でも衰えることなく戦えるだろう。
だが、それはあくまで心の話、身体の方はそうもいかない。いくら精神が肉体の限界を取り払うと言っても、現実問題として身体を動かす活力のは限界がある。
それは、人間である以上の必然だ。剣闘士は空想上の生き物でも剣と同じ無機物でもないのだから。
●
「さて、有利なのはどっちかな」
巡業剣闘士商会のセイ=シャインナッハ。幼さの残る顔を好奇で彩った彼もまたコーザと同じくして決着が近いことを察知した。
「勝つのはカタナ=イサギナだと思うわね。単純に、装備が軽い分体力に余裕があるはず。双方動きが鈍って来たなら、その差はより顕著になるわ」
「私は『車輪剣』を推す。破壊力だけではない、あの剣を壁や足場として使う戦術は、剣闘という平地での公平な戦いで一方的な『地の利』を生む」
セイの仲間の、女性剣闘士サーシャと、『独眼狼』ニス=キスが、それぞれの持論を述べる。片や速さと体力を保つカタナと、片や破壊力と地の利を温存するロロナ。勝敗の天秤は揺れ動いて定まらない。
商会長のフェイは無言。判断が付かないのか、それとも思うところがあるのか秀麗な顔を引き締めて剣闘を見下ろしている。
「ハンザ叔父さんは、どう思う?」
無邪気なセイの問いかけに、ハンザは甥と同じ眼を細めて口を歪めた。
「さてな……だが……」
●
「勝敗など、知らんよ。分かるわけがない」
『闘技王』アダムは、突き離すようにそう言った。
「おいおい、『闘技王』がそれでいいのか?」
そう言って、皮肉気に顔を向けるのはミスマだ。彼が水を向けた、『どちらが勝つと思うか?』という問いに対するアダムの答えがそれだった。
「戦いを、見ただけで勝敗の予測ができるような眼を持っていたら、そもそも私は剣闘士などしてはいない」
――どんな時でも、実際にやって見なくては分からないから剣闘士は戦うのだ。
そして戦わずして勝つか負けるか分かるなら、そもそもあらゆる競争も戦いも、戦争すらもこの世にいらないと。アダムはそのように断じた。そんな世界は下らないし、ただひたすらにおぞましいと。
「勝つと決まっている戦いほど無益なものもないし、負けると諦めた戦いほど醜いものもない」
それだけ言って、アダムはまた眼下の戦いに見入る。
カタナもロロナも限界が近い。身体の消耗に従って『以信剣心』の効果も大分薄れているはずだった。そもそもあの境地自体、そう長く居続けられるものではないのだ。絶頂とは得てしてそういうものだし、瞬間的な勢いがあってこその極致でもある。
だが、彼らの眼にはまだ戦意が燃えている。まだまだ戦える。勝利を得るのだと吼えている。
彼らは勝ち目があるかどうかなど気にしていない。自分が勝ちたいから戦うのだし、勝ち目がないなら無理やりにでも創り出すことだろう。
だから、どちらが勝つかを論ずるなどはっきり言って無粋なことだ。観客はただ、この至高の戦いに酔えばいいのだ。
ただ、それでもあえてこの戦いについて語ることがあるとするなら――。
「『車輪剣』は、ロロナ=アンゼナッハを愛している」
逆ではない。あの『異装十二剣』こそが、あの少女を愛しているのだ。
それはそうだろう。あまりにも異質なあの巨大剣にあそこまで真摯に向き合ってくれる使い手など、未来永劫もう現れまい。だからロロナこそが、『車輪剣』にとっては最初で最後の主なのだ。
ロロナのためなら、『車輪剣』は鋳潰されて粉々になろうとも悔いはないだろう。
かつてのカガマと『十字槍』などとは違う、真に武装を二つ名とする剣闘士に相応しい在り方だとアダムは認めている。
カタナと『姫斬丸』では、とてもこの剣と人との絆には敵わない。思い入れはともかく、共に戦った時間も場数もあまりに違いすぎる。
「だが、それでもカタナ=イサギナは……」
そこまで言ってアダムは口を閉じる。「無粋」だと己で思う行為をしつつあると気付いたからだ。
ミスマの視線を感じつつも、アダムは心を空に戦いの終着を見届けることを決めた。
●
そして、カタナもロロナも、今や肩で息をして剣を振るっていた。
ここまで互いに直撃皆無。
『姫斬丸』の颶風も『車輪剣』の豪風も、狙う相手を捉えることはできずに細かな傷を重ねるのがやっとだった。
「――かは」
「ふ、ぅ……」
それでもなお、彼らは愚直に剣を振るう。否、これこそが最高の一時なのだと無言の内に示していた。
だがコーザが、他の者たちが察したように双方限界。もってあと一撃か二撃かといったところだろう。古傷からの出血も相まってどちらもいつ倒れてもおかしくない状態だ。
だから、次の一撃を最大最強の一振りとしよう。そうでなければ、この戦いは終われない。
そう思い決め、両者は息を合わせた様に走り出す。
『――!』
カタナは『姫斬丸』を刺突の体勢に構えて駆ける。信じるは己の速度。あくまで速く、最短距離を貫く構えだ。
ロロナは『車輪剣』を伴った助走で邁進。最も身体に馴染んだ一刀両断こそが己の最強だと彼女は信じている。
瞬く間に距離が縮まり、ロロナの剣の間合いにカタナが踏み込む――寸前。
「――つぁっ!」
ロロナが、『車輪剣』を空振った。
カタナに剣が届くよりも一歩前。ロロナは何もない空間を叩き割るように、巨大剣を振り下ろしていたのだ。とてつもない大威力だが、当然当たらなければ意味は無い。
「――」
カタナは脳の片隅で驚愕と不審を感じつつも、この状況で『そんなこと』に構ってはいられない。千載一遇の隙に、半ば自動的にカタナは加速してロロナに迫る。それは、戦士としての本能のような迷いのない選択。
そして、だからこそ――ロロナにそれは読めていた。
「私は、『車輪剣』……!」
声と共に、ロロナの身体が宙を舞う。剣を振り下ろした勢いそのままに前のめりになり、『車輪剣』を掴んだまま、伸身の前方宙返りで彼女の長躯が弧を描いた。
「な……!」
「私が……『車輪剣』ロロナ=アンゼナッハだ!」
その宣言そのままに。剣を支点に、車輪のようにロロナの身体はカタナの剣を躱しつつ廻り、彼の背後へと降り立った。
それは、普段の斬撃とは逆、己を支点とするのではなく、叩き付けた剣を支点として己の身体を跳ね上げる全く新しい戦法。
そして、着地した彼女は、必然的に背に『車輪剣』を負っていて――。
その構えから放たれるものこそ、真の『最後の一撃』に違いない。
「イサギナくん!」
叫びと共に、決着の一撃が解き放たれた。
●
その瞬間、カタナの脳裏にあったのは一つの言葉。
(――「『闘技王』を目指す剣闘士なら……。勝利するまで、気を抜くんじゃない。馬鹿が……」――)
そう、カタナはそれを教えてもらっていた。ある男に、命がけで教授されたその言葉を。
だから。
カタナの身体は、勝利を決する瞬間にこそ最大の警戒態勢にあったのだ。
「イサギナくん!」
その声より早く、驚愕した脳を跳び越えて。身体と、魂だけがロロナの気配に反応していた。
最後の一撃を放つロロナに向かって、反転しつつ懐に飛び込む。意思も構えも置き去りに、ただ頭から突っ込むように。
「お、おおぉ――!」
「く、ああぁ――!」
『車輪剣』の刃、その鍔元がカタナの胴に食い込んで。咄嗟に突き出された『姫斬丸』の柄頭が、ロロナの鳩尾を深く抉った。
「……あ」
「ぐ……」
一瞬。互いに信じられないと言いたげな顔で、最後の最後に一撃をねじ込んだ相手を見て。さらに手を動かそうと試みるが、彼らの身体はそこで全ての力を失った。
あくまでも戦い続けようとする魂に、身体がもう付き合っていられないと匙を投げたように。あっさりと、カタナとロロナは意識を失い、そのまま二人でもたれ合うようにして地に伏せた。
そしてそれが、この戦いの決着。
完全に同時に気を失って倒れてしまった二人に、観衆たちは取り残されたように呆然として声も出ない。誰もが、この状況でどうしたらいいのか分からなかったのだ。
ただ静寂だけが、戦いの終わりを何よりも雄弁に告げていた。
●
闘技場には引き分けはない。勝敗を決するまで戦う、それが剣闘における一般常識だ。
だから、これは異例の結末だった。
カタナ=イサギナ対ロロナ=アンゼナッハ。
勝者、無し。
敗者、無し。
彼と彼女の戦いに勝敗記録は空白のまま、闘技場の記録に残されることとなる。
だがそんなことは、今はまだ知る由もなく。
最初の宣言通り全身全霊を使い果たしたカタナとロロナは、ただ顔を寄せ合うようにして穏やかな眠りに落ちていたのだった。




