『二つ名殺し』と『断頭の夜叉姫』
その日、シュームザオン東闘技場は普段の剣闘をはるかに上回る人でごった返していた。
中央闘技場の七割程度の収容人数しか持たない石造りの東闘技場に、一万人近い観衆が詰めかけたというから、その混乱ぶりは想像に難くない。
ついには押し寄せる人波を捌ききれず、都市警が出動して整理に当たる騒ぎになったほどだ。
それほどにシュームザオン市民の関心を引いたものは、言うまでもなくカタナ=イサギナとロロナ=アンゼナッハの一戦である。
片や、異形の大剣『車輪剣』を振るい、対戦相手を殺し尽くす『死者の刃車』。
片や、デビュー以来無敗のまま『十字槍』カガマを討ち取った『二つ名殺し』。
流血の気配を色濃く感じさせる戦いは、刺激に餓えた市民たちにとっては見逃せないものとして評判を呼んだ。
さらに極めつけとして、この両者の勝った方と『闘技王』アダム=サーヴァが剣闘を行うという事実がある。
――この戦いは、何かある。
――どちらが勝つにしても、ただではすまない。
多少なりとも剣闘を知るものであれば、誰でもそう思わざるを得ないこの対戦を、剣闘都市の住人ならば見逃す手はない。
「勝つのは『夜叉姫』に決まってる! あいつが今まで何人斬り殺して来たか知らないわけじゃないだろう」
「甘いな、カタナは『闘王殺し』の弟子だぜ? カガマを倒した手並みといい、大物喰いはお手の物だ」
「どっちが勝っても同じことさ。その次には『闘技王』に潰されるんだから」
そんな風に、それぞれ思うことを好き勝手に語りつつ、人々は闘技場へと向かって行ったのである。
●
「ロロナ、調子はどうだい。怪我の具合は?」
「ミスマさ……商会長。問題ありません」
控え室を訪れたミスマの気遣う声に、ロロナは冷静に頷いた。
「痛みも大分引いてきましたから」
先日、『人斬り剣獄』でロロナが負った傷の内、最も大きいものはシジウスに『獣爪剣』で裂かれた肩の傷だ。
未だ全快とはいかないが、多少のことで開くほどではないし、開いたからといって気にすることはない。
ただ、この一戦だけ保てばいいのだから。
「しかし、外はとんでもない人出だよ。観客席はぎゅうぎゅうで、入りきらない人が騒いでる」
「……そうですか」
汗を拭いつつのミスマの慨嘆に、ロロナは言葉少なに俯いた。
ミスマは眉をしかめて、居心地悪げに髪をかき回して言った。
「ったく、アダムのやつが『勝った方と戦う』なんて余計なことを言わなきゃここまでにはならなかっただろうに……すまないな、ロロナ。しかも最終戦は初めてだろ?」
今回この闘技場で行われる組み合わせには、名の知れた二つ名持ち同士のものもあったが、ロロナとカタナの対戦はそれを押し退けて大トリに配置されていた。
大物剣闘士は中央闘技場に回されることが多いとはいえ、普段の剣闘ならば、若手の二つ名持ちと新人の戦いが最後になるなど有り得ない。
ミスマには組合がこの対戦を煽って市民の耳目を集めようとしているようであざとく感じられているようだったが、ロロナには不満はない。順番が最初でも最後でも、自分のやることに変わりはないからだ。それに――。
「むしろ嬉しかったです。これでアダムさんに、やっと一人前に認められた気がするから」
「ロロナ?」
アダム=サーヴァ。
ロロナを剣闘の世界に導いた師とも言える男は、彼女の才と実力を認め、片腕として信を置いてはいたが、しかし今まではっきりと一線を引いて接していた。まるで、よくできた、しかしただそれだけの駒を扱うように。
それが、『剣獄』の一件が終わった後に変わった。
(――「それでこそ、エイデン商会の誇る剣闘士」――)
それは、最強の剣闘士が、ロロナを一人の剣闘士として認めた証拠だ。だからこそ、カタナだけでなく、ロロナにも己への挑戦を許すことを公にしたのだと彼女には分かっていた。
とは言え、そんな事情は闘技場にいる観客たちには預かり知らぬことでもあった。
恐らく、ここに集った人の内の何割かは、ロロナがカタナを殺すことを期待しているのだろう。あるいは、その逆かもしれないが。
それはまるで、『剣獄』に集った観客たちのような考えだったが、しかしそれは仕方がないことだ。今までのロロナの戦いがある意味『そういうもの』だったのは事実なのだから。
だが。
「大丈夫です、商会長」
(私が戦うのは、殺すためじゃなく、勝つために。本当の剣闘士として、イサギナくんの前に立つ)
今のロロナは、前回までの処刑人とは違う。剣闘士の『高み』を目指す者として恥じることのない戦いを誓っていた。
そしてそれは、彼女にとって以前よりも弱くなることを意味しているわけでは、決してない。
(『車輪剣』……今日はあなたの本当の力を、みんなに、そしてイサギナくんに、見せてあげましょう)
ロロナは心の内でそう呟いて、愛おしげに『兄弟』の刃をそっと撫でた。
●
リウ=シノバは、最前列から観客席を見回して、感心したように息を吐いた。
超満員の東闘技場。その中に剣闘士がかなりの数紛れていることに気付いたからだ。
「『炎』のギジオンに『大盾』アガサ。『三本足』のセネバネに女剣闘士筆頭格の『月光』ティエもいる。大物がゾロゾロとまあ……あ、コーザもいるヤ」
「反対側にはフェイさんもいる……横に居るのは巡業商会の剣闘士かな? やっぱり、この勝者が『闘技王』と戦うっていう話が大きいみたいだね。あと、『車輪剣』に同じ商会の剣闘士を殺された人も結構いるから、その関係もあるかもね」
と、リウの横でそう補足したのはオーブだ。彼はすでにこの闘技場で勝ち星を上げた後、控え室を引き払って観客席に上がって来ていた。
「今日は、出て来た剣闘士たちも、ちょっと落ち着かない感じだったね。オーブさんはいつもどおりだったけど」
リウの肩越しに、レレットが密集度の高い客席に身を縮めるようにして言った。
「まあ、僕にとっては観客が多いのはありがたいことですからね。相手はどうも雰囲気に呑まれてましたが……っと、そこのお嬢さん! さっきはご声援ありがとう!」
「オーブさんってばもう……」
客席を振り向いてファンにアピールしだしたオーブを呆れた眼で見つつ、リウは皮肉気に口元を吊り上げた。
「でもカタナがもう最終戦だなんてね。レレットも鼻が高いんじャない?」
「ん……でも、なんだか見世物らしすぎてわたしはあんまり……」
そう言って、レレットは不満げに目を伏せた。
「カタナなら、わざわざこんなお膳立てなんかなくたって十分なのに」
「レレットってば相変わらずだねえ。ボクは単純に楽しみだけどね。この大舞台でカタナが何をヤらかすか」
そしてリウが眼下の剣闘場に眼をやったのと同時に、行われていた対戦の決着がついた。
これで、残る剣闘はあと一つ。
闘技場に溢れかえった観衆が、待ちかねたように歓声を上げていた。
●
狭い。
東闘技場の剣闘場に立ったカタナが、最初に思ったのがそれだった。
カタナがこの場に立つのは初めてではない。過去七戦の内二度はこの東闘技場で行っていた。
確かにこの剣闘場の広さはシュームザオン中央闘技場のそれよりも一回り小さいが、それでも一対一の剣闘を行うには十分すぎる。事実、過去の剣闘ではそんなことは全く感じなかった。
中央闘技場の白い砂利とは異なって固く踏み固められた黒土も、武骨な石造りの壁面も、何も変化はしていない。
ならば、この感覚を呼び起こしているのは一体何なのか。
周囲に満ちた大観衆に怖気づいたか?
違う。剣闘に際して、カタナは周囲のことになど気を取られはしない。
では、最終戦という今までに立ったことのない対戦順に戸惑っているのか?
違う。順番がどこでも、自分のやることに変わりはない
では、対戦相手のロロナ=アンゼナッハへの恐れか?
それだけは絶対に違う。
ならばこれは――。
そこまで考えて、カタナはようやく思い至った。今自分が感じているものは。
「――カガマか」
人を斬った場所を再び訪れたことに対する、罪悪感だ。
右手の『姫斬丸』に、彼の心臓を貫いた感触が甦る。前回の剣闘、嵐の中央闘技場で、カタナは彼を殺したのだ。
そしてカタナは、今また闘技場で戦おうとしている。改めてこの場に臨み、年若い剣闘士は、かつてない重圧を感じていた。
「情けない……!」
だがカタナは、怖じる己の弱気を、唇を噛み締めて叱咤した。
(『剣獄』で分かったんだろう? カガマを倒したことに恥じるところはない。ただ誇りと共にその命を背負うと!)
そう。カタナがいつまでも彼の死を引き摺ることは、むしろカガマ=ギドウという男の最期を貶めることだ。彼の命を散らした戦いに泥を塗ってはならない。
(それに――)
カタナの正面、闘技場から出て来る一つの人影を見て、少年は心に圧し掛かっていた重圧が消えていくのを感じた。
――彼女の前で、みっともない剣闘士の姿は見せられない。
「ロロナ=アンゼナッハ――『車輪剣』」
カタナと同じく、多くの人の命を背負って生きて来たこの人の前で、一人だけ無様を晒すなど許されないと強く思う。
「イサギナくん」
その擦れて届いた小さな声。今から全力で斬り合うことになる相手の姿に、カタナは例えようもない慕わしさを覚えていた。
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「お集まりの皆様、大変長らくお待たせしました! いよいよ……い・よ・い・よ! この時がやってまいりました!」
年若い進行役の煽り立てる言葉に、闘技場が揺れる。そう、彼らはこれから始まる戦いを見にやって来たのだ。
「幾人もの剣闘士を一撃のもとに葬り去って来た『異装十二剣』の使い手――『車輪剣』ロロナと、無敗の連勝を続け、先立っては二つ名を持つ剣闘士を討ち取った『闘王殺し』の一番弟子カタナ! この両者の戦いは、皆様が今まで見たことのないものとなるでしょう!」
剣闘場に立つ二人は、その言葉が聞こえていないかのように、剣を構えて互いをじっと見ている。傍目には、戦意をぶつけ合う剣闘士同士の睨み合いだ。
「そして、この戦いの勝者は、シュームザオンが誇る『闘技王』! アダム=サーヴァへの挑戦権を手に入れることが決定しています! 剣闘士ならば誰もが夢見る舞台へ昇る資格を手に入れるのは一体どちらか!」
『闘技王』アダムは、闘技場の最上部でカタナとロロナを見下ろしていた。一部の関係者しか足を踏み入れることのできない特別席、その一番奥に彼は立っていた。
「――満足か? アダム」
と、彼の視界を一人の男が遮った。
「前回のギジオン以来、一月以上待った剣闘相手が決まるんだからな」
ミスマ=ベイフ。アダムが初めてシュームザオンを訪れて以来の付き合いである男。そして、『闘技王』が形だけでも己の上に立つことを許容する唯一の男が立っていた。
「まだだ」
アダムは、薄っすらと笑みを浮かべるミスマに首を振る。
「あの二人のどちらも、まだ剣闘士としては実力不足だ」
「そんなことは分かってるさ。おれだって仮にも剣闘士商会の長だからな?」
ミスマは、アダムの返答に冗談めかして頷く。
「あの二人はまだ未熟だ。お前なら片手であしらえる程度だろうさ。だからこそ解せないな、なぜこんな真似をした?」
そもそも、アダムがカタナ=イサギナと戦うなどと言い出さなければ、今この戦いは起こっていなかったかもしれない。少なくとも、このような世間の注目を無闇に集める形では。
「アダム、お前は一体何を考えてるんだ?」
ミスマの声に、アダムは軽く笑う。その笑みはあまりにささやかで、他人には無表情とほとんど見分けがつかない。
「最初は、単なる義理だった。それを果たすために私自身が、カタナ=イサギナと一度戦う必要があっただけのこと」
だが、とそこでアダムは視線をミスマから外して剣闘場を見下ろす。
そこには、今まさに真剣勝負へと挑もうとしている二人の剣闘士。
「今は、それ以上に期待している」
「期待?」
意外そうな顔になったミスマにアダムは頷く。
同時に、進行役が、一際大きな叫びを上げて、剣闘の開始を宣言した。
「――始めぇ!」
その声に掻き消されかけたアダムの声は、目の前のミスマにしか聞こえずに消えていく。
「あの二人が、この戦いで掴むかもしれないものに――な」
●
先手は、カタナ=イサギナ。
開始の合図と同時に飛び出した彼は、ロロナに『車輪剣』の助走する間も与えずに肉薄する。
それは、『人斬り剣獄』で彼女を苦しめた『獣爪剣』シジウスの戦法と同じもの。
一度解き放たれた『車輪剣』は、常人にはとても手に負えない大威力である。
下手な防御は意味を為さない。で、あればこの『異装十二剣』と相対する者がまず心得るべきは、いかにその剣を振らせないかだ。
かつてシジウスは『獣爪剣』の手数で押してロロナの斬撃を封じ、今カタナは速度で攻勢に打って出た。
「おおぉ!」
初手から全力。遠慮も躊躇いもないカタナの剣を眼前に、しかしロロナは笑みを浮かべた。
それは、戦意を込めた強い笑顔ではなく、思わずくすりと笑ったような柔らかなそれ。
「――ひゅっ!」
濃緑のコートを翻して、ロロナの長躯が宙を舞う。その跳躍は、傍らに突き立てられていた『車輪剣』の上へ。
そしてロロナはそのまま、柄をさらに蹴って上空へ。
――剣を使った二段跳び。
「はぁ!」
「――!」
突進していたカタナは、一瞬で三メートル以上の宙へ駆け上がったロロナの姿を見失い、その間隙を突いて彼の直上から落ちるのは落下の速度を乗せた踵落とし。
彼女の先輩である『無刃』のアダムのお株を奪うような格闘の技をカタナがぎりぎりで躱せたのは、半分は彼の本能じみた危機察知能力の賜物だ。そして残りの半分は純然たる運。
下手をすれば、今の一撃でカタナは昏倒し、早々に決着が付いていただろう。
「……」
大きく跳び退がったカタナを深追いせず、着地したロロナは『車輪剣』を構え直す。
「――」
カタナも、今度は足を止めて『姫斬丸』を右手に半身に構えた。
双方、間合いの数歩外で数秒互いの姿を眺める。
そして。
「剣闘士カタナ=イサギナ。出身はヴィーエン北方山脈、イサギナ村」
「帝都ウォストミンスター出身剣闘士、『車輪剣』ロロナ=アンゼナッハ」
己の名を、どちらともなく相手に向かって宣言し。
「お互いに、誇りを持って遥かな高みを目指す剣闘士」
「遺恨はなく殺意もない、あるのはただ、敬意と戦意」
また互いに、打ち合わせてあったかのように言葉を交わす。両者の顔には、いつしか心底から楽しげな笑みが浮かんでいた。
多分二人は、剣を始めて持った時から、心のどこかでずっとこんな場面を夢見ていた。
矜持を胸に、尊敬すべき相手と正々堂々ただ全力で剣を交わす――そんな他愛なく純粋な夢を。
「全身全霊、力尽きるまで――」
「――剣に恥じぬ心技を以って」
剣によって血に穢れて、あるいはそのことを覚悟していたからこそ、そんな剣闘がどうしようもなく眩しかった。
だから二人にとって、この一戦は今までのどんな戦いよりも価値あるものに違いない。
「――いざ」
「尋常に――」
そして最後の口上は、互いに呼吸を合わせて、迸る歓喜と感謝の響きを持って闘技場に響き渡る。
『勝負!』
二人の剣闘士の剣が、猛りを解き放って剣闘都市の空を切り裂いた。




