ソード・コミュニケーション
「――何だこれは」
誰かが、呆然と呟いた。
それは、闘技場に押し寄せた市民の内の誰かかもしれないし、その中に紛れた剣闘士の誰かかもしれない。
だが、誰であっても同じことだろう。なぜなら、この場にいるほとんどのものが同じことを思っていたのだから。
「――あああぁぁ!」
大気を切り裂き、ロロナの『車輪剣』が振り抜かれる。
「――おおぉっ!」
雄叫びと共に、カタナの『姫斬丸』が連続で宙に舞う。
『車輪剣』は剣身に叩き込まれる『姫斬丸』によって軌道を逸らされ、『姫斬丸』の連撃は『車輪剣』にことごとく撃ち落とされる。
両者、互いに一歩も譲らぬ鬩ぎ合い。
「あの『車輪剣』と……正面から撃ち合うだと!」
呻き声を上げたのは『炎』のギジオン。帝国屈指の剛腕剣闘士の彼だからこそ、この現実は驚愕せざるを得ない。
確かに、『車輪剣』の威力は絶大だが、剣身を的確に捉えることができれば今のカタナのように軌道を逸らすことは不可能ではない。
だが、それは言ってしまえば机上の空論。理屈の上ではできるだろうというだけで、実際にやってのけたものなど今までただの一人もいない――いなかった。
『車輪剣』を剣で迎撃するということは、その身体は『車輪剣』の軌道上にあるということだ。つまり、あの剛剣を上手く弾くことができなければ、無防備な身体に致命の一撃を受けることは避けられない。
「あのガキ、死ぬのが怖くないのかよ」
見ているだけで冷や汗を流しているのは『大盾』アガサ。
その二つ名通り卓越した防御技術を持つ彼とて、『車輪剣』と真っ向から向かい合うことは一歩誤れば死の危険がある。いくら理屈が通っていると言っても失敗即、死などという戦い方は現実的とはとても言えない。
だがそれを、剣一本に革鎧という軽装の少年が体現している。
既に『武器』を越えて『兵器』の域にまで達しているような大威力を、カタナは一度も食らわず、あまつさえ反撃までしている。歴戦の剣闘士にすら予想できなかった光景が、そこにあった。
「……しかし、あの一撃必殺の『車輪剣』が二つ名も持っていない新人にここまで手こずるとは、いや……」
『三本足』のセネバネは黒ずくめの服に口元を隠すようにして言葉を継ぐ。彼にとっては、カタナ=イサギナという少年よりも、ロロナ自身の方が気にかかっていた。
――あれは本当に、『夜叉姫』なのか? まるで別人だ。
無論、別人な訳はない。背格好に顔、何よりあの『異装十二剣』を自在に操ることができるものなどロロナ=アンゼナッハの他にいるわけがない。
だが、彼にはどうしても信じられない。今戦っているあの少女は――。
「……笑っている。あの、『死者の刃車』が?」
『月光』ティエは、その事実を認めると僅かに眼を見開いた。
二つ名持ちの女性剣闘士は数少ない。だから自然、親交こそないものの彼女にはロロナのことはよく知っていた。
闘技場の死刑執行人、地獄の使者の異名そのままに影を纏ったような陰鬱な少女――それがティエの知る彼女だ。
それが、あんな風に笑って戦うなど、想像の埒外だ。
彼女も剣闘士であるから分かる。あの笑みは、敵をいたぶる嗜虐でも、戦意を誇示する威嚇でもない。
ただ心の底から楽しんでいる――少女の顔だ。
剣闘士たちはそれらの驚愕と共に、否応なくカタナとロロナの剣闘に惹きつけられていた。剣闘に精通しているからこそ、彼らは目の前の戦いがどれだけ特異なものかを察していた。
そして、それは観客たちも同様だ。流血や命がけの戦いを期待して集っていた彼らは、今や息をつかせぬ攻防に魅入られて、歓声さえ上げることができずに圧倒されている。
闘いを知らぬ彼らにも、目の前のこれが、死や流血を呼ぶ凄惨な戦いとは一線を画していることだけは十二分に理解できていたのだ。
●
踊る、踊る。刃が踊る。
弾む、弾む。心が弾む。
「貫け、『姫斬丸』っ!」
カタナの剣が、自分の身体を掠めていく感触が、例えようもなく心地良い。
「まだまだ……『車輪剣』!」
自分の『車輪剣』が、カタナの刃と噛み合わされるのがたまらなく爽快だ。
ロロナは、無自覚なままにずっと微かな笑みが宿っている。
そして正面のカタナもまた同じ。この戦いが楽しくて仕方がないと、はしゃぐような呼気が伝えて来る。
「――あはっ」
その、心が同調したような感覚がまたたまらなく楽しくて、ロロナは『車輪剣』を振りかぶる。今なら、何度だってこの兄弟を舞わせてあげられる確信があった。
そして、一撃必倒の『車輪剣』の構えに対して、カタナは全く臆することなく前進してくる。
「振り抜かせるかよ!」
カタナは、剣闘界のおける最大武器、その殺傷圏の懐に敢えて飛び込んで、斬撃を封じにかかる。
「甘い!」
だがロロナは、動じることなく巨大剣の車輪を地に滑らせて少年を遮る壁とする。そしてその陰から長い脚を存分に活かした中段蹴り。
両者の身長差で、その軌道はカタナの喉元を抉るように突き込まれる。
「シィ!」
「っ!」
ロロナの蹴りは引き戻された『姫斬丸』の鍔元で受け止められ、お返しとばかりにカタナの左掌底が『車輪剣』の壁を突き倒してロロナの体勢を危うく崩しかける。
「惜しい」
「……笑って言うことかよ」
思わず漏れた言葉に、カタナの苦笑が返る。
だが、それでもロロナの笑みは消えることはない。
「イサギナくんも、笑ってるくせに」
「まあ、そうなんだが……」
「でも、わかるでしょ?」
相手の身体に届きそうで届かない。そのもどかしさが、笑い出しそうになるほどに悔しくて。
己の身体には絶対に触れさせない。その誇らしさが、泣きたくなるほどに優越感を刺激する。
「剣闘って、楽しいね。イサギナくん」
そう言って、ロロナは再び『車輪剣』を解き放つ。殺意の欠片もなく、しかし塵ほどの遠慮もなく、正確にカタナの首に目がけて。
くすりと、カタナもその斬撃を見て小さく息をついていたのが分かった。
●
一瞬でも気を抜けば頭がすっ飛ばされるような剣呑な武器を振り抜いてあどけなく笑うロロナを見て、『姫斬丸』で弾きつつもカタナは無意識に思っていた――可愛い、と。
(おれも、本格的にいかれちまってるな)
自分の頭の出来をさほど高く評価していないカタナだが、これには流石に呆れてしまった。
己を殺すかもしれない相手に対してなんと場違いで呑気な感想を抱いていることか。
「ああ、本当に……楽しいな」
そして何より、そんな自分の在りようがあまりにも清々しかったことが、いよいよもって救いようがない。
「うん……行くよ!」
そんな風に自嘲するカタナに軽く頷いたロロナが鋭く身を翻し、『車輪剣』を横に薙ぐ。遠心力に、腰を支点にした梃子の力を加えた豪速の一撃を、地を這うようにしてやり過ごす。そしてその勢いのままに下段からの突き上げ。ロロナの足元から跳ね上がるような軌道で、振り切った直後の胸の中心を狙う。
「――はあぁっ!」
だが、ロロナもまた『車輪剣』を振り抜いた勢いを止めず、車輪を地に擦らせながらもう一回転。カタナの突きの照準から逃れつつ、地を蹴立てる車輪がカタナを轢き潰すかのように迫る。
「おっ――と!」
カタナは瞬時の判断で突きを外した姿勢のまま前方へ跳び、危うくそれを躱す。無論、宙にある間にお返しの一閃を見舞うことは忘れない。
――ギィィッ!
鋼と鋼の噛み合う硬質な擦過音。もう幾度目か、『姫斬丸』と『車輪剣』がその身を削り合う。
「ふふ……」
「ははっ!」
(ああ、そうだ――これが剣闘だ! ずっと求めていた……真の剣闘士との、最高の剣闘だ!)
ロロナと一合刃を交わすたびに、カタナの思考が研ぎ澄まされていく。知らず知らずのうちに心に溜まっていた鬱屈や倦怠が削ぎ落とされて、カタナの戦意が純度を増していく。
(――「俺はもう剣闘士ではない、か。ああ本当に、そうあれたら良かったのにな。俺はもううんざりだ。何故戦わねば生きていけない。ただ静かに満たされることができないんだ」――)
心の片隅にずっとわだかまっていたカガマの言葉、慟哭に似たそれを思い出す。
(カガマ。悪いけど、おれはあんたとは違う)
ただ静かに生きることなど、カタナにはできない。
何故なら、カタナ=イサギナという人間にそんな資格はないからだ。
「強くなりたい――勝ちたい。あの時、あいつに助けてもらったおれだもの。もっとマシな人間にならなきゃ、顔向けできない」
だから、罪に穢れた己のままではいられない。助ける価値があったのだとはっきり示して見せなければならないのだ。
『闘技王』――。最強の剣闘士になって、「あの人」に会いに行くのだ。それがきっと、カタナにできる唯一の報恩だから。
「勝たせてもらうぞ――ロロナ!」
それをはっきりと思い出させてくれた少女に心底からの感謝を込めて、カタナは『姫斬丸』を振り下ろした。
●
それから、一体どれだけの時間、どれだけの回数、剣を振るっていただろうか。
『車輪剣』が大地を割るように叩き付けられ、『姫斬丸』が大空を貫くように閃きを放つ。
いつしか、両者は笑みを消し、言葉を発することもなくなっていた。ただ一心に剣を相手に届かせようと身体を運ぶ。
(イサギナくんにとって、その人はとても大事な人なんだね)
その中で、二人の中ではある変化が生じていた。
(ロロナは、ずっと一人で剣のために戦って来たんだな)
二人は、剣を交わしている相手の言葉が、否、意思が伝わってきているような、そんな名状しがたい感覚に襲われていた。
(闇に落とされた身体を引き上げてもらった――光のような人なんだね)
(おれには分かる。ロロナが居た場所がどれだけ辛い場所なのか)
心は戦意に満ちて、身体は遅滞なく剣を振るう。それなのに魂だけが、会話のような交感をしていた。
(私にも分かるよ。だって、私も引き上げてもらったから――あの『剣獄』で、あなたに)
斜めに斬り落とされる『車輪剣』に刃を合わせて、カタナは軌道を押し退ける。無理に叩き付けるよりもこちらの方が体勢を崩さずに済むといつの間にか理解していた。
(だから、私にとっての光は、イサギナくんのこと)
『車輪剣』を振った後の僅かな間を縫うように、『姫斬丸』がロロナに迫る。だが、ロロナは振り下ろす両手を捻って『車輪剣』を反転させる。
それによって大地に叩き付けられたのは、刃ではなく、峰側に付いた車輪。刃が地面に沈むことはなく、車輪の反動で剣全体が一瞬浮き上がる。
(私は――あなたに勝つ。あなたが「その人」を想うのに負けないくらい……あなたのことを想っているから)
ロロナの全身が大きくしなり、跳ね上がった『車輪剣』が天に向かって振り上げられる。それは、今までロロナが一度も放ったこともなければ試みたことすらない――『車輪剣』の連撃。
(ああ、ロロナが考えてること、分かるよ。おれも、想いを示すためなら、どこまでだって戦える)
その予想できるはずのない斬り上げに対して、しかしカタナは咄嗟に『姫斬丸』で受け止める。
本来の梃子の原理を使用していないそれは、全力の一撃に比べて六割程度の威力であることを見切り、カタナは全身の筋力を総動員して吹き飛ばされそうになる腕を固めて耐えきっていた。
(証明するよ、イサギナくん。この想いが、本物だって)
(もう知ってる――今こうやって、感じてるよ。ロロナ)
無理やりに『車輪剣』を持ち上げた反動で肩の傷が開いて血が噴き出るが、それでもロロナはカタナだけを見つめる。そしてカタナもまた、今の衝撃で開いた脇腹の古傷を無視したまま、ロロナの姿に見入っていた。
●
「……な」
ミスマ=ベイフは、驚愕に眼を見開いていた。
それは、ロロナとカタナとの戦いを、息を呑んで見ているから――ではない。
「そうだ、それが剣闘の神髄だ……!」
ミスマの横に、口角を上げてはっきりと笑みを浮かべている『闘技王』アダムがいたからだ。
「生きるための戦いでは届かない。殺すための戦いでは至れない。心から信じる者と、剣を以って通じ合う――その境地に至ったな、カタナ=イサギナ、ロロナ=アンゼナッハ」
彼はミスマの驚きを認識すらせずに、ただ眼下の二人を見ている。
「『それ』は、断じて幻覚などではない。だが、魔法のような超常現象でもない。……君たち二人で昇り詰めた、至高の剣闘場だ」
そして、『無刃』のアダムは告げた。届かぬ声を、それでも深い敬意を込めて。
「『闘技王』の名において、君たちに祝福を告げる。ようこそ、剣闘の頂点へ至る道の入口へ」
●
『それ』は、極限まで研ぎ澄まされた脳の「理解」の表れだとアダムは理解している。
戦闘とは、一瞬でも遅れを取れば命を失う厳しい「環境」だ。その中では、危険を察知する能力が何よりも求められる。
そして『剣闘』においての危険とは、言うまでもなく、対戦相手だ。
対戦相手がどこを狙っているのか、いつ攻めて来るのか、どう武器を振るうのか。ほんの一瞬でも早くそれを読み取ることができるかで、生と死は別たれる。
そしてそれを理解した脳は、その狭間で生を拾うために全力を傾ける。
『目の前の人間は、一体何を考えている――?』
眼は口ほどに物を言う――などと言うが、アダムに言わせれば戦うことの方がよほど多くの物を語ってくれる。何故なら命がけの戦いの中には、虚飾も形式もない、剥き出しの人間性が現れるからだ。
眼の動き、呼吸のリズム、武器の構え方。
意識ではそれぞれを分析することはできずとも、脳はその全てを総合して、その人物を理解しようと努めるのだ。
生きるための戦いでは届かない。生きる意志、と言えば聞こえはいいが、それは眼前の戦いの『後』を思う雑念だ。
殺すための戦いでは至れない。殺意とは、すなわち拒絶。相手を拒んでいては、完全に理解することなどできない。
『それ』はある意味、恋に似ている。他の全てに優先して、ただ一人、ただ一戦のことを強く思うからこそ至れる境地だ。
刃による究極の相互理解。
『以信剣心』。
アダムは『それ』をそう呼んでいる。相互への「信」を「以」って、「剣」に「心」を込めるのだ。
それは、この世界ではない言葉で「ゾーン」と呼ばれるものに近いが、それぞれに二人分の命がかかった「深さ」は比較にならない。
肉体はその持てる能力の最大限を発揮し、技の閃きが祝福をもたらす。そしてそれは、彼らに「身体の使い方」を実際に学ばせているのと同じことなのだ。
飛躍、進化、昇華。
表現は様々あるが、カタナとロロナがその実力を現在進行形で大きく引き上げていることは間違いない。
だからこそ――。
「さあ、早く来てくれ。私たちの領域まで!」
『闘技王』アダムは、常にない昂ぶりを抑えつつも、少年と少女にあらん限りの期待を向けていたのだ。




